ヒーラー(3)
更新日: 2013-09-15
翌朝、ジョンの胃の痛みはすっかりなくなっており、おなかがすいたというので驚いた。ミルクで作ったおかゆのようなオートミールぐらいは食べられるかと思い、作ってあげると、お椀一杯ぺろりと食べてしまった。
その時はジョンの食欲に驚いたのだが、驚くことはそれだけではなかった。
入院したその日は、癌が転移していないかの検査で、お尻から内視鏡を入れられて大腸を検査されたが、転移は認められないというのでほっとした。血液検査も異常は認められなかった。
その翌日胃の摘出手術が行われたのだが、胃を開けた外科医を驚かせるようなことが起こっていた。ジョンの胃はおとといの検査ではっきりと癌細胞で冒されていたのが見えたのに、全く癌細胞が見られなかったのだ。外科医は訳が分からないという風に首を振り、結局開けた胃を、そのまま閉じた。だから、手術時間が30分で済むという異例の事態が起こった。
まだ麻酔からさめていないジョンが病室に移された後、私は担当医に呼ばれた。
「奥さん、おとといの検査の結果は、奥さんにもお見せしましたように、胃の四分の一が癌細胞にやられていましたが、今日胃を開けてみると、癌細胞が全くなかったのですよ。これはどうにも説明のしようがありません」
担当医は困惑した面持ちで言った。
それは私にとっても驚きだった。
「奇跡が起こったとしかいいようがありませんな」と言う担当医の言葉を聞いて、私はそうだ、奇跡が起こったのだと思った。でも、勿論私が祈ったからなんて言わなかった。信じてもらえないのが目に見えていたからだ。
「それじゃあ、すぐに退院できるんですね」と聞くと、
「ええ、手術のあとの傷口がふさがれば、退院できますよ」
私はその後自分の祈りの効力に驚くと共に、ジョンの胃癌が消えた嬉しさに心が高揚して、しばらく病院の待合室のベンチに腰掛けてぼうっとしていた。
3時間後に麻酔からさめたジョンに担当医の言葉を告げると、
「信じられないな。奇跡じゃないか。君の祈りで奇跡が起きたんだよ。ありがとう、洋子」と私の両手を握って、目に涙を浮かべて言った。
ジョンは、一週間で退院して、2週間後には会社に復帰した。会社の人は驚いて
「何か胃癌のいい特効薬でも使ったのか?もしそうなら教えてくれよ。うちの親戚で癌で苦しんでいる者がいるから」などと言う人もいたが、ジョンも私も、誰にも私の祈りについて何も言わなかった。いや、誰にも言わなかったというと語弊がある。ジョンが親友のアランに話したのだ。そのため、いつの間にか周りの人に知れてしまうことになったらしい。
ジョンが会社に復帰して1週間も経たないある日、見知らぬ女からうちに電話がかかってきた。
「洋子さん、洋子さんは癌細胞を消すことができると聞きましたが、娘が乳がんにかかって苦しんでいるんです。助けてもらえないでしょうか」
私は、誰にも話していなかったのに、見も知らぬ人がそんな話を知っているのかと思うと驚きで、とっさに返事ができなかった。
「どなたからお聞きになったのですか?」
「友達の友達のウォルター・バトラーさんと言う人から聞きました」
どう考えても私の知っている人にウォルターと言う人はいない。どうやら、かなりの人に広がっているように思われる。私が黙っているので、その女は言葉を続けた。
「ウォルターさんも知り合いから聞いたということです。どうかう娘に会うだけでも会ってやってください」
わらにでもしがみつきたいような切羽詰った声だった。私は、その声を聞くと無碍に「そんなことはできませんよ」と言えなかった。
「癌を治したと言っても、夫に死なれては困ると思い、一晩必死になってお祈りしたら、不思議なことに癌細胞が消えていたのですから、たまたま奇跡が起こったとしか思えないですよ。私に特別な奇跡を起こす力があるわけではありませんよ」と言ったが、その女性は
「だめでもいいんです。ともかく一度娘に会って、祈ってもらえないでしょうか」と食い下がってくる。
私は「だめもとでもいい」とまで言われると、いやだと断れなくなっていた。私の祈りで命が一つでも救われれば、私は祈る義務があるように思われてきたのだ。
「それじゃあ、一度お会いするだけなら」と言うと、感激で胸が一杯になったのか、喉をつまらせながら、電話の女は言った。
「ありがとうございます。本当になんてお礼を言っていいのか。明日にでもお宅に連れて行ってもいいでしょうか?」
「治るって言う保証はないんですよ。それでもいいとおっしゃるのなら、明日の午後2時にうちに来てください」と私は答えた。明日は仕事のない木曜日だと思いながら答えた。
その日会社から帰ってきたジョンに話すと、
「人助けになるんだから、やってあげればいいじゃないか。君ならきっと他の人も治すことができるよ」と励ましてくれた。
著作権所有者:久保田満里子