Logo for novels

ヒーラー(5)

次に電話をもらったのは、その二日後だった。今度の依頼人は訛りのある英語だったので、どこかの国の移民だと思われた。

「ジェーンさんから、ようこさんに娘さんの乳がんを治してもらったって聞いたんですが、うちの家内も胃癌にかかって苦しんでいるんです。治してもらえないだろうかね」

「わたし、医者ではないので、治せといわれても、困るんですけど…」

「いや、あんたが医者ではないのは知っているよ。うちの家内はローレンさんと同じ病院に入院していたんですが、ローレンさんが完治して退院されたと聞いて、その訳を聞くと、あなたに祈ってもらったのだということでした。私の家内も癌の放射線の治療には体が参っています。助けてもらえませんか?」

私はジェーンに言ったことを繰り返した。

「たまたまローレンさんは治りましたが、私があなたの奥さんの病気を治せるとは保証できないんですよ」

「それでもいいんです」

そういう訳で、私にとって2番目の患者になるエレンに会った。エレンは50代のレバノン人の女性だった。エレンの夫のムハメドは男らしい感じのするハンサムな男だった。典型的な中東の人の顔で、肌が少し浅黒く、髪の毛も黒く、濃くて太い眉毛をし、その眉毛の下には人を射る様な鋭い目があった。口ひげを生やしていたが、その口ひげも黒くて濃かった。ムハメドに聞いた話によると、二人は30年前にレバノンから移民としてオーストラリアに来て、がむしゃらに働いたおかげで、今ではメルボルンでも有名なレバノン料理のレストランを経営しているということだった。「やっとお金もでき、これから二人で人生を楽しもうというときになって、こんな病気になって、何のために生きているのかわからなくなるよ」とムハメドはさかんに嘆いていた。

私は、ローレンにしたときと同じように、エレンを寝かせ、エレンの胃の上に手をかざし、ひたすら祈った。祈りの済んだ後、エレンは「とても楽になりました」と、来たときと比べて血の気のさしてきた顔に笑みを浮かべて帰っていった。後でムハメドからお礼の電話が来た。

「これで、妻にも楽をさせてやることができます」と言う喜びの声を聞いて、私も自分の病気が治ったような嬉しい気分になった。

 

次の依頼が入ったのは、その翌日だった。こんなに次々と依頼がくるとは思いもしなかったので、私は戸惑った。その依頼主は、知り合いの日本人から一度紹介されたことのある美佐さんからだった。美佐さんはもう80歳を超える人で、戦争花嫁と呼ばれる人の一人だった。美佐さんは広島県の呉でオーストラリア軍の占領部隊の一人だったマイクさんと知り合って結婚して、オーストラリアに渡ってきたのは戦後7年経ってからのことだったそうだ。その頃オーストラリアは白豪主義を貫いており、日本人の美佐さんは結婚しても中々入国を認めてもらえなかったのだ。メルボルンの日本人社会では、戦争花嫁と言うと蔑視される傾向がある。普通の家庭に育った貞操のある日本女性は外国人なんかと結婚しない。だから戦争花嫁は日本では売春婦とか水商売の女だったのだろうと偏見をもたれたことが原因のようだ。戦争花嫁は日本人コミュニティーからも冷たい目で見られたが、オーストラリアでも日本は第二次大戦の時の敵国だったということもあり、戦争直後日本人だと言えば、敵愾心を持って見られた。だからオーストラリアに来た当初は日本人でであることを隠していた人も多かったそうだ。そんなにまで苦労をしてオーストラリアに来たのは、きっと美佐さんがマイクさんを愛していたたからであろう。美佐さんから電話をもらった時は、ちょっと驚いた。

「どうされたんですか?」

「あのう、ようこさんが、祈祷してご主人の病気を治されたと聞いたんですが、本当でしょうか?」

「えっ?誰にお聞きになりました?」

日本人のコミュニティーでも、そのうわさが広がっているのかと思うと、あまりいい気はしなかった。

「井上さんに聞きましたけど」

「井上さん?」

自分の知り合いの名前が挙げられるのだろうと思っていた私は、余り親しくもない人の名前を聞いて、一瞬誰のことかと思った。そういえば、情報レーダーがはっていて、メルボルンに住む日本人のことなら何でも知っているというメルボルン在住40年になるという私の最も苦手とするタイプのおばさんのことだと、思い当たった。

