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第一回 移住を求めてシドニー入りしたとき

東京は東村山からオーストラリアに移住して24年目を迎えている。その間、人種を超えてさまざまな方々と出会ってきた。そんな方々との出会いをもとにして、定住者、旅行者、中長期滞在者、学生、ワーホリなどの方々との一期一会を綴ってみることにした。ニュージーランドでは、桁外れに多い羊たちとも出会ってきたりしたが、基本的には人間との出会いを書いてみたい。そう考えると、このコラムは「出会い系」の一つになるかもしれない。変な業者のアクセスが増えたりしたらどうしよう。とはいえ、読者の方々に何らかのご参考になるような話が書けたら本望だが、私も長く続けさせたいので肩の力は抜いて楽しく書いていきたい。もっともタコには肩がないので元々力の入りようもないが。


第一回 移住を求めてシドニー入りしたとき

1985年6月16日にシドニー空港に降り立った。迎えに来ている筈のオージーの女性がいなかった。1年前に、原宿、六本木であれだけ面倒をみてあげたのになんて拗ねてみても始まらない。イミグレを出て勇んで出てきて拍子抜け。物事は期待通りに進まないよといわれているような出だしだった。オーストラリアに向かうと決めたとき、オージーとの出会いには積極的に臨んだ。どちらかというと、女性との機会が多かったように記憶している。日本語を勉強している高校生を引率していた先生と知り合い、原宿のショッピング、六本木での飲み食いなどのお世話をして、その後時々手紙で連絡していた人だった。私は、仕方なく一人で、日本から予約していたキングスクロスという所の宿に向かった。

「タコ、元気に着いた?チャイナタウンで昼ごはんといっていたけど、駐車場も大変だしまた連絡するね。」別なオージーのカップルで、着いた日にチャイナタウンで昼食の約束していた人に電話を入れたらそういわれた。私は、最初から招かれざる人間のようだった。

シドニー入りして、数日したときにサラリーマン時代の会社の支社に連絡し、東京から出張に来ていた山本先輩と会うことになった。仕事の関係の商社の方も連れてくるとのことだった。キングスクロスの場末のパブで三人で飲むことになった。

「そうですか、永住を目指しているのですか。よくそこまで決心できましたね。」33歳でサラリーマンを下りてオーストラリア永住を、などという人はそんなにいなかった頃のことで、紹介された角紅の新井さんはやや驚いたように言って中ジョッキのビールを飲み終えた。

「こちらにいたら、きっとオージーの金髪と結婚することもありえますね。しかし、将来苦労しないためにも、もしそうなったらその人と一緒に何年かは日本に住んだ方がいいですよ。それができないなら、この国でこの国の人間に成り切るよう頑張るしかないですね。」

学生時代に知り合った日本の男性で、アメリカ人の彼女がいる人がいた。自分たちは第三国に住むことをしたといっていた。つまり、日本にもアメリカにも住まないで、ニュートラルな国に住んで平等にやっていきたいというのだ。私の場合は、日本でも第三国でもないオーストラリアに住むことになった。

「もう一つ言っておきますけど、ビザや仕事がないといっても決して卑屈にならないこと。たとえばの話ですが、電車に乗ったら隅に座らず、堂々と真ん中に座る、そんなことを心がけてやっていってください。きっと、道は拓けますよ。」
山本先輩を介して初めてお会いした新井さんに励ましの言葉を受けた。

お二人と分かれてから、キングスクロスを歩いて宿まで帰った。いろいろと誘惑の多い街だ。あられもない格好で呼び込みをしている女性もいる。しかし、その日は気が張っていたので見向きもしない。今さっき新井さんに新鮮なアドバイスをいただき、大事に抱えるようにして宿に戻った。

33歳になったばかりの私だった。日本にいてサラリーマンを続けていたら、そこそこの生活をしながらこじんまりとした幸せの中で、子どもとか犬とか嫁さんとかを相手にして、やっていけただろう。何が私をそうさせなかったかは一言ではいえないが、このオーストラリアで全く新しい生活に挑戦してみたかったことは確かだ。人生を変えてみたかった、と言ったら格好良すぎて言いすぎだろう。

翌日山本先輩に電話を入れてお礼を伝えた。
「タコちゃんね、新井さん日本の奥さんとうまくいってないようでね、ちょっと落ち込んでいたんだよ。でも、言ってたよ、タコちゃんのことが羨ましいって。もう少し若くて独身だったら自分も同じようにやってみたい、なんてね。」
新井さんも苦労をしながら、私にアドバイスしてくれたのだった。

食べずに飲んでいて、宿に帰ったら何だかお腹が空いた。スプリングの利きすぎた古いベットから弾みをつけて起き上がり外に出た。テイクアウェーの店でトンカツに似たようなものを買ってきた。揚げてあるから中味は分からない。ワラジのように大きく、ボール紙のような厚さのカツだった。別に、「かつ」とか洒落てみたわけではないが、もらったトマトケチャップをかけて一気に喰った。

何だか、その夜は興奮してよく寝られなかった。新井さんに言われたように堂々とやっていこう、という言葉が何度も頭を回る。外は、風俗の街キングスクロスが妖しくスタートしようとしていた。


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オーストラリア留学   http://www.mtsc.com.au/
(タコ社長の本業)

コメント

以前のコメント

タコ社長   (2009-06-25T13:57:57)
Teaさん、初めまして。私も、日本に帰ったときも電車は真ん中に座るようにしています。それだけのことなんですが、なんだか気持ちを後押ししてもらったような気分になります。こういうことの積み重ねが心の筋肉を強めていくのでしょうね。
Tea   (2009-06-23T23:30:12)
いつも隅っこに行ってしまう私でしたが、最近このコラムの言葉を思い出して、実際にトラムストップのベンチのど真ん中に座ってみました。景色も違う、気分も違う。まっすぐ前を向いている自分に、ちょっと嬉しくなりました。

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東京は東村山からオーストラリアに移住して24年目を迎えている。その間、人種を超えてさまざまな方々と出会ってきた。そんな方々との出会いをもとにして、定住者、旅行者、中長期滞在者、学生、ワーホリなどの方々との一期一会を綴ってみることにした。また、番外編としてオーストラリア以前の一期一会も記していきたい。

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