Logo for novels

百済の王子(35)

百済の王子(35)

661年9月、豊璋と多臣蒋敷(おおのおみこもしき)の妹の結婚式が、天皇も参列されて、おごそかに行われた。新妻は、まだ15歳の幼い感じのかわいらしい女であった。婚礼に参加した人々は、「なんと愛らしいお方じゃ」と、新婦を絶賛する声があちらこちらからもれ聞こえたが、豊璋の顔には、妻を娶る男の喜びは見られなかった。皆は百済の国の存亡が彼の肩に掛かっているのだから、豊璋の顔が暗いのも当たり前だと受け止めたが、豊璋の心の中には、セーラが完全に自分の前から消えてしまったことの悲しみで満ちていた。
 婚礼の後はすぐに、豊璋が王として、新妻が王妃として、かしこまって冊立を受けた。
「我もあとで、援軍を率いて、百済に参るから、心配は無用じゃ」と斉明天皇に言われ、心強く思われた。
  豊璋はすぐに屋敷に戻ると、戦場に行くための準備をし始めた。倭国にいる間、武術の鍛錬は怠っていた。人質の身だったので、へたに鍛錬して、倭国に疑惑をもたれるのが嫌だったからである。だから、多少の不安は感じた。こんなとき、セーラがいたら、どんなに慰められただろうと思うと、心の中にぽっかり空いた空洞は、簡単には埋められないものだと思われた。しかし、セーラのことだ。戦争なんて馬鹿馬鹿しいからするなととめただろうなと思うと、思わず苦笑いした。留められても行かなければならない。結局セーラとは言い争うことになりそうだと思うと、これで良かったのかもしれないと自分を慰めた。新妻と連れ立って、 豊璋が屋敷を出たのは、百済王と冊立されて、一ヵ月後のことだった。新妻はおとなしい女で、豊璋が話しかけない限り、自分から物を言うことがなかった。自分の意見をすぐに言うセーラとは大違いで、豊璋にとっては、少し物足りない女であった。豊璋とは20歳近くも年が違うので、妻のおさなさが気になるのは仕方のないことだった。
662年5月 豊璋が、出発先の難波の港に行くと、170艘の船が港につながれており、壮観な眺めだった。集まった兵士も1万余人と言うことだった。大勢集まった兵の中に、 豊璋が来日した当初、宿泊先を提供してくれた大将軍安曇比羅夫の姿を認めたとき、思わず微笑が浮かんだ。第一陣の指揮者として安曇が一緒に行くと伝えられたとき、百済にも住んだことのある安曇なら頼りになると、心強く思った。
「安曇殿、この度は、百済への援軍、よろしくお願い申す」と声をかけると、
「 豊璋様と一緒に戦える日が来るなどとは、夢にも思いませなんだ。決死の覚悟で戦いに臨む所存でございます」と、かしこまって言った。
「安曇殿にそう言ってもらえると、頼もしい」
「決死といえば、ケベック将軍は決死隊を連れて、新羅と唐の合流を阻めたと聞きましたが、惜しい将軍をなくされました。ケベック将軍には百済にいたときには、随分世話になりましたが、彼ほどの豪快な将軍はめったにいないと思いました」
 豊璋もケベックの最後については、うわさは聞いていた。決死隊5000人を連れて出陣する前、家に帰る未練を残してはいけないからと、自分の妻子を殺したと言う事だった。
ケベックの余り笑いもせず生真面目だった姿を思い出しながら、 豊璋は、
「我も惜しい将軍をなくしてしまったものだと思う」と、感慨深げに答えた。
難波の港で、天皇、皇太子を始め、大海人皇子、乙巳の変の立役者、中臣鎌足、義兄にあたる多臣蒋敷(おおのおみこもしき)、それに倭国の朝廷の主だった人の顔が見られた。
 豊璋は、多臣蒋敷(おおのおみこもしき)に、「妻の世話、くれぐれも頼む」と言い残して、不安そうな顔で見送る妻に、「必ず戻ってきて、そなたを百済の王妃にしてみせる」と言って、船に乗った。自分が王になれる確率は、半々。新羅だけとの戦いならまだしも、唐との連合軍となると、自信はなかった。ただ斉明天皇が、船350艘を造って送ると約束してくれたので、少しは勝ち目がありそうにも思えた。しかし、船を突貫工事で造っている駿河の国で、へんなうわさが流れているのを知る由もなかった。そのうわさというのは、船が竣工した後、ある夜、理由もなく、船尾とへさきが入れ替わっていたというのだ。これを見た人達が、「これは我軍が負ける前ぶれではないか」と言い始めた。そんなうわさが流れると、それに同調するような者も出てきて、「ハエが群をなして西のほうに向かっていって、大阪を乗り越えたのを見た。その大きさと言ったら、天にも届いた。これは救援軍が敗れる前兆に違いない」と、言い始め、民間人は、この戦いは負けるだろうと、悲観的だった。

著作権所有者:久保田満里子

 

 

関連記事

最新記事

カレンダー

<  2024-03  >
          01 02
03 04 05 06 07 08 09
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

記事一覧

マイカテゴリー