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六度の隔たり(22)

~~ジーナは自分の気持ちを見定める機会もないまま、ベンが仮釈放される日を迎えた。その間、面会日になると心が落ち着かなくて、行こうか行くまいかと迷うのだが、結局は行かなかった。
その日の朝、キースから電話があった。午後7時に街中にあるパブで出所祝いをするので、そのパブに来てくれと言うことだった。刑務所までは自分が出迎えるということなので、ほっとした。
7時にパブに行くと、キースとベンは先に来てジーナを待っていた。薄暗いパブの奥の小さな木のテーブルに二人は陣取っていた。ジーナが近づくとキースが「やあ、よく来てくれましたね」と立って握手をし、「飲み物は何がいいですか?」と聞くので、「ビールがほしいわ」と言うと、すぐにカウンターにビールを注文しに行ってくれた。
キースが去った後、椅子に座りながら、ジーナはベンに出所祝いに持ってきたシャンパンを渡した。
「出所、おめでとう。これ出所祝い」
「ありがとう」と言うと、ベンは素直にシャンパンを受け取った。
「どう、出所した気分は?」
「まだ実感がないな。ニーナが死んだ後、暗い穴倉で暮らしていたような気分だったけれど、こんな世界もあったのかと不思議な気がするよ」
「こんな世界って?」
「皆が酒を飲みおしゃべりし、笑っている世界」
「あなただって、そんな世界にかつては生きていたのでしょ?」
「そうなんだよな。キースから言われたよ。いつまでも過去を引きずって惨めな思いをしてもニーナは喜ばないって」
「そうね。そんなにニーナの死があなたにとって苦痛だったのなら、あなたも一緒に死ねばよかったのよ」
ジーナは思ったことをはっきり言った。刑務所にいた時のあの惨めなベンは生きる屍だったとジーナは思った。
「ニーナは僕が注射しようとしたとき、何と言ったか、知っている?」
ジーナは首を横に振った。
「あなたは、私の分まで生きてって言ったんだ」
「だから、死ななかったの?」
その時、キースがビールジョッキを三つ持って戻ってきた。
「さあ、乾杯しようよ」と二人にジョッキを渡し、「乾杯!」と大きな声で言って、二人のジョッキにあてると、カチンと威勢の良い音がした。
ジーナは一口ビールを飲んでジョッキを置いたが、ベンもキースも一気に飲んだ。
飲んだ後、二人とも唇に白い泡をつけていた。ジーナは何となくそれがおかしくて笑った。
「ジーナさん、やっと笑ってくれましたね」
キースは嬉しそうに言った。
ビールを飲んで気分が軽くなったのか、ベンが言った。
「ジーナはね、昔からお酒には強かったよ」
ジーナは、そう言われても腹が立つどころか、嬉しくなった。ベンは私のことを覚えていてくれのだ。
「へえ。それじゃあ、今日は三人で飲み比べましょうよ」とキースが言い始めた。
その晩のベンは、刑務所で見たベンとは別人のように、よくしゃべり、上機嫌だった。
キースとジーナはかわるがわる、今度は私のおごりと、カウンターにワインやウイスキーを注文しに行き、最後には一体何杯飲んだか分からなくなっていた。酔ったジーナとベンは昔の思い出話をし始め、キースは聞き役に回った。
「そういえば、友達のサンディーの結婚式に一緒に呼ばれたときのこと、覚えている」
「ああ、あの時は、君は白と黒のサンダルを片方ずつ履いて結婚式に行ったんだよな」とベンは思い出し笑いをした。
「あなたが遅れるって急かすからよ。だから慌てて家を出たんだけれど、結婚式場でどうも歩くとき足の長さが違ってぎったんばったんするような気がして足元を見たら、違ったサンダルの片方ずつを履いていることに気づいて、顔から火が噴出すように恥ずかしかったわ」
ジーナはベンとの間にできていた45年間の壁が崩れ去るのを感じ、最後には思い出話をしながら、ベンの肩を叩いて笑い転げるまでになっていた。気づいたらパブの閉店時間になっていた。三人とも運転できる状態ではなかったので、タクシーで帰ろうということになり、一台のタクシーに乗った。そこまでは覚えているが、その後ジーナは頭が朦朧としてきて、眠気に襲われた。
 

著作権所有者:久保田満里子

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六度の隔たり(21)

