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Vintage 6: 山奥の小さな酒蔵「獺祭」




山波を優しく染める満開の桜の色に、山つつじのアクセント。感激。ついにやって来た、13年ぶりの「日本の春」。
車窓から眺める長閑な風景。レンゲ畑の赤紫が心に懐かしく、通り過ぎゆく菜の花の黄色はぽかぽかと暖かい。田んぼ仕事のお爺さん、草むしりのお婆さんが遠くに見える。大地と共に生きる、静かで温かい時間の流れ。これこそ日本の風情。祖国の春とのやっとの再会に、ため息がこぼれた。



海超え、山々を越えて辿り着いたここは、山口県岩国市。日本で最も人気のお酒「獺祭」を醸す旭酒造へ、メルボルンより遙々修行の旅にやって来たのだった。

「獺祭」の酒造りに加えさせていただけるなんて、どれだけの人が夢見る幸運であろうか。この10日間の日本滞在には、とても気合を入れている。営業日にお店を抜けることは稀な私が、休暇を取ってまで旅をするのはここ数年で初めて。
まず大切だったのは、オーストラリアからの緊急連絡に備えた準備。いつでも連絡が取れるよう、到着した関西空港で携帯電話を借りた。番号は事前に知らされており、主要な人物には既に連絡済み。我ながら準備は万端である。その後、大阪で一泊、翌日には新幹線の始発で新岩国へ向かう。新岩国駅へは旭酒造次期四代目が自ら迎えに来てくださり、酒造のある山奥へと向かった。

旭酒造に着くと、春の陽気の心地良い香りが私を包んでくれる。昔ながらの寂のある建物の近くを、清流が音をたてて流れている。土手に生える沢山の筑紫を見つけ、子供のように嬉しくなった。近くでウグイスが鳴いている。空には鷹が優雅に羽を広げ、山々に淡く混じる深緑やパステルカラーの木々。耳を澄まし、心を澄ませば、遠くからも大自然の言葉が聞こえてくる。日本の田舎って、なんて素敵なのだろう。
そんな感動いっぱいに浸った頃、ふと気付くと、準備万端の携帯電話に圏外マーク。日本の田舎って、なんて素敵なのだろう。



さて、オーストラリアで幅広い銘柄の日本酒が味わえるようになったのは、まだここ最近である。
寿司と刺身の意味の違いが解らない人がほとんどだった、13年前の西オーストラリア州。大根や白菜が手に入るようになったのも、ずっと後だった。日本から輸入したマヨネーズはとても高価で、日本人はみんな宝物のように慎重に使っていた。常温(おそらく赤道通過時はそれ以上)の船便で3ヶ月以上かけて運ばれていた日本の食品達は、もはや賞味期限もあまり残っておらず、例えば白味噌なんかは、こちらに着くと合わせ味噌のような色になっていた。勿論日本酒も、冷蔵コンテナや航空便を利用しコストがカバーできるほどの需要が無い時代であった。

ところが近年までの間に、日本食への関心は急速に高まり、解ってくださるお客さんが増え、消費も増え、特に日本酒についてはこれからの発展をひしひしと感じるようになった。
「この機会に、本物の日本の心を伝えたい。」その強い思いが、今回の旅の理由。きき酒師の勉強はしてきたが、知識ばかりで解ったようなことを言いたくはない。そこで、私が感銘を受けたお酒「獺祭」の酒蔵に、修行の機会を頼み込んだのだった。修行を許してくださる酒蔵は多くは無い。就職した若者だって、酒造りを教わるのは10年後って言う酒蔵もある。旭酒造のご好意に、心からお礼を申し上げたい。

「獺祭」とインターネットでサーチしていただければ、どれだけ人気を博している銘柄かを簡単にお分かり頂ける。映画に登場したり、スポーツ選手や有名人が話題に取り上げ、雑誌などのメディアでは蔵元の桜井氏をよくお見かけするので、今回初めてお会いする気がしなかった。しかし、大切なのは有名人が美味しいと言った言葉ではない。中身のある人気なのかどうかを確かめるべく、特に「獺祭 磨き二割三分」は日本から何度も取り寄せ、その品質を味わった。

