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小説版バイリンガル子育て 第6話 『答えはお風呂場にあったのだ』

 絵本の読み聞かせを始めて半月余りが過ぎた。毎日やる事が決まっていると、それをこなすだけである種の達成感があるので、精神的には少し楽になった。それでも新太郎はまだ生後4ヶ月。時折笑ったりもするが、ハッキリとした気持ちのキャッチボールはまだできない。絵本をめくりながら、新太郎もきっと楽しんでいると信じて、一緒に自分も楽しむ努力をしている。それはまるで、学校の校庭にある大きな壁当て用のコンクリートの壁に向かって、ひたすらボールを蹴って、跳ね返ったボールを味方からのパスをイメージしたり、敵のシュートをイメージしたりして練習をするような孤独との戦いだ。ただの壁だと思ってしまうと途端に練習の効果が落ちてしまう。「俺の気持ちよ、届いてくれ!」そう祈りながらひたすらページをめくっていた。

 しばらくすると、本を読み聞かせている間の新太郎の様子が少し変わってきた。わずかではあるが目でページを追っているような気がした。そこで僕は小さなゴムボールを手に持って、それを新太郎の目の前でゆっくり動かしてみた。やはり目で追っている。今度はそれを上下に動かして、新太郎のお腹の上でバウンドさせた。「ウキャ」新太郎が笑った。僕はボールが跳ねる瞬間に"bouncing(バウンシング/跳ねている)"と言いながら何度も、ボールを上下に動かした。お腹の上、おでこ、顔のすぐ横の床、胸、大の字に寝て広げている手のひら、とにかく感覚がありそうな所や、目が動きそうな所をバウンドさせてみた。新太郎はとても楽しそうにしている。こうしてゴムボール遊びも日課に加わった。

 まだ動くことができずに寝ているだけの新太郎にとって、何か動いているものを見る事はとても楽しそうだった。そして体の上にボールをバウンドさせたりする事によって、自分の体の感覚も持ち始めてきているみたいだ。ボールを目で追って、それが体に触れて、そこで耳に"bouncing"という音が入る。まだ母乳以外飲んでいない今の状態では味覚、嗅覚は発達していないので、『視覚+触覚+聴覚』の三点セットが一番学習に効果がありそうだ。僕はそれを踏まえた最高に良いアイデアを思いついた。そう、答えはお風呂場にあったのだ。

 僕は毎日、新太郎を風呂に入れている。まだ首がやっと座ってきたばかりなので、僕が床に足を伸ばして座って、膝の上に新太郎を乗せて洗っている。そこで、新太郎の体を洗う時に、体の部位の名前を言っていけば覚えるのでは無いかと思ったのだ。"neck(ネック/首)""back(バック/背中)""left arm(レフトアーム/左腕)""right arm(ライトアーム/右腕)"と全ての部位の名称を洗いながら言っていく。一度では足りないので"Neck,Neck,Neck,Neck,Neck"と洗いながら言い続けた。そして次の部位に移る時には、"Next,Let me wash your back.(ネクスト、レッミーウォッシュアバック/次は背中を洗おうね)"などとつなぎの言葉を挟んだ。これも日々の日課に付け加えた。

 そして、あっという間に月日は経って、新太郎は生後8ヶ月になった。絵本の読み聞かせ、ボールやおもちゃを使った遊び、お風呂、それに挨拶。最初は大変だったが、やり始めると慣れてくるので、今では歯磨きの回数がちょっと増えた程度の負担になっていた。新太郎は座れるようになり、ハイハイも覚えた。アーとかウーとかは時々言うけど、まだ意思を伝えたりはできない。この4ヶ月間、色々としてきたけど、それなりに成果が出てきた。お風呂でシャンプーを流す時に、膝の上に寝かせて、片側からシャワーで流す。そのあとに、"Turn your face to other way(ターンユアフェイストゥアザーウェイ/顔を逆に向けて)"と言うと、確実に向ける。おへそが大好きで、"Where is your belly button?(ホェアイズユアベリーボタン/キミのおへそはどこかな?)"と言って探そうとするとケラケラ笑う。言葉が少しずつ通じるようになってきているのを実感した。

 しかし、一つ問題も出てきた。自由に体を動かせるようになったので、絵本を読まなくなった。読んでいると、絵本を手に持ってめくって遊んで破いてしまうのだ。今は手で何かをする事が一番面白いのだろうと思い、読書をするのはしばらく止める事にした。子供の成長は日進月歩。親もそれに合わせて柔軟に対応しなければいけない。それでも4ヶ月前のひたすら壁当てをするような状態と比べれば、反応があるので遥かに楽しい。最初の山を越えた気がした。(つづく)