~~その日も、ベンは緩慢な動きでジーナの前の椅子に座った。しかめ面は前の面会の時と全然変わっていなかった。
「元気だった?」と、いつものようにジーナが会話を始めた。ジーナが話しかけない限りきっとベンは何時間でも黙って座っているに違いない。
「ああ」気のない返事は以前と変わらなかった。
「ねえ、奥さんは何の病気だったの?」
ジーナがそう聞くと、つらい記憶を呼び戻したかのようにベンの顔がゆがんだ。
「ごめんなさい。あなたにとっては思い出したくないことよね。答えたくなければ、答えなくていいのよ。ちょっと知りたかっただけだから」慌ててジーナは付け加えたが、驚いたことにベンは座りなおしてじっとジーナの目を見ながら答えた。
「胃癌だったんだ。胃の調子がおかしいと病院に行った時はもう手遅れでね。医者は化学療法や放射線療法をしても、もう体全体に癌細胞が広がっているから、そんなことをするよりも家で安らかに死なせてあげるほうがいいと言ったんだ。ニーナも病院で死ぬのはいやだというので、家に連れて帰ったんだ。最初の頃はまだよかったんだ。鎮痛剤が効いていたからね。でも、段々鎮痛剤の量を増やさなければ痛みがおさまらなくなって、最後にはどんな鎮痛剤も効かなくなって、苦痛でのた打ち回る毎日が続いたんだよ。そして、『殺してくれ』って泣いて頼むんだ」
ここまで言うとベンは下を向いてくっくっと言う声を出した。最初は笑っているのかと思ったが、泣いていたのだ。ジーナは悪いことを聞いてしまったと後悔した。
「ごめんなさい。もういいわ、答えなくても」ジーナも下を向いて小さな声で謝った。
ジーナの声が聞こえなかったのか、ベンはそのまま話を続けた。
「ニーナを安楽死させてやろうと決心するまで一週間かかったよ。安楽死合法化の推進者として有名な医者に連絡を取って、安楽死のさせ方を教えてもらったんだ。そして薬を買って、ニーナが苦しみ出した時に、その薬を注射で打ったんだ。そしたら、そしたら、、」涙声になって後が続かなかった。
「もういい。もう何も言わなくていいわ」とジーナは思わずベンの両手を取って、握り締めた。面会時間が切れるまで、ジーナは黙ってそのままベンの手を握っていた。ベンもうつむいたまま、何も言わず、ジーナに手を握られていた。
家に帰る道中、ジーナはベンの悲しみがのり移ったような寂しさでやりきれない気持ちになっていた。きっとベンは愛する人を殺したという罪悪感から一生抜けきれないだろう。ベンの抱えている悲しみを丸ごと飲み込んで、彼を包むことができるだろうかと考えると、ジーナは段々ベンに関わることに自信がなくなっていった。
次の面会が許可される日が来た。ジーナはベンに会いに行ったものかどうか迷っていた。夏美のいうことは正しいように思われ始めた。でも、もう会わないつもりなら、それなりにけじめをつけて、ベンにはっきりとさようならと言うべきだと思い始めた。
そう思った次の瞬間、車を刑務所に走らせていた。刑務所への道に今まで気を取られることがなかったが、今日で通うのが最後になるかもしれないと思うと回りの山一つ見えない野原が、雨が当分降らなかったせいか、茶色になっているのに気づいた。そうだ、今日で終わりにしようと、ジーナの決心は刑務所に近づくにしたがって、強くなっていった。
面会時間を待っていると、見知らぬ35歳ぐらいの背広を着た男がジーナに近づいてきた。
「ジーナ?」
男に名前を言われて、ジーナは自分の名前を知っているこの男は一体何者かと警戒心を高めた。しぶしぶ「そうですけど、あなたは?」と言うと、その男は笑顔になって手を差し出して
「僕、キース・マッケンジーです。ベンの息子です」と言った。ベンとは余り似ていないその男は、丸顔でめがねをかけていた。
「ああ、ベンから息子がいると聞いていましたが、あなたでしたか」と言いながらその男の手を取って握手をした。
「父に面会に来てくれたんですね」と嬉しそうに言う顔を見て、これで面会は最後にするつもりだとは言いにくかった。
「ええ」
「僕も本当は毎週来たいところですが、何しろシドニーに住んでいるので、メルボルンまではそう頻繁に来るわけにはいかなくて」と後ろめたそうに言った。
「でも、ジーナさんがきてくださっているのなら、安心です」