「あの、井上美智子さん?」

「そうです」

「井上さんから、どんなことをお聞きになったのか、知りませんが、夫が胃癌だといわれた時、夫の治癒を願って祈ったら、夫の癌が消えていたという不思議なことはありましたが、私に特別の力があるとは思わないんですが」

私は正直な気持ちを話した。

「でも、癌細胞が消えていたと言うのは、ほんとうなのですね?」

「それはそうですけど…」

「じゃあ、是非お願いします。夫はお医者さんから、もうさじを投げ出されたんです。確かに主人はもう80歳を超えてはいますが、いつまでも、生きていて欲しいんです。お願いします」美佐さんはもう涙声だった。

私は結局また美佐さんに泣きつかれた感じで、祈祷を引き受けてしまった。

その翌日、約束の時間に美佐さんは夫のエリックさんを連れてきた。ご主人は、頬がこけ、白髪の髪の毛も薄くなっており、毛深い腕はしわしわになってやせ細っており、かなり弱っているのが、感じられた。

「主人のエリックです。こちら、先日お話したようこさんよ」

美佐さんは私とご主人を紹介した。

「迷惑かけますね。私はもう死んでもよいと思っているのに、美佐がともかくあなたに会ってくれって言って、聞かないんですよ」

エリックは、小声で、よく耳を澄まさないと聞こえないような、小さな弱々しい声で言った。

私は、自分で生きたいと言う意欲を持たない人を治すのは、余り意味がないように思われた。私の心を見透かしたように、美佐さんはエリックさんを叱りつけるように言った。

「死んでもいいなんて、とんだもないことだわ。あなたには長生きしてもらわなくちゃ」

「エリックさん。美佐さんから私のことについて、どんなことを聞いているのか知りませんが、私は、病気に打ち克ちたいと願っている人の思いを手助けしてあげるだけで、自分自身に何か特別な能力があるとは思っていません。エリックさんが、生きる意欲を持っていらっしゃらないのなら、私の祈祷は効き目があるとは思えません」

私は顔はエリックに向かって言ったが、本当は美佐さんに向かって言ったのだ。エリックは、

「美佐が自分のことを愛してくれて、少しでも長生きしてほしいと思ってくれているのは分かるのですが、僕は自分で十分に生きたと思っています。それに死ぬことによって、苦しみから逃れられるなら、死ぬほうがましだと思うようになっているんです」

「あなた、何のことを言っているの?あなたが苦しんでいるなんて、初めて聞いたわ。一体どうしたって言うの?」

美佐さんはエリックが苦しいと言っているのを初めて聞いたようで、血相を変えて言った。すると、エリックは、悲しそうな目をして、

「美佐。僕は今までずっと苦しんできたことがあるんだよ。このことは誰にも話したことがなかったんだが、もう長生きしないと聞いて、ようやく、お前に本当のことを話す気になったよ。僕は恐ろしい罪を過去に犯したんだ。そのことで、どれほど苦しんだことか。毎晩悪夢にうなされて、一日たりともぐっすりと眠ったことがないんだ」

美佐さんは、突然のエリックの告白に驚いたようだ。

「あなたのような優しいいい人が、過去に罪を犯したなんて、信じられないわ。どんなことをしたっていうの?」

美佐さんは少しヒステリック気味に叫んだ。

エリックは遠い昔の事を思い出すように目を閉じた。そして突然クックッと泣き出し、泣き声を抑えようとしてか右手の甲で口を覆った。そしてしばらくその感情の流れに身を委ねていたかのようだったが、その感情の波がひいたのを機に、美佐さんにとって思いがけない話をし始めた。エリックは赤の他人の私が側にいるのも、忘れているようだった。

著作権所有者:久保田満里子

マイカテゴリー: 一般
コメント (0)

ヒーラー(4)

