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呉キッド(最終回)

退役軍人の省からの返事はすぐに来て私達を驚かせた。しかしそのメッセージは、個人情報保持のため、連絡先は教えられませんと言う、味もそっけもない返事だった。しかしその後、彼の娘がわざわざ日本から来ているというのなら、彼にそのことを知らせて、彼のほうから連絡するように言うと書き足されていた。

「これでは、いつ連絡があるかどうか、分からないわね。でも、この文面から、お父さんは生きているのは確かね。でも、90歳近いのなら、認知症にかかっているとか、歩けないとか、色々体の支障をきたしていることも覚悟しておかなくてはいけないわね」

雅子は「生きていることがわかっただけでもうれしいです」と言った。

その日から、私達は彼からの連絡を毎日待ちわびた。その間私は雅子を色々な観光名所に連れて行ったが、どんな知らせが待ち受けているのかと思うと、外出しても、雅子も私も気もそぞろであった。

一週間後のことだった。午後からフィリップ島に行こうと、朝のんびりしている時に、待ちわびた電話がかかってきた。

「雅子に話したいんですけど」と言う声は、オーストラリア人の熟年女の声だった。

電話に出た私は、逸る気持ちを抑えながら言った。

「私は雅子の友達です。雅子は英語が話せないので、私がメッセージをお聞きします」

「私はアーサー・マッケンジーの娘のナタリーです。父に会いたいということですが、父は認知症にかかり、老人ホームに入っています。でも、わざわざ日本から父に会いに来られたのなら、父に会ってやってください。老人ホームの住所は‥」

私は素早く住所をメモに書き留めると、「ありがとう」と言って電話を切った。電話を切ったあとになって、「あっ」と思った。

「ごめんなさい。今の人、あなたの妹になる人だったのね。話したかったんじゃない?」

「いえ、いいです。だって、私は英語が分からないもの。ともかく父に会えるなんて嬉しいです」

私達は、早速もらった住所を頼りに、老人ホームに向かった。

老人ホームには暗いイメージがつきまとうものだが、アーサーの入っている老人ホームは明るい廊下もピッカピカに磨かれた、明るい雰囲気の所だった。受付の訪問者ノートに名前を書き込み、アーサーの部屋を教えてもらった。

部屋は、開けっ放しになっていて、部屋のベッドには、やせほそった老人が横たわっていた。

ベッドのそばに立った私達を不思議そうな顔で見上げる老人は、まつ毛が長く目が大きいところは雅子に似ていた。雅子は思わず老人の骨ばった手を握った。

「あんたは、誰だ」という老人の言葉を聞いて、雅子はハンドバックから両親の結婚式の写真を取り出して渡した。

その写真をしばらくじっと眺めていた老人の目から急に涙が流れ落ちた。そして、「澄子」と、いとおしそうにつぶやいた。

まさかアーサーが雅子の母親のことを覚えているとは思わなかった私は、驚いて雅子を見た。雅子の目からも涙がこぼれた。アーサーの言葉は、雅子の母を本当に愛していたのだと言う証のように思え、私も思わずもらい泣きをしてしまった。

雅子はそのあと、「私は澄子とあなたの娘です」と言ったが、雅子の言葉はアーサーの耳には入っていないようだった。アーサーはじっと写真を眺めたまま身動きしなかった。

結局、アーサーは雅子を自分の娘だと分からないまま、老人ホームの訪問は終わってしまった。

無言のまま車に乗った雅子を、私はどう慰めたらいいのか分からず、陳腐なことしか言えなかった。

「お父さん、結局、あなたを自分の子供だと分からなかったみたいで、残念だったわね」

雅子は、私の言葉に気を取り直したように、

「父は母を覚えてくれていただけでも、嬉しいです」と言った。

その晩、またナタリーから電話がかかってきた。

「雅子に伝えて。父は、チェリー・パーカ注ーがオーストラリアに入国を認められてから、澄子という人のことを探しに呉に戻ったそうです。でも、澄子の行方が分からず、傷心のままオーストラリアに戻ってきたそうです。私の母は、父とは幼なじみだったので、父を慰めているうちに二人の仲が接近して、結婚したということです」

雅子にあとで、ナタリーの言葉を伝えると、雅子は言った。

「オーストラリアが母の入国を拒まなかったら、父と離れ離れにならなくて済んだのに。時代が悪かったのね」

その言葉を聞いて、終戦直後に私が夫と会っていたのなら、私達も引き離されていたのだと思うと、この平和になった世界に感謝せずにはいられなかった。

 

注チェリー・パーカーこと桜元信子は、夫ゴードンの4年がかりの請願運動のおかげで、初めて日本人の戦争花嫁としてオーストラリアに入国を許された女性。二人の子供も入国を許されたが、当初は5年のビザしかもらえなかった。

 

参考文献

Walter Hamilton “Children of the Occupation”

インターネットサイト

Australian White pages

Japanese wives of Australian serviceman

 

 

 

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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