なぜ私がソムリエのさらに上を目指しているかと言えば、自分が美味しいと言ったものに責任を持ちたいという気持ちからでもある。今回の修行では、なぜ「一番」が「一番」でいられるかを身をもって体感してきた。

私の尊敬する花菱の親方は、よく言っている。
「器用さとそこそこの努力で80%の技能を身に付けてしまう人もいる。しかし、日本の文化はその先が本当の勝負。そこから先は、僅か1%伸びることだってそれまでの道程より遥かに長い。」
親方は、日本の首相や大臣を初め、各国の政府要人に料理を供してきた元公邸料理人である。
上をゆく人々の何が違うのか、何をやっているのか、自分にも相応の時期が来なければ見えないことも多い。

まさしくこの「獺祭」の桜井氏こそ、上に何があるのかを知ってきた人物。「日本一」を醸すのには、訳がある。知的な言葉の節々と、優しさの滲む貫禄から、桜井氏にもこれまで人知れない険しい道程があったことを容易に推察できる。
「簡単に今があるわけじゃないの。。。」
奥様が、4代目にポツリと語られたその言葉が、それを静かに裏付ける。

本物が生まれる理由は、誠意溢れる酒造り。「獺祭」の酒造りの流れは、大まかに次のようである。

<1.精米>
酒米を削る作業。雑味の元となる、ミネラルやタンパク質を多く含む外側の部分を磨き落とし、良質の吟醸香を生む酒を生み出す準備。
「獺祭」の有名な酒のひとつ「磨き2割3分」は、なんと米を23%の大きさになるまで磨き、より純粋な「心白」と呼ばれる部分を取り出す。最新鋭の設備で磨くとはいうものの、摩擦熱で米がダメージを受けないよう、慎重な何日もの作業を要する。その後、水分を失っている磨き後の米は1ヶ月以上寝かせられ、元の水分量を自然に取り戻す。
ところで、磨き落とされた77%もの米粉がどうなるかといえば、全てに無駄が無い。栄養分豊富なこの米粉は、良質の国産米菓子などに最適なのである。



<2.洗米・浸水>
この作業には驚いた。年間762トン(磨き前)もの酒米が、全て20kgずつの手洗いなのである。しかも、使われる水は常時4度。手が凍ってしまいそうだった。
季節はもちろん、その日、その時間ごとの天候、温度、湿度、米の品質、磨き度、水分量などの状態、さらには用途(麹米、酒母造り、掛米用)の違いで、絶妙に扱いを変えていく。浸水時間の違いが、米の水分量を大きく変え、蒸し上がりに影響するのである。



<3.蒸し>
外硬内軟の美しい蒸し上がりを求める。100度の蒸気で40分、仕上げは105度の高圧乾燥蒸気。この温度差は、蒸気に含まれる湿気に違いを起こし、米の表面に艶やかな硬さを与える。蒸し米の出来は、麹菌の根の張りや、もろみの中での溶け具合などに影響。例えば、早く溶け過ぎてしまう蒸し米は長期醗酵に耐えられず、酵母は単にアルコールばかりを生み出し、良質の旨みや香りが生まれてこない。一度は機械化されたという蒸しの工程だが、やはり現在は大がまでの手作業に戻されている。



<4.製麹>
酒造りの中で最も重要な工程とも言われるとおり、失敗の許されない緊張感が張り詰める。時には高温多湿環境の麹室にて、麹の世話は24時間、目が離せない。責任者はまとまった睡眠など取らず、その世話を続ける。
体力勝負の男達は実に気さくで、私は一番ここに入り浸ってしまった。陽気の中に隠れるとことん厳しい真剣さが、男のロマンなのである。



<5.酒母・もろみ造り>
まずは、酵母を培養する工程。良質に完成された麹米が、力価の強い酵素で力を発揮。
三段仕込と言われる手法で、お酒を醸造してゆく。人手による厳しい温度管理などにより、お酒の味・バランスを純粋に醗酵の力で完成させる技術には惚れ惚れしてしまう。上槽後の加水・アルコール度の調整や、炭素濾過などは行なわれていない。簡単に言えば、醸造後に味付けされたお酒ではなく、醸し出されたお酒そのものが消費者に届けられている。この上なく纏まった味を持つのは、各成分が自然な結びつきを持っているためであろう。



