小説版バイリンガル子育て 第22話 『近づく別れ、崩れ行くビジョン、そして苦悩する僕』
更新日: 2010/09/24
4月になった。満開の桜が人生の新しいステージへと旅立つ新入生や社会人一年生を祝うように咲いているこの頃、社会人13年目を迎えた僕は苦しんでいた。
両親共働きだった僕にはあまり一家団欒の記憶がなかった。酒を飲んで周囲に当り散らす親父と家族の関係が良好だったはずもなく、家の中には常に変な緊張感が漂っていた。僕はそんな家が大嫌いだった。だから自分が親になったら、子どもたちにとって自慢の父親になりたかったし、僕の親父や婆ちゃんも含めた4世代で仲の良い家族になりたかった。
色々悩んだ末、近い将来、地元である浜松に生活の拠点を移そうと考えていた。そうすれば子どもたちは、お爺ちゃんやひいお婆ちゃんといつでも会えるし、それは親父や婆ちゃんにとっても嬉しいことだと信じていた。よく「仕事を取るか、家庭を取るか」ということが言われるが、僕はどちらも捨てるつもりはなかった。東京を離れたからと言って仕事を諦める訳ではない。その場所その場所でやりがいのある仕事ができる自信があった。そして離れることになるであろう東京の友達との関係は何も心配はしていなかった。会う回数は減るけど、友達はどこにいようとどれだけ会っていなかろうと友達だと言うことは、小学校・中学校の友達、オーストラリアの友達から教えてもらったから。
だけどそんな矢先に親父が死んだ。そして2月からは突然婆ちゃんも倒れて病院に入院している。80を過ぎているとは言え、それまで全く健康で元気にしていたのでショックだった。親父が死んだ時、誰よりも落ち込んでいたように見えた婆ちゃん。娘である僕の母を死ぬまで苦労させた大酒飲みの親父を恨みつつも、親父とは気が合うようで母さんが死んだ後も、一緒に暮らしていた。
婆ちゃんはオーストラリアに住んでいる伯母が浜松に来て付きっ切りで看病してくれている。その事実が、考えたくないけれど婆ちゃんの死が近づいていることを予感させた。そして、十代の頃から浜松を離れて東京に行き、更にオーストラリアにまで行ってしまった伯母は、今婆ちゃんに最後の親孝行をしているんだと思った。
婆ちゃんが倒れてから、僕は毎月一度は家族で浜松に見舞いに行った。そして行く度にやつれていく婆ちゃんの姿が悲しかった。「ねえ、婆ちゃん。僕はどうすればいいの?浜松に引っ越すつもりだったけど、引っ越しても誰もいなくなっちゃうの?」 僕はこれからどうやって生きていけばいいのかわからなくなっていた。
楽しかろうが辛かろうが時間は全ての人に平等に一日24時間ずつ与えられている。新太郎と由莉杏はすくすくと成長していった。新太郎は毎日新しい英語を話し続けている。"Looks like a dragon though.(これドラゴンみたいだけどね)"と"THOUGH"を使うようになったし、バットを手で支えて"After Shintaro help this baseball bat, it can stand up but after losing hands, it's gonna be fell off.(新太郎がこのバットを助けてあげれば、バットは立つけど、手を離せば倒れちゃうんだよ)"というような長文も話し出した。
4月半ばには、アイルランド人の高校生ウイリアムとお父さんのティムが日本にやってきた。ウイリアムとは彼が14歳の頃、僕の店で日本のアーティストのCDを買ってくれて以来の付き合いで、もう何度も会っている。ティムとは今回が初めてだった。新太郎は最初は人見知りをしたけど、すぐに慣れて楽しく食事をした。普通のアイルランド人の子どもみたいだとティムは驚いていた。

そして毎月恒例になってしまった婆ちゃんのお見舞いで浜松にも行った。由莉杏はまだ何もわからないけど、新太郎は婆ちゃんに何が起こっているかある程度はわかっているので、とても悲しそうにしている。「早く元気になってね。ばあば大好き」新太郎がそういうと婆ちゃんは嬉しそうに微笑んでいた。
せっかく浜松に来たので、子どもたちが楽しめることもしようと思って、航空自衛隊 浜松広報館(エアーパーク)に行った。僕と新太郎はフライトジャケットに身を包み戦闘機に乗り込んだ。"Shintaro, if this airplane can really fly, where do you wanna go?(新太郎、もしこの飛行機がホントに飛んだらどこに行きたい?)"僕が聞くと、"Anywhere.(どこでも)"と答えた。僕がどこかに移り住むと言ったら新太郎がこんな風にどこでもいいよと言うかはわからないけど、新太郎と由莉杏が大きくなるまでは、僕が住む場所が子どもたちの住む場所になる。浜松へ移住することの目的がなくなりかけている今、僕はどうしたら良いのだろうか?

