更新日: 2010/08/06
「まだまだ」
私は必勝法もどき(=投資法)などはやらないから賭け方は大雑把である。私が望むのはカジノにデボジットした虎の子を滞在する20日間に渡って維持しつつ楽しむこと。そのためにバイインした金額が溶けたら追い銭はしないと固く誓ったりする。
さて、メルボルンのクラウンカジノで私は5日間勝ち続けた。特別なことは何もしていないので、持っていった元郷氷川神社のお守りのお陰だと思った。しかし、続く4日間私は負け続けた。負けはじめるとしないはずの追い銭もするようになり、すっかり自分を見失った。
カジノは恐い所だから人には勧めないが、カジノの面白味はそのこわさの所以を知ってこそ味わえるものだと、私は思っている。勝ち負けだけに一喜一憂するのは浅い盥で幼児がする水遊びみたいなもの。己を抑え最も良き決定を成すことこそカジノでのよろこび。私はまだまだなのだ。
2007/7/24
「誰もやらないのだから」
マホガニーで投資法を試みる客を見かけたことはない。一般フロアーでも見かけない。カジノ好きがそれを知らない訳なく、誰もやらないのはそれが有効ではないからだ。
カジノはプレッシャーがかかるところだから、投資法のようなオートマチックな賭け方にも一理はあるが、あからさまに実行するのには相当抵抗がある。増してそれが有効でないとなると恥の上塗りである。
アスリートがプレッシャーを楽しみたいとよく口にするが、ギャンブラーもそれを楽しむのが本筋、自分の胆力を試し、運気にすべてを託すのが潔ぎよいと泡沫は思う。
2007/7/27
「カジノ利用法」
カジノは面白いところだが一概に楽しいところとは言えない。カジノで大やけどをしたらとても楽しいなどとは言っていられないのは当然のこと。それはそれでカジノはカジノ好きの旅行者にとっては便利な面もある。私たちはゲーム資金、滞在費用を合わせて日本円で全額カジノにデボジットした。これによってすべてがオーストラリアドルとなる。レートはほぼ100円だった。随分AUドルも高くなったものだ。カジノはレートがよいとゲームをしない人も両替だけはするほどだが、それでも手数料は取られる。
しかし、カジノに預けた場合の日本円は全額手数料なしにAUドルで買い戻すことが出来る。もちろん運がよければの話。今年の私たちはたまたま運がよかった。
以前はシティバンクのキャッシュカードでその都度AUドルを引き落とししていた。これは便利だったが、ものすごくレートが悪い。さらにカジノで頻繁にATMに通っていると敗北感がひしひしと押し寄せてくる。それにキャッシュカードで引き出したドルは、その後いくらカジノで増やしても再度手数料を支払って日本円にするしかなく、二重に手数料を払うなんて勿体ないので以前はAUドルのまま日本に持ち帰った。
とまあ、私たちの旅にはいつもそこにカジノはあったが、もちろんカジノばかりしていたわけではない。いろんなものを求めて私たちは旅に出た。旅をすることでいろんな景色を見ることになったが、最近になってどうしても見たい景色があるわけではないことに気がついた。一年に一度きりのバカンスである。何を見てもすべてが新鮮で私たちを楽しませてくれるのである。
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更新日: 2010/07/29
2007/7/11
「ビッグタイム」
勝ち負けに翻弄されている。自分が試されている。カジノでは細心にして大胆であることが望ましいのに、悲しいかな私は未だに小心にして大雑把。しかし、私は好んでこの場にいるのだから一切の言い訳は無用である。カジノで過ごす時をビッグタイムというが、それは私が試される時。
