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日常的に、使命感と死生観を持つ

海上自衛隊元海将・金田秀昭氏「強い組織 自衛隊」

2012年11月2日掲載

 

 

 

海上自衛隊元海将で日本国際問題研究所・客員研究員の金田秀昭氏による講演「日米豪安全保障協力、特に海洋安全保障について(Japan-Australia-US Semi Alliance-Japan’s Perspective on Regional Maritime Security Cooperation)」が、10月26日(金)、在メルボルン日本国総領事館の主催により、同広報文化センターで行われました。


金田氏はメルボルンに先立ち、パース、またアデレードでも同テーマの講演を開催。それぞれの都市における政府、企業、大学関係者、また有識者や外交政策・安全保障に興味のある一般市民が集いました。


今回の講演で金田氏は、アジア地域における安全保障の現状、特に昨今顕著に見られる中国の軍事力強化と、近年の日本近海における中国の活発な活動などについて述べたあと、これらの「チャイナ・リスク」に対応するためには、日本の自衛力を強化するとともに、近隣諸国との協力関係、特に日米、日豪の安全保障におけるより一層の連携が必要であることを強調しました。

講演後の金田氏に、GO豪メルボルン独占インタビューが実現。

自衛隊時代のご自身の経験や、震災時の自衛隊の活躍について、お話をききました。

 

【金田秀昭氏プロフィール】
1945年神奈川県出身。68年防衛大学校卒、海上自衛隊入隊、海幕防衛課長、舞鶴地総監部幕僚長、第4護衛隊群指令、統幕第5幕僚室長などを経て98年護衛艦隊司令官に就任。99年退職(海将)。その後ハーバード大学上席特別研究員、慶応大学総合政策学部特別招聘教授など歴任し、現在は岡崎研究所理事・特別研究員や三菱総研主席専門研究員、防衛庁防衛研究所防衛戦略研究会議委員などを務める。著書に「日本のミサイル防衛」(共著=日本国際問題研究所)、「BMD〈弾道ミサイル防衛〉がわかる」(イカロス出版)など。

 

 

◆オーストラリア訪問について

ー海外には同様の講演で、よく行かれますか?

アメリカには以前、ハーバード大学にシニアフェローとして在籍していたことがあるので、よく行きます。ヨーロッパ各国やロシア、東南アジア、韓国、中国にも。

中国では口角泡飛ばして、関係者と議論しますよ。やはり逃げ隠れしないで、きちんと議論をしないといけない。

尖閣諸島問題もそうですが、中国は政府ぐるみで周到な計画やポリシーを持ち、攻勢をかけている。

リアクションの早さ、お金のかけ方、そういった点で日本政府は立ち遅れています。

今日の講演でも話したように、日本は自分自身の手と同盟国との関係で、これから巻き返しをしていかないといけない。総領事館のように、外務省の現場レベルの部署が、英語、現地語でどんどん日本の見解を発信していかないといけない。

 

ーオーストラリアには何度も?

初めて来たのは昭和44年、海上自衛隊の練習艦隊として、訪豪した際です。

練習艦隊がオーストラリアに派遣されたのは、その時が2回目。
1回目、昭和40年にシドニーとメルボルンへ派遣された当時は、街を歩くと「ジャップ!」などと呼ばれて、日本に対する感情はかなり悪かったようですね。


ご存知かとは思いますが、第二次大戦中、日本軍の特殊潜航艇がシドニー港内に侵入しています。松尾敬宇(まつお・けいう)大尉と、伴勝久(ばん・かつひさ)中尉率いる2艇です。

オーストラリア海軍のすばらしいところは、彼らが撃沈したあと、「ナイト」として、丁重に葬ってくれたんです。

松尾艇は魚雷を2発発射した。そして2発発射してしまったあと、もう撃てるものは何もない。そのあと何をしたかと言うと、海上に浮上して、日の丸の鉢巻を締め、軍刀を捧げて艇を突進した。そして撃沈された。

その突進する姿に驚嘆し、心打たれたんじゃないでしょうか。
その勇敢さに対して、海軍葬で礼を尽くしてくれた。

この2艇は今でもキャンベラのオーストラリア戦争記念艦に展示してあります。

海軍はたとえ敵に対しても、相手のプロフェッショナリズムに対して敬意を示すという気質があります。



(写真:講演を聞きに来ていたオーストラリア海軍Gary Page少佐)



◆金田元海将と自衛隊

ー金田さん自身が自衛隊所属時代に「プロフェッショナリズム」を実感された経験は?


