Logo for novels

飛鳥の麗人(2)

天智天皇が崩御されて1ヶ月も経つと、額田王の耳に不穏なうわさが耳に入ってくるようになった。

「大海人皇子が、乱を起こされるそうだ」

自分には天皇の位など興味はないと言って吉野に隠遁したはずの大海人皇子だが、今は皇子の后となり、大海人皇子について吉野山にいった野心満々の鸕野讚良(うのささら)皇女(後の持統天皇)が、一生吉野の山奥に引っ込んでいるとは、額田王には思えなかった。大海人皇子は物静かな大田皇女を寵愛されていたが、大田皇女は病気で亡くなられ、その後は同じ同母姉妹とは思えない大田皇女の妹で勝気な鸕野讚良皇女を寵愛されるようになった。大友皇子と鸕野讚良皇女はどちらも天智天皇の御子とは言え、大友皇子の母親が伊賀の豪族の出なのに対して、鸕野讚良皇女の母上は名門蘇我一族の出である。母親の出自がものをいう時代だから、鸕野讚良皇女は、大友皇子を目下に見るきらいがあった。その頃の貴族は年少の頃は母親に育てられるので、同母兄弟ならともかく、異母兄弟は他人同然である。大友皇子に対する反感はあっても、好意を持っているとは言えなかった。

大海人皇子が、大友皇子と一戦を交えるとなれば、十市皇女にとっては、父親と夫の対戦になり気も休まらないだろうと、額田王は気が気ではない。大海人皇子には10人の后から22人の子供が生まれているが、初めての子供の十市皇女が可愛くないはずはない。額田王は、戦のうわさを耳にすると、すぐに十市皇女に会いに行った。

しばらく部屋で待たされ、衣擦れの音が聞こえてきたかと思うと、十市皇女が現れたが、顔は憂いをおび、焦燥していることがすぐに見て取れた。

「母上様、お久しぶりでございます」と、十市皇女は手をついて挨拶をした。

「ええ、天皇が崩御された時以来ですね。最近は父上から何か便りでもありますか?」と、額田王が探りを入れると、十市皇女は悲しそうに首を横に振った。

「いいえ。母上は何か父上から聞かれましたか?」

額田王は思わず苦笑をしてしまった。

「そなたの父上とは、もう3年も会っていません」

「ということは、蒲生野の狩以来、会っていらっしゃらないのですか」

「ええ」と答えながら、天智天皇主催の狩の余興の席で歌った歌のことを思い出した。

あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖振る」

(茜色を帯びる、あの紫草の野をいき、標野を散策しているわたしにあなたは袖をおふりになられていますが、野守にみつかってしまいますよ)

と額田王が詠うと、すぐに大海人皇子から、歌がもどってきた。

紫野にほへる妹を憎くあらば人妻ゆえに吾恋ひめやも

(紫草のように美しい君をすきではなかったら、もう人妻になっているのにこんなに恋しいと思うわけがない)」

あの頃は、まだお互いに対する気持ちがくすぼっていたように思うが、今の状況では、そんな気持ちも吹き飛び、ただただ十市皇女の身が心配である。

「本当に父上は攻めてこられるのでしょうか?」

「攻めてこられる可能性は大いにあります。父上のそばにいらっしゃるのは鸕野讚良皇女様。皇女様には父上との間に草壁皇子がいらっしゃいます。きっと野心家の鸕野讚良皇女にとって、大友皇子が天皇になることは我慢のならないことでしょう。もし大友皇子が天皇に即位されれば、草壁皇子が天皇になれるチャンスは皆無となりますから」

「でも大友皇子と鸕野讚良皇女は、ご兄弟ではありませんか」

「そなたの父上も天智天皇も、舒明天皇と斉明天皇の皇子、同じ母君をもつご兄弟です。権力争いは血で血を洗うもの。このさい、大友皇子を信じて、大友皇子に従う以外ありません。そなたの役目は葛野王を守ることです」

十市皇女は、うつむき、悲しげに

「どうして皆権力のために命を懸けて戦わなくてはならないのでしょうか」と、つぶやいた。

「それほど、権力というものは、魅力のあるものなのでしょう。天智天皇も即位される前には、天皇家をしのぐほどの権力をもっていた蘇我入鹿を暗殺し、ライバルだった

異母兄の古人皇子、母君の弟君であった先の孝徳天皇の皇子の有間皇子をすべて謀反の疑いがあるという名目で殺されました。権力というものは、恐ろしいものです」と、額田王は答えた。

