小説版バイリンガル子育て 第21話 『ずっとひとりで待ってたんだよ』
更新日: 2010/08/28
新太郎が初めて英語で寝言を言った。起きていても寝言のようなことばかり言っている僕なのに、その息子が英語で "I made white one!(白いの作ったよ!)" と寝言を言った。新太郎2歳9ヵ月と4日の夜のことだった。何を作ったのかは知らないが、夢の中で英語で話しながら何かを作ったのだ。僕の経験上、英語の夢はある程度英語が話せるようになってから見るようになったので、新太郎の英語力もかなり上がってきたようだ。彼女は驚いて、次の日に「ねえシン君、夢の中で何を作っていたの?」と聞いていた。しかしながら当人は夢が何かもわからない2歳児だ。ママの質問にキョトンとしている。
英語の夢を見て、新太郎のバイリンガルとしての覚醒が始まったのか、この日を境に長い文章をしゃべるようになった。 翌日、僕が仕事から帰ると、晩御飯のときに彼女とケンカしたらしく、"I'm eating rice but I said I don't wanna eat and Mom got angry.(僕がご飯を食べていて、ご飯をいらないと言ったらママが怒ったの)"と助けを求めてきた。その数日後には、チェリーパイのおもちゃを胸に当てて、"This cherry pie is Julia's tittie.(このチェリーパイはユリアのおっぱいだ)"と言ってヘヘヘと笑った。一応ハッキリと断っておくが、この発想は僕が教えたものではない。それならDNAがそうさせているのかと言われれば、それは否定できないのもまた事実である。
更に数日後、水族館で買った魚の図鑑を一緒に読んでいたら、"If shark eat Daddy, Daddy will cry.(もしサメがダディを食べたら、ダディは泣いちゃうよね)"と初めて"IF"を使った。僕はサメに食われる前に、新太郎の目覚しい成長に涙ぐんでしまいそうだった。その後も図鑑を一緒に読んでいたら"Red sad fish."とある魚を指して言っているのだが、僕は"sad"が聞き取れなかった。"Sorry, I don't know what you're trying to say.(ごめん、何を言おうとしているかわからない)"と言うと、"Worried fish.(心配そうな魚)"と違う言い方で説明してくれた。これまでよりも確実に一皮向けていて、今までよりも深い会話ができるのがとても嬉しかった。僕は、新太郎との絆が一層強くなっていくのを感じていた。
ある朝、久しぶりの飲み会で今日は遅くなると新太郎に伝えると、"Please come back early and play with me.(早く帰ってきて僕と遊んでよ)"と言われた。僕は"I'll do my best.(最善を尽くす)"と言って家を出た。そして午前2時過ぎに家に戻った。当然家中真っ暗だ。僕はキッチンの電気を付けて、冷蔵庫から2リットルのお茶のペットボトルを出して勢いよくラッパ飲みをした。寝る前に1リットル以上の水ないしお茶を飲んで寝ればまず二日酔いにはならない。また彼女に「そこまでする必要があるほど飲むな」と言われるなと思いながらゴクゴクと食道にお茶を流し込む。確かに経済的にも効率的にもよくないと思う。でも愉快な仲間たちがいてそこに酒があったら飲んでしまうのは男の性ってやつだよな、そう思いながら楽しかった宴を振り返りつつキッチンからリビングに目を移した。ソファーの上で新太郎が寝ていた。
「マサ君が早く帰ってくるって言ったから待ってるって聞かずに、私が寝室に行ってもずっとひとりで待ってたんだよ」僕が帰ってきた音を聞いて、眠い目をこすりながら彼女が起きてきてそう言った。小さな体でひとりぼっちでママの言葉を押し切って、自分の意思で僕を待ち続けた新太郎。僕を待っている人が彼女以外にもう一人いるのだと、遅まきながら実感した春であった。(つづく)

※読者の方からの質問や応援メッセージ大歓迎です。コメントお待ちしております。
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英語の夢を見て、新太郎のバイリンガルとしての覚醒が始まったのか、この日を境に長い文章をしゃべるようになった。 翌日、僕が仕事から帰ると、晩御飯のときに彼女とケンカしたらしく、"I'm eating rice but I said I don't wanna eat and Mom got angry.(僕がご飯を食べていて、ご飯をいらないと言ったらママが怒ったの)"と助けを求めてきた。その数日後には、チェリーパイのおもちゃを胸に当てて、"This cherry pie is Julia's tittie.(このチェリーパイはユリアのおっぱいだ)"と言ってヘヘヘと笑った。一応ハッキリと断っておくが、この発想は僕が教えたものではない。それならDNAがそうさせているのかと言われれば、それは否定できないのもまた事実である。
