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キャリア・学ぶ

国際交流コンサルタント 高久 裕氏 インタビュー

日本とオーストラリアの関係を見つめ直すキッカケがここにあり!!

2008年10月1日掲載

 

【プロフィール】
高久 裕 Hiroshi Takaku
 東京都新宿区出身。株式会社高久事務所代表取締役。1972年から76年まで朝日新聞記者を務める。1976年に株式会社高久(現タカキュー)入社。1984年財団法人日本国際交流センター(JCIE)勤務、日米議員交流プログラム、日豪若手政治家交流プログラム、日米パートナーシップ・フォーラムなどを統括。土井たか子訪米団、宮澤喜一超党派訪米団、加藤紘一訪米団、菅直人民主党訪米団、ロシア・中央アジア訪問小渕ミッションなど各政党、有力政治家の対外活動企画と実施を担当。

 2000年株式会社高久事務所を設立。政治交流、人物交流の活動のほか、内外の政党、政治家へのコンサルティング業務や対外交流活動への協力を行っている。アメリカ4州から名誉州民表彰を受けているほか、2005年にはオーストラリア名誉勲章を受章している。2006年から横浜インターナショナルスクール評議員、2008年6月からトヨタ財団プログラム選考委員を務める。
 

 

インタビュアー:大喜多 良美

 

--国際交流コンサルタントは具体的にどういう仕事ですか?

国際交流コンサルタントと言っても、様々なコンサルタントを行っています。営利事業でコンサルタントをしながら、非営利で国際交流についてのお手伝いもしています。ですから私のビジネスは何かと聞かれましたら、お金をちゃんと儲ける国際的ビジネス・コンサルタントです。これは企業が対象となります。現段階ではオーストラリアよりアメリカが多いですが、海外の会社と日本の会社間でのビジネスを成功させることです。それには政治的交流は全くありません。
国際交流についてはコンサルタントも行っていますし、お手伝いもしていますが、そこからお金はいただいていません。特に「政治交流」と「政策対話」は私の一番大きな関心のもとで、とにかく人と人とをつなげることを目的としています。政治家やオピニオンリーダー、ジャーナリスト等が日本と外国との間で仕事をしようというときにコンサルタントを行っています。
海外から日本へ取材に来られる場合は、要人の方に取材やインタビューをすることが難しい場合があります。プレスセンターなどもありますが、彼らの会いたい日本の政治家などには会う機会がないことが多いですね。たとえば、そういったときにオーストラリアの友人が「今度、誰々が招待されて日本へ行くので会ってもらえないか?」などとメールを送ってきます。そこで彼らに会って意見交換をし、できる限り彼らの会いたい日本の方と会えるように手配をします。


--日本とオーストラリア交流のかけ橋役となったきっかけは何ですか?

1990年頃、当時の駐日オーストラリア大使ダルリンプル氏が、私が勤めていた日本国際交流センター(JCIE)-民間の非営利団体で、私は超党派の仕事をしていました-にお見えになり、「日本とオーストラリア間で、若手の政治家の交流をぜひやりたい。」という打診がありました。当時オーストラリアではキャンベラにAustralia Political Exchange Councilができて、活動を始めていたわけです。
それがきっかけで話し合いが始まり、日本からは外務省のアジア大洋州局大洋州課課長や、日本にあるオーストラリア大使館の公使、参事官などが参加されました。その中で「独立性が大事である」、「超党派ではなければならない」、「東京-キャンベラ間だけでなく、地方にも行った方が良い」などの意見が出ました。
実現するには、過去外国に行った人、政府機関-外務省はじめ、都道府県庁、市役所等-の協力も必要ですが、やはり個人(若手の政治家)の協力も必要でしたので、相当な準備が必要でした。さらに超党派でないといけませんでしたし、政府の指示で行っているとなると少し魅力が劣ることもあり、「民間、しかも非営利」で行う原則が必要でした。そのことには両国政府が賛成をしてくれました。
それからオーストラリアとの交流が始まり、今に至ります。現在は毎年、若手の政治家同士の交流を行っています。ヴィクトリア州政府内で現在活躍されている政治家の中にも、これらの交流事業の一環で日本へ行った方はたくさんいらっしゃいます。
また来日された際は、私は空港到着から最後の見送りまでオーストラリア議員団と一緒にいるので、「旅は道連れ、世は情け」と言いますが、毎日一緒にいて同じ釜の飯を食べるので、ファーストネームで呼び合い、最後はお互いにハグをして別れるほど仲良くなります。私個人の友人を増やすための国際交流事業ではないのですが、年を経るごとに友人が増えるというご褒美をもらっています。国際交流の醍醐味ですね。それがオーストラリアとの間にできたことが嬉しいです。


--日本とオーストラリアの交流を見つめてきた中で、一番印象に残っていることは何ですか?