カジノ歴は長いが、マホガニーにデビューしたのは去年。怖々ミニマム100ドルのBJテーブルに座ってみたが、わずか数分で席を立った。大変な所に来てしまったと泡沫ギャンブラーは、あたふたと場慣れた一般フロアーに逃げ帰った。しかし、こちらでもこの年のBJはまったく目が出ない。
こうなると八方塞がり、腹を据えて再度マホガニーに駆け上がるが、やはり「BJの神様」と反りが合わない。それならばとBJに見切りをつけてバカラに起死回生を期す。見よう見まね、時に失笑を買いながら絞りの初体験。そして、13回連続でバンカーを引き絞ったときは周りからやんやの喝采。それは泡沫ギャンブラーの新たなビッグタイムの始まりだった。
2007/7/13
「苦い洗礼」
初めてのマホガニーで浮足立っていた。プレートの文字がよく見えないまま席に着いたらミニマム100ドルだった。端から100ドルのBJなどするつもりはなかったが、泡沫にも見栄があって、今更逃げ出す訳にいかなかった。
千ドルのバウチャーをチップに代えるのにピットボスが不慣れで手間取った。すべてが初めての経験の私にとって彼らは最悪だった。もっと最悪だったのは待たされた時間より実際にプレイした時間の方が短かったこと。あっさり転がされて私は席を立った。
苦い洗礼だった。私は望んで此処にいるのだから甘んじて受けた。
2007/7/18
「普通の人々」
カジノはボランティアではないからルール上、胴元が儲かるようになっている。だから客は勝ったり負けたり負けたりするのが普通。しかし自分だけは普通にならないと客はカジノに通う。
客は普通にならないためにいろんな事を考える。それを必勝法と言うらしいが、なるほどそれが嵌まって大儲けということが良くある。だけどそれを繰り返すと負けはじめる。気がつくと、いつしか勝ったり負けたり負けたり。
それを判ってしまった私は普通で良いと思ってカジノに行く。これまで一杯負けたりをしたから、次は勝ったりになると思いつつ。
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更新日: 2010/06/13
「ビッグウェーブ」
ビッグウェーブが来た。
最後の最後にそれは来た。
まるでギャンブル小説のベタな最終章みたいだった。
瞬く間に私の前にチップが積み上げられていく。
いつもは20枚ごとの山にして並べるのだが、そんないとまもなくチップを積んだ。
心なしか私の手が震えている。そのせいでチップのタワーも揺れた。
カーちゃんに向かって
「まだくる!」
とそれしか言葉を知らないかのように何度も繰り返した。
BJではディーラーと客はほぼ同じ条件で闘うが、時にどちらかのワンサイド勝ちになることも当然ある。
今がその時だった。
その渦中に私はいた。
いつもはチップの山をつまみ上げて分ける。

これがきっちり20枚。
(これらのチップは、私がオーストラリア中、さらにNZの2都市を回って集めたチップ。5ドルチップもあるけど、ほとんどがビタ銭チップ。)
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更新日: 2010/06/01
「ついていない女」
流れを読むなどと簡単に書いてしまったけれど、
本当のところカジノでは一手先のことは誰にも判らないことになっている。
ギャンブル小説のようにはいかないのである。
年の頃は三十前後のチャイニーズの女性。
殆どバックベット専門で、他人の運に乗ろうとする。
だから頻繁にベットする場所を変え、サイドベットもするがこれ も賭けたり賭けなかったり。
しかしみんながチップを増やしているのに彼女のチップだけが減っていく。
他人の運を追い掛けているつもりなのだろうが、見えな いものは追い掛けても無駄、運は待つしかないということ。
「ついていない女 その2」 カジノ