<6.絞り>
「鑑評会出品酒」とは?
例えば数千リットルものもろみを絞る際、初めに採れる「雫酒」や「あらばしり」と言われる部分と、「中汲み・中取り」、粕を絞り切る最後の「せめ」の部分では全く酒質が異なる。品評会には、こうした中から一番質の良い部分が出品される。私は、なんだかこれを不公平に思っていたが、「獺祭」がこれを解決してくださった。遠心分離機という最新技術の導入により、「鑑評会出品酒」のクオリティーが一般の消費者に提供されているのである。



<7.瓶詰め>
「獺祭」は瓶詰め後に一度のみ瞬間殺菌されるため、香味成分を失なわない。その後、5度で1ヶ月寝かされ、酒質が落ち着いてから出荷。
旭酒造の姿勢で最も皆さんに伝えたいことは、適正価格で提供するための惜しみない努力。希少価値で市場価格が高騰してしまう事の無い様、供給体制を追いつかせることに全力を注いでいらっしゃる。「獺祭」の爆発的に増え続ける需要に応じることは、簡単に成せる投資努力ではないと私は感じる。今期762トン使用した原材料の酒米。来期は、なんと1242トン必要だそうだ。




全員が家族のようなこの「旭酒造」。何より声を大にしたいのは、皆さんと過ごさせていただいた数日が、本当に楽しかったということ。
知識や技を習い、体を使って働き、合間を縫って復習。夜は、家族での食事に加えて頂き、幸せな時間。パーフェクトである。そして、一日の終わりはなんといっても大自然の中をジョギング。ワクワクしながら着替えて表に出ると、、、、辺りは真っ暗で何処が川かも分からない。そう、ここは電灯もない山奥。こんなところで川にはまっては恥ずかしくてオーストラリアに帰れないので、諦めて宿に帰り風呂に入る。声が出るほど風呂が嬉しかった。オーストラリアは水不足で、湯船につかる習慣があまり無い。一風呂浴びたあとの、深夜の麹室も思い出深い。

私のような20代を海外で育った者は、日本にいる方々はあまり気に入ってはくれないと思っていた。礼儀がなっていないとか、思わぬ失礼があったりとかで、正直、毎日怒鳴られ、罵声を浴びる修行を覚悟していた。しかし、「旭酒造」の誰もが「格別」に親切で、時間を割いて私に精一杯のことを教えてくださり、また現在に至ってもお力添えを頂いている。

「これほど親切で温かい人々に出会えたことは、感謝しつくせません。とても充実した毎日でした。」

職場には、いつも洗い立てのシャツやタオルが沢山用意され、至る所に働く人々への思いやりを感じる。
消費者とチームを想う酒造り。こういった、真心こもった物創りが、本物を生み出しているのだと私は思う。

帰り際、奥様がくださった優しいプレゼント、「獺祭 槽場汲み(ふなばくみ)」。
無濾過生原酒であり、山口県に足を運ばなければ手に入らない逸品。

オーストラリアへの帰国前、年老いた祖父母を訪ね、このお酒を一緒に味わった。簡単に日本に帰ることのできない私にとっては、大変貴重なひと時。私の引いた刺身を食べ、笑顔をくれる祖父。言葉が随分減ってしまった祖父だが、「このお酒も、料理も、美味しい。」とだけ、綺麗な目で微笑んだ。

この「美味しい」っていうのは、旨みがあるとか、出来が良いとかなんかよりずっと嬉しい「美味しい」であった。私が大切に持ち帰ったお酒だから美味しくて、私が帰って来て作った料理だから美味しい。そんなことを思ってくれる人は、いないと思っていた。また、祖母が方言交じりに語ってくれる昔話は、唄のように綺麗にリズムが良く、戦争の時代からの逞しい人生が目の前に浮かんだ。

できの悪い孫は、一向に身を立てることができず、今まで祖父母に合わせる顔が無かった。何もしてあげられない悔しさで生きてきたが、できることって、実はあったのかもしれない。