更に数日後、水族館で買った魚の図鑑を一緒に読んでいたら、"If shark eat Daddy, Daddy will cry.(もしサメがダディを食べたら、ダディは泣いちゃうよね)"と初めて"IF"を使った。僕はサメに食われる前に、新太郎の目覚しい成長に涙ぐんでしまいそうだった。その後も図鑑を一緒に読んでいたら"Red sad fish."とある魚を指して言っているのだが、僕は"sad"が聞き取れなかった。"Sorry, I don't know what you're trying to say.(ごめん、何を言おうとしているかわからない)"と言うと、"Worried fish.(心配そうな魚)"と違う言い方で説明してくれた。これまでよりも確実に一皮向けていて、今までよりも深い会話ができるのがとても嬉しかった。僕は、新太郎との絆が一層強くなっていくのを感じていた。
ある朝、久しぶりの飲み会で今日は遅くなると新太郎に伝えると、"Please come back early and play with me.(早く帰ってきて僕と遊んでよ)"と言われた。僕は"I'll do my best.(最善を尽くす)"と言って家を出た。そして午前2時過ぎに家に戻った。当然家中真っ暗だ。僕はキッチンの電気を付けて、冷蔵庫から2リットルのお茶のペットボトルを出して勢いよくラッパ飲みをした。寝る前に1リットル以上の水ないしお茶を飲んで寝ればまず二日酔いにはならない。また彼女に「そこまでする必要があるほど飲むな」と言われるなと思いながらゴクゴクと食道にお茶を流し込む。確かに経済的にも効率的にもよくないと思う。でも愉快な仲間たちがいてそこに酒があったら飲んでしまうのは男の性ってやつだよな、そう思いながら楽しかった宴を振り返りつつキッチンからリビングに目を移した。ソファーの上で新太郎が寝ていた。
「マサ君が早く帰ってくるって言ったから待ってるって聞かずに、私が寝室に行ってもずっとひとりで待ってたんだよ」僕が帰ってきた音を聞いて、眠い目をこすりながら彼女が起きてきてそう言った。小さな体でひとりぼっちでママの言葉を押し切って、自分の意思で僕を待ち続けた新太郎。僕を待っている人が彼女以外にもう一人いるのだと、遅まきながら実感した春であった。(つづく)

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更新日: 2010/08/15
英語子育てには『3歳の壁』というものがあるらしい。
「ずっと英語教育をしていたけど、3歳くらいになって自我がでてきて、英語を話すことを拒否して話さなくなった」「3歳以降にそのまま英語を話し続ける子を見たことが無い」 etc...
僕が英語で子育てをしていると言うと、人生の先輩達は皆口を揃えてそう言った。「3歳の壁は大きいぞ」と。
新太郎は2歳8ヵ月になった。順調に英語力はアップしている。それからという意味で、"also"を使い、回りこむのを"go around this way"と言った。英語だけでなく、精神的にも成長が見られた。由莉杏がまだ小さいので、僕と新太郎は二人だけで、僕の実家のある浜松に泊まりで遊びに行った。ママのいない初めての遠出だったが、一度も泣くことなくいい子にしていた。叔父と叔母に連れて行ってもらった釣堀では、叔父と一緒に竿を持って釣りをして、"Black fish is fast but red and white fish is not fast so I caught only black fish(黒い魚は速いけど赤と白の魚は速くないから黒い魚だけ捕まえた)"と説明してくれた。紅白の魚は慎重でエサになかなか食いつかないのだが、黒いのはなにも警戒せずにエサに食いつくのでよく釣れた。それにしても随分長い文章をしゃべれるようになったものだ。英語はまったくわからない婆ちゃんも、「わたしゃちっともわからないけど、英語ができればこれからの時代はいいねえ」と目を細めていた。

