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カンフー・グランドマスター、ウィリアム・チャン インタビュー前編

あのブルース・リーと幼なじみ!?

メルボルンのシティにカンフー道場を持つウィリアム・チャン(William Cheung)さん。ウィン・チュン・カンフー(Wing Chun Kung Fu)のグランドマスターであり、なんとあのブルース・リー(Bruce Lee)のお友達だったとのこと。世界中の格闘技雑誌の表紙を飾り、ウィキペディア(Wikipedia)にも名前が載るほどの超有名人。今回はそのウィリアムさんにお話をお聞きしました。

ウィリアム・チャン(William Cheung)
香港出身、ウィン・チュン・カンフー・グランドマスター、中国医療医師


インタビュアー 本部裕子

--ウィン・チュン・カンフーを始めたきっかけは何ですか?

11歳の時、ボクシングをしていた友達が、近所のカンフー道場に腕試しに行くというのでついて行ったんです。道場での相手は小柄でやせた中年の男性でした。勝負が始まり、私の友達がボクシングのステップを踏み始め、そしてその次の瞬間には床に倒れていたんです。何が起こったのか全く見えませんでした。何回やっても結果は同じで…。ヤバイと思って逃げ帰りましたよ(笑)。その後、こんなすごい技を自分も習得したいと思い、友達と一緒に道場に通い始めました。それからもう60年近くカンフーを続けています。


--60年も!そんなに長く続けているんですね。香港でカンフーを始めて、どういった経緯でメルボルンに来られたんですか?

カンフーを習い始めてから私はとても強くなりました。ただ私が子どものころの香港はめちゃくちゃな時代で、ギャングがそこらじゅうに溢れていました。その当時のカンフーの強い使い手は皆ギャングのために働いたんです。その彼らを私が次々と倒していったので、ギャングは面子丸つぶれ。彼らを怒らせてしまい、香港にいられなくなったわけです。そこでその当時、兄と姉が住んでいたシドニーに行くことにしました。それからもう50年近くオーストラリアに住んでいます。ただシドニーに行く途中の船の中で、少し喧嘩というか、騒ぎを起こしてしまって。その船がシドニーに着くまでにシドニーと香港の新聞でそのことが載ってしまい、シドニーではちょっとした有名人になってしまったんです。そのため、行くところ行くところでいろいろな人から声をかけられたり、食事に誘ってもらったりして、落ち着いて生活できませんでした。そこでキャンベラに移って大学に通うことにしたんです。キャンベラには9年間住みました。その後、オーストラリア中の道場をめぐってカンフーの腕試しをする旅に出ることにしたんです。そして1番初めにキャンベラからメルボルンに行ったんですが、そこでたくさんの中国人から「ここにいろ!お前はカンフーをここで普及すべきだ、ここで道場を開け。」と強く勧められて、メルボルンに留まることにしたんです。結局、オーストラリア1周の旅をするつもりが、キャンベラからメルボルンで終わってしまいました(笑)。メルボルンにはそれからもう39年住んでいます。


--ちょっと予定よりも短い旅になってしまったんですね(笑)それでは、ジムを設立したのはカンフーの普及のためということですか?

そうですね。その当時、オーストラリアにはカンフー道場というものはなかったんです。あったはあったんですが、それは一部の中国人が中国人にだけ秘密で教えているものでした。なのでジムを作ろうとした時、いろいろな人から「カンフーを中国人以外に教えるべきではない」と忠告されました。でも私は、“カンフーはとてもいいものだし、いいものは皆に教えるべき。すべての人は平等に扱われるべきだ”という考えだったので、気にせずジムを設立しました。しかしその当時、メルボルンにカンフーや私のことを知っている人はほとんどいなかったので、どうしたら知ってもらえるかと考えました。そこで違法賭博場に行って、そこにいたガードマンに「どうしたらカンフー道場のことを人に知らせることができるのか」と聞いたんです。彼が「じゃあ俺と戦ってみろ」と答えたので、店の裏にまわって勝負をしました。もちろん彼をノックアウトしましたよ。その後も他の格闘技ジムをまわって、勝負をしながら私の道場のことを皆に広めていきました。まあ色々なトラブルは巻き起こしましたが、なんとか無事に今に至っています。


--映画のような人生ですね・・・。映画といえば、あの有名な映画スター、ブルース・リーと幼少のころからのお知り合いとお聞きましたが、彼はどのような人物だったのですか?

ブルース・リーとは子どものころからとても仲良くしていました。私達は同い年です。当時の香港のギャングは少年達をリクルートして泥棒などの悪さをさせていました。少年が罪を犯しても刑務所ではなく、更正施設に行くだけでよかったことを利用していたんです。ブルースはそのころもう子役スターで、他の子どもたちのリーダーだったので、ギャングの格好のターゲットでした。そのため私は彼を守るために毎日学校に迎えに行っていたんです。彼は私が大の大人を次々と倒すのを見て、ウィン・チュン・カンフーに興味を持ち始めました。子役として活躍していた彼の顔に傷でもついたら大変だろうと止めましたが、彼が「どうしても」っていうので私が通っていた道場に彼を連れていったんです。彼が13歳の時でした。ブルースは他の生徒とは違って、1つの技を習ったらその技を練習し続け、その技を完璧にマスターしていました。だからブルースの基礎はすばらしく、その基礎があったから彼はあんなにも強くなれたのです。ただその4年半後、ブルースも私と同じ理由で香港を離れなければなりませんでした。彼も多くの挑戦者を倒し、ギャングを敵にまわしてしまったんです。私は1958年のクリスマス・イヴに、彼は翌年の4月に香港を離れシアトルに移りました。彼の格闘技テクニックは全てウィン・チュン・カンフーからきています。そして彼は3人ものキックボクシング・チャンピオンを倒しました。このことからも、ウィン・チュン・カンフーがとても科学的に考えられた、効率の良いシステムだということが分かると思います。


(左)ウィリアムさん (右)ブルース・リー

--ウィン・チュン・カンフーというのは本当にすごいものなんですね。また、あのブルース・リーと同じ時代を生き、同じ時間を過ごした人が目の前にいると思うと、感慨深いです。

(左)ウィリアムさん     (右)ブルース・リーのお母さん


にこにこ笑いながら、信じられないような話をたくさんしてくれたウィリアムさん。ブルース・リーだけではなく、なんとハリウッド・スターであるアノ人にもカンフーを教えているという。そしてそのハリウッドスターは、映画の中でも実際にそのカンフーを使って演技をしている。

2009年に大ヒットした、カンフーの動きが出てくる映画といえば・・・?(注:カンフーパンダではありません。)


そのハリウッド・スターに関するお話(証拠写真付き)はインタビュー後編で紹介する予定。お楽しみに!


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ウィン・チュン・カンフー公式ウェブサイト(道場の情報もこちらから)
http://www.cheungswingchun.com/

 

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