こうして、「獺祭」の真心は、私にもうひとつ大きく大切なものをくださり、私の「獺祭」創りへの参加は幕を閉じた。

後日、約束通り、日本の心をオーストラリアに持ち帰った成果はこちらにご紹介頂いている。( http://www.gogomelbourne.com.au/entertain/melfun/2186.html )
また、航空会社の機内誌や、オーストラリアンソムリエの中心的Webマガジン "The Wine Guide" ( http://www.thewineguide.com.au/article.asp?blogID=1086 )の2010年6月17日の項でも取り上げてくださった。

最後に、私事ではありますが、祖父母へ。
手柄や自分の名を残す為などではなく、ただ真面目一本で社会貢献へ尽くして来られた祖父の人生を尊敬致します。また、それを影になり支えてくださった祖母の偉大さは、筆舌に尽くせません。この度、天皇陛下より祖父へと賜りました瑞宝章を、この場をお借りし心からお祝い申し上げ、御二人のご回復とご健康をお祈りしますと共に、まだまだ精力ある御活動を応援致したく存じます。                                                                                     祖父母の人生を、大切に想う孫より

 

(後日記: その後、祖父は91歳を目前にこの世を去りました。余命のことを気付いておりましたのが、上記のメッセージを残させていただいた理由です。最も誇りの祖父でした。)



 

旭酒造株式会社  http://asahishuzo.ne.jp/ (蔵元日記と獺祭NY日記は、特にお勧めの読み物。)
写真左は4代目桜井氏。私と同い歳にして、非常にご成功されている。これからの、更なるご活躍にも期待。

〒742-0422
山口県岩国市周東町獺越2167-4
TEL(0827)86-0120
FAX(0827)86-0071

メルボルンで「獺祭」の飲める店
EN IZAKAYA : 03-9525-8886 , 277 CARLISLE ST, BALACLAVA VIC 3183
HANABISHI JAPANESE RESTAURANT : 03-9670-1167 , 187 KING ST, MELBOURNE VIC 3000
IZAKAYA DEN : 03-9654-2977 , BASEMENT 114 RUSSEL ST, MELBOURNE VIC 3000
ISHIYA JAPANESE STONE GRILL : 03-9650-9510 , 152 LITTLE BOURKE ST, MELBOURNE VIC 3000
KENZAN JAPANESE RESTAURANT : 03-9654-8933 , COLLINS PLACE 45 COLLINS ST, MELBOURNE VIC 3000
MIYAKO RESTAURANT : 03-9699-9201 , SHOP,MR1 SOUTHGATE ARTS&LEISURE PRECINCT, SOUTH BANK VIC 3006
ORIENT EXPRESS AT CROWN : 03-9645-9959 , 8 WHITEMAN ST,SOUTH MELBOURNE VIC 3006
SUSHI BAR AKA TOMBO : 03-9510-0577 , 205 GREVILLE ST, PRAHRAN VIC 3181
SAKURA HOUSE : 03-9801-0368 , SHOP 2222, 425 BURWOOD HIGH WAY, WANTIRNA SOUTH VIC 3152
SAKURA KAITEN SUSHI : 03-9663-0898 , SHOP1, GROUND FLOOR, 59-61 LITTLE COLLINS ST,MELBOURNE VIC 3000
TEMPURA HAJIME : 03-9696-0051 , 60 PARK ST,SOUTH MELBOURNE VIC 3205
TAI PAN RESTAURANT : 03-9841-9969 , 237 BLACKBURN RD, DONCASTER EAST VIC 3109
TAXI DINING ROOM : 03-9654-8808 , FEDERATION SQUARE , MELBOURNE VIC 3000
TSUBO : 03-9752-2885 , 4 MAUDE ST, MYRTELFORD VIC 3737
TAO'S RESTAURANT : 03-9852-0777 , 201 BULEEN RD, BULEEN VIC 3105
TAKUMI JAPANESE RESTAURANT : 03-9650-7020 , SHOP 2,BOURKE ST,MELBOURNE VIC 3000
VERGE : 03-9639-9511 , 1 FLINDERS LANE,MELBOURNE VIC 3000


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Vintage Cellar: 全てのコラム
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Vintage 6: 山奥の小さな酒蔵「獺祭」



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