新太郎は、2歳8ヵ月のくせに女心もよくご存知のようで、朝から僕が彼女とくだらないことでケンカして、そのことを新太郎と二人で朝の散歩中に話したら、"Buy flowers for Mamma(ママにお花を買えばいいよ)"とアドバイスをしてくれた。僕は生まれて初めて彼女に花を買って帰り、彼女はあまりに珍しいことが起こったのでケンカしているのを忘れてしまい仲直りができた。"See Daddy.(ほらねパパ)"と新太郎が自慢げに笑った。
色々な面で成長している新太郎だったが、ある日僕に突然日本語で話しかけてきた。「パパ、遊ぼうよぉ」と言うのだ。これまで僕に日本語を話しかけてきたことは一度も無かったので、驚いて一瞬どうしようか迷ったが、英語で"Why are you speaking Japanese?(なんで日本語で話してるの?)"と聞いた。新太郎は僕の英語にはなんの反応も見せずに日本語を話し続けている。結局、その日新太郎は一日中英語を話すことはなかった。
新太郎が寝た後で彼女と相談した。英語が不自由なく話せるようになるのは新太郎の将来に大きなプラスになるのは間違いないが、そのために新太郎を精神的に苦しめるのは良くないという結論を出した。翌日、英語を話せるようになるメリットと、僕たちの思いを伝えて、あとは新太郎の判断に任せることになった。
そして翌日、目が覚めて新太郎の言葉のことを思い出して少し緊張した面持でリビングに向かうと、"Good moroning!"と英語で新太郎が話しかけてきた。昨日のことが無かったかのように元気な新太郎の笑顔がそこにあった。僕は、新太郎になぜ昨日僕に日本語で話しかけたのかを聞いてみた。"Because I wanted(だって話したかったから)."新太郎はそう言って口を尖らせた。
「新太郎も知ってると思うけど、パパは日本人で、英語より日本語の方が本当は上手に話せる。でもパパは新太郎が生まれてからずっと英語で話しかけてきた。なぜかって言うと、英語は世界で一番多くの国で話されている言葉で、英語ができると色んな国の人たちと友達になれるんだ。パパにはイタリア人やスペイン人、オーストラリア人とか色んな国の友達がいるよね。もしパパが英語ができなかったら、何を言っているかわからないから友達になれなかったかも知れない。パパもママも新太郎には、世界中のみんなと仲良くなって欲しいんだ。だからこれからもパパは英語で話しかけるし、キミも英語で答えて欲しい。将来キミが 18歳とかになって、日本語で話したければ話せばいいけど、今は英語で話したいんだ」僕は思いのたけを素直に新太郎に伝えた。
この日以降も新太郎は時々僕に日本語で話しかけてきた。「そうだよねーパパ?」と聞いてきたりしたら、「アーソウデスネエ」とカタコトの外国人風に日本語で答えることもあれば、"Speak English please.(英語で話してよ)"と言うときもある。その都度新太郎の心に負担をかけないように英語を押し付けるのではなく、自然に英語を話すように促した。逆に僕からカタコトの日本語で、「スミマセンガ、シンタロサンデスカ?」などと話しかけたりすると、"You're such a joker Daddy.(パパは本当に面白いなあ)"と笑ってくれた。
新太郎が4歳を過ぎた今振り返ると、確かに自我がでてきて、英語を話す自分に対して疑問を持った時期だったと思う。でもわが家では、新太郎に英語を押し付ける事なく、楽しく遊ぶ中に英語を取り入れてきたし、英語を話せると世界中の人と友達になれるとかメリットを話すことによって、その時期を乗り越えることができた。あの時、新太郎にじっくりと話をせずに「とにかく英語を話せ」という態度を取っていたら、きっと今頃英語が嫌いになってしまっていただろう。
『3歳の壁』、それは子どもに英語を習得して欲しいという親心から、英語を一生懸命「教えて」しまい、子どもにプレッシャーを与えてしまった親たちと、なぜ英語子育てをしているのか、その理由が自分でもハッキリせずに、子どもに説明できなかった親たちがぶつかる壁なのかも知れない。
「英語が話せて世界中の人たちと友達になれたら楽しいぜ」僕はこれからも胸を張ってそう子どもたちに言い続けるつもりだ。(つづく)

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僕が英語で子育てをしていると言うと、人生の先輩達は皆口を揃えてそう言った。「3歳の壁は大きいぞ」と。