ほ とんどのギャンブル小説は、ことカジノに関しては眉唾な描写が多いと、私は思っている。
あの「ギャンブルの神様」阿佐田哲也氏にしても、カジノのことにな ると首を傾げざる得ないシーンが出てくる。
まあ、エンターティメント性を求められる世界だから、それで良いのだろうけど、それを真に受けてカジノには行かない方が身のためだ。
ちなみに、私は何冊かのギャンブル小説を持って今回の旅に出た。
彼女は三日間ほど続けて遅い時間にマホガニーで見かけて、ちょっとした顔見知りになったが、どの日もついていなかった。
あの英国風紳士が大勝ちしていたと きも、少しのあいだ彼女はいたが勝てずに席を立った。
カジノ中で一番ついていない女性なのではないかと見ていて私は思った。
そして、私のところだけには バックベットしないでくれと、密かに願わずいられなかった。
私にしたってカジノ中で一番ついていないのは自分と何度も思ったことがある。
まあ、止まない雨はない、グッドラックなのだ。
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更新日: 2010/05/20
「やっと終わったなあ」
書き残したこと多々あるけど「カジノ2007」を一応は最終日まで書き終えたのは、時系列を追う作業が苦手ですぐに飽きてしまう私にしては良くやったと思う。
さて、これからは書き残したことを気ままに思い出して外伝として書き込めたら良いなと思う。これなら250字制限がある携帯からでもアップ出来そうだし、暇潰しにもなる。
「ぷりーず、わんぼっくす」
最終日に「ぷりーず、わんぼっくす」と後から来た客に言ったのは、ボックスを開かないでくれ、もしやるのだったら私のボックスにバックベットしてくれということ。もちろん私の言うことを無視してもルール上は問題ないが、彼は判ってくれた。
ディーラーとサシのワンボックス勝負が好きなのは、勝負の流れに余計な紛れがなくなるからだ。流れが悪くてもボックスを維持するリスクはあるが、そんなの はいつまで続くはずがないと私は踏ん張るのだ。やっとこちらに流れが来たと思ったときに、新たにボックスを開かれてその流れが変わってしまったら、それは もう泣くに泣けない。
2007/7/3
「行かないでくれ!」
ある夜、BJをやろうとしたらディーラーから注文がついた。何を言われたって、こちとらには判りゃしないが、どうやらサードボックスに陣取ってビックベットを している白人紳士の要望らしい。
私はその意を汲んで隣の男のボックスにバックベットする。立て続けに親の総取りになると今度はボックスを開いてくれと言 う。やれやれ。
隣の男が席を立つと、娘婿と思しき男にチップを分け与えて3ボックスを維持する。その甲斐があって、紳士はかなり勝ち込んでいた。
やがて私が席 を立とうとすると「行かないでくれ!」と慌てた様子。グッドラックなのだ。
「行かないでくれ!その2」
私 とて唯々諾々と紳士の要望を受けた訳ではなく、固定されたボックス数で突飛なヒットやステイをしないメンバーが揃ったこのテーブルは、ゲームとしては落ち 着くし面白いのだ。
一人が抜けたあとに登場した娘婿と思しき人物だが、彼はそれまでは紳士の後ろに立っていた。
あとから、パーティドレス姿の娘さんとその母 親らしき女性もギャラリーとなって、場はいよいよ華やかになったが、それを合わせ見たときに、私はそのように合点したのだった。彼らはみな英国人ではなかっ たかと思っている。
ちなみに私にもギャラリーとして椅子に座ったカーちゃんが付いていて、和気あいあいとゲームは進んだ。
