結婚相手(1)
更新日: 2016-12-04
「今晩、時間があったら、夕食、一緒にしない?」
突然、余り親しくもない同僚の工藤幹江から言われて、私は一瞬とまどった。しかし、断る理由は何もない。金曜日の夜だと言うのに、私はデイトする相手もいない。それに、一人暮らしの私は、晩御飯を作ってくれる人もいないから、たまには同僚と食事をするのも悪くないと思い、「いいわよ」と答えた。
その日幹江に誘われて行ったのは、イタリア料理のしゃれた店だった。
「この店のラサンニャ、おいしいのよ」と、幹江に言われ、私もラサンニャを注文した。
幹江は、会社でもおとなしい感じの女性だったが、私と二人きりになっても、口が重く、もっぱら私が話し手になった。私を誘ったのは、何か話があったのだろうが、幹江が私を誘った理由についてなかなか話そうとせず、やっと口を開いたのは、ラサンニャを食べ終わった頃だった。
「白川さんは大村さんとは同期でしょ?大村さんの事、どう思う?」
大村は私と同じ25歳。スポーツマンで健康そのものの快活な青年だった。
「大村さん?素敵な人がと思うけど、どうかしたの?」
「白川さんは彼の事、好きなの?」と真剣な顔をして、幹江は私の心の奥底まで覗き込むようにまっすぐ私の目をみながら、聞いた。
「好きっていえば、好きかな。でも友達として好きだっていう意味で、あんまり彼に対して男性を意識したことないわ」
「そう。よかったわ。実はね、私、大村さんの事、ずっと好きだったの。でも、自分の気持ちを告白して断られるのがこわくって、人知れず悩んでいたの。それに白川さん、大村さんと親しそうだったし…」
「そうだったの。私は、彼の事、特にどうこう思ったことはないわ。だから私に遠慮することないわよ」
「でも、自分で告白する勇気がないの。白川さんの方から、大村さんに、私の気持ちを伝えてもらえないかしら」
「そう。いいわよ」
「ありがとう、白川さん」と幹江は、私の手を握らんばかりに喜んだ。
私は、誰かのために何かができると思うと、心の奥底でちょっぴり自分自身を誇らしく思った。
「私から、どんなことを言えばいいかよく分からないから、あなたが手紙を書いてくれたら、それを渡す、キューピット役になってもいいわよ」
「そうしてくれる?実は、もう自分の気持ちをしたためた手紙、用意しているの」と、幹江は、可愛いピンクの封筒を私に渡した。
「じゃあ、来週の月曜日に、大村さんに事情を話して、手紙渡すわね」
「ありがとう!」
私たちは、幹江の成功を祈って、二人で乾杯した。
週末は落ち着かない気持ちで過ごしたが、幹江は自分よりももっと落ち着かない気持ちで過ごしていることだろうと思いながら、月曜日を待った。
月曜日は、いつもより10分早く出勤し、大村を捕まえようと、入り口から目を離さなかった。とはいえ、20人ばかりしかいない銀行の支店で、皆が大部屋で机を並べて仕事をしているので、大村が来たかどうかは見張らなくても分かるのだが、私は一刻も早く自分の役目を実行したいと待ち構えていたのだ。始業5分前の8時25分に、やっと大村が現れた。
大村が席に鞄を置いたのを見るや否や、私は大村に近づいて、
「ちょっと、話があるんだけれど、昼休み時間ある?」と聞いてみた。
大村はちょっと驚いたように私の顔を見たが、すぐに笑顔になって
「いいよ」と答えた。
「じゃあ、向かいの喫茶店で12時半ね」
私は目の端に、幹江の期待の入り混じった顔を見て、思わず幹江に向かってにっこりした。
大村は約束通り、喫茶店に12時半かっきりに現れた。
「アメリカン」と大村はウエイトレスに注文すると、私の顔をまっすぐ見て、
「話ってなんなんだ」と聞いた。
「実はね、工藤さんの事なんだけれど、大村さん、工藤さんの事を、どう思う?」と、私はは早速話の核心に迫った。昼休みはそんなに長くないから、悠長に話してはいられない。
「工藤さん?」大村は意外な顔をした。
「どうして、白川さんが僕にそんなことを聞くの?」
「実はね、工藤さんに、キューピット役を頼まれたのよ。彼女、あなたのことを好きでたまらないみたいよ。彼女から手紙を預かっているから、これ、あとで読んでね」と、幹江の手紙を渡すと、大村はじっと手元の手紙を見て、
「僕、これ、受け取れないなあ」と苦り切った顔をして言い出したので、私は慌てた。
「そんなこと言われちゃ、困るわ。私、あなたと工藤さんの仲介を引き受けたのよ。それじゃあ、私の立場がなくなるじゃない」
私はつい声を荒げて言ってしまった。
大村は、私のそんな態度に驚いたようだった。唖然としている大村を残して、私はあわただしく喫茶店を出た。
「冗談じゃない。手紙を突き返されては、私の立つ瀬がないじゃない」と、私は口の中でぶつぶつ言いながら、足早に、会社に戻った。会社に戻ると、すぐに幹江が私の所に寄って来た。
「どうだった?」と不安げに聞く、幹江を見て、とてもじゃないけれど、大村が手紙を読みたくないと言ったことを、伝える勇気は出てこなかった。
「う~ん。どうかな。ともかく手紙を渡しておいたから、そのうち彼から何か言ってくると思うわよ」
「そう。ありがとう」
私はその日の午後の仕事は思うようにはかどらなかった。それと言うのも、大村の煮え切らない態度が腹立だしかったからだ。大村は時折、ちらちらと私の方を見ているのを感じられたが、無視することにした。
それから2日。大村にも幹江にも変化が見られなかった。しかし、3日たった朝、私が出勤すると、幹江が、すぐ私のところにとんで来て、
「白川さん。ひどい」となじると、小走りで去った。
私は狐につままれた感じだったが、大村との間に何かあったのだろうと、想像できた。それも良くない結果になったようだ。
私はつかつかと大村の所に行った。
「大村さん。話があるんだけれど」と言うと彼も
「僕も君に話がある。会社が終わったら、また向かいの喫茶店で会ってくれないか」と言う。
「いいわ。じゃあ、またあとで」
一日中浮かない顔をしている幹江を見て、私は何とかしてあげなくてはという気持ちになっていた。
著作権所有者:久保田満里子