コラムはじめました
更新日: 2010-01-05
GO豪メルボルンをご覧の皆さん、はじめまして。僕は高橋正彦といいます。
僕には現在3歳7ヶ月の息子と1歳1ヶ月の娘がいるのですが、その子達に英語と日本語のバイリンガル育児をしています。バイリンガル育児の事を中心に、その他僕の仕事やプライベートの活動などを不定期に更新していく予定です。よろしくお願いします。
第1回目の今日は自己紹介をさせてもらいます。
僕は静岡県浜松市の中学を卒業してすぐ、メルボルンに留学生としてやってきました。そしてブライトングラマースクールに通い始めました。中学2年まで英語の成績が学年ビリだった僕は、留学を決めてから付け焼刃で英語を勉強しましたが全く通用せず、最初の数ヶ月は必死で身振り手振りでコミニケーションを取っていました。
1年程経って少しは英語が話せるようになった頃、そう言えばうちの学校にはサッカー部が無いなあ、と気がつきました。サッカーがやりたかった僕は、先生に「サッカー部を作ってください」とお願いしましたが、断られてしまいました。そして2年目にもう一度、今度はホストマザーにも手紙を書いてもらって、更に他の生徒からも署名をもらって、校長先生にお願いをしに行きましたが結果は×。しつこい僕は3年目に、もう一度トライしました。今度は友達の父兄も一丸になって皆で、運動をした結果、遂にサッカー部を作ってくれる事になったのです!
僕達は最初に3部リーグという一番下のリーグからスタートしましたが、元々サッカーが得意な生徒が多かったので、毎試合大差をつけて勝ち続けました。するとシーズン途中で異例の2部昇格になりました。そして2部でも勝ち続け、翌年から一番上のリーグで戦えるようになったのです。(僕はこの年で卒業だったので、トップリーグではプレーできませんでした)
僕が卒業後、チームは順調に力を付けていき、この10年間で3回もビクトリア州のチャンピオンになりました。
写真:初代ブライトングラマースクールサッカー部
高校を卒業した僕は日本に戻ってプロサッカー選手を目指していましたが、まもなく挫折。1998年中古CDショップ「音吉プレミアム」を立ち上げました。せっかく英語が話せるのでどうにか使えないかと思って、2000年に英語版のホームページを作ってみたら、世界中の人達が注文をしてくれました。日本のアニメは人気があるのは知っていましたが、それ以外にもJ-POPやアイドル、フォーク、歌謡曲や演歌まで注文が入ったのです。そして親日家のお客さん達はお金を貯めて、日本にバカンスにやってきます。その時に一緒に観光したり、食事をしたりして、世界中の人達との交流が始まりました。そして2007年9月、そんな外国のお客さん達との交流をまとめた単行本『イタリア人は日本のアイドルが好きっ』を出版しました。
昨年5月には世界中のオタクと交流するOTAKU SPECIALISTとして、NHKから英語でインタビューを受け、その映像が世界80国で放送されました。※映像はコチラをクリックすると無料でご覧いただけます。
プライベートでは、2006年6月に長男シンタロウを、2008年11月に長女ユリアを授かり、彼らにずっと英語で話しかけてみたらバイリンガルになるのか実験する事を決めました。
そして昨年11月に、高校卒業から実に13年ぶりにメルボルンを訪れました。籍だけ入れて式も指輪も新婚旅行も無く、彼女にも「いずれケジメはつける。俺たちだけにしか出来ない事をする」と言いつつ4年半、遂にメルボルンで結婚式を挙げました。母校ブライトングラマースクールの教会で式を挙げ、同校のホールで披露宴をさせてもらいました。128年の歴史の中で学校内で披露宴をしたのは僕らが初めてだという事で、希望通りオンリーワンの式を挙げる事ができました。
そして12月15日、日本に戻って来て溜まっていた3週間分の仕事を片付け、新年を迎えたところです。
13年ぶりのメルボルン、やっぱり最高でした。 こんな僕ですが、これからよろしくお願いします。
追伸:質問や応援メッセージ大歓迎です。コメントお待ちしております。
コメント- くまくま。@FUK,JAPAN (2010-01-13T21:16:47)
- 何だか心が温かくなる半生(?)ですね。
彼の偉いところは、開拓者精神の強さですね。
私はただの日本人ですが、「信じるところに道はできる」というのを、青春という素晴らしいエネルギー溢れる時機に、活き活きと実践した彼の姿は、素晴らしいものです。
出来れば、同期でチームメイトになりたかったです。それくらい、うらやましい。
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