冷戦時代のことですが、宗谷海峡で2,000トンの小さい船の艦長として、監視任務に当たっていた時のことです。

1万トンのロシアの巡洋艦4隻が近づいてきた。

その大きな艦に、こちらはぴたっと張り付く。向こうが速度をあげたらこちらも、という風に。

それを長時間やっていると、だんだん相手の司令官に親近感がわいてくるんです。

うちの領海には絶対入れないんですが、挑発するような動きをしてくる。そういう動きはこちらも知り尽くしていて、向こうの能力が分かる。相手の動きを見て「なるほどあいつも、よくやるな」と、相手にリスペクトの気持ちが出てくる。

そのうちに、相手が外に出て来た。こちらと目が合った。そうしたら、敬礼してきたんですね。

個人対個人。海の上だけで相まみえる、我々だけの「秘め事」です。



ー「秘め事」。敵対する相手との間に、何らかの友情のようなものが生まれる。
 

僕が高校生だったころ、『眼下の敵』、『The Enemy Below』という戦争映画があった。駆逐艦と潜水艦の一騎打ちの物語なんですが、お互いが秘術をつくし合い「なかなかやるな」と。

映画と言えば『男たちの大和』で長島一茂が演じた役には、実在のモデルがいます。

「特攻に何の意味があるんだ」と言う学徒出身の若い予備将校と、海兵出身の将校との間の口論を、「敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか」と治めた人物です。

こういった小さい英雄が、軍という存在にいい印象を与えています。

 

ー金田さんの生まれは終戦の年、1945年。自衛隊に入隊されたのは、そういった小さい英雄の影響?


祖父が海軍将校だった。写真がいっぱいあって、それに染まりましたね。

父親は私立大に行った普通の人でした。僕が防衛大に行きたいと言うと「昔の海軍と今の自衛隊は社会的地位が違うんだから、やめろ」と。

僕は自衛隊の幹部候補として60年代に防衛大に入ったんですが、実際、当時は気違い沙汰でした(笑)ぜんぜん人気ないですから。税金ドロボウ!って。

防衛大の制服で街を歩いてると、子どもを連れたお母さんに「勉強しないとああなっちゃうのよ」って指差されたり。

 


ー今、自衛隊に対する一般市民の印象は?

震災での活躍で「自衛隊があって本当によかった」と、国民の信頼を得た。

福島第一原発3号機への水投下は、日本を総立ちにさせた。「自衛隊はこんなことまでやってくれるんだ」と。

自衛隊は国民のためにある、無私で貢献する組織なんだ、と知らせることができた。懐疑的だったアメリカ軍をも動かした。

隊員は死ぬ気だったと思います。決死の行動です。

当時の自衛隊のトップ、統合幕僚長は折木良一(おりき・りょういち)という人物。腹の座った男です。水投下に関して管首相、北沢防衛相から圧力を受けた。何度目かに言われて、やろう、と折木が決断した。

苦渋の決断だったと思います。効果があるのかどうか分からない。成功するか分からない。危険なところへ、部下を赴かせるわけですから。

それが決断して、翌日にはすぐ実行した。

それまで議論していても、指揮官の命令が出たらすぐに行動する。反対はありません。やると決めたら、やる。

そういう強い組織、それが自衛隊です。

 

ー上官の命令は絶対に遂行する。そういった強い組織作りは一朝一夕にはできない。自衛隊ではどうやってそれを可能にしている?


上に立つ者が、日常的に使命感、そして死生観を持つこと。

自衛隊の司令官には、3つの対象がある。自分と、部下と、相手。この3つの対象の「死」について、責任を持つ。

その場で死ぬかもしれない、そんな状況になったら、恥ずかしいふるまいをするかもしれない。自分自身、そんな状況に身を置いた経験はないから分からないけれども、それを勤務中に、常に考える。

そういった死生観を自分も常に持とうとしていた。

自分のことはいい。部下を死地に赴かせる状況になった時、命令できるかどうか。それはものすごい決断です。

でも日ごろの信頼関係があれば、絶対に部下は聞いてくれる。

3つの対象の死について突き詰めて考えた上で、最後には割り切って、決断を下す。

そういった組織でなければ、国民の信頼は得られません。

 

聞き手:田部井紀子、長谷川潤 文:田部井紀子
取材協力:在メルボルン日本国総領事館

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