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六度の隔たり(17)

 ジェーンは帰ってすぐにミアに電話した。ミアはジェーンの電話を待ちわびていたようで、ジェーンからの電話だと分かるとすぐに「どうだったの?」と急き込んで聞いた。しかしミアの耳に入ったジェーンの声は、きのうの興奮した声と打って変わって、沈んでいた。
「――と言うわけで、ベンは今オーストラリアの刑務所にいるそうよ。今から、この夏美と言う人に私から手紙を書くわ」とジェーンがいうのを聞いて、ミアは、「ベンは奥さんを本当に愛していたのね」とぽつんと最後に言った。
受話器を置いた後、ジェーンは、ベンはジーナのラブレターを受けとっても、返事を書くとは思えなかった。しかし、ジェーンが頼まれたことはベンを探して欲しいということだけだった。迷いに迷ったが、ジーナのラブレターは夏美に送り返そうと決心した。
翌日、ジェーンは机の前に座って、夏美にどう報告したらよいものか、頭を悩ませていた。
「夏美さま 
私はローラの甥の奥さん、ミアと友達で、ベンさんの居所を探すようにミアから頼まれたジェーンと言うものです。
ベンさんの居所がわかりましたので、お知らせします。ベンさんの連絡先は、次の通りです。
Pentridge
Station Rd.,
Muruwara,
Victoria 3090
ベンさんはオーストラリアにいますが、住所を見ても分かるとおり、今服役中だということです。奥さんを安楽死させたからです。
ベンさんがオーストラリアにいると分かった今、ジーナさんのベンさんへの手紙はジーナさんが直接渡されたほうがいいと思いますので、送り返します。
敬具
ジェーン・リチャードソン」
色々お悔やみまがいの言葉も書こうかと思い、書いたり消したりしたが、結局はこういう簡潔な手紙を書いて投函した。

オーストラリアで
夏美はいつものようにトムを学校の放課後預かり所に迎えに行って、トムを連れて家に帰った。家に入る前に、道路わきの「16」という家の番号を貼り付けた家の形をした木製の郵便箱を開けて郵便物を出し、家に持ち帰った。台所のテーブルの上にその郵便物を投げ出すと、普段着に着替え、その郵便物を調べた。タイプで打たれた請求書とか銀行の報告書とかビジネス関係の郵便物に混じって、手書きで夏美宛てにイギリスから来た手紙があった。差出人の名前を見ると、知らない人だった。
急いで開けると、ジェーン・リチャードソンからのベンの居所に関する報告とジーナのベン宛への手紙が入っていた。ベンがオーストラリアにいたなんて、灯台下暗しだ。このまま、ジェーンの手紙をもってジーナに報告しに行かなければいけない。ベンが見つかったら、浮き浮きしながらジーナに会いにいけると思っていたが、ジェーンの手紙を読んだ後は、心が重かった。まあ、ベンが死んでいたわけではないのだからと気を取り直して、夕食の支度に取り掛かった。ジーナは今は病気も治り、また以前のようにゴルフを楽しんでいる。
今晩はソーセージとマッシュポテトと野菜サラダにしようと、ソーセージを熱したフライパンに入れて、フォークで突き刺してぶちゅぶちゅ穴を開けると、その穴からタラタラと脂が流れ出てきた。ソーセージが焼き終わる頃には、フライパンの中は1センチの深さの脂の海の中にソーセージが泳いでいるといった風情になった。ソーセージがいかに脂肪の多い食べ物かと、健康に対する意識の高い夏美はソーセージを焼くたびにぞっとするのだが、ギャリーが好きなので、時折ソーセージを焼く。
夕食が終わり、トムがシャワーを浴びに行っている間、夏美はギャリーに、ジェーンから来た手紙を見せた。ギャリーはジェーンの手紙に目を通すと、
「人生、何があるか分からないなあ」と感慨深げに言った。
「ベンが、奥さんを安楽死させたなんて、ジーナが聞いたらどう思うかしら」
夏美はベンのことよりもジーナのことの方が心配だった。
「まあ、正直にジーナにこの手紙を見せる以外ないだろ?」