4月28日、僕は32歳になった。朝起きてきた僕に新太郎は"Happy Birthday!"と言ってくれた。そして、"Look! I can fly like an airplane!(見てよ!飛行機みたいに飛べるよ!)"と言ってミッフィーの椅子に乗って飛んでいるポーズをとった。この天真爛漫な笑顔を守りたい。その為なら先の見えない真っ暗な未来でも手探りで進んでいくさ。(つづく)

※読者の方からの質問や応援メッセージ大歓迎です。コメントお待ちしております。
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僕の会社です→メモリアルCDショップ音吉プレミアム
書籍化された僕のブログ→イタリア人は日本のアイドルが好きっ
英語で日本のサブカルチャーについて書いているブログ→ROAD TO OTAKU
両親共働きだった僕にはあまり一家団欒の記憶がなかった。酒を飲んで周囲に当り散らす親父と家族の関係が良好だったはずもなく、家の中には常に変な緊張感が漂っていた。僕はそんな家が大嫌いだった。だから自分が親になったら、子どもたちにとって自慢の父親になりたかったし、僕の親父や婆ちゃんも含めた4世代で仲の良い家族になりたかった。
色々悩んだ末、近い将来、地元である浜松に生活の拠点を移そうと考えていた。そうすれば子どもたちは、お爺ちゃんやひいお婆ちゃんといつでも会えるし、それは親父や婆ちゃんにとっても嬉しいことだと信じていた。よく「仕事を取るか、家庭を取るか」ということが言われるが、僕はどちらも捨てるつもりはなかった。東京を離れたからと言って仕事を諦める訳ではない。その場所その場所でやりがいのある仕事ができる自信があった。そして離れることになるであろう東京の友達との関係は何も心配はしていなかった。会う回数は減るけど、友達はどこにいようとどれだけ会っていなかろうと友達だと言うことは、小学校・中学校の友達、オーストラリアの友達から教えてもらったから。
だけどそんな矢先に親父が死んだ。そして2月からは突然婆ちゃんも倒れて病院に入院している。80を過ぎているとは言え、それまで全く健康で元気にしていたのでショックだった。親父が死んだ時、誰よりも落ち込んでいたように見えた婆ちゃん。娘である僕の母を死ぬまで苦労させた大酒飲みの親父を恨みつつも、親父とは気が合うようで母さんが死んだ後も、一緒に暮らしていた。
婆ちゃんはオーストラリアに住んでいる伯母が浜松に来て付きっ切りで看病してくれている。その事実が、考えたくないけれど婆ちゃんの死が近づいていることを予感させた。そして、十代の頃から浜松を離れて東京に行き、更にオーストラリアにまで行ってしまった伯母は、今婆ちゃんに最後の親孝行をしているんだと思った。
婆ちゃんが倒れてから、僕は毎月一度は家族で浜松に見舞いに行った。そして行く度にやつれていく婆ちゃんの姿が悲しかった。「ねえ、婆ちゃん。僕はどうすればいいの?浜松に引っ越すつもりだったけど、引っ越しても誰もいなくなっちゃうの?」 僕はこれからどうやって生きていけばいいのかわからなくなっていた。
楽しかろうが辛かろうが時間は全ての人に平等に一日24時間ずつ与えられている。新太郎と由莉杏はすくすくと成長していった。新太郎は毎日新しい英語を話し続けている。"Looks like a dragon though.(これドラゴンみたいだけどね)"と"THOUGH"を使うようになったし、バットを手で支えて"After Shintaro help this baseball bat, it can stand up but after losing hands, it's gonna be fell off.(新太郎がこのバットを助けてあげれば、バットは立つけど、手を離せば倒れちゃうんだよ)"というような長文も話し出した。
4月半ばには、アイルランド人の高校生ウイリアムとお父さんのティムが日本にやってきた。ウイリアムとは彼が14歳の頃、僕の店で日本のアーティストのCDを買ってくれて以来の付き合いで、もう何度も会っている。ティムとは今回が初めてだった。新太郎は最初は人見知りをしたけど、すぐに慣れて楽しく食事をした。普通のアイルランド人の子どもみたいだとティムは驚いていた。

そして毎月恒例になってしまった婆ちゃんのお見舞いで浜松にも行った。由莉杏はまだ何もわからないけど、新太郎は婆ちゃんに何が起こっているかある程度はわかっているので、とても悲しそうにしている。「早く元気になってね。ばあば大好き」新太郎がそういうと婆ちゃんは嬉しそうに微笑んでいた。
せっかく浜松に来たので、子どもたちが楽しめることもしようと思って、航空自衛隊 浜松広報館(エアーパーク)に行った。僕と新太郎はフライトジャケットに身を包み戦闘機に乗り込んだ。"Shintaro, if this airplane can really fly, where do you wanna go?(新太郎、もしこの飛行機がホントに飛んだらどこに行きたい?)"僕が聞くと、"Anywhere.(どこでも)"と答えた。僕がどこかに移り住むと言ったら新太郎がこんな風にどこでもいいよと言うかはわからないけど、新太郎と由莉杏が大きくなるまでは、僕が住む場所が子どもたちの住む場所になる。浜松へ移住することの目的がなくなりかけている今、僕はどうしたら良いのだろうか?