「ともかく、父上に手紙をしたためてはいかがですか」と、十市皇女にすすめて、1時間後には、額田王は自分の館に戻った。

実際に額田王と十市皇女の不安が現実のものとなったのは、天智天皇の死後半年後だった。いわゆる、壬申の乱である。吉野山を出た大海人皇子の率いる兵の数は当初20人ばかりだった。

大海人皇子が兵を率いて吉野山を出たというニュースを聞き、額田王は、すぐに十市皇女のもとに駆けつけたが、十市皇女は思ったより落ち着いていた。

「父上のことも心配ですが、母上のおっしゃるとおり、私にとっては葛野王を守ることが一番大事なことです。ですから、私は大友皇子に従っていくことにしました。大友皇子は、父上の率いる兵の数はしれたもの。だから、都に入る前に決着がついているだろうと言われました」

「父上には、手紙を書いたのですか?」

「書きましたが、何もお返事が来ませんでした。母上はきっと父上を応援していらっしゃるのでしょうね」

十市皇女が探るような目で額田王を見た。

「そなたの父上は、もう私とは縁の切れたお方。今の私にとっては、そなたの身が一番心配です」

たぶん10年前だったら、こんな言葉は出ては来なかっただろう。その頃は恋に生きていたのだから、娘のことは二の次だった。しかし45歳になった額田王にとって、昔の恋人は、遠い過去の人となっていた。

比較的落ち着いていた十市皇女を見て、額田王も安心した。

著作権所有者:久保田満里子

マイカテゴリー: 一般
コメント (0)

飛鳥の麗人(1)

時は、671年12月3日。近江京の宮殿の中で、額田王は、白い喪服に身を包んで、天智天皇の死を悼んでいた。天智天皇はしばらく病を患われていて、余命いくばくもないと聞いていたので、崩御されたと聞いた時、とうとうその時が来たかという思いだった。すぐに天皇のおそばに駆けつけたが、正妃の倭姫様を始め、お子をなした数々のお后がいらっしゃり、天智天皇との間に子供もいない額田王は、部屋の隅に、ひっそりと身をおいた。あちらこちらでお后や天皇の御子達のすすり泣きがもれ聞こえた。そんな中で、額田王は、天智天皇に愛された日々のことを懐かしく思い出していた。天智天皇がまだ中大兄皇子と呼ばれていた頃、皇子の母君の斉明天皇のお供をして、隣国の新羅の国から攻撃を受けていた朝鮮半島にある百済の国に援軍を出すために、筑紫の国(九州)に向かう途中、熟田津(愛媛県松山)で、皇子に請われて詠んだ歌のことを思い出した。

「熟田津に船乗りせむと月待てば、潮もかないぬ今は漕ぎ出でな」

(熟田津で船に乗ろうと月の出を待っていますと、月が出てきたばかりでなく潮も満ちてきて、船出に具合がよくなりました。さあ、今こそ漕ぎ出しましょう)

この歌を歌ったとき、中大兄皇子から絶賛され、誇らしく胸が高鳴ったことを思い出した。あの頃が一番天皇に愛されていたような気がする。

もの言わぬ天皇の側に、天皇の弟で、額田王にとっては前夫となる大海人皇子との間にできた娘の十市皇女の姿も見えた。天智天皇の跡継ぎとして期待されている天皇の長子、大友皇子の后となった十市皇女は、天皇の亡骸のすぐそばにいる大友の皇子のすぐそばで悲壮な顔をして控えていた。その傍らには、十市皇女と大友皇子との間にできた葛野王(かどのおう)の小さな姿も見えた。十市皇女に声をかけることもためらわれて、額田王は、ひっそりと一人、宮殿をあとにして、自分の館に戻って行った。

額田王が自分の館に帰り、喪にふしているとき、幼友達の鏡女王が訪れてきた。鏡女王とは、何年も会っていない。鏡女王も一時は天智天皇に愛されたが、天皇に飽きられて、中臣鎌足に無理やり嫁がされてしまった。鏡女王も、額田王と同じくらい、天智天皇の崩御には衝撃を受けているであろうが、立場上、天智天皇のお側に駆けつけることはできない身であった。

はたして、額田王が鏡女王と差し向かいに座ると、鏡女王の目は腫れあがっていた。

「額田王様、天智天皇の亡骸を見ましたか?」

「ええ。でも天皇のお側にはたくさんのお后や御子がいらっしゃり、天皇のお顔を見ることはできませんでした。鏡女王様も、さどかしお心が悼むことでしょう」

「ええ。あなたの忠告も聞かず、天皇のおそばにいたいと、飛鳥から中大兄皇子が住んでいらした難波に移ってしまったのは、大きな誤りでした。時々お会いしていたからこそ、天皇も私のことを大事に思ってくださったのでしょう。でも難波に移ってから、いつでも天皇にお会いできると思っていたのに、天皇の周りには数多くの女人がいるのに我慢ができなくて、嫉妬に苦しむようになりました。そのため天皇をなじったりしたので、天皇にうとまれるようになってしまったと、悔やんでおります」