翌日2時に、50代と思われる白人の女性が、30歳ぐらいの女性を抱きかかえるようにして連れてきた。電話してきたのは年配の女性の方で、ジェーンと言う名前だった。若い女性はジェーンの娘でローレンと言った。ローレンは乳房の摘出手術をした後、化学療法を受けているとのことで、頭の髪の毛が抜けていて、それを隠すために、毛糸で編んだピンクの帽子をかぶっていた。私はすぐに客用の寝室のベッドにローレンに横になるように言い、ローレンを寝かせた。

「いつ癌にかかったのが、分かったのですか?」

「去年です。それから癌細胞のあるところを摘出して、化学療法を続けていたのですが、先日の検査で、癌細胞がリンパ腺まで広がっているといわれたのです」

娘に代わって、ジェーンが答えた。

「お祈りは、喜んでさせてもらいますが、一番大切なことはローレンさん、あなたが癌に打ち勝ちたいという強い意志をもっていることです。私の祈りの力だけでは、どうしようもありません。いいですか?」

そう言うと、青白い顔をしたローレンはこっくり頷いた。

「じゃあ、私がお祈りする間、あなたも自分は治るんだと信じてお祈りしてくださいね」と言って、ジョンに対してしたように、片手をローレンの癌に冒されている左の乳房の上にかかげ、祈り始めた。

うつむいて「ローレンが元気になりますように」と繰り返して言いながら、頭の中でローレンが元気になっている姿を思い浮かべた。ひたすら祈っているうちに掌が熱くなったように思ったら、電流が流れ始めたように感じた。ジョンにしたときと同じ感覚が戻ってきた。ローレンは目を瞑ったまま、私に合わせて祈っているようだった。1時間もそうしていただろうか。ローレンは眠気に襲われたようで、軽い寝息をたて始めた。

私はローレンが治ったことを予感した。だから、祈りをやめ、ローレンに毛布をかけて、ジェーンに言った。

「ローレンをこのまま少し眠らせてあげましょう」

居間にローレンを残して、私はジェーンを食堂に誘って、ジェーンにコーヒーを出した。ジェーンはコーヒーを飲みながら、ぼつぼつ身の上話をしてくれた。

「ローレンには3歳の娘と5歳になる息子がいるんです。それなのに、去年乳がんにかかったことが分かり、乳房を切り取ったんですよ。ローレンが乳がんを発見したのは本当に偶然だったのです。ローレンが言うには、テレビの報道番組で、オーストラリアで乳癌になる人が多いと言っているのを他人事のように聞いていたけれど、シャワーを浴びていたとき思いついて自分で乳房を押して自己検診してみると、なんだか豆粒みたいなグリグリするものがあるのに気づいたんだそうです。まさかと思ったけれど、お医者さんに行ったら、検査に送られ、その結果やはり乳癌だと言われたんです。でもまだ初期の段階だから直る見込みが高いと言われ、癌の治療をし始め、一旦は回復したのです。でもローレンが癌と戦っていた間、夫のトムは若い女を作って、結局うちを出て行ってしまったんです。かわいそうにローレンは、そのショックから生きる気力をなくしてしまったせいか、今年また癌が再発したのです。癌と戦いながら、一人で子育てをしなければならないはめになって、本当にかわいそうで…」とそこまで言うと、ジェーンは涙ぐんで、ハンカチを取り出し、目頭を押さえた。

「それは、お気の毒ですね」私は、ローレンに同情して言った。

「私も夫も何とかローレンの手助けをしてやりたいと思っているのですが、トムがうちを出て行ったことで、精神的なショックから立ち直れないようなのです。まだ、32歳ですからね。子供たちが小さいから、死ぬわけにはいかないといいながら、時折疲れ切って、もう死んでしまいたいなんて口走るようになったので、心配しているのです。体さえ元気になれば、精神的にも強くなれると思うのですが」