新太郎は2歳8ヵ月になった。順調に英語力はアップしている。それからという意味で、"also"を使い、回りこむのを"go around this way"と言った。英語だけでなく、精神的にも成長が見られた。由莉杏がまだ小さいので、僕と新太郎は二人だけで、僕の実家のある浜松に泊まりで遊びに行った。ママのいない初めての遠出だったが、一度も泣くことなくいい子にしていた。叔父と叔母に連れて行ってもらった釣堀では、叔父と一緒に竿を持って釣りをして、"Black fish is fast but red and white fish is not fast so I caught only black fish(黒い魚は速いけど赤と白の魚は速くないから黒い魚だけ捕まえた)"と説明してくれた。紅白の魚は慎重でエサになかなか食いつかないのだが、黒いのはなにも警戒せずにエサに食いつくのでよく釣れた。それにしても随分長い文章をしゃべれるようになったものだ。英語はまったくわからない婆ちゃんも、「わたしゃちっともわからないけど、英語ができればこれからの時代はいいねえ」と目を細めていた。

新太郎は、2歳8ヵ月のくせに女心もよくご存知のようで、朝から僕が彼女とくだらないことでケンカして、そのことを新太郎と二人で朝の散歩中に話したら、"Buy flowers for Mamma(ママにお花を買えばいいよ)"とアドバイスをしてくれた。僕は生まれて初めて彼女に花を買って帰り、彼女はあまりに珍しいことが起こったのでケンカしているのを忘れてしまい仲直りができた。"See Daddy.(ほらねパパ)"と新太郎が自慢げに笑った。
色々な面で成長している新太郎だったが、ある日僕に突然日本語で話しかけてきた。「パパ、遊ぼうよぉ」と言うのだ。これまで僕に日本語を話しかけてきたことは一度も無かったので、驚いて一瞬どうしようか迷ったが、英語で"Why are you speaking Japanese?(なんで日本語で話してるの?)"と聞いた。新太郎は僕の英語にはなんの反応も見せずに日本語を話し続けている。結局、その日新太郎は一日中英語を話すことはなかった。
新太郎が寝た後で彼女と相談した。英語が不自由なく話せるようになるのは新太郎の将来に大きなプラスになるのは間違いないが、そのために新太郎を精神的に苦しめるのは良くないという結論を出した。翌日、英語を話せるようになるメリットと、僕たちの思いを伝えて、あとは新太郎の判断に任せることになった。
そして翌日、目が覚めて新太郎の言葉のことを思い出して少し緊張した面持でリビングに向かうと、"Good moroning!"と英語で新太郎が話しかけてきた。昨日のことが無かったかのように元気な新太郎の笑顔がそこにあった。僕は、新太郎になぜ昨日僕に日本語で話しかけたのかを聞いてみた。"Because I wanted(だって話したかったから)."新太郎はそう言って口を尖らせた。
「新太郎も知ってると思うけど、パパは日本人で、英語より日本語の方が本当は上手に話せる。でもパパは新太郎が生まれてからずっと英語で話しかけてきた。なぜかって言うと、英語は世界で一番多くの国で話されている言葉で、英語ができると色んな国の人たちと友達になれるんだ。パパにはイタリア人やスペイン人、オーストラリア人とか色んな国の友達がいるよね。もしパパが英語ができなかったら、何を言っているかわからないから友達になれなかったかも知れない。パパもママも新太郎には、世界中のみんなと仲良くなって欲しいんだ。だからこれからもパパは英語で話しかけるし、キミも英語で答えて欲しい。将来キミが 18歳とかになって、日本語で話したければ話せばいいけど、今は英語で話したいんだ」僕は思いのたけを素直に新太郎に伝えた。
この日以降も新太郎は時々僕に日本語で話しかけてきた。「そうだよねーパパ?」と聞いてきたりしたら、「アーソウデスネエ」とカタコトの外国人風に日本語で答えることもあれば、"Speak English please.(英語で話してよ)"と言うときもある。その都度新太郎の心に負担をかけないように英語を押し付けるのではなく、自然に英語を話すように促した。逆に僕からカタコトの日本語で、「スミマセンガ、シンタロサンデスカ?」などと話しかけたりすると、"You're such a joker Daddy.(パパは本当に面白いなあ)"と笑ってくれた。
新太郎が4歳を過ぎた今振り返ると、確かに自我がでてきて、英語を話す自分に対して疑問を持った時期だったと思う。でもわが家では、新太郎に英語を押し付ける事なく、楽しく遊ぶ中に英語を取り入れてきたし、英語を話せると世界中の人と友達になれるとかメリットを話すことによって、その時期を乗り越えることができた。あの時、新太郎にじっくりと話をせずに「とにかく英語を話せ」という態度を取っていたら、きっと今頃英語が嫌いになってしまっていただろう。