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【動画付き】ネイティブスピーカーと英語で討論する3歳2ヶ月幼児

解説:半年前の映像です。僕のアイルランド人の友達が遊びに来て、シンタロウの英語が通じるのかなと思ったらバッチリでした。宇宙人の話になって、シンタロウが辞書で調べると言って子供用の英英辞典で調べたのですが、Aのところを見てもエイリアンは載っていませんでした。なので、次のBじゃないかと言い出したところから撮影しました。

シンタロウ:B maybe I think, maybe. Bじゃないかと思うんだけど、多分。
友達:Alien? エイリアンが?
シンタロウ:Yes. うん。
友達:A. Aだよ。
シンタロウ:Because no "Alian" on the A so... だってAにはエイリアン無かったじゃん。
友達:But that's the A I know. でも僕はAだって知ってるから。
父:So there are no alien in the dictionary. この辞書にエイリアンは載ってなかったんだよ。
友達:It means some one who lives on the planet like Mars or. 意味は火星とかに住んでいる人の事とか...
シンタロウ:But if you... it was different to if alien was starting from H, "Alien". でももしさ...違ったら... もしエイリアンがHから始めるならエイリアンでしょ?
友達:But start with A. でもAからなんだよ。
父:Hahahahahaha. ハハハハハ。
シンタロウ:Alien is A but H is Alien. エイリアンはAだけど、Hだってエイリアンだよ。
父:H? Ah same "e"? Shintaro thinks H is for Alien. H? あー同じ"エ"って事か。だからシンタロウはHでもエイリアンじゃないかって言ってるんだよ。
友達:A is for Alien. A. エイリアンはAなの、A。
シンタロウ:if then H and A same "e". No? もしさ、じゃあ、HとAは同じ"エ"でしょ。違う?
友達:A. Aだってば。
シンタロウ:If you... if you... if you... if you... if you... Daddy. If you but corn was starting from D, it's "Dcorn". でもさ、でもさ...でもさ...でもさ...でもパパ、コーンがDから始まるなら"ディコーン"だよね。
父:Hahahahahaha. ハハハハハ。



Bは流れで言っただけですが、その後に考えて、Hはエイチなので、エイリアンの「エイ」と同じだと思ったという発想と、それを臆することなくネイティブスピーカーにぶつけるシンタロウに感動しました。

AとHは同じ"エ"だと説明したのもすごいし、最後のコーンにDをつければディコーンになるから、Hを付けてエイリアンもありなんじゃないかというアイデアも面白いと思いました。正しくは無いですが説得力のある意見だと思います。現在はもちろんこの映像よりもよくしゃべりますが、ネイティブスピーカーと話すと、そのレベルに合わせて会話をしようとするので、普段は言わないような事も言います。この頃は撮影すると意識して話さなくなってしまうので、なかなか難しいですが、また映像が撮れたら紹介します。


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小説版バイリンガル子育て 第5話 『バイリンガル子育てのドア』

 トントントントン、台所では親父が包丁を手に張り切っていた。この日で新太郎が生まれてから100日が過ぎ、お食い初めの儀式をする為に親父が腕を振るってくれている。親父は板前で料理の腕は最高なのだが、酒好きと短気がたたってなかなか一つの職場に長く勤められない職人気質の男だ。そしてもう5年以上まともに働いていない。 今思えばそれもアルコール依存症のせいだったのかも知れない。結局、親父は最後まで職場復帰する事は無かった。でも本当に腕は確かだったのだ。新太郎が生まれる直前の四月の僕の誕生日、親父が僕に何か欲しい物はあるかと聞いてきた。僕は親父にもっと前向きに生きて欲しかったので、僕が子供の頃に親父が働いていた和食の料亭に飾ってあった、親父が芋を包丁で削って作った鯉を作って欲しいと頼んだ。親父は1時間ちょっとでジャガイモの鯉とカボチャの亀を作った、それも色付きで。



 腕が落ちていない事を自覚した親父だったが、だからと言って働き始める訳でも無く、毎日朝から酔っ払ってパチンコ三昧の日々を過ごしていた。僕は、子供が生まれて100日経った時にするお食い初めという儀式の事を知って、親父に人肌脱いでくれないかと頼んだ。お食い初めとは、一生食べるのに困らないよう願いを込めて、赤ちゃんに食べさせる真似をする儀式で、鯛の尾頭付き、煮物、なま酢、お吸い物、赤飯などを用意する。親父は、真似事とは言え、新太郎が生まれて初めて口にする母乳以外の食事が自分の手料理になる事を喜んで、心を込めて作ってくれた。新太郎は食べ物を口につけると、本当に食べられると思ったのかキャッキャと喜んだ。それを見て笑っている親父はとても幸せそうだった。僕がやり直したかった家族ってやつはこういう事な気がした。