ゲームが盛り上がるのは、紳士のサイドベットが大当たりしたときだった。BJのサイドベットはパーフェクトペアといって、同じスーツのペアなら25倍、スー ツ違いでも色が揃ったら12倍、ただのペアだったら6倍の配当がそれぞれ付く。そんなところに100、200、300ドルと紳士は賭けた。サイドベットと してはそれは大賭けである。するとそんなに出るはずがないペアが、大安売りみたいにあきれるほど出た。私は絶対にサイドベットはしないが、一緒にプレイし ていてペアが出ると、やんやの喝采を送るのにやぶさかではない。
午前1時を回って、私の方のチップは減りもしないが増えそうもなかったのでこの辺が潮時と席を立とうとすると、まさに押し留めんばかりに「行かないでくれ!」のオーバーアクション。
そりゃ判らないでもないが「あいあむ、べりーたいやーど」と人の良い私はそんな言い訳をしながら席をあとにした。
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更新日: 2010/03/30
帰国を明日に控えた朝。さすがにこの日だけは先にカジノに行って待っているからという訳には行かない。昨日から荷物のパッキングはある程度やっていたらしいが、そのスーツケースをベットの上に上げろとか降ろしてとカーちゃんは朝からなにかとうるさい。しかし、すべてを任せっぱなしで、カジノのことだけしか考えていない私はただ従順になるしかないのである。
やっと二人揃って出掛けられたのは昼ごろで、マホガニーに直行した。いまの状況では大きく勝ち越すのはまず無理。それならばせめてカジノに預けた虎の子だけはそっくりそのまま持ち帰りたい。そのためにはあと千ドルは勝たなければならない。などと20日間もカジノに現を抜かした泡沫ギャンブラーはいかにも小市民的な考えに落ち着く。
ところが思い通りにならないのがカジノで、バカラで逆に千ドル溶かしてしまい、この期におよんでトータルまでマイナスになってしまった。やはり博打は下駄を履くまで判らない。バカラを諦めてBJに切り替えることにして、誰も座っていないテーブルにカーちゃんと並んで座った。やはり賭けるボックスはひとつだけ。しばらくすると良い波がやってきてチップが増え始めた。調子が良くなったところで他の客がやってきて、ここに座って良いかと聞くから、即座に「ぷりーず、わんぼっくす」と答えた。この波を逃すものかと、もうなりふり構わずなのである。その波が崩れ始めたなと思ったとき席を立った。そして、また誰もプレイしていないBJテーブルに移動した。すると今度はいきなりビックウェーブである。このときほど一方的に勝ち続けた記憶はこれまでなく、我を忘れるほどだった。やがて小康状態になったと思ったときまた席を立った。背水の陣のヒットアンドウェイは計算されたものでは決してなく、ただのひらめきだった。
そして、また次に移ろうとする私をカーちゃんが押しとどめた。「アパートメントの精算していないんじゃないの?」時計を見ると午後6時。確かオフィスが閉まるのが7時頃ではなかったか遅くても7時半のはず、これは遺憾と慌ててアパートメントに引き返した。そして、この瞬間に私の20日間におよぶカジノ三昧は幕を閉じたのだった。
アパートメントのチェックアウトを終え、再びカジノにとって返した。今度はプレイするためではなく、こちらにも大事な精算があるためだ。コンプは1,400ドルだった。これを航空券代として受け取るのだが、私の航空券はほぼ1,000ドルで400ドルは無駄になってしまうのかと思いきやカーちゃんの航空券代の方に振り分けてもらって全額消化。さらに明日の空港までのリムジンの手配。そして、なによりも預けた虎の子はそっくりそのまま戻ってきた。ということは、滞在中の費用一切合切はカジノの勝ち金で賄ったことになるわけで、いろいろあったけどこれならカーちゃんにそこそこ大きな顔が出来るというもの。