私はどういって慰めてあげればよいのか分からず、黙って聞いていた。

客用の寝室のほうで何か物音がしたので行ってみると、ローレンが目を覚ましたようだった。

ジェーンが

「ローレン、気分はどう?」と聞くと

「私、知らないうちに眠ってしまっていたようね。楽になったわ」と起き上がった。

「まだ治っているかどうか分からないけれど、私にできることはやりました。ただ、幸運を祈るのみです」と、私が言うと

「無理に押しかけてきてすみません。でも、気分だけはよくなりました」とローレンは答えた。

その後、帰りがけにジェーンが

「おいくらお払いしたらいいでしょうか?」と聞くのでびっくりした。

「治っているかどうかもわからないのに、いいですよ」と私は言ったが、

「それではこちらの気が済みませんから」と、ジェーンはお金の入った封筒を私に押し付けて帰っていった。

封筒を開けてみると百ドル札が十枚入っていた。あんなことでお金をもらっていいのだろうかと気がとがめたが、お金をもらって嬉しくなかったといえば嘘になる。

会社から戻ったジョンにお金を見せると

「一日で千ドルももうけるなんて、すごいじゃないか」と嬉しそうに言った。

それからローレンはどうなったのかと気にかけながらも、私は、いつものように掃除の仕事に出かけていた。ローレンが来て一週間経った日、ジェーンから電話があった。

「洋子さん、ローレンの癌細胞が消えていました。奇跡が起こったんですよ。ありがとうございます」と感激でむせび泣きながら礼を言うジェーンの声を聞きながら、私は天にも昇るような喜びを感じた。人の命を助けたという喜びは、ジョンが完治した奇跡を見たときはまた違った喜びだった。

著作権所有者:久保田満里子

マイカテゴリー: 一般
コメント (0)

ヒーラー(3)

翌朝、ジョンの胃の痛みはすっかりなくなっており、おなかがすいたというので驚いた。ミルクで作ったおかゆのようなオートミールぐらいは食べられるかと思い、作ってあげると、お椀一杯ぺろりと食べてしまった。

その時はジョンの食欲に驚いたのだが、驚くことはそれだけではなかった。

入院したその日は、癌が転移していないかの検査で、お尻から内視鏡を入れられて大腸を検査されたが、転移は認められないというのでほっとした。血液検査も異常は認められなかった。

その翌日胃の摘出手術が行われたのだが、胃を開けた外科医を驚かせるようなことが起こっていた。ジョンの胃はおとといの検査ではっきりと癌細胞で冒されていたのが見えたのに、全く癌細胞が見られなかったのだ。外科医は訳が分からないという風に首を振り、結局開けた胃を、そのまま閉じた。だから、手術時間が30分で済むという異例の事態が起こった。

まだ麻酔からさめていないジョンが病室に移された後、私は担当医に呼ばれた。

「奥さん、おとといの検査の結果は、奥さんにもお見せしましたように、胃の四分の一が癌細胞にやられていましたが、今日胃を開けてみると、癌細胞が全くなかったのですよ。これはどうにも説明のしようがありません」

担当医は困惑した面持ちで言った。

それは私にとっても驚きだった。

「奇跡が起こったとしかいいようがありませんな」と言う担当医の言葉を聞いて、私はそうだ、奇跡が起こったのだと思った。でも、勿論私が祈ったからなんて言わなかった。信じてもらえないのが目に見えていたからだ。

「それじゃあ、すぐに退院できるんですね」と聞くと、

「ええ、手術のあとの傷口がふさがれば、退院できますよ」

私はその後自分の祈りの効力に驚くと共に、ジョンの胃癌が消えた嬉しさに心が高揚して、しばらく病院の待合室のベンチに腰掛けてぼうっとしていた。

3時間後に麻酔からさめたジョンに担当医の言葉を告げると、

「信じられないな。奇跡じゃないか。君の祈りで奇跡が起きたんだよ。ありがとう、洋子」と私の両手を握って、目に涙を浮かべて言った。

ジョンは、一週間で退院して、2週間後には会社に復帰した。会社の人は驚いて

「何か胃癌のいい特効薬でも使ったのか?もしそうなら教えてくれよ。うちの親戚で癌で苦しんでいる者がいるから」などと言う人もいたが、ジョンも私も、誰にも私の祈りについて何も言わなかった。いや、誰にも言わなかったというと語弊がある。ジョンが親友のアランに話したのだ。そのため、いつの間にか周りの人に知れてしまうことになったらしい。

