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木曜島の潜水夫(33)

ジョセフィーンは、トミーは何年オーストラリアに住んでいても日本人だと言うが、トミーはオーストラリア国籍を取りたいと思い、一度オーストラリア国籍を申請して、拒否された経験がある。1960年になると、島では知らないものがいないくらいの名士になったのを機会に、もう一度オーストラリア国籍の申請をした。英語で面接をされ、3人の知人からの推薦状をもらって、2回目の申請は成功した。
 トミーは市役所での国籍授与の式典で、エリザベス女王に忠誠を尽くすことを誓い、日本国籍を捨てた。やっと正式にオーストラリア社会の一員として認められたことが嬉しかった。それまで自分の家族の中で、自分だけが日本人と言う違和感があったが、その気持ちも払しょくされた。
 トミーは、真珠貝採取の衰退を肌で感じ始めていた。港に停まっている真珠貝採取の船も以前のように多くなくなった。それに55歳になったトミーは、潜水するのもきつく感じるようになっていた。真珠貝採取から手を引く潮時だと思った。
真珠貝採取から引退したものの、トミーの生活は、以前のように忙しかった。それは、日本の真珠養殖の会社が、木曜島周辺に、養殖場を求めてくるようになったからである。トミーほど、木曜島周辺の真珠貝に関する知識を持っていて、かつ英語に堪能な日本人はいない。真珠会社だけでなく、オーストラリアの税関や検閲からも通訳や翻訳の仕事が舞い込むようになった。トミーがオーストラリア人と認められた1960年、トミーはケープ・ヨーク真珠会社に雇われ、ケビスと言う真珠貝の輸送に使われていた船の船長になった。真珠貝養殖場が、エスケープ川に正式にオープンした時は、トミーは友達や家族、部下だった人達をケビスに乗せて、参加した。ケープ・ヨーク真珠会社には船が2隻あり、1隻は、真珠貝採取をした船から船倉に真珠貝を積み込んで、ポゼション島に運ぶ作業をしていた。ポゼション島には、貝を生かしておくためのタンクがあり、貝を数週間保管していた。その貝が元気を取り戻したところで、エスケープ川に運送するのが、トミーの船の役目だった。そうしないと、真珠貝は、採取された場所からエスケープ川に一挙に運ぶと死んでしまうからだ。真珠は、生きている貝に、真珠貝の殻の破片を植え込むことでできるので、死んだ貝を運んでも意味がないのである。トミーは色あせた青いシャツを着て、何時間でも舵を取り、他の者に舵取りを任せることはなかった。トミーはタバコが好きで、刻みたばこを器用に片手で巻き、絶えず口にくわえて操縦した。船は古くてすぐに水漏りがし、しょっちゅう手入れが必要で、大波にさらされると一たまりもなさそうなオンボロ船だった。だから、トミーは潮流を避けて、沿岸沿いに船を走らせた。

著作権所有者:久保田満里子

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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