まずはシャンパンを飲んで、わはは。
帰りにバカラをプレイ中のアノおじさんに「明日、日本に帰ります」と声をかけたら、日本語で「さよなら」と言ってくれた。
カジノなんて所詮やくざな遊び。でも、カジノにまつわる事柄のひとつひとつが私には一大事だった。カジノで20日間、メルボルンで20日間、それもいまは終わるが善きにしろ悪しきにしろそれは私の人生の彩りとなるのである。
カジノ2007 おわり
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更新日: 2010/03/15
2007 年 4月29日(日)
ランチはバークStのパブに行ってギネスとフィッシュアンドチップス。夕食はカジノ内の中華レストランで軽く取るなど、徹夜明けにも関わらずまったくカジノ中心の生活。このところトータルはプラス二千ドルを境にチップを減らしたり増やしたりの攻防。
今更ながらだけど、正直に言って私には博才がない。ここでいう博才とは確信を持って大玉を賭けられる才覚のこと。私はカジノでよく後悔する。勝てば勝ったでなぜあのとき大玉勝負に行かなかったと後悔を仕舞いこみ、負ければ負けたで一度も勝負手を打たなかったと後悔をあらわにする。あれこれ後悔があるから、こうしようああしようと考えてテーブルに着く。しかし、いざゲームが始まるといつもの小心が前面に出てしまうのだ。
カジノでは確信などといっても所詮はただの思い込みに過ぎないのだから、
博才があるからといって易々と勝てるわけではないが・・・
その青年は私の背後からプレイヤーに200ドル賭けた。それが外れると改めて1,000ドルをバイインする。小柄で童顔のチャイニーズ系の青年は人の良さそうな表情を浮かべながら、またプレイヤーに200ドルをおく。それが当たって次に400ドルにチップアップするとそれがプレイヤー側のビックベットになって、ディーラーが彼に向かってカードを滑らす。彼は立ったまま絞った。プレイヤーウイン。それを見てカーちゃんを促して席を詰め彼の分の席を空けた。次に彼が賭けたのは千ドル近いブラックチップ。それを絞り勝つと今度は小さくガッツポーズした。私はギャラリーから賭け始めて倍々にチップアップする人間がいると、その逆張りをするか、その人間が負けてしまうか居なくなるまで見をすることが多い。しかし、その時はカーちゃんに彼と同じ目に100ドルずつ賭けてくれと言い残してトイレに立った。戻ってくると案の定彼はチップの山を築いていた。そして、いまや2,000、3,000ドル単位でベットしているのだった。まもなく彼は一万ドル以上のチップを持って席を立った。見事な勝ち逃げ。同じ1,000ドルバイインでも私の方と言えばチップアップしても200ドルという細々とした賭けを続けて700ドル溶かしたのだった。
結局この日は一般フロアーと合わせて千ドルの負け。あと数日の勝負。
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更新日: 2010/02/19
日程も詰まってきてこの頃はカジノ中心の日々。旅の楽しみのひとつである自炊にも段々身が入らなくなってくる。昼にカジノに入って一般フロアーのBJで何とか400ドル浮かせたが、マホガニーでは2時間半ほどバカラをプレイしたが勝ち負けなし。たまには日本酒でも飲みたいなとチャイニーズ街に行き、日本食もどきを食べて帰宅する。
部屋で読書などして十分休養を取ってから土曜の夜はもうひと勝負。夜も遅くなるとトラムはカジノウエストまでは20分程度で着いてしまう。マホガニーに直行してバカラをはじめるが午前1時になったときは1,000ドル溶けていた。このまますごすご帰る気にもなれず徹夜を覚悟してBJテーブルに向かった。