ジョンが会社に復帰して1週間も経たないある日、見知らぬ女からうちに電話がかかってきた。

「洋子さん、洋子さんは癌細胞を消すことができると聞きましたが、娘が乳がんにかかって苦しんでいるんです。助けてもらえないでしょうか」

私は、誰にも話していなかったのに、見も知らぬ人がそんな話を知っているのかと思うと驚きで、とっさに返事ができなかった。

「どなたからお聞きになったのですか?」

「友達の友達のウォルター・バトラーさんと言う人から聞きました」

どう考えても私の知っている人にウォルターと言う人はいない。どうやら、かなりの人に広がっているように思われる。私が黙っているので、その女は言葉を続けた。

「ウォルターさんも知り合いから聞いたということです。どうかう娘に会うだけでも会ってやってください」

わらにでもしがみつきたいような切羽詰った声だった。私は、その声を聞くと無碍に「そんなことはできませんよ」と言えなかった。

「癌を治したと言っても、夫に死なれては困ると思い、一晩必死になってお祈りしたら、不思議なことに癌細胞が消えていたのですから、たまたま奇跡が起こったとしか思えないですよ。私に特別な奇跡を起こす力があるわけではありませんよ」と言ったが、その女性は

「だめでもいいんです。ともかく一度娘に会って、祈ってもらえないでしょうか」と食い下がってくる。

私は「だめもとでもいい」とまで言われると、いやだと断れなくなっていた。私の祈りで命が一つでも救われれば、私は祈る義務があるように思われてきたのだ。

「それじゃあ、一度お会いするだけなら」と言うと、感激で胸が一杯になったのか、喉をつまらせながら、電話の女は言った。

「ありがとうございます。本当になんてお礼を言っていいのか。明日にでもお宅に連れて行ってもいいでしょうか?」

「治るって言う保証はないんですよ。それでもいいとおっしゃるのなら、明日の午後2時にうちに来てください」と私は答えた。明日は仕事のない木曜日だと思いながら答えた。

その日会社から帰ってきたジョンに話すと、

「人助けになるんだから、やってあげればいいじゃないか。君ならきっと他の人も治すことができるよ」と励ましてくれた。

著作権所有者:久保田満里子

マイカテゴリー: 一般
コメント (0)

ヒーラー(2)

私の慰めの言葉も余り効果がなく、その日を境にジョンはウツウツした顔で検査の日までの一週間を過ごした。朝のジョギングも控え、会社から帰るとすぐに居間のソファーに横たわり、見ているのかどうかわからないうつろな目でテレビを眺めていた。食も極めて細くなり、一口食べたかと思うと胃が痛むらしく、おなかを押さえて、フォークとナイフを置いた。そういうジョンを見ていると、心が痛んだ。

水曜日の朝、病院で言われたとおりジョンは朝ごはんを食べず、私が運転する車の助手席に座って、指定された病院に行った。車の中のジョンはじっと前方を見て、何も言わなかった。私もジョンにどう言っていいか分からず、車の中に重苦しい沈黙が流れた。朝8時に出たのだが、ちょうどラッシュアワーにひっかかり、普通は30分もあればいけるのに、病院についた時は8時50分にもなっていた。

病院の受付で、渡された書類に生年月日や保険の情報を記入し、病歴とアレルギーはないかを調べるための問診表に答えて受付に返し、待合室で名前を呼ばれるまで待った。待合室には、娘に付き添われている老人や、夫に付き添われている若い女性など、多くの人が皆一様に不安そうな面持ちで名前が呼ばれるまで静かに待っていた。ジョンが看護師に呼ばれて連れて行かれた時は9時半になっていた。

それから、一時間ぐらいたって、ジョンが麻酔をかけられてまだふらふらして看護師に支えながら、戻ってきた。

「どうだった?」ときくと、

「後で、お医者さんが結果について、話したいと言っていたよ」と言った。

不安そうなジョンの手を握って、私は「大丈夫よ」と言ったが、実はジョンの不安がそのまま伝わってきて、その時私の心にも不安の暗雲が広がっていた。何も悪いところがなければ、すぐに言ってくれそうなものである。それから、医者に呼ばれるまでの15分間は、随分長く感じられた。