どうして一度も会ったことがないキースは自分のことを知っているのだろうかとジーナは不思議に思った。
「どうして、私のことを知っているんです?」
「父のアルバムであなたの写真を見ましたよ。父と婚約をしていたことがあるんでしょ?。母はいつもあなたのことで、妬けていましたよ。父があなたの写真を捨てないものだから」
「え、そんなことがあったのですか。ベンは何言わないので、もう私のことはとっくに忘れていたんだと思いましたわ」
「とんでもない。いつも父は母と喧嘩するたびに、あのままヨークにいてあなたと結婚すればよかったって言ってましたよ」
キースの言葉は意外だった。その時、面会時間が来て、その会話は中断された。そして、いつものように大部屋に入れられ、ジーナはキースと一緒にベンチに腰掛けた。そこに、いつものようにベンがのろのろ気がすすまないような様子で現われ、ジーナとキースの向かいに座った。
「父さん、ジーナさんが来てくれていたんですね。よかったですね」
「ああ」
「父さんの出所は来月だということだけど、出所した後、どうするつもり?」
ジーナはつい先日まで、一緒に暮らさないかと誘おうと思ったのが信じられないくらい、他人事のように黙って二人の会話を聞いていた。
「父さんの家は他人に貸しているから、そこに住む気だったら、借家人に出てもらわなくてはいけないんだけど、どうする?シドニーに来て僕と一緒に暮らす?」
ベンは即座に「いや、自分の家に帰るよ」ときっぱりと答えた。
キースはそれを聞くと、今度はジーナに顔を向けてきいた。
「ジーナさんは、どこに住んでいるんですか?」
なぜこんなことを聞き始めるのか戸惑い、どう答えようかと思うより先に口から答えが飛び出していた。
「クレイトンですけど」
「ああ、それじゃあ父の住んでいるウッドエンドからは随分ありますね」とキースはメルボルンの地名は全部知っているといった自信満々の口調で言った。
ジーナはちゃんと出所する日を聞いていなかったことを思い出して聞いた。
「いつ、出所するんです?」
「来月の10日です」ベンが答える前にキースが答えた。
「ジーナさん、父が出所する日、一緒にどこかのレストランで三人で出所祝いをしませんか?」
キースがジーナがベンと親しくなってくれるのを望んでいることがありありと窺えた。面会に来る前は、もうベンの人生から姿を消してしまおうと思っていたのに、キースの出現によって、またジーナはベンの人生に引き込まれていきそうな気配を感じた。
「ええ、いいですね。そうしましょ」仕方なくジーナは答えた。
「父はローストビーフとヨークシャープディングが大好きなんです」
そういえば、昔ベンと一緒に出かけた夜はいつもローストビーフを食べたことを思い出した。ベンは今も変わっていないようだ。
「ローストビーフはともかく、オーストラリアでヨークシャー・プディングなんか出しているレストランなんてないでしょ?」とジーナは聞いた。プディングというと甘い食べ物を思い浮かべる人が多いが、ヨークシャー・プディングは小麦粉を肉と一緒に焼いた物で、脂のたっぷり入った塩辛い何も中身が入っていないパイのようなものである。
「それが、あるんですよ。今度そこに行きましょう。ねえ、父さん」とベンを見て、キースは言った。キースが陽気に話すのとは対照的に、出所することになって喜ぶべきはずのベンの顔は相変わらず暗かった。別れを告げるつもりだったジーナは、キースのおしゃべりでそのチャンスを失い、面会は時間切れとなった。
刑務所を後にして車に乗ろうとした時、後ろから肩を叩かれ、誰かと思って振り向くとキースだった。
「よかったら、電話番号の交換をしませんか?これ、僕の電話番号です」と言って名刺を出した。名刺にはファイナンシャル・アドバイサーと肩書きが書かれていた。
ジーナは名刺など持っていなかったので、手帳の紙を破って電話番号を書き、キースに渡した。
キースは「じゃあ、またお目にかかりましょう」と手を挙げてジーナに別れを告げ、タクシー乗り場に急いだ。
結局キースのペースに巻き込まれた形で、いつの間にかジーナはベンとキースと出所祝いをすることになったが、ジーナはこれでよかったのかどうか判断しかねた。
著作権所有者:久保田満里子