カジノはロマンティック。易々と大金をせしめてはのぼせあがり、有り金をスってしまえばハートブレイク、やめろと言われてもやめる訳にはいかない恋の片道切符。
先客が二人いたが了解を得てサードボックスに座った。二人ともかなり大きなベットをしている。特にファーストボックスのアジア系の男は五百~千ドル単位のベット、さらにサイドベットに百ドル賭けたりする。隣には私の身体の二倍はある白人の男が2~5百ドル単位のベットでやはりサイドベットもする。それに比して私はミニマムベット50ドルを細々とベットして、サイドベットは絶対にしない。先客の二人はこれまで調子が良いようだった。
何度目かのシャッフルタイムにアジア系の男がトイレに立った。しかし、戻ってきた彼は自分の席が判らなくなってしまって、あちこちのテーブルをふらふらさまよい歩くのだった。私たちが手を振って合図をしてもまったく気がつかない。そのうちなんと外に出て行ってしまった。彼の席には数百ドルのチップが残されたままで、一同唖然としながらもプレイ再開。ところが一時間ほどすると彼が戻ってきた。多分カジノ側がホテルに連絡したのだろう。そのまましばらくプレイしてやがて今度は本当に帰っていった。深夜の椿事、面白いことも起こるものだ。
二人になると私の身体の二倍はある白人の男の調子が落ちてきた。チップはみるみる減っていき、何度も追い銭をするがとうとう兵糧が尽きたのか午前4時頃彼も席を立った。これでディーラーとサシである。それを機に、ミニマムベットを飽きもせず深夜中続けていた泡沫ギャンブラーにも少しずつ目が出てきて、朝6時、800ドルの浮きで終了。
もう日曜である。メルボルンのトラムは日曜は始発の時間が遅い。しかし、カジノからはタクシーに乗る気になれず、クールダウンをかねてコリンズ通りまでぶらぶら歩いて、そこからタクシーをひろって帰宅した
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更新日: 2010/02/08
カジノにミイラれて豪国新国の街々をめぐってついの賭場となったのがメルボルン。この街に愛着を抱くようにもなって、いよいよ旅支度にも熱を帯びてくる。ところでカジノカジノと騒いじゃいるが、実のところ私は紛れもなく正真正銘の泡沫ギャンブラー。カジノに飛び込むと真っ先に向かうのが最小ミニマムのテーブル。最小といってもミニマム10ドルだからこれすらきついなあと思いながら細々と打ち越す。初めて打ったゴールドコーストのジュピターズから去年のクラウンまでの戦績から言えるのは、私はヘボでありへたれだということ。
悲しいかなそれが真実。紛れなく真実。困っちゃうほど真実。こんな私でもデビューは華々しかった。当時はカジノといえばルーレット。とりあえず1stダズンに5ドルチップを置いたら当たり。そのまんまにしていたらまた当たり。なんだかくぅーと熱くなって来て気がついたらチップをつまんで2stダズンに移動させていた。また当たり。チップを引いてまた賭目を変えるとまた当たり。こっちはなんにも考えていないのに当たり目の方がついて来る感じ。5度目を外してその場を離れようとするとオージーの娘が抱きつかんばかりに寄ってきて「シンジラレナ~イ」みたいな感激した眼差しで私を見つめるのです。これも真実。ただ娘というよりは実はご高齢のお方だったことを除けば。
華々しく明けた私のカジノ元年は結局ちょい負けで暮れた。以後、負け負け勝ち負け負け負け勝ち負け負けとヘボ度をさらけ出してきたが、近年になって戦績も安定してきて昨年とうとう泡沫ギャンブラーの私が、フロントマネーなるものをカジノに預けてクラウンのマホガニールームにデビューしたのだった。
勝負事は勝たなければ意味がないとよく言うが、勝ち負けだけに因らずそのストーリーこそが肝!
