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さようならジョン(6)

その2週間後に、ビルが、

「ジョンから僕たちに昼食に来ないかと誘いがかかったよ」と言うので、ジョンの2度目の見舞いに行った。

 前回あったときは、退院して間もなかったせいか、10分も話すとつらそうだったのが、

少し体力を取り戻したように思えた。この時もキャシーがそばについていて、料理は彼女が準備したようだった。

「キーコ、クリスを覚えているか?」と私に聞く。一瞬どのクリスのことを言っているのか考えていると、

「ほら、辞表を僕にたたきつけて、辞職したセールスマネージャーのクリスだよ」

「ああ、あのクリス」

 私は、ものすごい形相をして社長室から出てきたクリスのことを思い出した。

「彼からね、見舞いのカードが来たんだよ」と、カードを私に渡してくれた。そこには、

「ジョン、

 癌にかかったと聞き、驚いている。早期回復を祈っている。

君から僕の仕事ぶりについて注意を受けたとき、僕は全力投球で仕事に取り組んでいたと思っていたので、君の忠告は心外だった。でも、あれからほかの会社のセールスマネージャーになって、君の忠告を思い出し、ときおり自分を反省するようになったよ。いまでは物わかりの良いボスだと思われている。これも君の忠告があったからだと、今では感謝している」

私が読み終わるのを待って、

「クリスとは喧嘩別れになって、後味の悪い思いをしていたんだが、彼から、こんなカードをもらって、僕はうれしかったよ」

「和解できて、よかったですね。それで、クリスは会いに来たんですか?」

「いや、彼は今アメリカにいるそうだ」

「そうですか」

 会話はなごやかにすすんでいったが、ジョンは、スープを一口飲んだだけで、それ以上、料理に手を付けなかった。

「食欲もないし、無理して食べると、吐き出すだけだからね」

そういう、病気のつらさをこぼしているかと思えば、突然いたずらっ子のように、

「今朝、キャシーに抱いてほしくなって、彼女の寝ている客室のベッドの中にもぐりこんだんだけど、キャシーったら、パジャマを着て寝ているんだよ。興ざめしたよ。裸で寝ればいいのに」

と、愚痴をこぼすので、私は思わず笑ってしまった。女のベッドにもぐりこむくらいの気力があれば、当分は大丈夫だと思った。

 しかし、この時が、私が生きているジョンに会った最後の日になってしまった。それからのジョンの状況は、マスコミに報道される情報で得るだけになってしまった。彼は安楽死の合法化を目指してのキャンペーン運動で多忙になっていっていた。

 テレビのドキュメンタリーでは、キャシーとダンスしているジョンを見ることができた。ジョンの安楽死を手助けするという医者も、不治の病の痛みで苦しんでいる人たちを安らかに眠らせてあげることの重要性を強調していた。私も心の中で、大賛成と言っていた。私には痛みに耐えながら死だけが待つ生活は、思っただけでも耐えられそうもない。。

 新聞にも何度にも渡って安楽死の記事が記載され、そのたびにジョンのことが報道された。新聞に記載されたベッドに横たわっているジョンの写真を見ると、ジョンは骨と皮になってしまっていた。癌が肺にも転移したと書かれていた。テレビのドキュメンタリーで、ジョンに安楽死の薬をあげると宣言した医者は、裁判にかけられてしまったとの記事を読んだ1週間後、ジョンの姪という人から電話をもらった。

「ジョンは、夕べ、薬を飲んで、安らかに眠りました。葬儀の日は、ジョンの遺体が検視に回されたので、遺体が戻ってきたら、またお知らせします。ジョンが、知らせてほしい人のリストを作っていましたが、そのリストにあなたの名前があったので、お知らせします」

 こんなに早く、ジョンの死が訪れるとは、夢にも思わなかった。彼が重病なのは知っていたが、現実にその時が来ると、実感がわかなかった。いつか見た、スイスの病院で安楽死した人のドキュメンタリーを思い出した。ジョンも自分で、死のカクテルを飲んだのだろうか。電話が切れた後も、私は呆然としてそのまま長い時間たたずんでいた。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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