 お食い初めも無事終わり、日々すくすくと成長している新太郎だが、バイリンガル子育ては難航していた。まだ何も言葉を言わず、寝ているだけの新太郎に話しかける事はかなり限定されていて、それ以外にどうして良いかわからないのだ。誰かしら先人がいるだろうと本を探してみたのだが、英語圏に住んでいる人達の話がほとんどだった。唯一見つけた日本人夫婦による日本での英語子育ての本にしても、フレーズが並べてあるだけで、どう始めて良いのかは書かれていなかった。なんとなく自分の頭の中にはイメージがあるのだけど、どうすれば体現できるのか、バイリンガル子育てという家はあるが入口が無い状態である。どうすれば家の中に入れるのかと考える。とにかくドアを作るしか無い。

 夜な夜なネットサーフィンをして色々な情報を集めた結果、『オックスフォード・リーディング・ツリー』というイギリスで小学校の教科書にも使われている本のセットを買う事にした。数日後、商品が届いたので早速中を開けてみた。4歳のキッパーとその家族を中心とした物語で、実際に生活で使う表現を多く取り入れてあり、楽しみながら英語での生活を学ぶことができそうだ。僕は新太郎の横に寝転んで、天井に本を掲げるようにして本を広げてみせた。とりあえず、本の中の犬や主人公のキッパーを指差して、"This is a dog"とか、"He is Kipper"とか言ってみると、一応指を指しているモノを見ているようだ。寝返りができない新太郎にとっては、強制的に見せられている状態なのかも知れないが、これまでに見た事が無いモノが見れるのだから、きっと楽しんでいるだろう。

 こうして、毎日読書をする事が日課になった。本があると本について何かを言えば良いのでとてもやり易い。新太郎にしても生まれたばかりでほとんど何も知らない訳だから、口で言われるだけではわかる筈が無い。絵を見せて話す事によって、色々なモノを認識していくのだと気が付いた。例えば犬を指差して、新太郎が見ている時に、"This is a dog"と言う。それをずっと繰り返していくと、"This is a dog"は犬の事をしゃべっているのがわかる。次に猫を指差して"This is a cat"と言う。それをずっと繰り返していくと、"This is a cat"は猫の事を話しているのがわかる。そして、"This is a dog"と"This is a cat"では"This is a"が同じだと気が付く。そうすると二つの文で異なる部分である"Dog"は犬で、"Cat"は猫だと理解する。多分こんな感じで言葉を覚えていくのでは無いかと仮定した。これで僕がすべき事が見えてきた。映像と音を一緒に頭の中に刷り込んでいくという事だ。視覚と聴覚の両方を同時に刺激して、その瞬間に学ぶというシステムを新太郎の頭の中に作る事。不恰好かも知れないが、バイリンガル子育ての最初のドアはこうして作られた。(つづく)



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小説版バイリンガル子育て 第4話 『家庭内留学』

 家にいる時の会話の全てを英語にすると決めてから数日が過ぎた。慣れない毎日の中で僕も彼女も疲れ果て、新太郎が時折見せる笑顔だけが唯一の心の支えだった。

 それにしても彼女はよく英語での生活を決意したと思う。まだ僕らが結婚する前に、彼女から英語を本気で勉強したいと頼まれた事があった。そして僕は、3日間僕の家に泊まり込みで英語しかしゃべらないで過ごす『合宿』をしようと提案した。意気揚々と僕の家に乗り込んできた彼女だったが、次第に口数が少なくなり、初日の夜には泣きながら「もう勘弁して下さい」とギブアップ宣言をして『合宿』は終った。それから彼女が英語について語る事は無かった。当然彼女だってその事は覚えている筈なのに、これが母性というものなのか、この数日間は泣き言を言わずに過ごしている。

 僕の仕事は中古CD屋なのだが、数年前からバイトを雇わずに一人で店番をするようにしたので、基本的に仕事中はお客さんへの対応「いらっしゃいませ」「○○円になります」「○○円お預かりします」「○○円のお返しです」「ありがとうございました」だけしか口を開く事が無い。そして家に帰れば英語生活。15歳でメルボルンに渡り、ホームステイを始めたばかりの事を思い出した。毎日英語が飛び交う生活の中で、僕は疲れて随分早く寝ていたと思う。英語が全くしゃべれなかった当時と今では英語力は違うけど、当時は学校で日本人の生徒と日本語で会話をしていたので、生活の中で英語が占める割合は今の方が多い。