てなことをヘボギャンブラーがほざいても誰も耳をかさないが、それならば私がカジノで過ごした濃密な瞬間をどのような言葉で語ればよいのだろうか。
ミニマム10ドルが主戦場だった泡沫ギャンブラーが、いきなりミニマム100ドルのバカラテーブルで、びびりまくりながら、見よう見真似、時には失笑を買い、セイムドライバーとか言われて絞りに絞って13回連続のドライブ。我ながらあれは凄かったと思うが、人は私が結果的に負けて帰って来たことだけしか気に止めない。それはそれでよいのだけど、こうしてあの瞬間を思いだしてみると私の気持ちはいまなお高ぶる。
※ 絞るというのは、配られたカードはもう変えようがないのだけど、少しづつカードを覗き見しながら思うようなカードになれと願うこと。普通は一番多額なベットをした人間にその権利が与えられるが、私のような泡沫ギャンブラーでも勝ち続けているとおまえが絞れということになる。
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更新日: 2010/01/29
これまで8回のメルボルン訪問。不思議なことにいまだに常宿というところがなく、旅ごとに宿泊先を変えている。それは回を重ねるごとに旅のスタイルが多少変わってきたことにもよるが、経済力の衰えにも一因があるから大変。それでも今年もいそいそ旅支度。
1997年夏、シドニーに滞在後メルボルンに飛んだ。初めてのメルボルンはカーちゃんと二人旅で目的はグランドオープンしたばかりのクラウンカジノ。知人の手配で1泊195ドルのクラウンカジノホテルに宿泊。いまでは一泊200ドル近い宿泊費なんてとても払えないが、4泊という短い滞在だっこともあって、当時はそれほど高いとは思わずいた。
翌1998年、ホバートから再びメルボルンへ。これは会社の旅行でスタンフォードプラザホテルに宿泊。ここは四つ星のコンドミニアムホテル。カーちゃんが部屋のキッチンを利用してカレーやうどんを作ってみんなに振る舞って喜ばれた。
2001年、メルボルン~オークランドという行程の中で、見つけたのは一泊83ドルのエンタープライズという安ホテル。スペンサー通りに面していてカジノにも徒歩圏内ということで決めた。高いホテルに泊まってもその施設を活用する訳でもないし、ただ寝るだけならどこでも同じではないかと思うようになった。
2002年、オークランド~クライストチャーチ~メルボルン、このときはキッチン付きのアパートメントが必要だということになって、見つけたのがGeorge Powlett Apartments。Studioタイプのアパートメントで一泊89ドル。ここではマッドクラブを茹でて食べたり、自炊することでこれまでとはひと味違う旅になった。
2003年、ロンセストン~メルボルン~キャンベラ。Short Stay Apartmentsという高層アパートメントの1ベットルームが大幅な割引で一泊109ドルだということで5泊。ここは何よりもカジノへ徒歩5分というのが嬉しかった。さらにキャンベラから戻ってきて同系列の別のアパートメントに3泊したが、こちらは一泊135ドル。
2004年、アデレード~メルボルン。Darling Towers on Collins、1ベットルーム一泊110ドル14泊。この頃より旅は滞在型になってくる。シティのど真ん中でカジノからはちょっと遠く、深夜に歩いてアパートメントに戻ったときはちょっと恐かった。
2005年、アデレード~メルボルン。Aston Apartments South Yarra、1ベットルーム一泊83ドル16泊。キッチンがあればそれでいいと、とにかく安いところを探した。カジノへはトラムで通う。乗換えがあっても30分もあれば到着するので問題はなし。
2006年、メルボルン。Darling Towers South Yarra、1ベットルーム一泊73ドル20泊。前年より10ドルも安くなった上に部屋のグレードの方は少し上がっていたのだ。なによりも洗濯機が室内にあることがカーちゃんを喜ばせた。前年には洗濯機が部屋になくてカーちゃんはすごくガッカリしていたのだった。すべてネットで予約するのだが、現地に行ってみるまではその様子はわからないもの。
2007年、去年と同じところに同じ期間泊まろうとすると何故か一泊89ドルとなってしまう。これはちょっと悔しい。それにサウスヤラのロケーションにもちょっと飽きてきた。ということで今年もやはり新たなアコモを探すことになる。もう目星はついていて、カジノへはトラムで乗換えなしに14分。これはなかなかよい。家賃も一泊86ドルとこちらもなかなか。ただ、部屋には洗濯機がないようで、このことをカーちゃんに話すと烈火の如く怒る。去年より部屋のグレードは上がっているはずだよ、といっても聞かない。カーちゃんには洗濯機が部屋にあるかないかが最重要事項。結局、私が洗濯を率先して手伝うということで、納得したようなしないような状態が続いていたが、人間いつまでも文句を言い続けていられないもの、もう観念した頃だろう。
ということで、移動なし20泊キッチン付きアパートメント最寄りにカジノ、これが私たちの旅のトレンド。今年もまた旅先でよい夢がみられると好いねえ。
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