Logo for bgsgeek

メルボルン旅行記2011 その3

メルボルン3日目。午前7時にシンタロウに起こされた。シンタロウは今日もハイテンションである。ジェフの家の周りを散歩してなんとか眠気を覚まし、ポケモンカードで遊んでいると、9時になってジェフも起きてきた。



シャワーを浴びたあと、ジェフの行きつけの近所のカフェで朝食を食べた。メルボルンの食文化の水準はかなり高い。今回も不味いものは1つもなかった。朝食のあとはジェフにホストマザーの家まで車で送り届けてもらった。



この日は今回の旅の最大の目的である大イベントが行われる日だ。ホストマザーのロスには4人の子ども、ジェームス、アマンダ、サイモン、ティムがいる。そのうちサイモンはもう20年以上前からフランスに住んでいるのだが、今回ティムが奥さんのクロエの国、フランスへ引越しをすることになった。そうなるとなかなか家族全員で顔を合わせるのも難しくなるので、ティムが家族全員で集まる1泊2日の旅行を計画して、僕も家族の一員として誘ってもらったのだ。

3月11日に東日本大震災が起きたとき、僕は英会話のレッスンをしていた。そこに突然ロスから電話があった。これまで一度も電話をかけてきたことはなかったので何事かと思ったら、「日本でひどい地震があったけど大丈夫なの?」と聞かれた。幸い僕のいる広島県は何にも揺れなかったので僕はロスの電話で地震があったことを知ったのだ。それから数時間後、ロスから1通のメールが届いた。それがこの旅行への招待状だった。「もし安いチケットが取れて都合がついたら来てくれたら嬉しいわ」と書かれていた。これまで僕のわがままやお願いを聞いてくれたことは数多くあったが、ロスから頼みごとをされたのはこれが初めてだった。去年の12月から英語学校を始めて、貯金を切り崩しながら生活している身としては、今余計なお金を使うことはためらわれたが、オーストラリアの母に恩返しをするなら今だと思い、一大決心をしてシンタロウを連れてメルボルンにやってきた。ためらっていた僕に「行ってきなよ」と言ってくれた彼女には本当に感謝している。そして余裕がなかったのでユリアと二人、日本に置いてきたことを申し訳なく思う。次回は必ず家族4人で行きましょう。


ロスのボーイフレンドの車に乗って、僕らは目的地へと向かった。車に2時間ほど揺られて到着したところは、周りに建物がほとんどなく自然に囲まれたホテルだった。バーと一体型のこのホテルはオーストラリアの古くからの典型的な宿泊地のスタイルで、この建物は1864年に建てられたものだそうだ。




ホストブラザーにホストシスター、その家族。懐かしい顔が並んでいる。この日はホストファミリーの一家とロスのボーイフレンドと25年前に別れた元旦那さん(ホストブラザーたちの実父)、ホストブラザーたちの親友とその子どもたち、総勢60人以上が集まった。小さなホテルには十分な部屋がないので、年寄りと小さな子以外は外のテントで寝ることになっている。シンタロウも誰がどこに寝るのか相談している輪に入って、従兄弟たちと一緒に寝る気になっている。シンタロウはまだ小さすぎるので、ロスが気を使って部屋を取ってくれているとはとても言えない。まあ眠くなったらベッドに運ぼう。







到着した者から、自由に好きなお酒をバーで頼んでパーティーは始まった。カウボーイハットをみんなでかぶるようになっているようで、ロスが僕たちの分も渡してくれた。ホストブラザーの親友の中には僕が高校生だったときに会ったことがあるらしい人が何人かいて、「あのときの子か!大きくなったなあ」と嬉しそうに声をかけられた。僕は正直誰が誰だかあまりわからなかったが、みんなが嬉しそうに話すのを聞いて笑っていた。シンタロウは従兄弟たちとはしゃぎまわっている。





