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さようならジョン(5)

ジョンが退職して1年後、ジョンが会社に足を運ぶこともなくなった。うわさでは、ウェンディとも別れたということだった。新しいパートナーができたのかと思っていた私に、ビルがびっくりするニュースをもたらした。

「ジョンは舌癌にかかったようだ。かなり悪性の癌みたいだよ。一応治療は終わって退院したということだ」

  あの、いつもエネルギッシュに動き回っていたジョンが、病気にかかるなんて夢にも思わなかった。彼はまだ70代の初めのはずである。言葉を失った私にビルが

「今週の日曜日家にお見舞いに行くつもりだけれど、君も行くかね」と誘ってくれた。

 会社の中で、社長秘書だった私が一番ジョンのことを知っていたことを、ビルは配慮して、誘ってくれたらしい。私は勿論「是非連れて行ってください」と答えた。

 花束を持って、ビルと共にジョンの家を訪れると、玄関の扉を開けたのは、美しい金髪の大柄な女性だった。ジョンは、病気をしてもやっぱりモテるんだと、思わず頬がゆるんだ。

その女性は、「私、キャシーです。どうぞ入って」と私たちを家に招じ入れてくれた。  

 家の中は相も変わらずチリ一つ落ちておらず、ピカピカだった。

見舞いに行くとビルがあらかじめ連絡していたのか、

「おお、来たか」と寝室から出てきたジョンは、ちゃんとズボンとTシャツを着ていたが、ジョンの頬がこけ、手足が細くなっているを見て、私は胸が痛んだ。

「この女性は、僕のダンス教室でのパートナーだった人でね、牧師なんだ。僕の葬式をちゃんとしてくれることになっているんだ」

「葬式なんて、まだそんなことを考えるのは早いんじゃないか」とビルが言うと、

「慰めてくれなくてもいいよ。自分の体のことはよく分かる。このままいろんな治療を続ければ、1年くらい生きながらえるかもしれないと医者が言うんだが、苦しい治療を続けるのは、まっぴらごめんだよ。幸い僕には家族がいないから、いつ僕が死んだって、誰も困らないし」

 あのなんでも積極的に物事に取り組んでいたジョンの言葉とは思えなかった。しかし、苦しい思いをして延命しても、また元気になる可能性がないとなれば、私もジョンと同じように考えたかもしれない。

「だからさ、自分の死の時は、自分で決めたいと思っているんだ」

「それって、安楽死のことを考えていると言う意味ですか」私が驚いて聞きただすと、

「そうだよ」と、こともなげに言う。

「でも、安楽死は合法化されていないよ、オーストラリアでは」とビルが言うと、

「だから、僕は合法化にむけて、キャンペーンをしたいと思っているんだよ」

そう聞くと、いつもの物事を積極的におしすすめていく、いつものジョンは変わっていないことを知り、私の気持ちは少し楽になった。

「安楽死に使う薬が売っていないかって、ネットで調べたら、それが売っていたんだよ、メキシコで」

「え、そんなに簡単に薬が手に入るんですか」と、安楽死にはついての知識が全くない私が聞くと、

「薬は500ドルって書いてあったから、500ドル送ったら、郵送料や手数料として500ドル追加のお金を送れというので、また500ドルを送ったんだ。ところが、いつまでたっても品物が来ないんだ。きっと、だまされたんだと思う」と、いいながら、綿棒のようなものをしきりになめた。私の視線に気づいて、ジョンは、

「これはね、痛み止めのためのモルヒネなんだよ」と説明してくれた。

私たちは、ジョンが疲れ始めたのを感じて、その日は、退散した。 (続く)

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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