医者に呼ばれて、ジョンと一緒に診察室の椅子に座ると、若い医者は深刻そうな顔をして言った。

「胃癌ですね」

余りにも単刀直入に言われて、ショックが強かった。

ジョンは「やはり…」とつぶやいたが、私は

「胃癌と言っても、どの程度の進行状態ですか?」と聞いた。

医者は内視鏡で撮った胃の中を見せながら、

「かなり進行していて、胃の四分の一はやられていますね」と言った。

ジョンはショックの余り頭が空白になっているようだった。黙って写真に見入っているジョンに代わって、私は聞いた。

「胃の四分の一がやられているとなると、どんな治療法があるのでしょうか?」

「まず、癌細胞を切り取って、化学療法や放射線療法をやることが考えられます。それもできるだけ早くするほうがいいですね。今日は胃だけ検査したので分かりませんが、他に転移している可能性もありますから、その検査も必要ですね」

「そうですか」

医者は明日から入院するように言った。私たちは病院を出て、一旦うちに帰った。入院するための準備をするためだ。

ジョンは癌と聞いてからは、もう動き回る気力もなくしたようで、うちに帰ったらすぐにベッドに潜り込んだ。

私は、ジョンのために何をしたらいいのか分からず、落ち着かない気持ちだった。何かジョンのためにできることはないかと思案しているうちに、あることを思いついた。そして、ジョンに笑い飛ばされるだろうとは思ったが、寝ているジョンの背中に向かって言ってみた。

「ねえ、お祈りしてあげようか?」

背中を向けたままジョンは

「お祈りか。もう神にでも何にでもすがりつきたい気持ちだから、何でもやってみてくれ。奇跡が起こればもうけもんだからな」とふてくされたように言った。

「でもね、祈ると言っても、祈りを受けるあなたが信じてくれなきゃ、効果ないと思うわ。信じる?」と言うと、顔だけこちらに向けてジョンは「うん。信じる」と真面目顔で言った。いつもは非科学的だとか何とか言って、祈りの力を馬鹿にしていたジョンがえらく素直に言うので、ジョンの反応を心配した私のほうが拍子抜けした。

「仰向けに寝て」と、ジョンを仰向けにねさせ、私はジョンの胃の上に手をかざして、祈り始めた。ただただ「ジョンが元気になりますように」と頭の中で繰り返した。それ以外のことは何も考えなかった。私は仏教徒でもキリスト教徒でもなく、祈ると言っても、特定の祈る神も仏もいなかった。私は、口の中で「ジョンが元気になりますように」と言うと同時に、ジョンが元気になった姿を頭に描いた。そうしているうちに何だか掌が電流にでも触れたように、ぴりぴりし始めた。そしてその電流がジョンの胃に向かって発せられるように思われた。今まで経験したこともないような不思議な感覚だった。じっと手をかざしてどのくらい経ったのか分からないが、ジョンの寝息が聞こえ始めた。ジョンが一時的ながら癌の恐怖から解放されたのは確かだった。私は自分の祈りが全くの無駄でなかったのを見て安心した。祈ることを思いついたのは、頭が痛くなると、時折「痛みがとれる。痛みがとれる」と言いながら手を頭に当てると、不思議と頭の痛みが引いていくように思われたからだ。私はジョンを眠らせたまま、入院に必要だと思われる下着類や洗面用具を準備し、ボストンバッグに詰め込んだ。その作業が終わるとまたジョンの傍らに行ったが、ジョンは眠り続けていた。私は彼の側に黙って座り、ひたすら祈り続けた。その晩、一時目を覚ましたジョンの顔は、昼間の恐怖に引きつった顔から、いつもの穏やかな顔に変わっていた。

「今まで胃がしくしくしていたのが、痛みが全然なくなったよ。不思議だな」と私の方を微笑みながら見た。

「祈りの効果がでたのね」と私が言うと、いつもは鼻で笑うジョンが

「そうだね」と素直に言った。

「今晩、祈り続けてあげるからね」

「ありがとう。そうしてくれれば、癌だって消えるかもしれないな」ジョンは力なく微笑みながら言った。

「そうなればいいね。ともかく、あなたの胃の痛みがとれただけでもよかったわ」

私は、その晩約束どおり、祈り続けた。時折眠気に襲われた。その度にハッと気がついて前かがみになってしまった姿勢を正して、またジョンの胃の上に手をかざし、祈り続けた。