 彼女は彼女で、新太郎がまだ小さいので公園デビューもしていないし、時々出かけると言ってもスーパーに食材を買いに行く程度だった。日本語に触れられるのは、たまに友達が遊びに来る時、買い物に出かけた時、そしてテレビの中からだけだ。これが留学生であれば、ホストファミリーには"Hello""How are you?""Good thanks."と言って、自分の部屋に閉じこもって、インターネットをしたり、日本語のDVDを見れば良いのだが、もちろんそんな事では、新太郎が英語を耳にする機会が少ないので、努力して会話をしなければならない。この家庭内留学は普通の留学よりも遥かに厳しいのだ。

"I'm home(ただいま)"
「おかえり」
"I'm hungry. What's dinner today?(腹減った。晩御飯は何?)"
「今日はカレーだよ」
"That sounds yummy!(おお、いいね!)"

 この程度の会話はスムーズにできる。しかしその次のステップがとても難しい。例えば、「今度の火曜日は休みだから、俺はサッカーしに行くから、夜はチームメイトと飲みに行くんで晩御飯はいらない」と言うにしても、"Next Tuesday, I will have a day off. I will play soccer with friends and go out for drinking with them so I don't need dinner"と26語もかかる訳で、英語が全くわからない彼女からしたら、『<火曜日><サッカー><ディナー>を使って文章を作りなさい』というクイズをしているようなものなのである。そしてそれは僕にとっても問題で、彼女が「わかった」とシンプルに返事をしようものなら、本当にわかっているのかがわからないのである。したがって、彼女が僕に今の会話を理解しているよと証明する為には、「わかった。今度の火曜日サッカーで夜飲みに行くからご飯いらないのね」と言わないといけないのだ。つまり四六時中「さて問題です。この英文を日本語に訳しなさい」と問題を出され続けているのである。

 とは言っても、やはり毎回日本語訳を答え続けるのもしんどいので、時折彼女は「うん」で済ます事もあるし、僕もそれでよしとする事もある。そして勘違いで何も伝わっていない場合や、真逆に伝わっている場合は大ゲンカへと発展するのだ。ケンカになっても、新太郎が近くにいる限り僕は英語で怒るので、彼女も訳がわからず全く収拾がつかない。それを何度か繰り返しているうちに、勘違いがあった時には辞書を使ったり、筆談で説明をするようになった。このような怒涛の数日間を過ごして、バイリンガル育児の最初の土台のようなものができたのである。

 息子が3歳8ヶ月になった今でこそ、ここまで徹底しなくても子供をバイリンガルにできると言えるのだけど、この時はまだ手探り状態だったので必死だった。僕はともかく、たった半日の英語だけの生活で泣いていた彼女が、家庭内留学を実行し、現在もまだ留学し続けているのは「母は強し」としか言いようが無い。(つづく)




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小説版バイリンガル子育て 第3話 『血の十字架』

 新太郎が生まれて2ヵ月半が過ぎた。まだ首は座っていないけど元気に育っている。もちろん僕はずっと英語で話しかけている。とは言っても目もまだ見えていないみたいだし、音だって聞こえているのかわからないので、僕のしている事に意味があるかどうかはよくわからない。新太郎は、2,3時間に一度泣いておっぱいをせがんでいる。彼女は寝不足でやつれながらも、慣れない子育てを一生懸命にやっている。でも僕はまだ父親になりきれていなかった。

 彼女が新太郎を連れて病院から戻ってきて一週間くらいした頃だっただろうか、仕事から帰ると、彼女から突然一冊の書類を渡された。表紙には学資保険と書かれてある。
「何これ?」
「学資保険のパンフレット。この子の為にお金を貯めないと」彼女はそう言って学資保険の必要性を僕に説明した。彼女と出逢ってから6年間で初めてお金の話をした。僕は人生にはお金より大切な物がたくさんあると本気で思っているような男なので、子供が生まれた途端にお金の話を始めた彼女に戸惑いながらも、こう尋ねた。
「一般的に大学を出て一人前に育てるまでにいくらくらいかかるの?」
「知らない」彼女がそう即答した瞬間に、僕の中で何かが弾けた。
「お前さあ、いくら必要かも調べないでひたすら俺に金を貯めろって言ってるのかよ。ふざけんなよ。俺はお前らの生活費稼ぐ為だけに生きてるんじゃねえ」そう言って家を飛び出してしまった。

 怒りに任せて家を出たもののする事がない。コンビニで酒を買って近所の公園で飲む事にした。ビールを飲みながら友達に電話をかけてさっきの事を愚痴ると、「親になったからとにかく一人前になるまで子供を育てないとって思って一生懸命なんだろ。早く仲直りしろよ」と諭された。親友にそう言われると、それもそうだと思ったが、向こうから電話してきて「ろくに調べもせずに、ただお金を貯めろなんて言ってごめんなさい。お願いだから帰ってきて」と謝るまでは帰ったら示しがつかない。