4月28日、僕は32歳になった。朝起きてきた僕に新太郎は"Happy Birthday!"と言ってくれた。そして、"Look! I can fly like an airplane!(見てよ!飛行機みたいに飛べるよ!)"と言ってミッフィーの椅子に乗って飛んでいるポーズをとった。この天真爛漫な笑顔を守りたい。その為なら先の見えない真っ暗な未来でも手探りで進んでいくさ。(つづく)

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更新日: 2010/09/13
ジョナサンと僕は同じピッチに立っていた。
僕はチームのエース、ジョナサンはディフェンスの中心だった。
ブライトングラマースクールのサッカー部を共に作り、史上初めてシーズンの途中で3部から2部に飛び級するという快挙を成し遂げた戦友が広島にやってきた。
ジョナサンは昔日本に2年くらい住んでいたことがあって、僕らの草サッカーチームでもサッカーをしていた時期があった。僕らの間には常にサッカーがあった。
その日、日本対パラグアイの試合があったのも偶然じゃないと思う。僕らの間にはいつだってサッカーがあるのだ。
ワールドカップの話や、最近のサッカーの話をしながら、時折昔話と今の話をした。ジョナサンは面白いので、最初は怖がっていた由莉杏もすぐに慣れて一緒に遊んでもらった。
ジョナサンとはまたすぐに会うだろう。サッカーがきっとまた引き合わせてくれるに違いない。

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その日、日本対パラグアイの試合があったのも偶然じゃないと思う。僕らの間にはいつだってサッカーがあるのだ。
ワールドカップの話や、最近のサッカーの話をしながら、時折昔話と今の話をした。ジョナサンは面白いので、最初は怖がっていた由莉杏もすぐに慣れて一緒に遊んでもらった。
ジョナサンとはまたすぐに会うだろう。サッカーがきっとまた引き合わせてくれるに違いない。

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更新日: 2010/09/05
8月31日から1泊2日で草サッカーチーム『フェアリーゴッズ』の合宿に行ってきた。僕は中学の同級生の結婚式に8月29日に出席して、その夜にはオーストラリアの高校の後輩の家で朝まで飲んで、次の日は一緒に合宿に行く友達と前夜祭という名目で飲んだ。そこに元は僕の店のお客さんで仲良くなって、2年前に日本に短期留学したときに仲良くなったスウェーデン人のライナスも合流したり、合宿に来れないチームメイトが顔を出してくれた。

ライナスとは2年ぶりだったが、日本に今年から2年間留学に来ていて、前回僕のサッカーチームの友達と何度か遊んだので、今回は僕を介さずに勝手に仲良くしている。僕がきっかけで出会った人達が、僕のいないところで仲良くなっていることが嬉しかった。フェアリーゴッズというチームはそういうチームだ。一期一会を大切にする、大人になりきれないバカ共の集まりである。
元々は中学の同級生3人で始めたチームで、僕らの地元の浜松出身の東京に住んでいる奴らと、僕のオーストラリア高校の後輩と、それでは人数が足りないので、インターネットで募集をしてスタートしたチームだ。当時僕は21歳。チームメイトの年齢は下が18歳上が33歳、仕事も無職からエリートサラリーマンまで幅広く、サッカー歴もボールを初めて蹴る人から元プロまでいてバラバラで、ただ火曜日にサッカーがしたいということだけが共通していた。
毎週練習か試合をして、そのあと飲みに行って友好を深め、やがてサッカーのチームメイトから友達になっていった。チームメイトの誕生会となればたちまち20人くらい集まってしまうような、仲の良いチームになった。
それから11年。今もコンスタントにサッカーをしている人は3割程度になり、結婚して親になったメンバーも増えてきた。今回の合宿は就職で地元に帰った浜松組や、発足後すぐに飲み会専門要員になったメルボルン組も、とにかくフェアリーゴッズが心の片隅にある奴は参加してくれと言って呼びかけた。
そして、大人28人、子ども13人が浜松に集まった。