「でも、鎌足殿とは、仲むつまじく暮らされたと聞いております。鎌足殿が病気に伏せられたとき、快癒祈願のために興福寺を建てられたではありませんか」

「ええ。鎌足は私を天智天皇からの贈り物だと、とても大切にしてくれたのは、本当です。天皇に対する燃えるような想いはもてませんでしたが、夫として申し分のない方でした。興福寺を建てたものの、夫の快癒はならなかったのが、残念です。夫も逝き、天皇も崩御され、むなしい思いでいっぱいです」

「そういえば、『君待つと、わが恋ひをれば わが屋戸のすだれうごかし 秋の風吹く』(あなたが来るのを恋焦がれて待っていると、秋の風がすだれを動かして吹いていく)と、私が天智天皇への想いを歌ったとき、あなたは『風をだに 恋ふるは羨し 風をだに来むとしまたば 何か嘆かむ』(風の音にさえ恋を感じ胸をときめかすあなたがうらやましい、訪れてくる人さえいない今の私は風だけでも来ないかと待つ心境だ)と歌ったことがありましたね。あの頃は、二人とも天智天皇のお気持ちを自分のほうに向けてもらうために、競い合っていましたね」

「恋敵でしたね、私達」

二人は顔を見合わせて、微笑みあった。

「額田王様は、大海人皇子とは会われることはないのですか?」

「あなたもお聞き及びのことと思いますが、天皇は最初弟君である大海人皇子に位を譲るおつもりでしたが、聡明な大友皇子が成長されると大友皇子に対する期待が大きくなり、お気持ちが変わられたようです。ですから、大海人皇子は天智天皇との衝突を避けて、身を引いて吉野山に隠遁されてしまったので、お会いすることもありません」

「そうですか。時折、あなたは大海人皇子と天智天皇と、どちらをより深く愛してたのか、考えることがあります」

額田王は、鏡女王の好奇心溢れる目が、自分に注がれているのを感じ、

「それは…」と一息置いて、首を傾けて考えた。

しばらくたって、やっと額田王は口を開いた。

「自分でもよく分かりません。大海人皇子に愛されていたときは、大海人皇子以外の人を好きになるなんて、思いませんでした。でも、天智天皇から言い寄られたとき、大海人皇子は天智天皇の皇女4人も后としてもらい、その中でも特に大田皇女に心を移され、私には見向きもされなくなってさびしい思いをしていたせいか、天皇に心惹かれてしまいました。でも、今から思えば、天皇は、私が大海人皇子の最初の后であったこと、そして私が宮廷歌人として名を上げていたことに対して、興味をそそられただけだったのかもしれません。王者として何でもほしいものを手にしなければ気のすまない方でしたもの。もっともそんな方であったからこそ、私も天智天皇に心を奪われたのだと思います」

「あなたが名だたる宮廷歌人なことは確かですが、天皇は、ほかの女人には見られないあなたの知的な美しさに魅了されたのだと思います」

額田王は、かつての恋敵だった鏡女王から美しいと言われて、少し心をくすぐられたような思いがした。

鏡女王が去ったあと、額田王は、鏡女王と自分の身の上を考えて、物思いにふけった。自分の館で愛する人を待たなければいけない女の身が、いまさらながらせつなく物悲しかった。

著作権所有者:久保田満里子

マイカテゴリー: 一般
コメント (0)

謎の写真(最終回)

田辺は淡々と話し始めた。

「あの写真に写っていたのは、私の曾祖母の高田榮です。あの写真からも分かるように、曾祖母は美人で、名古屋の実業家の目に止まり、その実業家と結婚したんです。ところが、その男、非常にヤキモチ焼きで、曾祖母がたとえ御用聞きの男であれ親戚の男であれ、男と話をするのを極端に嫌いましてね。曾祖母が嬉しそうな声で話そうものなら、そのあとは曾祖母をめちゃくちゃ殴りつけると言った具合だったようです。今でこそ家庭内暴力は社会問題となっていますが、戦前のことですからね、夫は妻を殴る権利があるくらいの認識しかなかったんですよ。曾祖母は子供が生まれれば、夫の暴力が収まると思って、随分我慢したようですね」