 それから4時間後、僕はまだ公園にいた。時刻は深夜12時をまわり、公園には数名のホームレスが集まってきた。見かけない顔がベンチに座って酒を飲んでいるのが気に食わないのか、このベンチが彼のテリトリーなのか厳しい視線が僕に突き刺さる。僕は家に帰ることにした。

 家に帰ると、彼女が新太郎におっぱいをあげていた。「帰ってきたのに驚かないのか」と聞くと、「まさ君の家なんだから帰ってくるのは当たり前でしょ」と言われ、なんだか知らないが泣けてきて、新太郎と一緒に泣いた。

 そんな事があってから、僕は子供を一人前に育てる為にかかる費用を調べた。どう考えても僕の小遣いは四分の一か五分の一になりそうだ。だから世間の人達は発泡酒を飲んでいるんだと今更ながら理解した。そしてこれまでも払っていた家賃、電気ガス水道料金、食費に加えて、養育費も払うことを決めた。

 俺は父親なんだ、家族の為に金を払わなきゃいけないんだ、そう自分に言い聞かせながら過ごす日々が続いた。平気で買っていた3000円クラスのワインに別れを告げて600円の安ワインを飲んだ。1600円の高級めんたいこから、280円の安いものへ。毎週買っていたマンガ雑誌も立ち読みで済ますようにした。そして知らず知らずのうちに溜まっていたストレスが、最悪の形で出てしまった。

 友達と飲みに行った次の日。朝から彼女の様子が明らかにおかしい。どうかしたのかと尋ねると、夜中に新太郎が夜泣きをしてエンエン言っていると、僕が突然「うるせぇ。捨てて来い」と言ったらしいのだ。ショックだった。泥酔していたとは言え、自分の子供を捨てろと言ってしまったのだ。

 僕は28年前、父親に同じ事をされていた。僕が生まれたばかりの頃、酒を飲んで泥酔して帰った親父が泣いている僕を掴んで二階から捨てようとしたと、中学生の頃、親戚が集まって食事をした時に笑い話として聞いた。その時僕も一緒に「最低だなあ」と言って笑ったけれど、心の中では絶対にこんな風にはならないと誓ったのだった。その最低の行為をしてしまった。僕の体にはそういう血が流れているのだと認めざるを得なかった。

 頭の中では新太郎は僕の息子で、僕は父親だとわかっていた。そして、愛したいと強く思っていた。でも心の奥底ではまだ本当に愛してはいなかったのだろう。彼女はこの事は一生忘れないと言った。僕は一生この血の十字架を背負って生きていかなければならないのだ。どうすれば息子をもっと愛せるのだろうか?悩みに悩んでたどり着いた答えは「覚悟が足りない」という事だった。子供の未来の為に、英語で話しかけると言っても、結局そぶりだけだったのだ。頑張って父親をしているという姿を自分にも周りにも見せたかっただけなのだ。

 僕は彼女に相談して、家では彼女に対しても英語を使うと決めた。彼女は英語はわかならいので彼女は日本語を話す。彼女ももちろん苦労するだろう。それでも彼女は「うん」と言ってくれた。英語圏の人間では無い僕達が英語だけで生活するのはかなりのストレスだと思う。だけど新太郎がある程度大きくなって、なぜ自分が英語を自然に話せるか考えた時に、両親に愛されていたからだと感じてくれたら良いと思った。

 一番最初につまづいちゃったけど、これからたくさん愛するから許して欲しい。ベビーベッドの中にいる新太郎を覗き込んだ。新太郎が初めて笑ってくれた。(つづく)




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メルボルンの高校の新聞に載りました

先週、母校のブライトングラマースクールから季刊の学校新聞が送られてきて、去年の11月29日にブライトングラマーの教会でさせてもらった結婚式の事が取り上げられていました。 こうして僕がそこにいた証が残せるのは嬉しいです。

 

今回の学校の対応はとても素晴らしくて、卒業生にここまでしてくれるのかというくらい親切に対応してくれました。金銭的にも結婚式の費用は実費だけでやってくれて、披露宴で学校内のホールを使うのは無償で許可してもらいました。協力してくれた全ての人達に感謝します。

留学の時の学校選びってなかなか難しいと思いますが、ブライトングラマーはおススメです。唯一の欠点は男子校だというくらいですね(笑) 僕は最初ブライトングラマーかウェズレーかどちらかに行く予定で、メルボルンに住んでいる伯母に「どうする?」と聞かれて、ウェズレーの紫の制服が着たくなくて、ブライトングラマーを選びました。そしてブライトングラマーに通った初日、英語が全くわからない中で一日をやり過ごすのに夢中で気がつかなかったけど、そういえば女子を見なかったなと思い、翌日、日本人の生徒に「女子ってどこにいるの?」と聞いたら、「あん?お前ここ男子校だよ」と言われました。

