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サンドラの誓い(1)

サンドラは仮眠をしているところを起こされ、頭がボーッとしていた。インターンを終え、やっと一人前の医者になれたのだが、病院勤務をしていると、インターン上がりの医者は医者の階級では一番の下っ端。宿直などは人手が足りないときには、すぐに割り当てられる。今晩も本当は宿直の予定はなかったのに、宿直担当の医師が急用ができ、宿直できないというので、急遽サンドラにその役目がまわってきたのだ。

「サンドラ。今交通事故にあった男が救急車で運ばれてくると連絡があったわ」

看護師に言われて、慌てて白衣を着て、足早に治療室に向かった。

今晩は比較的静かで、このまま仮眠ができるかと思ったのにと思うと、残念な気持ちがした。

 サンドラが治療室で待っていると、5分もしないうちに、あわただしい人の足音と、ストレッチャーのガラガラという音が、病院の静寂さを破った。そして、治療室のドアがばたんと開いたかと思うと、すぐに運び込まれた怪我人はストレッチャーからベッドに移され、救急隊員の血圧や脈数などの報告が治療室に大きく響き渡った。

「車にはねられ、頭を強く打ったもようです」

その報告を聞きながら、ベッドに横たわる男の顔を覗き込んだサンドラは、ハッとなり、一瞬息を呑んだ。頭の髪の毛に血がこびりついていて、形相は変わっていたものの、その男の顔は、サンドラにとって忘れようにも忘れられない顔だった。

 

2年前のことだった。医学生だったサンドラには同級生のアランと言う恋人がいた。二人は5年越しのつきあいで、インターンを終えたら結婚しようと話し合っていた。アランは、医者になったら、「国境なき医師団」という慈善団体に入り、貧しい国の人々の医療に当たりたいという夢をもっていた。サンドラもそんなアランを心の底から尊敬し、彼と一緒に働きたいと願っていた。

大学の卒業を間近に控えたある晩のことだった。二人は同級生の誕生日パーティーに呼ばれた帰り道のことだった。突如、アランの運転する車の前に、酒に酔った50代くらいのホームレスのようなきたない身なりをした男がよろよろと現れたのだ。アランはとっさにその男をさけようとハンドルをきったのだが、車は道路わきの木にぶつかり、ドカーンと大きく音がした。そのあとの記憶はサンドラにはない。サンドラが目を覚ました時、頭が固定されていた。頭を負傷したのだ。だからサンドラが、事故のことを思い出すのに少し時間がかかった。しかし、その事故の記憶が鮮明によみがえってきたとき、サンドラは側にいた看護師に聞いた。

「アランは、無事ですか?」

それを聞くと、看護師は悲しそうに頭を左右に振った。

「え?アランが死んだ?そんなことないでしょう?うそでしょう?」

サンドラは看護師の答えを信じられなかった。それから半狂乱となったサンドラは鎮静剤を打たれて、またコンコンとした眠りに陥った。

サンドラが落ちついた時に聞いた話では、救急車がきたときには、あの道路に突然出てきた男の影も形もなかったそうだ。サンドラもヘッドライトに映し出されたその男の顔は、一瞬しか見なかったが、脳裏に焼きついていた。そして、あの男さえ道路に出てこなければ、アランはまだ生きていたのにと思うと、自分の怪我の痛みより、その男に対する憎しみが、胸のうちに膨らんでいった。


著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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