「そうね。明日会社の帰りにジーナの家に、この手紙を届けるわ」
「じゃあ、トムは僕が迎えに行くよ」
「ありがとう。お願いね。晩御飯はジーナの家にテイクアウトの中華料理でも持っていってすませるから、明日の晩はトムと一緒に晩御飯済ませてね」と言うと、夏美はギャリーの頬にキスした。
「じゃあ、久しぶりにトムを連れてマクドナルドにでも、行こうかな」とギャリーは独り言のようにつぶやいた。
その翌日、夏美は、会社からの帰り、駅の傍の中華料理屋でチャーハンと牛肉のいため焼きを買って、ジーナの家に行った。ジーナには行く事を事前に連絡はしなかった。電話をするとベンのことを報告しなければいけなくなるが、口で説明するより、ジェーンの手紙を見せたほうが手っ取り早いと思ったからだ。
ジーナは思ったとおり家にいて、テレビを見ていた。ドアを開けて、夏美だと分かると、笑みを浮かべて、
「まあ、週末でもないのに、家に来るなんて珍しいわね」と歓迎してくれた。
「はい、これ、一緒に食べようと思って、買ってきたわ」と、チャーハンと牛肉の入っているプラスチックの入れ物を出して渡した。
「まあ、嬉しい。人と一緒に晩御飯を食べるなんて久しぶりだわ」と言いながら、取り皿をテーブルの上に置いた。
夏美はご飯を食べ終わるまで、ジーナがベンのことを聞かないことを祈るような気持ちで、夕飯を一緒にした。幸いにもジーナは最近友達の身に起こったショッキングな事件を夏美に報告するのに忙しく、ベンのことは聞かなかった。
「私の友達のソーフィー、知っているでしょ?」
「ええ、お母さんのゴルフ仲間でしょ?」
「そう。ソーフィーの孫が可哀想に、この間ヘロイン中毒で死んでしまったそうだよ。まだ23歳の若さで。私はつい最近知ったことだけれど、その死んだ孫の妹はアル中で、17歳の時パーティーからの帰り道、車に轢かれて一命を取り留めたけれど脳に障害が残って、日常生活も支障をきたして、いつも付き添いが必要な状態だということだよ」
「まあ、不幸は重なって起こるという諺があるけれど、そんなことも本当にあるんですか。気の毒な話ですねえ」と夏美は同情した。
「ソーフィーから二人の孫が自己破滅的になった原因を聞いて、私は開いた口がふさがらなかったよ」
「原因があるんですか?」
「そう。二人ともカトリックの小学校に通っていたんだけれどね、よりによって二人ともその小学校の神父さんにレイプされていたんだよ」
「小学校に通っていた時って、それじゃあ、まだ子供じゃありませんか」
「そうなんだよ。レイプされたのが小学校1年生と2年生の時だったんだそうだから、普通の人間の常識では考えられないよ」
「その神父は、どうしているんです?」
「なんでも、罪を認めたけれど、5年前に死んでしまったそうだよ。その事件が判明したとき、学校側はそのことが外部に漏れることを恐れて、ソーフィーの娘夫婦に多額の金を払って口止めしたんだそうだよ」
「そんなこと、許されていいんですか」
「本当に、そうだよ。思春期になって、二人とも何度も自殺未遂をした挙句、一人の娘は麻薬中毒になって死に、もう一人の娘は障害者になるなんて、これほどむごいことはないよ」
「本当にそうですねえ」
「ソーフィーの娘、娘が死んで怒りを抑えきれずに、とうとうローマ法王にまで、弾劾の手紙を書いたそうだよ」
「そういえば、新聞でそんな事件があったって読んだような気がします」
「ローマ法王からは、神父たちのレイプの犠牲者になった人たちに対する全体的な謝罪はあったけれど、個人的な謝罪はされなかったと、まだ怒りに燃えているということだけど、無理もないわよね、自分の娘達の人生がそんな風に狂わされたんだもの」
とジーナは憤懣やるかたないといった風だった。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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