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さようならジョン(4)

会食から一週間たった頃、ジョンに言われた。

「キーコは犬が好きなようだね」

「ええ、大好きです。リック君、可愛いですね」と言うと、嬉しそうに

「きのうリックの誕生日パーティーをしたんだよ。写真、見る?」と言って、携帯に写っているリックの写真を見せてくれた。それは、床に置かれたバースデーケーキを3匹の犬が一心に食べている写真だった。

「近所の犬も呼んでね。犬用のケーキを作って食べさせたんだ」と、まるで小さな息子の誕生日パーティーの話をするようだった。リックは、子供のいないジョンにとっては、まさに息子だったに違いない。

 ある日、すごい形相をしたセールスマネージャーのクリスが、「ジョンに会いたい」と言ってきた。ちょうどジョンは社長室にいたので、入るように言ったが、その意気込みから何か問題が起こったことは、一目瞭然だった。

 社長室に入って5分もすると、クリスは憤懣やるかたないという顔をして部屋から出て来て、大股で去っていった。何事が起ったのか心配になって、社長室を覗くと、ジョンが浮かない顔をしていた。

「どうかしたんですか?」と聞くと、

「いやあ、クリスに辞表をたたきつけられたよ。最近のクリスは独断で物事をすすめて、部下の忠告も聞かず、部下が反対しようものなら頭ごなしに怒鳴りつけるので、クリスの部下から苦情がでていたんだよ。だから、それを注意したら、反対に、切れてしまったね。優秀な部下を失って残念だよ」と、大きなため息をついた。

 今までの私は能天気で、社長になれば、悩み何てないのだろうなと思っていたが、下っ端の私に比べて、社長ともなると、悩みはもっと大きくなると言うのを知った。

 会社が一番の危機に陥ったのはリーマンショックの時だった。その頃、どんどん業績を伸ばし、かなりの利益を得ていた会社は、その利益を株に投資して、利益を倍増していたので、リーマンショックの影響をもろに受け、黒字経営から赤字経営に転落してしまった。その時、経理担当だったテッドは、責任を感じて、見る見るうちにやせ細り、ノイローゼとなり辞職した。赤字経営になったこともさることながら、テッドの辞職は、ジョンをうちのめにしたようだ。悪いことは重なってくるという英語の諺があるが、その時のジョンは、まさにそういう状況だった。ケリーが家を出て、クイーンズランドに行ってしまい、離婚してしまったのだ。リックも彼女がクイーンズランドに連れて行ったということだ。

 ジョンは、あけっぴろげな人なのに、この時も、驚かされた。私が離婚の原因を聞いたわけではないのに、自分の方からすすんで離婚の原因を話してくれた。

「キーコ、ケリーはね、子供の時、父親が女たらしだったものだから、男を信用することができなかったんだよ。僕たち一日だってセックスを欠かしたことがなかったんだけれど、あのリーマンショックの後始末で、僕はリピドーがとたんになくなってね。セックスをしない日が続いたら、ケリーが怒ってね。セックスをしないのは、私を愛していないからだと、僕は責め立てられたよ。浮気をしているんだろうとも言われたよ。ケリーにとって、愛とセックスは同意語だったんだよ。僕が自分の気持ちを説明しても、聞き入れてくれなかった。それが原因で別れたんだよ」

 独身の私にはちょっと刺激の多い話だったが、いろんな夫婦がいるものだと、考えさせられた。でも、これだけあけっぴろげに話してくれるのは、私を信用してくれているからだと思い、ジョンの離婚の原因を、私は自分の胸に秘め、誰にも話すことはなかった。

 しかし、その時が、会社の一番のどん底で、その後、ジョンの積極的なリーダーシップによって、3年後には赤字経営から黒字経営に転じた。ジョンは再再婚をする様子もなかったが、社員のウエンディーと同棲をはじめ、二人の仲はおおっぴらとなり、二人仲良く出勤してき始めた。そして、ジョンは、60歳の誕生日を迎えたところで退職をした。

退職のパーティーのあいさつでは、

「これから、ゴルフをして、社交ダンスも習って、人生を楽しみたいと思います」と言ったが、社員全員が知っていた。子供のいないジョンにとっては、会社が自分の子供のようなものだったことを。だから、心の奥底にある寂しさは隠しきれなくて、最後に涙が止まらなくなったジョンを見て、皆は盛大な拍手を送った。

 ジョンは、退職した後も、時折会社に姿を見せ、私をはじめ、親しかった昔の部下たちと立ち話をして帰った。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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