金髪のオージーガール達とのスクールライフの夢が脆くも崩れ去った瞬間でした。


写真:18歳の僕。ブライトングラマーにて。わ、若い…


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小説版バイリンガル子育て 第2話 『お前が二十歳になったら』

 息子が生まれてから一週間が過ぎ、彼女が息子を連れて家に戻ってきた。息子の名前は新太郎に決めた。最初はジョージとか英語圏にもある音にしようかとも思ったのだが、逆に日本的な名前の方が外国人の印象に残る気がしたので、古風な日本の名前を検討していたところ、親父が「勝新の座頭市はカッコよかったから新太郎はどうだ?」と言ってきた。理由には納得できないものの、一応字画を調べたらこれまでの候補の中で一番良い結果が出てしまった。
「高橋家の新しい世代の一番最初の子だから、新しい太郎でいいじゃないか」更に、さっきまで勝新がどうたら言っていた親父が、もっともらしい理由を付け加えた。そう言われるとなんとなく良い名前な気がしてきた。彼女も気に入ったので新太郎に決定した。

 新太郎に英語で話しかけるかどうか、あの日「Nice to meet you. I'm your Daddy」と新太郎に話しかけるまで決めていなかった。せっかく僕が英語が話せるのだから、もし自然に英語を身に付けられれば、僕が英語を学ぶ為に日本を旅立った十五歳の頃には、新太郎は日本語と英語を話すことができていて、三ヶ国語目を学ぶ為に留学できるのでは無いか、英語の勉強に使う筈の時間を、スポーツや読書に使えるのでは無いかと、良い面はたくさん思い浮かんだ。

 しかし、やるからには徹底してやらないといけない。僕がこれまでに出会った人達の中には、英語も日本語もネイティブスピーカーと比べると7,8割程度話せるのだけど、どっちつかずで、自分のアイデンティティをどちらに見出せば良いのかわからず、もがいている人もいた。二ヶ国語を教えるにしても、どちらか1つは完璧に使いこなせるレベルにしないといけない。僕ら夫婦は日本人だし、住んでいるところも日本なので、当然日本語が軸になる。そして英語を教える事ができるのは僕だけだ。つまり僕がどこまでやるかによって、子供の英語力が変ってくるという事だ。そして僕は、もしやるのなら、子供が英語を完全に身に付ける二十歳までは英語しか話さないでいようと決めた。僕が日本語と英語どちらも使ったら混乱すると思ったからだ。でも二十歳の誕生日に初めて日本語で会話をしたら、きっと照れくさいだろうな。

 やった方が子供の未来の可能性が広がるのはわかっている。でも英語で話し続けるのはかなりの覚悟が必要だ。「パパ一緒に遊ぼうよ」「おういいよ。何しよっか」「パパみたいな大人になりたいなあ」「ハハハ、よく食べてよく寝てよく運動しないと、パパみたいにはなれないぞ」これまでに頭に思い浮かべていた、日本語での親子のやり取りは全て捨てなければいけない。

 結局、どうするべきか決める事ができず、生まれた子供を見て、湧き上がる感情で最初の一言を言う事にした。それが日本語なら日本語で、英語なら英語で今後も話し続ける。

 子供が生まれたという電話があってからタクシーに乗っている間、病院に着いて病室まで向かう間、ずっと考えていた。どうする?どうする?どうする?

 そして、生まれた子供を見た。僕はやっぱり日本人だ。「はじめまして」それが最初に浮かんだ言葉だった。でも僕は、覚悟を決めて言った。「Nice to meet you. I'm your Daddy」 と。

 英語が話せるようになって分った事、それは僕達人間は生まれた国も、肌や目の色も違えば、育ってきた環境も違う。だけど同じ地球に住む仲間だという事。それまでは狭いコミュニティの中で、お互いに足を引っ張り合い、お互いを罵り合って生きてきた僕が、英語に触れた事で、他人と比べてどうのじゃない、自分の人生を自分らしく生きる事が大切なんだと分かった。生まれた時から日本語と英語が身近にあれば、この子は、僕がやっと気が付いた事に、早くから気が付けるかもしれない。だから僕は英語で息子に語りかけた。(つづく)