超党派で、しかも非営利で事業を行っていることは、やはり人の心を打ちます。自分の商売のためでもなく、個々の政党や政治家のためでもないですし、政治闘争のための事業でもないので、いろんな方が手伝ってくれます。
1994年だったと思いますが、日本の議員団とともにシドニーを訪れたとき、元連邦上院議長ダグ・マクレランド氏が、当時の国立海洋博物館(Australian National Maritime Museum)館長の故ピータ・ドイル氏に声をかけていただきました。ドイル氏は「ドイルズ(DOYLS)」というシーフード・レストランも経営していました。レストランのオーナーをしながら、非営利で海洋博物館の館長をしていらっしゃいました。そこでマクレランド氏は、ドイル氏に美味しい料理と、オーストラリア海軍のフリーゲート艦を準備するようにと仰られたんです。
私も含め議員団は、波止場についたときにまず海軍の隊員に敬礼され、軍艦に乗り込むとドイル氏をはじめ、ウェイター、ウェイトレスが待っていました。それから汽笛の合図とともに出港し、シドニー湾クルーズを軍艦で行いました。シャンパンとともにカナッペなどをつまみながらですよ。すごかったですよ。議員たちはびっくりしていましたよ。やはりこれは国際交流を非営利で行っていたからこそ、実現したのだと思います。
ツアーボートに乗ってのクルーズを楽しむ人々の横を軍艦で横切り、湾の外に出ました。1時間ほどでしたが、美味しいワインとごはんも楽しみました。これは本当に一生の思い出になりますし、そのときに参加していた日本の議員団の方々にも、とても喜んでいただきました。


--現在、日本・オーストラリア交流として進めているプロジェクトはありますか? また今後何か予定されているプロジェクトはありますか?

具体的に進めているというよりは、努力をしている範囲があります。ひとつは政策対話を中心とした国際交流です。具体的な話を常にお互いにいろんな局面で話をするように促すこともそうです。
たとえばオーストラリア外交官の方がある県知事にお会いになったときに、こんな質問をされました。「去年知事の地元では、畑にどれくらい雨が降りましたか?」知事は答えられなかった。-「オーストラリアの農家は、みんな自分の畑に去年どれだけの雨量があったのか知っています。それほど雨量、干ばつに対する関心、意識は高いのです。日本は雨がたくさん降るので、そんなことは気にならないのでしょう。仮にオーストラリアで稲作をして、収穫したお米をすべて日本に輸出しても、日本の消費量のどのくらいになると思いますか?」-その時の話し合いで、知事は農林水産省や農協から聞いていた話とは違うことにびっくりされていました。
こういうことからも、「本当の数字は何か? 何が問題なのか?」と日本国内での問題意識が高まり、議論をして、そこから外交交渉が変わってくることもあります。民主主義ですので、賛成反対があるのは当然です。全部その通りにやらなければいけないことはないですが、一致するためには、どこかで誰かが我慢しなければいけないわけですよね。その我慢しなければいけない状況を国内で調整するためには、リーダーになっている人たちが相手の国へ行って何が問題であるのかを把握し、問題を突き放すばかりでは自分の国にとってマイナスになると思ったときに、「そこは我慢しなさい。」と言えるわけです。
いくら外交交渉をしている方がまとめようと思っても、そのような土壌が出てこないとまとまらないですね。そういう土壌にすることを「対話」だと思っていますので、具体的に国際交流事業で何を実現するかではなく、そのようなチャンネルを私はライフワークの一つとして、作りたいと思っています。

 

--将来、日本とオーストラリアの交流はどのようになって欲しいですか?

