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私のソウルメイト(40)

うちに帰ってシャワーを浴び、ベットに潜り込んでも、なかなか眠れなかった。涙が止まらないのだ。それでも、いつのまにかうとうとしていた。その眠りを覚ましたのは、電話のけたたましい呼び鈴だった。
 眠気眼で目覚まし時計を見ると午前4時47分だった。
ふとんから手を伸ばして受話器を取ると、「ミセス・ヒッキーですか」と言う聞きなれない男の声が聞こえた。
「そうですけど」
「ご主人が今セント・ポール病院に運ばれてきました。心筋梗塞を起こされて、今から手術に取り掛かるところです。すぐにいらしてください」
私は一瞬誰かのいたずら電話だと思った。
「主人は今日はシドニーに出張のはずなんですけど」
「そうですか。でも、連れの女性から、アーロン・ヒッキーさんという名前とおうちの電話番号を聞いたんですが」
「連れの女性ですって? どういうことでしょうか?」
「4時10分に救急センターに電話が入り、救急車で運ばれた男性に女性が付き添ってきて、その女性から、患者の名前がアーロン・ヒッキーさんだと聞いたのですが」
私は驚きで言葉を失った。
「もしもし」と呼ぶ声が受話器から聞こえる。
気を取り直して、「それじゃあ、今から行きます」と言って受話器を置いた。
洋服ダンスを開けたが、どの服を着ればいいか判断ができない。ともかく一番右端にあったセーターとスカートを身につけ、車に飛び乗った。エンジンをかけたものの、セント・ポール病院にどうやっていけばいいのか、道順が分からないのに気づいて、メルウェイと呼ばれる地図帳を開けて、暗い車内灯をつけて調べて、アクセルを踏んだ。
 シドニーに出張のはずのアーロンがメルボルンにいた。おまけに女性の連れがいたなんて。ロビンのことを考えるといつもアーロンに対して罪悪感を感じていたが、そんな必要はなかったのだと思うと、悲しい笑いがこみ上げてきた。
 セント・ポール病院に着くと、まだ午前5時半で救急用の病棟しか開いていなかった。閑散とした病院の受付にアーロンの名前を言って、手術室の場所を聞いて、急ぎ足で行った。そこには、30代と思われる女性が心配そうに手術室の前を行ったり来たりしているのが見えた。グラマーなその女がアーロンの浮気相手だとすぐに分かった。
私が声をかけると一瞬びくっとしたように振り向き、私が誰かわかったようで、「ミセス・ヒッキー?」と聞いた。
「そうです。あなたは?」
「私はアーロンの同僚でリズ・ウイルソンと言います」と握手をしようと手を差し伸べたが、私はその手を無視した。
「一体、どうしたのか、説明してもらえませんか?」
私は廊下のベンチに腰をおろしながら聞いた。アーロンの病状よりも、どうしてアーロンが他の女と夜を共にしているのかの方が気になったのだ。
リズは居心地悪そうな様子で、私の前に立ったまま
「アーロンが、トイレからなかなか出てこないので心配になって見に行くと、胸を押さえて倒れていたんです。それで救急車を」
私は彼女の話を途中で遮って聞いた。
「私が聞きたいことは、どうして出張に行っているはずのアーロンがあなたと一緒にいたかと言うことです」
「それは…」リズは言いよどんだ。
私は攻撃の手を休めなかった。
「いつからなんですか、アーロンと付き合っているのは?」
リズはしばらく言いづらそうにしていたが、思い切ったように
「一ヶ月前からです。仕事のことで相談にのってもらおうと一緒に飲んだのが、きっかけでした」
「アーロンが既婚者だと知ってのことですか?」
「それは…」
またリズは黙ってしまった。
その時、手術室のドアが開いた。私たちの目は手術室のほうに釘付けになった。
私は手術室から運び出されるアーロンの傍らにより、アーロンの手を握った。
アーロンはまだ麻酔からさめていないようで、目を瞑ったままだった。リズはそんな私たちの様子を遠くのほうで眺めていた。
私は傍にいた看護師に
「どんな状態なのでしょう?」と聞いたが
「主治医のハーマン先生に聞いてください」と言い、私の質問には答えてくれなかった。
アーロンは集中治療室に入れられた。病室を出たとき、リズの姿はもう見えなかった。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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