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「アンザック・デイ(ANZAC Day)」とは?

オーストラリアで最も大切な日、4月25日アンザック・デイ

2013年4月24日

 

 4月25日はオーストラリア全州で定められている祝日、アンザック・デイ(ANZAC DAY)。これは、第一次世界大戦中に編制されたオーストラリア・ニュージーランド軍団(Australian and New Zealand Army Corps)がトルコのガリポリ半島に上陸したことを記念して制定された。この軍団の英語表記の頭文字をとったものが『ANZAC』となり、一般的にオーストラリアでは略式でアンザックと呼ばれている。

 では、一体なぜアンザック軍団がガリポリ半島に上陸したことが、これほどまでに大きな記念日制定へと繋がっていったのか。オーストラリア人にとってアンザック・デイとはどういった意味合いがあるのだろうか。

 1901年にオーストラリアはイギリスから独立したが、他の植民地に比べると抑圧された植民地化ではなく、イギリスから多くの人がオーストラリアへ移民してきたことによる植民地化だった。そのためイギリスから独立した後でも、オーストラリアに住む人々の間では、オーストラリアはイギリスの一部の国であるという意識が根付いていたと言われている。

 そして、独立してまだ13年しか経っていない1914年、第一次世界大戦が勃発したのである。
ドイツ帝国が8月1日にロシアに対して宣戦布告、さらに続く8月3日にフランスに対して宣戦布告をした。それに対抗して、イギリスは8月4日にドイツ帝国に宣戦布告を行った。

 この宣戦布告に対して、当時のオーストラリアの首相ジョセフ・クック(Joseph Cook)は「祖国が戦うなら我々も(”If the Old Country is at war, so are we”)」と宣言し、第一次世界大戦に参戦することを誓った。その他にも、ジョセフ・クック首相が「我々の義務は明らか。腰を固め、我々が英国人であることを思い出そう」という発言をしたとも記録されている。
 
 オーストラリアはイギリス連邦軍と共に戦える志願兵を国中から募り、国内での訓練を終えるとニュージーランド兵とともに中東へ派遣された。このオーストラリア、ニュージーランド軍団を通称アンザック(ANZAC)と言い、彼らは第一次世界大戦の真っ只中で戦っていた。

 

 翌年1915年4月25日、アンザック兵はイギリス兵、フランス兵と共にダーダネルス海峡北岸のガリポリ半島に展開するトルコ軍戦線を突破するため上陸攻撃を果たした。しかし、上陸地点が誤算であったため、丘の上で待ち構えていたトルコ軍の攻撃に合ってしまったのである。 

 狭い海岸に釘づけにされ、3万3千人以上の戦死者(うち、約4分の1がオーストラリア兵)を出し作戦は失敗に終わった。しかし、この悲劇の戦いを通してオーストラリアは完全にイギリスから独立し、一つの国『オーストラリア』として成熟した国家になったといわれている。

 このような考え方のことを「アンザック神話」といい、オーストラリアのアンザック・デイである4月25日はアメリカ合衆国の7月4日、フランスの7月14日に比肩するものだと信じられている。そのため、アンザック兵がガリポリ半島で流した血はオーストラリア国家誕生のための犠牲、そして生みの苦しみだとする考えも存在する。

 

 このようにオーストラリア人にとって建国記念日のような祝日とも言える、大切な一日がアンザック・デイである。4月25日にはオーストラリア各地で行進、花輪の贈呈、そして演説などが行われている。今では第1次世界大戦だけではなく、第2次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争に参戦した戦没者の方への慰霊も行っており、戦争のない平和な世界を願う一日であるともいえるだろう。

<参考文献>
・ Wikipedia
・ Australian History Database(Australia Japan Foundation)

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