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船旅(11)

ニールが出かけた後、一人で今日は何をしようと迷った。ニールが言っていたようにリンダ達と一緒に出掛けることも考えたが、何となく夫婦二人の気楽な旅を邪魔するのは気が引けて、一人で出かけることにした。出かける前に、ネットで観光地を調べると、まだ行ったことがない観光地に、ダーイーユーサーンという大仏のあるところがあった。ロープウェイがあると書いてあるので、山の上にあるその観光地は体力に自信のない光江にも行けそうに思え、そこに行こうと決めた。停泊している船を降りると、暖かい日が注いでいた。1月なのだが、香港は冬でも暖かく、日差しも強いので、サングラスをして最寄りの駅へ向かった。駅で、プリペイドカードを買った。このカードはオクトパスと呼ばれているので、てっきりタコと関係があるのかと思っていたら、日本の会社が開発したもので、「置くとパス」と言う意味だと聞き、笑ってしまったことを思い出した。メルボルンの電車が落書きなどで汚らしく見えるのに、香港の地下鉄は、いつもピカピカなのに感心する。民主化運動のデモで、地下鉄もかなり壊されたと報道されたが、光江の乗った地下鉄には、そういった傷跡は見られなかった。ダーイーユーサーンの近くの駅で降りて、ロープウェイに乗り換えようと思うと、思ったより観光客が多くてごった返していて、ロープウェイに乗れるまでに時間がかかった。よく考えたら、その日は日曜日だった。だから多くの観光客と押し合いへし合いしながらロープウェイに乗ると、緑の山並みが見え、香港にもこんな緑の多いところがあるのかと感心した。ロープウェイは思ったより長く、頂上に登るまで一旦降ろされて、直角の方向に向かうロープウェイに乗り換えが必要だった。頂上まで着くのに30分くらいかかった。その間見渡す限り緑の丘である。ロープウェイを降りると、大仏が見えたが、そこに行くまでに何百段とありそうな階段が目の前に広がり、一瞬ひるんでしまった。しかし、ここまで来て、大仏を間近で見なかったとなると後悔しそうで、勇気を奮って、多くの人に交じって、階段を一段ずつ踏みしめて、どうにか頂上までたどり着いた。頂上に着いた時は息切れがひどく、息が整うまで時間がかかったが、遠くで見た時も大きく見えた大仏だったが間近で見るとさらに大きく、圧倒される思いだった。光江はそれまで余り宗教には関心がなかったのだが、この時ばかりは、大仏の前でニールの無事を熱心に祈った。
 一方ニールは、光江と別れた後、下船して、携帯のGPSを頼りに、リーの住んでいるアパートに向かった。リーの家の周りは中国の公安の目が光っていることが考えられるので、リーの住むアパートの近くのトイレでリュックサックにいれていた配送員の制服に着替え、リュックサックに入っていた折りたたんだ段ボールを組み立て、リュックサックも脱いだ服も皆段ボールに入れた。そして用意していた帽子とサングラスとマスクをして顔を隠し、白い手袋をした。ニールは白人としては余り背は高くなかったので帽子とサングラスとマスクで顔を隠すと、荷物を持った配達員にしか見えなかった。アパートの側には大きな広場があったが、ベンチが並んでおり、そのベンチと言うベンチは、学生らしき若者に占領されていた。日曜日の朝だと言うのに、どうも受験勉強をしているらしい。皆自分の教科書とノートを前にして一心に下を向いていて、無駄口をたたくものがいなかったのに、ニールは少々驚かされた。日本も受験地獄を言われるくらい、勉強が大変だとは聞いていたが、香港もそうなのかと改めて思った。
 リーの家は11階もある高層アパートの3階にあった。301号室のドアを傍にある呼び鈴を鳴らすと、しばらくして、ドアが開き、中国人の痩せて背が高い30代くらいの男が顔を覗けた。


著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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