田辺の話は、ウエートレスが、前菜を持ってきたので、一旦中止された。

ウエートレスが去ると、田辺は話を続けた。

「ところが子供が生まれてからも、夫の暴力は一向に収まらなかったんですよ」

良子は、思わず口をはさんだ。

「今さっきから、曾祖母さんのご主人のことを、あの男とか夫とかおっしゃっていますが、田辺さんにとっては曾祖父さんにあたるのでは、ありませんか?なんだか、自分とは関係のない男のような言い方をされていますが」

「まあ、血のつながりはありますが、僕としては、余り関わりたくない人物ですねえ」

「そうですか。話の腰を折ってしまって、すみません。それで、何が起こったのですか?」

「ある日、女中が『今度生まれたお嬢さん、余り、ご主人に似ていないわねえ』と言っているのを小耳に挟んで、逆上した曾祖父は、曾祖母を殴り殺されてしまったんですよ」

「えっ!」

思わぬ話の展開に、良子は声をあげた。そして慌ててシャーリーに説明すると、シャーリーも目をぱちくりとさせた。

「それで、どうなったんですか?」

「どうやら、曾祖父は曾祖母が死ぬとは思わなかったので、ぐったりなっていた曾祖母を物置小屋に閉じ込めて、翌日見に行って、死んでいるのを見て、うろたえたようですよ。そして、慌てて死体を小屋の近くの土を掘って、埋めてしまったそうです。そして曾祖母の失踪を、男と駆け落ちしたと言いふらして、ごまかしたそうです」

「どうして、ひいおじいさんが殺したなんて言えるんですか?ひいおじいさんが誰かに話したんですか?」

「まさにその通りです。曾祖父は亡くなる前、しきりに曾祖母の幽霊が出てくるとうなされるようになり、曾祖父の介護をしていた、祖母に話したんだそうです」

「祖母はもう余命いくばくもない父親を、母親殺害の罪で暴き立てる勇気もなく、毎日悶々と過ごしているうちに、曾祖父は亡くなったそうです。父親の葬式が終わったあと、母親を埋めたという所の土を掘り返して、白骨と化した母親をみつけたそうです。女中からあんなことを言われたものだから、曾祖父は、祖母は自分の子ではないと思ったらしく、すぐに親戚の田辺家に養女として出したんですよ。そのあと曾祖父は再婚して、子供を三人も授かったのに、財産を全部政治資金として使い果たしたため、子供たちからも愛想を尽かされ、最後には看取る人もいなかったので、田辺家の養女に出された祖母は父親をかわいそうに思って、介護したということです。祖母は父親が死ぬ間際まで、自分が養女に出されたのは、父の再婚の妨げになったからだろうと単純に考えていたので、父親の告白は衝撃の強いものだったようです。そして自分は母親の不倫の子かどうか調べるために、最近父親の親戚筋の人に協力してもらって、DNA鑑定をしてもらったそうです」

「結果は、どうだったんですか?」

「間違いなく、曾祖父の子だったそうです。祖母は母親を信じなかった父親を恨みましたが、父親の犯罪は、胸の内深くおさめ、母親の墓は父親とは別に作り、頻繁にお参りしたそうです」

話があまりにも深刻だったので、良子もシャーリーも目の前に出された料理に手を付けずにいた。

田辺は話し終わると、

「私の話は、おしまいです。天ぷらが冷たくなっちゃいましたね。食べましょう」と気をとり直したように、料理をすすめた。

「どうして私が、曾祖母のことを、他人にほじくり返して欲しくなったか、わかっていただけましたか?我が家の恥ですからね。特に犯罪者を裁く検事としては、皆に知ってほしくはないことだったんですよ」

良子は、あの写真に写っていた人の不幸だった結婚生活を思うと胸がつまり、いつもなら飛びつく美しい皿に盛られた天ぷらを見ても、一向に食欲が湧かなかった。シャーリーも同じ気持のようで、ふたりとも黙ったまま、ゆっくりと箸を動かした。窓の外で、雨が降り始めたらしくパラパラと言う音がかすかに聞こえた。

「雨ですね」と言う、田辺の声が、重ぐるしい空気の中に、感慨深げに漂った。

注:この物語はフィクションです。

著作権所有者:久保田満里子

 

 

 

 

 

 

マイカテゴリー: 一般
コメント (0)

謎の写真(4)

翌日、良子は午前5時には目が覚めた。オーストラリアとの時差もあったが、それ以上に今日会う田辺が、一体写真に関して、どう弁明するのかが気になったためでもあった。シャーリーも5時半には目を覚まし、朝食の時間まで、ホテルの周りを二人で朝の散歩した。ところどころにある信号の警報機が「ピーポ、ピーポ」と鳴るのを聞いて、良子は「ああ、ここは日本なんだな」と改めて思った。オーストラリアの「ピ、ピ、ピ」と急かすように鳴る警報機より、のんびりしているように感じられる。