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【動画付】3歳2ヶ月幼児の英語動画

このブログでは、バイリンガル子育てについてをメインに、僕の店の事や、プライベートの面白い事などを書いていこうと思っています。

僕の自己紹介はコチラをご覧下さい。
はじめての御挨拶

長男が誕生してから今までを小説風に書いています。
小説版バイリンガル子育て

僕は高校時代にメルボルンに留学経験がありますが、妻は息子が生まれた時は、英語は全く話せませんでした。日本在住の日本人夫婦が英語と日本語のバイリンガルを育てられるのか、実験的に始めましたが、現在までかなり順調に英語を習得しています。

長男の新太郎が、3歳2ヶ月の時の動画を一番下に貼り付けておきます。

父:Hey Shintaro. Have you decided what you eat for dinner? シンタロウ、何食べるか決めた?
シンタロウ:This. これ。
父:What's that? 何これ?
シンタロウ:After eat spaghetti next eat jelly. スパゲティを食べたら、ゼリーを食べるの。
父:Ah so spaghetti with jelly. And oh sousage is here too. How many do you want? スペゲティとゼリーね。おっ、ソーセージもあるじゃん。いくつ食べたい?
シンタロウ:One two three four...Ten! 1,2,3,4...10個!
父:Really? そんなに?
シンタロウ:Yes. うん。
父:If you eat ten of them, you'll be a sumo wrestler. もし10個も食べたらお相撲さんになっちゃうよ。
シンタロウ:So I'll win maybe. そしたら勝っちゃうかもね~。
父:Yeah? かもね。

解説:ファミレスでメニューを見て何を注文するか考えています。しっかりデザートまで 考えているところが目ざといです。シンタロウの中ではお相撲さん強さの象徴だと思っているので、「そしたら勝っちゃうかもね~」と喜んでいます。

バイリンガル子育てについてでも、他の事でも何か質問がありましたら、コメント欄に書き込みしていただければ、出来る限りお答えします。

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小説版バイリンガル子育て 第1話 『ありふれた奇跡』

「破水したから、これからタクシーで病院に行くね」
 彼女がそう電話してきたのは、2006年6月2日の12時半くらいの事だった。僕は仕事を抜けさせてもらって家に帰り、彼女の着替えやハブラシとかをカバンに詰めて病院へ向かった。
 病院に行ったら彼女は眠っていた。仕方が無いので看護婦さんに荷物を預ける事にした。
「すぐ生まれそうですか?」
「今の様子だと生まれるのは明日になりそうですね。生まれたらご連絡します」看護婦さんにそう言われ、僕は仕事に戻った。
 
 僕も彼女も、立会い出産は望まなかった。仮に彼女が望んでも僕は立ち会わなかったと思う。10ヶ月赤ちゃんと一緒に暮らしてきたのは彼女なのに、最後だけ一緒にいて自分も頑張ったような気になるのは虫が良すぎると思ったから。それと将来ケンカした時に、「私がこの子を産んだんだから」と言うセリフを使わせてあげたかった。もし僕が立ち会ってしまうと、「俺も一緒に頑張った」と言ってしまいそうだから。 母親を16で亡くした僕は、精神的にマザコンだと思う。だから母親と子供は父親が手出しができないところで、強く結ばれていて欲しい。
 
 仕事中、色々な事が頭の中を駆け巡った。子供の頃の両親との思い出、彼女との出会いからこれまで、そして生まれてくる新しい命。僕は一人っ子なので、これまでに新しい命を迎えた経験が無い。生まれたばかりの赤ちゃんは猿みたいだって聞いたけど、それすら想像できなかった。毎日数千人の子供が生まれている中の一人。でも僕にとっては特別な一人だ。友達の誰かがそれを『ありふれた奇跡』と言っていた。僕はその『ありふれた奇跡』を目にしたら、どうなるんだろうか?

 午後8時に店を閉めて、近所に住む親父のところに行った。元板前だった親父が作ってくれた晩御飯を食べながら、酒を飲んだ。親父は、僕が生まれた時の事や、名前を考えた時のエピソードを話してくれた。僕達は生まれてくる子供の性別を聞いていない。心の中に何も用意していない状態で、生まれたその時に、子供が生まれた事を全身全霊で感じたかった。

 親父の家に来てから1時間くらいが過ぎ、飲み物もビールから焼酎に変えた頃、僕の携帯電話が鳴った。非通知。親父を見たら、目配せをして軽くうなづいた。僕は電話を取った。
「高橋さん、8時29分に生まれました!3138グラムの元気な男の子ですよ」僕達は慌ててタクシーで病院に向かった。

 病院に着くと、看護婦さんが彼女と生まれた子供が待つ病室へ案内してくれた。カーテンを開けると、ベッドの上で体を起こした彼女が赤ちゃんを抱いていた。その時の彼女の顔は今でもハッキリ覚えている。お化粧もしてなかったけどすごく綺麗だった。「わたし頑張ったよ」という誇らしげな目をしていた。「だっこしてみる?」彼女にそう聞かれて、僕は彼女の横に移動して、そっと両腕を差し出した。