『3歳の壁』、それは子どもに英語を習得して欲しいという親心から、英語を一生懸命「教えて」しまい、子どもにプレッシャーを与えてしまった親たちと、なぜ英語子育てをしているのか、その理由が自分でもハッキリせずに、子どもに説明できなかった親たちがぶつかる壁なのかも知れない。
「英語が話せて世界中の人たちと友達になれたら楽しいぜ」僕はこれからも胸を張ってそう子どもたちに言い続けるつもりだ。(つづく)

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更新日: 2010/08/06
親父がこの世を去って6日後、年が明けて2009年になった。この正月は広島の彼女の実家で迎えた。正月休みが終れば、家族四人で東京に帰ることができる。このタイミングで家族がまた一緒に住めるのはありがたい。覚悟していたこととは言え、親父の死は僕の心に大きな穴を開けていた。
新太郎には、じいじが死んで星になったと伝えた。彼にとって身近な人の死は初めてのことなので、どこまでわかっているかわからないが、"Ji-Ji died and became a twinkle star"と何度も言った。
二ヵ月半の間、広島で僕がいない環境で過ごした新太郎だったが、週1回の英会話教室に加えて、毎日英語のDVDを自主的に観たり、英語をしゃべりながら一人遊びをしたりしていたので、英語力はまったく落ちなかった。それどころかアルファベットの大文字と数字の1から10を全部覚えていて驚いた。アルファベットは、ウレタンでできたアルファベットのパズルを、おばあちゃんに何度も「これ何?」と聞いて覚えたらしい。更に日本語でしゃべる時に語尾に「けん」と付けていた。広島弁も習得しそうな勢いである。
ゆっくりと正月を過ごした僕らは1月3日に東京へ戻った。中野のアパートに帰って荷物を置き、休みたいところを我慢してすぐにスーパーマーケットへと向かった。今夜はお客さんが来ることになっている。広島で新太郎が通った英会話教室の先生のキミコとその友達のステーシーだ。年末に広島に行った時に、お礼の挨拶をしに教室に行ってキミコに会った。キミコは、どうすれば日本にいながらにしてこんなに喋れるようになるのか教えて欲しいと、新太郎の英語を褒めてくれた。そして新太郎がとても人懐っこいので別れるのが寂しいと言った。それを聞いた僕が、「もし東京に来る時は是非遊びに来てください」と言ったら、「本当!お正月は東京に友達と行くことになってるの」と言うので、「じゃあうちで手巻き寿司パーティーでもしよう」となったのだ。こういう僕のフットワークの軽さは、子どもたちにも受け継いで欲しい。ハードなスケジュールで疲れるときもあるけど、それ以上に大切なモノが得られると思う。
キミコは日系アメリカ人だが、日本語は本当に簡単な言葉しかわからない。しかもほとんどが日本に来てから覚えたという。日本に来た理由は自分のルーツである国を見てみたかったから。日本で2年間子ども英会話の先生をしているが、新太郎は衝撃的だったと話してくれた。こんなに生き生きと英語を話す子には会ったことがなかったそうだ。ステーシーも他の教室で英語を子どもに教えているのだが、同じように新太郎の言葉に気持ちがこもっていることにとても驚いて、その要因を知りたがった。僕はこれまでにそんなことは考えたことが無かったので、即答できずにしばらく考えた。そして一つの仮説が出てきた。
"When you think you're teaching, children will stop learning.(あなたが教えていると意識したら、子どもは学ばなくなる)
僕にとって子どもを育てるのは初めてのことで、更にそれを英語でやっているので、毎回教えるというよりは、一緒に成長していこうという気持ちが強い。それが新太郎にとっては、僕が一緒に遊んでいるように感じて、英語を楽しく自然に吸収しているのではないかと思う、と僕は言った。キミコ達は「それはそうかも知れない。私達はどうしてもプラン通りに授業を終らせるのが最優先になってしまい、時として強引に進めざるおえないときがある」と言った。誤解の無いように言っておくが、キミコもステーシーも生徒たちが英語を話せるようになるように日々努力している熱心な先生だ。その二人にとっても限られた時間と決められた授業の流れの中では難しいということは、その辺りが英語教室の限界であるように思う。日本の子どもたちが生き生きと英語を話せるようになる為には、家庭で何かしらしないと難しいと考えるようになったのはこの頃のことだ。