 

著作権所有者:久保田満里子

マイカテゴリー: 一般
コメント (0)

ヒーラー(1)

私の名前はようこ・ウォーカー。オーストラリア人のジョン・ウォーカーと結婚してメルボルンに住んでいる。ジョンとはインターネットを通して知り合った。英語の勉強にと、英語のインターネットのチャットのサイトにいくと、ジョンもそのチャットに加わっていたのだ。お互いにイギリスのロックバンドのラジオヘッドのファンだとわかって、意気投合した。ラジオヘッドの歌は、可愛らしい曲もあれば、ハードな不協和音を奏でる曲もある。しかし、私が気に入ったのは、琴のメロディーのような哀愁感の漂う『ストリート・スピリット』と言う曲。それにいじめにあったというトム・ヨークの作った詞は、世界でいつも自分が皆に溶け込めないという違和感と孤独感が語られ、何だか自分の気持ちにもぴったり合ったからだ。私自身はお琴を習ったことはないが、母が時々弾くのを傍らで聞いていて、「あれ、この『ストリート・スピリット』って、何だかお琴で弾けばいい曲」と思って母に聞かせると、母も「まあ、ロックにしては珍しい旋律の曲ね」と言っていた。ジョンとは最初は、チャットだけだったのだが、それからお互いに好きなバンドの曲を電子メールで送りあいこした。そして、知り合って1年後に、私がオーストラリアのツアーでメルボルンに3日行った時、ジョンと初めて会った。その前に写真は電子メールで送ってきていたので、どんな顔の人かと言うことぐらいは分かっていた。その時大学3年生だったジョンは、写真で見る限り、茶色の髪をし、これまた茶色の目をした長い睫のほっそりとした背の高い青年だった。まるで少女マンガに出てくる青年を思わせて、一目で好きになった。友達や親にインターネットで知り合った人とメルボルンで会うんだと言うと危険だからやめなさいと猛反対された。インターネットを通してだといくらでも嘘がつけるというのだ。確かにそうだが、メールの交換をしている限りでは、気が合うというか、心が通い合っていると思った。しかし実際に会うとなると、どんな人かしらとジョンに会う前の日は胸がドキドキして眠れなかった。そして、運命の出会いの日、ジョンはメルボルン空港に迎えに来てくれた。私はほんとにジョンに一目惚れした。そしてツアーのグループを抜け出して、メルボルンにいた3日間はほとんどジョンと過ごした。ジョンは好きなバンドが演奏しているからと、パブと言う日本の居酒屋に当たるようなところに連れて行ってくれた。日本にいて生演奏と言うのをほとんどきいたことがなかった私には、こじんまりしたパブでのバンドの演奏は強烈だった。パブの近くに行くと、表の通りからでも耳をつんだくようなエレキギターとドラムの音が空気を貫き、テーブルや椅子を振動させた。これを中に入って聴くとなると、鼓膜が破れるのではないかと心配になったが、ジョンは気を利かして耳栓を二人分もってきてくれていた。実際にジョンはラジオヘッドがメルボルンに来た時演奏を聞きに行ったそうだが、耳栓もしなかったので、後で2日くらい耳鳴りがして音が聞こえなくなり、もう一生耳が聞こえなくなるのではないかと恐怖に陥ったそうだ。ジョンとの会話には不自由をしなかったといえば嘘になる。ジョンはゆっくりと一言一言単語を切って英語を話してくれ、私も一言一言単語を思い出しながら話した。私は分からない単語が出てくると、ジョンに電子辞書を渡して、発音の仕方を教えてもらった。その3日間は夢のように楽しい毎日だった。その時ジョンはガールフレンドがいるんだと写真をみせてくれた。茶色の大きな目をした頬がふっくらした丸顔の可愛い魅力的な子だった。そのガールフレンドに対してやきもちがムラムラ湧き上がったが、到底競争して勝てる相手とは思えなかった。私にとって幸いなことに、彼女はアルバイトがあるとかで、その3日間はジョンと二人だけで過ごせた。私たちは友達としてこれからも付き合っていこうと言って別れた。その一ヵ月後、ジョンから彼女と別れたとメールで知らせてきた。彼女に他の好きな男ができたらしい。私は傷心のジョンを慰めた。それから私たちの仲は急速に接近して、その次の年の春にジョンは日本に遊びに来た。そしてその半年後にメルボルンで結婚式を挙げた。結婚式の招待状を見た人は誰もが、「ジョンとようこなんてビートルズみたいね」と言って笑った。ロックが二人をとりもってくれたのだから、二人ともそう言われると嬉しいねと言って顔を見合わせた。今はもう結婚して5年になるが、子供はまだいない。ジョンは今はコンピュータのプログラマーとして、忙しい毎日を送っている。