「Nice to meet you. I'm your Daddy」

生まれたばかりの小さな命に、僕は英語でそう話しかけた。(つづく)



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補足:立会い出産についての考え方ですが、人それぞれだと思っているので、立会い出産をしてよかったという方を否定している訳ではありません。皆さんの経験などをコメントいただければ嬉しいです。


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マイカテゴリー: 小説版バイリンガル子育て
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コラムはじめました

GO豪メルボルンをご覧の皆さん、はじめまして。僕は高橋正彦といいます。

僕には現在3歳7ヶ月の息子と1歳1ヶ月の娘がいるのですが、その子達に英語と日本語のバイリンガル育児をしています。バイリンガル育児の事を中心に、その他僕の仕事やプライベートの活動などを不定期に更新していく予定です。よろしくお願いします。

第1回目の今日は自己紹介をさせてもらいます。

僕は静岡県浜松市の中学を卒業してすぐ、メルボルンに留学生としてやってきました。そしてブライトングラマースクールに通い始めました。中学2年まで英語の成績が学年ビリだった僕は、留学を決めてから付け焼刃で英語を勉強しましたが全く通用せず、最初の数ヶ月は必死で身振り手振りでコミニケーションを取っていました。

1年程経って少しは英語が話せるようになった頃、そう言えばうちの学校にはサッカー部が無いなあ、と気がつきました。サッカーがやりたかった僕は、先生に「サッカー部を作ってください」とお願いしましたが、断られてしまいました。そして2年目にもう一度、今度はホストマザーにも手紙を書いてもらって、更に他の生徒からも署名をもらって、校長先生にお願いをしに行きましたが結果は×。しつこい僕は3年目に、もう一度トライしました。今度は友達の父兄も一丸になって皆で、運動をした結果、遂にサッカー部を作ってくれる事になったのです!

僕達は最初に3部リーグという一番下のリーグからスタートしましたが、元々サッカーが得意な生徒が多かったので、毎試合大差をつけて勝ち続けました。するとシーズン途中で異例の2部昇格になりました。そして2部でも勝ち続け、翌年から一番上のリーグで戦えるようになったのです。(僕はこの年で卒業だったので、トップリーグではプレーできませんでした)

僕が卒業後、チームは順調に力を付けていき、この10年間で3回もビクトリア州のチャンピオンになりました。

写真:初代ブライトングラマースクールサッカー部



高校を卒業した僕は日本に戻ってプロサッカー選手を目指していましたが、まもなく挫折。1998年中古CDショップ「音吉プレミアム」を立ち上げました。せっかく英語が話せるのでどうにか使えないかと思って、2000年に英語版のホームページを作ってみたら、世界中の人達が注文をしてくれました。日本のアニメは人気があるのは知っていましたが、それ以外にもJ-POPやアイドル、フォーク、歌謡曲や演歌まで注文が入ったのです。そして親日家のお客さん達はお金を貯めて、日本にバカンスにやってきます。その時に一緒に観光したり、食事をしたりして、世界中の人達との交流が始まりました。そして2007年9月、そんな外国のお客さん達との交流をまとめた単行本『イタリア人は日本のアイドルが好きっ』を出版しました。

 
昨年5月には世界中のオタクと交流するOTAKU SPECIALISTとして、NHKから英語でインタビューを受け、その映像が世界80国で放送されました。※映像はコチラをクリックすると無料でご覧いただけます。

プライベートでは、2006年6月に長男シンタロウを、2008年11月に長女ユリアを授かり、彼らにずっと英語で話しかけてみたらバイリンガルになるのか実験する事を決めました。



そして昨年11月に、高校卒業から実に13年ぶりにメルボルンを訪れました。籍だけ入れて式も指輪も新婚旅行も無く、彼女にも「いずれケジメはつける。俺たちだけにしか出来ない事をする」と言いつつ4年半、遂にメルボルンで結婚式を挙げました。母校ブライトングラマースクールの教会で式を挙げ、同校のホールで披露宴をさせてもらいました。128年の歴史の中で学校内で披露宴をしたのは僕らが初めてだという事で、希望通りオンリーワンの式を挙げる事ができました。



そして12月15日、日本に戻って来て溜まっていた3週間分の仕事を片付け、新年を迎えたところです。

13年ぶりのメルボルン、やっぱり最高でした。 こんな僕ですが、これからよろしくお願いします。


追伸:質問や応援メッセージ大歓迎です。コメントお待ちしております。

マイカテゴリー: はじめの御挨拶
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