僕がそんなことを考えている間、新太郎はキミコとステーシーと、彼女が構えるカメラの前で楽しそうにおどけている。その表情を見て、これまでしてきた子育ては間違ってなかったと確信した。(つづく)


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新太郎には、じいじが死んで星になったと伝えた。彼にとって身近な人の死は初めてのことなので、どこまでわかっているかわからないが、"Ji-Ji died and became a twinkle star"と何度も言った。
二ヵ月半の間、広島で僕がいない環境で過ごした新太郎だったが、週1回の英会話教室に加えて、毎日英語のDVDを自主的に観たり、英語をしゃべりながら一人遊びをしたりしていたので、英語力はまったく落ちなかった。それどころかアルファベットの大文字と数字の1から10を全部覚えていて驚いた。アルファベットは、ウレタンでできたアルファベットのパズルを、おばあちゃんに何度も「これ何?」と聞いて覚えたらしい。更に日本語でしゃべる時に語尾に「けん」と付けていた。広島弁も習得しそうな勢いである。
ゆっくりと正月を過ごした僕らは1月3日に東京へ戻った。中野のアパートに帰って荷物を置き、休みたいところを我慢してすぐにスーパーマーケットへと向かった。今夜はお客さんが来ることになっている。広島で新太郎が通った英会話教室の先生のキミコとその友達のステーシーだ。年末に広島に行った時に、お礼の挨拶をしに教室に行ってキミコに会った。キミコは、どうすれば日本にいながらにしてこんなに喋れるようになるのか教えて欲しいと、新太郎の英語を褒めてくれた。そして新太郎がとても人懐っこいので別れるのが寂しいと言った。それを聞いた僕が、「もし東京に来る時は是非遊びに来てください」と言ったら、「本当!お正月は東京に友達と行くことになってるの」と言うので、「じゃあうちで手巻き寿司パーティーでもしよう」となったのだ。こういう僕のフットワークの軽さは、子どもたちにも受け継いで欲しい。ハードなスケジュールで疲れるときもあるけど、それ以上に大切なモノが得られると思う。
キミコは日系アメリカ人だが、日本語は本当に簡単な言葉しかわからない。しかもほとんどが日本に来てから覚えたという。日本に来た理由は自分のルーツである国を見てみたかったから。日本で2年間子ども英会話の先生をしているが、新太郎は衝撃的だったと話してくれた。こんなに生き生きと英語を話す子には会ったことがなかったそうだ。ステーシーも他の教室で英語を子どもに教えているのだが、同じように新太郎の言葉に気持ちがこもっていることにとても驚いて、その要因を知りたがった。僕はこれまでにそんなことは考えたことが無かったので、即答できずにしばらく考えた。そして一つの仮説が出てきた。
"When you think you're teaching, children will stop learning.(あなたが教えていると意識したら、子どもは学ばなくなる)
僕にとって子どもを育てるのは初めてのことで、更にそれを英語でやっているので、毎回教えるというよりは、一緒に成長していこうという気持ちが強い。それが新太郎にとっては、僕が一緒に遊んでいるように感じて、英語を楽しく自然に吸収しているのではないかと思う、と僕は言った。キミコ達は「それはそうかも知れない。私達はどうしてもプラン通りに授業を終らせるのが最優先になってしまい、時として強引に進めざるおえないときがある」と言った。誤解の無いように言っておくが、キミコもステーシーも生徒たちが英語を話せるようになるように日々努力している熱心な先生だ。その二人にとっても限られた時間と決められた授業の流れの中では難しいということは、その辺りが英語教室の限界であるように思う。日本の子どもたちが生き生きと英語を話せるようになる為には、家庭で何かしらしないと難しいと考えるようになったのはこの頃のことだ。
僕がそんなことを考えている間、新太郎はキミコとステーシーと、彼女が構えるカメラの前で楽しそうにおどけている。その表情を見て、これまでしてきた子育ては間違ってなかったと確信した。(つづく)


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