そんなある日、ジョンが蒼い顔してうちに帰ってきた。

「どうしたの?顔色が良くないけど」私が心配顔で聞くと、ジョンは今にも泣き出しそうな顔をして

「俺、今日医者から癌かもしれないから内視鏡で検査するように言われたよ」と言う。

「またまた何を言ってるの?貴方みたいに健康に細心の注意を払っている人が、癌になるはずないじゃない」と、私はジョンの不安を笑い飛ばした。

ジョンは、毎朝6時に起きて1時間ジョギングして、大好きなチーズやステーキを食べる量も減らし食事にも気をつけている。運動を一切しないし脂っこいものが大好きと言う私とは大違いだ。

ジョンは最近胃がしくしく痛むと言っていたが、今日会社の帰りにかかりつけの医師、マクファーソン先生に会いにいったのだ。

「検査しないと分からないんでしょ。だったら先走りして心配したって仕方ないじゃない」

「それは、そうなんだけど…。おれの親父は胃癌で死んだのを話したことあったっけ?」

「いいえ、聞いていないわ」と答えると、

「おれの親父、おれが大学2年のとき胃癌を宣告されて3ヵ月後に亡くなったんだけど、その亡くなる前の2ヶ月、痛みにのたうちまわって苦しんでいたんだ。あの親父の姿を思い出すと、ぞっとするんだ」と、ジョンはすっかりもう胃癌を宣告されたようにしょげ返っている。

「お父さんが胃癌だったからって、あなたが胃癌になるとは限らないでしょ。それで、胃の検査はいつあるの?」

「来週の水曜日の朝9時に、朝ごはんを食べないで来いって言われたよ。麻酔をかけるから、誰かに付き添ってもらって来いって言うことだったよ」

「それじゃあ私、来週の水曜日はバイトを休むわね」

私は「クリーニング・レディ」と言われるアルバイトをしている。「クリーニング・レディ」と言うと聞こえがいいが、要は掃除のおばさんである。私はとりたてて掃除が好きなわけではなかったが、英語を使って仕事をするほど英語に自信があるわけでもないし、日本の高校でいじめにあったため積極的に日本人コミュニティーに溶け込んでいける自信もなかった。だから特に誰とも話さなくてすむ掃除婦の仕事が一番性に合っていた。私は4人のお得意さんをもっていて、月曜日以外の週日は毎日仕事をしていた。水曜日の朝は、いつもブライトンにあるマクミランさんのお宅の掃除に行っている。

「俺、死ぬのかな」といつもは陽気なジョンがその日から、うつうつした顔を見せるようになっていった。

著作権所有者:久保田満里子

マイカテゴリー: 一般
コメント (0)

Page: 1  |  1  

関連記事

18-20 / 87days -街-
3カ月でオーストラリアを1周する方法
路上の老ピアノ引き
Yep It’s A BuskerBourke streetの孤
投稿!メルボルン珍百景 4枚目
毎週土曜更新!リクエストにお答えして...
ドックランドの花火
ゆっくり気ままなメルボルンリポート!
Victoria Monsoon News
メルボルンにいちばん近いソルト・レイク

最新記事

週末どこ行く?何をする?7月第4週
今週末のメルボルン ★7月21日(金)~7月23日(日)
市内ぶらり
ゆっくり気ままなメルボルンリポート!
週末どこ行く?何をする?7月第3週
今週末のメルボルン ★7月14日(金)~7月16日(日)
Winter Beach!
ゆっくり気ままなメルボルンリポート!
7月9日 邦楽コンサート・七夕&餅つきイベント
熊本震災チャリティ邦楽コンサート