初めてこの家族と会ったのが18年前。今でもこんなにも良い関係でいられるなんてとても幸せだ。僕がいた当時、ロスは子どもたちが大きくなって家を出て行ったので、空いた部屋を僕のような留学生に下宿させていた。関わった生徒の数は30名近くになるそうだ。その中で僕だけがこの家族と本当の家族になった。「オーストラリア人の友達を連れてきたのはマサ、あなただけだったわ。あなたは普通のオーストラリア人の子と同じようなスタイルで生活していて、学校であったことを話してくれたり、何でも相談もしてくれたから、本当の子どもみたいにかわいかったのよ」と、話すロスの言葉を聞いて、僕は「Mom... (お母さん...)」と言って肩を寄せた。とても満たされた気持ちになった。そしてロスはあのころと変わらない優しい瞳で僕を見つめてこう言った。

「あなたは本当に特別な子だった。タバコで停学になったのもあなただけだったわ」

だんだんと夜も更けてきた。22時を過ぎたくらいから、ギターの音が聴こえはじめたので行ってみると、今回のイベントの主催者であるティムが歌っていた。ティムはアマチュアバンド活動をずっとしていて、今でもパブとかでときどきライヴをやっている。1年半前に来たときには、ブラザーのために歌うと言って、僕だけのために1曲演奏してくれた。僕と年齢が一番近いこともあり、ティムとの思い出が一番多い。まだ16くらいだった僕をパブに連れ出してロスに怒られたり、ロスが旅行に行っている間にロスの車でドライブに行って、ガソリンスタンドにタンクの蓋を置いてきてしまい、取りに行くかと思ったら、ぞうきんを丸めて蓋にして「これでOK」と言って、帰ってきたロスにこっぴどく怒られたり、一緒にバカなことをたくさんした。僕は一人っ子なのでそんな兄貴が欲しかったんだ。ティム兄さんはこの日、家族のために歌った。(※動画はここで観ることができます。 
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=3647838)


23時が近づいてきて、従兄弟たちはみんなもう寝るねと言ってテントに行ってしまった。シンタロウは興奮していて眠れないと言うので、部屋でポケモンカードゲームをしたりしてから一緒に布団に入った。寝かしつけたらまたみんなと飲もうと思っていたが、僕も一緒に眠ってしまった。




明け方、シンタロウが「ダディ!」と大声で呼ぶ声で目が覚めた。「What happened?(どうした?)」と僕が言う と、「Chicken and potato please!(チキンとポテトください!)」と言ってまたスースーと寝息を立て始めた。お前どんな夢見てるんだよ?僕はおかしくなって一人でクスクス笑った。こうしてメルボルン3日目は終った。(つづく)




※読者の方からの質問や応援メッセージ大歓迎です。コメントお待ちしております。

新しいスタイルの子ども英会話スクール→MMSJ英会話スクール
日本初の本格英語子育てマニュアル→子どもがバイリンガルになる英語子育てマニュアル
僕の会社です→メモリアルCDショップ音吉プレミアム
書籍化された僕のブログ→イタリア人は日本のアイドルが好きっ
英語で日本のサブカルチャーについて書いているブログ→ROAD TO OTAKU

コメント

関連記事

最新記事

カレンダー

<  2024-05  >
      01 02 03 04
05 06 07 08 09 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

プロフィール

高橋正彦:1977年、静岡県浜松市生まれ。中学卒業後、単身メルボルンに渡りブライトングラマースクールに入学。同校では、3年がかりで学校側に打診をしサッカー部を創立、初代キャプテンを務める。1998年中古CDショップ「音吉プレミアム」を立ち上げ、世界中の人達との交流を始める。2007年9月、単行本『イタリア人は日本のアイドルが好きっ』を出版。2009年5月には世界中のオタクと交流するOTAKU SPECIALISTとして、NHKから英語でインタビューを受け、その映像が世界80カ国で放送された。

記事一覧

マイカテゴリー