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一(はじめ)と一子(5)

「その日は、オーストラリアのダーウィンの攻撃を命じられ、僕たち艦攻隊は、高度4千メートルの所を飛んでいました。豊島君は僕たちよりも高度を飛んでいました。多分5千メートルのところだったと思います。あの日は一機も敵機が現れなくて、手持ち無沙汰だったくらいです。ところが、ダーウィンの飛行場に狙いを定めて近づくと、地上からかなりの高射砲の攻撃に出くわしました。豊島君の飛行機は、その高射砲弾に撃たれてしまったんですよ。敵機との空中戦でやられたわけではありません。豊島君の飛行機は、僕の搭乗機の後上方からすっと僕の搭乗していた一番機と二番機の間に入るように降りて来たので、25メートルくらいしか離れておらず、落ちていく飛行機の中の彼の顔を見ることができました。彼は僕を見ると、左手で箸でご飯を食べる真似をして、次にそれを否定する意味で左手を左右にふりました。飯がもうない、つまり燃料がもうないという合図です。それから、『じゃあ』と言う風に私に向かって手を振って、メルヴィル島の方に彼の飛行機は落ちて行きました。それが、僕が見た、彼の最後でした」
そう言うと、小山は悔しそうにうつむき、唇をかみしめた。
「わざわざ一の最後の様子をお知らせくださり、ありがとうございました。結局、一は敵機とは一戦も交えることなく、戦死してしまったのですね」
「そうなりますね。真珠湾攻撃でも敵機と遭遇することはありませんでしたから。豊島君の遺骨はもとより、遺品もお持ちできなくて、申し訳ありません」と言って、小山は深く頭を下げた。
 肩を落とした小山の後姿を千九亭の玄関先で、一子はキクエと共に見送った後、
キクエは、
「一はあんなに飛行訓練を重ねて来たのに、敵機を一機も落とすことなく死んだなんて、死んでも死にきれなかったでしょうね」と、大きなため息をついた。
「今日は、一の形見の品をあげたいと思うんだけれど、ちょっと中に入って見てちょうだい」と言って、もう一度一子を千九亭の座敷に招き入れた。
「この中から、自分の欲しい物を取って頂戴」と言って、キクエが出してくれたものは、
一の持っていた金時計、一の着ていた服など、色々並べられていたが、一子はアルバムを手にした。
「私、これを頂きます」
「あら、それだけでいいの。金時計も持って行ってもらっていいのよ」とキクエは言ってくれたが、一子は、
「これだけで、いいです。写真を持っていれば、一さんの顔を忘れないでいられますから」と言うと、アルバムをいとおしむように抱きしめた。


注:小山富雄の豊島一に関する話は、中野不二男の「カウラの突撃ラッパ」から引用させていただきました。


 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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