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Ukrainian Festival [2]

コサックダンスは、ウクライナの民族舞踊。楽しみながら歴史を学ぶ。

2009年08月16日掲載
 

Ukrainian Festival 2

Indipendence Day of Ukraina

15 August, 2009 @ Federation Square BMW Edge



ウクライナは、コサックの国だ。
14世紀ころからウクライナを中心にした国家を形成していた。
地域によって、いくつもの集団に分かれていた。
ドン川中心にしたドン・コサックなど。

 

ロシア皇帝に立ち向かったドンコサックのスチェンカ・ラージンの反乱は、スチェンカ・ラージンの歌とともに有名。
ポーランドや、ロシアなどの支配に対して、たびたび、反乱を繰り返してきた。
ロシア革命後も、共産党政権に対して、反乱軍を作って戦闘を続けた。
400万人の人口の70%が共産党軍によって抹殺されている。弾圧を免れた多くのコサックは、海外へ逃れている。

 

コサックダンス(ホパーク)
ウクライナ・コサックの伝統的な踊り。
13世紀にチンギスハンのモンゴル帝国が東欧諸国に版図を広げた際に、中国系の武術を持ち込んだ。
コサック軍に武術が普及した際に、曲芸余興としてコサックダンスが発展していった。
当時は、コサック軍の男性のみによる踊りであった。

 

メルボルンの南、セントキルダにバラクラーバの駅がある。
ここには数多くのウクライナのクリミア半島の地名が通りの名前として残っている。
バラクラーバは、クリミア半島にある現在はウクライナ国の都市の名前。
1854年クリミア戦争のバラクラーバの戦いからこの名前がつけられた。 
1800年代はヨーロッパ列強が帝国体制(ウィーン体制)を強化した時代。
英国、フランス、ドイツは東ヨーロッパ、アフリカ、アジア、豪州へ植民地を拡大。メルボルン植民地が成立したのは1851年。
バルカン半島では強大であったオスマントルコ帝国の勢力が弱まってきて、代わってロシア帝国の力が台頭してきていた。
ロシアの南下を恐れる英仏オスマントルコ同盟軍とロシアの戦いとなったのがクリミア戦争。

 

バラクラーバにはクリミア戦争から取った名前がたくさんある。
インカーマン通り(Inkerman Street)は、クリミア戦争のインカーマンの戦いから。
Sebastapol Streetは、Sebastapolの包囲戦、Alma Roadは、アルマ川の戦い、Malakoff Streetは、マラコフの戦い、Crimea Streetは、もちろんクリミア戦争から来ている。
Nightingale Streetは、この戦いで活躍した看護婦ナイチンゲールから来ている。



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