それぞれに、東京、大阪、名古屋、広島から浜松に集まって、まずはサッカーを4時間くらいして、その後は宿泊先に移動。大バーベキュー大会をした。子どもたちは自由に子ども同士で遊び、そこにほろ酔いのおじさん達が絡み、妻たちはバカな夫達にあきれながら料理を作ってくれて、僕たちは久しぶりの再会を喜びながら、相変わらずのヨタ話を続けた。中には初対面の人同士もいるけど、そんなことは関係ない。フェアリーゴッズのメンバーだということだけで、そんな壁は吹き飛んでしまう。



そして12時をまわり、女房子どもが寝静まった頃に、僕らは裸で海に飛び込んだ。宿泊施設は浜名湖に面していて、ベランダのバーベキュー場から海へ繋がっている。飛び込んだ僕らは、ベランダで飛び込まない仲間に酒を投げてもらい、海に体を沈めながら酒を飲んだ。夏の終わりの浜名湖は僕たちを生暖かく迎えてくれて、海の底の牡蠣やサンゴは、僕達の足の裏をメチャクチャに切り裂いた。意味なんかないけど楽しかった。僕らはそのときただの仲間だったんだ。大人になってから知り合ったのに、なんの利害関係もなく、純粋にくだらない話に笑い合える集団なんかなかなかないだろう。

次の日は、鮎のつかみどりに行って、そこでバーベキューをして川で遊んで、17時30分くらいに解散した。僕ら家族は実家に1泊して、新幹線で広島に戻ってきた。まだ余韻が抜けない。本当に楽しかったし幸せだった。合宿自体は毎年やる予定だけど、浜松にできるだけみんなで集まるというのは4年に一度、W杯のある夏にしようと決めた。2014年のブラジル大会を目指して、そこでまた再び笑って会えるように、頑張って生きていこう。




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元々は中学の同級生3人で始めたチームで、僕らの地元の浜松出身の東京に住んでいる奴らと、僕のオーストラリア高校の後輩と、それでは人数が足りないので、インターネットで募集をしてスタートしたチームだ。当時僕は21歳。チームメイトの年齢は下が18歳上が33歳、仕事も無職からエリートサラリーマンまで幅広く、サッカー歴もボールを初めて蹴る人から元プロまでいてバラバラで、ただ火曜日にサッカーがしたいということだけが共通していた。
毎週練習か試合をして、そのあと飲みに行って友好を深め、やがてサッカーのチームメイトから友達になっていった。チームメイトの誕生会となればたちまち20人くらい集まってしまうような、仲の良いチームになった。
それから11年。今もコンスタントにサッカーをしている人は3割程度になり、結婚して親になったメンバーも増えてきた。今回の合宿は就職で地元に帰った浜松組や、発足後すぐに飲み会専門要員になったメルボルン組も、とにかくフェアリーゴッズが心の片隅にある奴は参加してくれと言って呼びかけた。
そして、大人28人、子ども13人が浜松に集まった。

それぞれに、東京、大阪、名古屋、広島から浜松に集まって、まずはサッカーを4時間くらいして、その後は宿泊先に移動。大バーベキュー大会をした。子どもたちは自由に子ども同士で遊び、そこにほろ酔いのおじさん達が絡み、妻たちはバカな夫達にあきれながら料理を作ってくれて、僕たちは久しぶりの再会を喜びながら、相変わらずのヨタ話を続けた。中には初対面の人同士もいるけど、そんなことは関係ない。フェアリーゴッズのメンバーだということだけで、そんな壁は吹き飛んでしまう。



そして12時をまわり、女房子どもが寝静まった頃に、僕らは裸で海に飛び込んだ。宿泊施設は浜名湖に面していて、ベランダのバーベキュー場から海へ繋がっている。飛び込んだ僕らは、ベランダで飛び込まない仲間に酒を投げてもらい、海に体を沈めながら酒を飲んだ。夏の終わりの浜名湖は僕たちを生暖かく迎えてくれて、海の底の牡蠣やサンゴは、僕達の足の裏をメチャクチャに切り裂いた。意味なんかないけど楽しかった。僕らはそのときただの仲間だったんだ。大人になってから知り合ったのに、なんの利害関係もなく、純粋にくだらない話に笑い合える集団なんかなかなかないだろう。

次の日は、鮎のつかみどりに行って、そこでバーベキューをして川で遊んで、17時30分くらいに解散した。僕ら家族は実家に1泊して、新幹線で広島に戻ってきた。まだ余韻が抜けない。本当に楽しかったし幸せだった。合宿自体は毎年やる予定だけど、浜松にできるだけみんなで集まるというのは4年に一度、W杯のある夏にしようと決めた。2014年のブラジル大会を目指して、そこでまた再び笑って会えるように、頑張って生きていこう。




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