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教え子(1)

 林洋子は、生徒の日本語の語彙テストの採点を終え、電子メールを開けた。思ったとおり、生徒からの質問が入っていた。
「先生、今度のテストの内容を教えてください。」
洋子は、その質問を見て、「またか」とため息をついた。
「教えたところ、全部です」といったん書いたが、これでは生徒から文句が出るだろう。
テストはどれだけ分かっているかを調べるものなのに、最近の生徒は楽にいい点数を取ることしか頭にない。20年前、初めてオーストラリアで日本語を教え始めたとき、こんな質問をする生徒はいなかった。受験でいい点数を取らせることだけに焦点をおいた日本の教育にうんざりして、オーストラリアに来たのに、結局はオーストラリアでも受験のための教育をするはめになった。
 むなしい思いで、「教科書の10ページから25ページの読解をよく勉強してください」と書き直した。
 校長はいつも言っている。「生徒はお金を払っているお客さんだから、サービスをよくしなければいけません。教育と言っても、サービス産業だからね」
 その日、重い足取りで家に帰ると、郵便受けに、航空便が入っていた。洋子はいろんな請求書を受け取ることはあっても、個人的な手紙をもらうことはめったにない。誰からだろうと、宛名を見ると、木村二郎となっていた。
「木村二郎、木村二郎」
何度か口の中でつぶやいてみたが、どうしても誰だかわからない。家に入ると早速封を切ってみた。
「先生、お元気でいらっしゃいますか?多分、僕のことはお忘れかと思いますが、僕は高校2年のとき、名古屋のXX高校で先生に国語を教えてもらった木村二郎です。
先生もご存知かと思いますが、僕の同級生だった福原修がこのたび、芥川賞をもらいました。」
そこまで読んで、洋子は「えっ」と驚いた。
福原のことならよく覚えている。おとなしい少年だったが、ある日クラスメートから「お前、林先生が好きだもんな」とからかわれ、真っ赤な顔をしていた。そのことを思い出し、洋子は思わず微笑んだ。
  洋子は日本にいたときは芥川賞は必ず読んだものだが、オーストラリアに来てからは、目を通すこともなくなった。だから、福原が芥川賞を受賞したとは知らなかった。
福原は確かに高校生のときから文才があった。放課後、時折職員室に洋子を訪れ、「先生、僕の書いた短編ですが、読んでコメントしていただけませんか」と恥ずかしそうに、自分の書いた作文を差し出し、洋子も何度か添削し、コメントを書いてやったことがあった。
手紙の続きを読んだ。
「来月の15日に福原の芥川賞受賞を祝って、昔の同級生が集まることになりましたが、先生にも是非参加していただきたいと、福原が言っています。ご都合がつけば、是非きてください。なお、僕の電子メールにお返事をいただければ幸いです。僕の電子メールの住所は、―――です」
洋子はすぐにカレンダーに眼をやった。来月の15日は学校はちょうど2週間の休暇に入る。迷うことなく、洋子は出席することにした。

著作権所有者:久保田満里子

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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