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六度の隔たり(20)

~~ジーナは夏美と話した後、腹立たしい気持ちになっていた。夏美は気立ての良い人だが、自分のプライバシーに関することまで親のように干渉してくることは許せないと思った。
「私は、別にパートナーが欲しいから、ベンに連絡を取ったのじゃない。ベンに会いたかったから連絡を取ったのだ。それを、まるで私が男を欲しがっているように勝手に解釈して、余計なお世話だわ」と、心の中でつぶやいていた。
だから、次の週、夏美に反対されたのにも関わらず、またベンに会いに行った。いや反対されたことで、意地になったのかもしれない。ベンのいる刑務所は人里はなれたところにあった。だから、ジーナのうちから車で1時間かかる。幸運にも脳梗塞の後遺症はなかったので、車の運転はできる。
その日は、先週の暑さが信じられないくらい最高気温が24度と言う、快適な日だった。面会の時間まで30分あったが、外で待たされても、先週のようにジリジリ体の水分が吸い上げられていくような苦痛を感じなくてすんだ。面会人の書類に名前と住所を記入すると徹底的に持ち物の検査をされた後、面会所の大きな部屋に入ることを許可されて、面会所に入った。たくさん並んでいる椅子と机の中で、部屋の一番奥の片隅にある椅子に腰をかけて、ベンが来るまで待った。面会人を眺めると皆生活に疲れたような顔をしていた。5分ばかり経ったところで、ベンはきのうと同じように暗い眼をして、のろのろとジーナの前に来て、黙って座った。
ジーナは、どう会話を始めたものか、困惑した。
「きのうは、よく寝れた?」
「ああ」
「ねえ、きのうは私のことばかりしゃべっちゃったけど、今日はあなたがどうしてオーストラリアに住むようになったのか、聞きたいわ」と言って、ベンの顔を見つめた。
しばらく沈黙が流れた後、ゆっくりとベンは話し始めた。
「世界旅行に行った時、オーストラリア人のニーナっていう女性と会ったんだ。ニーナと結婚して、オーストラリアに来たんだよ」
「それ、いつのこと?」
「世界旅行から帰って、一年後だったかな」
「まあ、それじゃあ、私がオーストラリアに来て2年もしないうちに、あなたもオーストラリアに来たって訳ね。オーストラリアでは、何していたの?」
初めてベンは苦笑いを見せていった。
「何だか、尋問されているみたいだな」
ジーナも初めてリラックスし始めたようなベンに嬉しくなって
「そうよ。だってあなたが私と別れた後どうしていたのか、全部知りたいのよ」と冗談めかしに言った。
「ニーナと一緒にウエイターや店員のアルバイトをしてはお金をためて、色んなところを一緒に旅行したんだ。アフリカにも行ったし、南アメリカのアマゾン川にも行ったよ」
「ふうん。ニーナも冒険家だったんだ」
「そうなんだ。でも、子供が生まれてからは、二人で旅行をすることはあきらめたんだけどね」
「何人子供がいるの?」
「息子と娘。娘はニーナが死んでから、もう俺に口をきいてくれなくなったよ。お父さんはお母さんを殺したって言って」
「息子さんは?」
「息子は、父さんの気持ちはよくわかる。僕だって父さんの立場だったら同じことをしただろうって言ってね。でも、息子はシドニーに住んでいるから、滅多に会いにきてはくれないよ」
「そうなの」
もっと、ベンの家族の事を聞きたかったが、面会時間の終了を大柄な太っちょの警備員に告げられ、ジーナは仕方なく席を立った。
「また来週来てもいいかしら」と言うと、
「来たければね」と言う答えが戻ってきた。立ち上がりながら、ベンは
「僕は模範囚でね。来月仮釈放されることになったんだ」とぶっきらぼうに付け加えた。
「え?それじゃあ、来月もう出所できるの?」
その時初めてベンは笑顔を見せて、
「ああ」と言った。
刑務所からの帰り、ジーナは出所した後ベンはどうするつもりだろうと、気になり始めた。行くところがなければうちに来てもらってもいいんだけどと思う一方、そうなった時の夏美のしかめ面が頭に浮かんだ。
ベンは余りジーナの面会を楽しんだ風もなかったが、ジーナは次の週もベンを訪ねて行くことにした。ベンに対する面会人はジーナしかいないように思えた。だから、私が行ってあげなければという気持ちになったのだ。そういえば、ティーンエージャーの息子を亡くした友人が昔言っていたっけ。「不幸に見舞われるとね、周りの人って何か私たちが疫病神にでも憑かれたみたいな態度をとるようになったわ。何か腫れ物に触るような感じ。だから、だんだん今まで付き合っていた人とも交際をしなくなっていったわ。息子を亡くしただけじゃなくて友達までなくしたの。それが息子を失ったのと同じくらいさびしかったわ」ベンの周りの人も、きっとそんな具合なのだろう。ベンの友人や知人も決して悪気があって、ベンを避けるわけではないのだろう。不幸にあった人にどう対処すればいいか、どう言えばいいのか分からなくて、結局会うのが苦痛になる。そんなところだろう。もしベンに出所後行くところがなければ家に来いと言おうか、言うまいかと、その一週間は思い悩んだ。しかし、結論が出ないまま、次の面会日を迎えた。