オーストラリアとの関係としては、私は「地方」を大切にしたいと考えています。日本は霞ヶ関にある「国」が強いですね。ですがオーストラリアではキャンベラばかり見ているだけではいけない。州ごとに立法能力があるように、州の権限が大きいです。州と日本をつなげることをやりたいですが、なかなか難しいですね。「地方」と「中央」、「中央」と「地方」、さらに「地方」と「地方」を結び付けたいです。
たとえば昨年、当時の西オーストラリア州首相のアラン・カーペンター氏が来日しても、外務省、経済産業省などの責任のある方がほとんど会わなかった。否定的な言い方をしましたが、全くの想像ですが、そういう情報が上がらないのだと思います。それは誰の責任、誰がおかしいというのではなく、地方からの政治家が来日した際に、丁寧におもてなしをすれば今後の外交は全く違ったものになると思います。ちょっとしたことで、その後の外交が変わってきます。大晩餐会などを開催しなくても、国会の会議室で「今の日本はこうです。」と少し話しただけでも違うと思います。
いくつか理由はありますが、私はオーストラリアが日本にとってものすごく重要な国だと思っています。日本の政府や民間がオーストラリアの地方を大切にしないと、後に「こんなはずではなかった」というケースが必ず出ます。そうなってからでは絶対遅いので、それに備えておくことも大切だと思います。
例えばオーストラリアのとの姉妹都市提携にしても、「行事」になっていますよね。お互いの都市を訪れてもあまり何もしていない。会合は開いているけれど、お互いの現状を話し合うことも少ない。それは先ほどから言っている、本当の関係ではないですよね。自分の都市として何ができるか、それを話し合わないといけない。
しかも日本でその事業をやっているのが、国際課や国際交流課等に所属する人たちですよね。しかしその人たちに、本当の関係を築くことを期待しては可哀想です。毎日自分の責任の範囲で仕事をし、スケジュールを組むわけですから。その中で「知事は今回出席できません。」と言われ、「知事が出席しないで、本当の交流ができるのか。」と怒鳴れるような課長さんはいないですからね。それくらいの気迫や行動力のある人が間に立たないと、いくら国際交流事業をしていても成果は上がらないでしょう。さまざまな工夫と知恵を使いながら、さらに声を上げられる人を探して動いてもらえば、オーストラリアの地方と日本の地方の関係は充実すると思います。
また、私が言う地方交流であればテーマを決めて行うと良いと思います。オーストラリアがどのように対応しているのか、現地の状況を詳しく視察することができます。さらに一都道府県の代表団で行くのではなく、たとえば北陸3県、中部3県ななど、さらに民間も一緒になって事業をしないといけないと思います、議会から資金を出し、民間でも募金を集めて視察をすれば、お互いの都市間、国同士でよりよい関係を結ぶことができるでしょう。
その中から日本とオーストラリアがお互いに悩んでいる問題が判り、新しいプランも作ることができるかもしれません。そのような政策実現のための国際交流が理想です。姉妹都市としてのフレンドシップも大切ですが、新しい時代に変化を促していく国際交流をやりたいです。


--日本とオーストラリアの交流を通して、高久様自身の夢あるいは目標は何ですか?

そうですね、私が死んだときに多くのオーストラリアの友人に涙を流してもらえればいいですね(笑)。


--若い方へのメッセージをお願いします。

オーストラリアの良いところを一生懸命に探し、オーストラリアという国に惚れ込んで欲しいです。そしてオーストラリアに友人をたくさん持ってほしいです。本当に日本が好きであれば、日本を良い国にしないといけない。そのためには味方を作っていかないといけないと思います。それぞれに目的を持ってオーストラリアに来られると思いますが、それも大事にやっていただきたいですが、同時に「この国に来て良かったなぁ。」と思って日本へ帰ってほしいです。
私がオーストラリアを好きなのは、移民の国ですから開放的であり、その先祖は多かれ少なかれ故国を離れてゼロからスタートしている。チャレンジ精神がDNAにありますよね。そのようなオーストラリアの人間性を学んでほしいですし、先住民の問題などもありますが、国全体がそういった社会的問題に自分の問題として考える風潮も学んでほしいですね。具体的に何か起きたときに、具体的に何か行動を起こして解決しなければいけないとなると、日本の村社会ではなかなか難しい部分もあります。それを我々で変えていかなければならないという意識を持ってもらいたいです。
国際社会で支持を得るということには政策や理念という大事な部分ももちろんありますが、最終的には「人」なんですね。世界中に一人でも多くの友人を持ち、お互いに相手を慮って、相手の国のことも考えてあげることが大切だと思います。国家間で激論が飛び交うようなときに、相手国の状況を知っていると冷静になることができ、その問題の悪化を防ぐことができます。是非日本の仲間を世界に作り、我々の子孫が国際社会の中で責任を負いながらも、楽しく希望を持って生活を送ることができるようになるために、今の若い人たちが気持ちを持って、その国で生活をしてもらいたいです。


--プライベートでのこだわり、あるいはこだわりの物はありますか?

ラグビーですね。高校までラグビーをしていました。オーストラリアのラグビー・ナショナルチーム〝ワラビーズ(Wallabies)”が日本へ来ると興奮しますね。私のラグビー好きを知っている歴代の駐日オーストラリア大使が毎回呼んでくれます。一昨年は首相選抜チームが母校の慶応中等部へ来ていただきました。大リーグの選手が野球部に来るのと同じですから、後輩たちは本当に喜んでいました。日本で初めてラグビーをやったグラウンドであることを紹介し、練習を約1時間しました。ポジションごとにも教えてもらい、選手の実力を目の当たりにした後輩たちは目が輝いていましたよ。後日首相選抜の試合をバックスタンドの最前列で観戦し、試合終了後に日本代表がロッカールームへ向かう中、豪州の選手が後輩たちをハグする姿に涙が出ました。「これは最高だ。これこそラグビーの精神だ!」と思いましたね。
もうひとつは、オーストラリア・ワインです。デパートのワイン売り場へ行って「オーストラリアのワインはどこにありますか?」と聞きます。たいがい扱っている数は少ないですから、「こんなに少ないの?」、「この銘柄も知らないの?」などとわざと言うんですね。今は自宅近くの百貨店のオーストラリア・ワインの売り場面積が増えるのを楽しみにしています。

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