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六度の隔たり(19)

~~ジーナがベンに会いに行くと言っていた日は、40度を超える暑い日になった。外に出ると乾燥した北風が吹きつけ、オーブンの中に入れられた魚のような気持ちにさせられた。汗が出ても、すぐにその汗は乾燥した空気に吸い取られて蒸発してしまう。どこもかしこもカラカラだった。
夏美はその日は部屋のカーテンは閉めたままで、家を出た。熱が家の中に入るのを妨げるためにメルボルンの人が皆やることだ。会社ではいつものように仕事をしたが、仕事の合間にジーナとベンの面会はどうなっただろうか気になり、落ち着かなかった。
家に帰るとカーテンを閉めておいたものの、昼間の熱風で家全体が温められて、部屋の中は暑くなっていた。夏美はすぐにエアコンを入れて、夕ご飯を作った。いつものように三人で晩御飯を食べ、テレビを見た。しかし夏美の目はテレビに向いてはいたが、心は上の空であった。ジーナにベンとの面会がどうなったのか聞きたくて、心の中はうずうずしていた。だから、トムが寝付くのを待ち、トムの寝息が聞こえ始めると、夏美はすぐにジーナに電話した。
「夏美ですけど、今日のベンとの面会、どうでしたか?」
勢い込んで聞く夏美に、ジーナの声にならない苦笑が伝わっていた。
「ベンは口が重くて、ほとんどしゃべらないので、私が一人でしゃべりまくっていたって感じだったわ」
「そうですか」
「私も変わったかもしれないけれど、あの人も随分変わっていたわ」
思った通り、ジーナとベンの面会はスムーズにはいかなかったようだ。
「刑務所って初めて行ったけれど、今日のように暑い日でも1時間も外で待たされたのよ。他の面会人も皆ぶつぶつ言っていたわ。これじゃあ、囚人だけでなく、囚人の家族や友人も罰せられている感じだって」
「そうですか」
夏美も刑務所には幸いにも今まで縁がなかったので、どんなところか想像しがたい。しかし、テレビのニュースで紹介された刑務所の独房は、トイレ付きの小さなモーテルの部屋のようだった。あれだったら、刑務所に入るのもまんざら悪くないわねとギャリーと話した記憶がある。
「それじゃあ、もうこれで、ベンさんとは会わないことにしたんですか?」
少し沈黙があった。
「また、会いに行くことにしたわ。来週の火曜日」
「えっ?向こうはお母さんのことをなんとも思っていないんですよ。もし、伴侶がほしいというのなら、何もよりによって、服役中の人と付き合わなくても、他にいい人たくさんいるでしょ?新聞に交際相手を探している人の欄があるから、あんなのを見てこれはと思う人と連絡とって見たらどうですか?それに最近は、交際相手を探すことができるインターネットのサイトもあるし」
「70歳近い私と交際したいという男なんているかしらね。たいてい男は皆年下の女を好むからね」
「ああら。そんなに悲観することないですよ。私の会社の人で、20歳年下の男の人と結婚している人いますよ」
「それは例外中の例外だろ?」
「まあ、そうかもしれませんが、でも絶対ないとは言いきれないじゃありませんか」
「ベンと会って、あの人は今私が支えてあげないとだめになるような気がしたのよ」
「同情したってわけですか?」
「同情と言われれば、そうかもしれないわね」
「何も、問題を抱えている人と付き合わなくても」と夏美がしくこく食い下がると
「夏美さんは、私が再婚すると困ることでもあるの?」
とジーナは皮肉な口調で聞いた。夏美は、そこでジーナが何を考えたか気づいて、ハッとなった。無言に「あなたは私が再婚したら、私の遺産がもらえなくなることを心配しているのでしょう」と言っているように思えた。夏美は善意で言ったことでも、そんな風に思われたのかと思うと、情けなくなった。そして心の中で「じゃあ、勝手にしたら」と言っていたが、口に出しては言わなかった。
「いいえ。じゃあ、これで。また、電話します」と早々に電話を切ったが、後味が悪かった。ジーナも子供ではないのだから、彼女なりに考えて行動するだろう。もう、ジーナの問題は考えないことにした。
 

著作権所有者:久保田満里子

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