検察庁は9時から開いていると聞いていたので、良子たちは、8時半にはホテルを出た。検察庁には9時5分前には着いた。

ビルの前で、5分を過ごし、9時かっきしに、二人はきのう会った受付嬢の前に立った。

受付嬢は二人を見るとすぐに、

「田辺検事の事務室は2階にありますから、2階へどうぞ」と言ってくれた。

2階の部屋のドアに「田辺聡」と書いてあるところを見つけ、ノックすると、すぐに「どうぞ」と、中から声がした。

ドアを開けると、すぐ部屋全体が見渡せたが、その部屋の奥の窓際のところに大きな机があり、その机の前に、似顔絵そっくりの男が立っていた。

「田辺検事ですか?」と良子が聞くと、

「そうですが‥」と言って、不審そうに良子とシャーリーの顔を代わる代わる見た。

良子は、シャーリーを一瞥して、

「こちら、栄子さんの写真の持ち主だった、シャーリーさんです」と言うと、田辺の顔色が変わった。しかし、すぐさま平静を取り戻して、

「何のことでしょうか?」と、とぼけた。

今度は良子のほうが気色ばんで、

「とぼけないでください。どうして前島豊だなんて、偽名を使って、写真を持って行かれたんですか」と、声を荒らげて聞いた。

田辺の顔が一瞬ゆがんだ。

「偽名を使ったのは認めますが、あの写真に写っているのは本当に私の曾祖母なので、あの写真を受け取る権利はあると思います」

彼の言ったことを訳してシャーリーに伝えると、今度はシャーリーが怒って、

「元々あの写真は私の買ったものの中に入っていたのですから、私のほうが法的には保持する権利があると思います」とまくしたてたのを良子はすぐに日本語に訳して田辺に伝えた。

「それは、お金を払ってほしいと言う意味でしょうか」と、田辺が聞いた。

「そういう訳ではありません。シャーリーさんは、あの写真に写っていた女性がどんな人だったのかに興味を持って、写真を取りに来たあなたに聞きたいと思って、オーストラリアから訪ねてきたのです。最初は、ただそれだけでしたが、あなたが偽名まで使って写真を取りに来たので、ますますどうしてあなたは写真を持っていったのを隠そうとしたのか、是非聞きたいと思って伺ったのです」

田辺は良子の言葉に、どう答えようかと迷ったようだ。その時、ドアのノックをする音とともに、中年の背広を来た男が入ってきた。良子たちが部屋にいるとは思っていなかったようで、びっくりしたように良子たちを見た。

「これは失礼。お客様でしたか」

「いや、白川くん、いいんだ」と、田辺は言い、良子に向かって、

「今から、裁判所に行かなくてはいけないので、あなた方の質問の答えは、今晩にでも会ってから、お話したいと思います」

「いいですよ。時間と場所さえ教えていただければ」

「駅前の時計台のあるところを知っていますか?」

「ええ、知っています」

「それじゃあ、午後7時に、そこで会いましょう」と、言うと

「さあ、白川くん、行こう」とかばんを持って、良子たちを追い立てるようにして部屋から出し、白川と一緒に歩き去った。

廊下に取り残された二人は、果たして田辺が来るのだろうかと疑問を持ったが、田辺の言葉を信じて、午後7時まで待つ以外、方法が見つからなかった。

またもや、一日観光する時間ができた。名古屋では、たいして見るものもなさそうなので、レールパスを使って二人で京都に遊びに行って、午後6時半名古屋着の新幹線で戻り、駅の時計台の前に行った時は時計の針が6時45分を指していた。時計台の前は、名古屋の人の待合によく使われているようで、人待ち顔の、熟年女性や、若い女男、学生の姿で賑わっていた。時計台の時計が7時の鐘を打ち始めると、良子はキョロキョロと辺りを見回すと、田辺が急ぎ足で近づいてくるのが目に入った。

「このビルの10階に食堂街があるので、そこで晩御飯を食べながら、話しましょう」と言う田辺は、今朝会った時の予防線を張るような硬い態度がすっかりとれて、物柔らかい物腰になっており、良子たちを当惑させた。

田辺が連れて行ってくれたのは、高級な感じの日本料理店であった。

席に座ると、

「今朝は随分失礼なことを言ってしまって、申し訳なかった。ともかく、写真を返してもらったお礼も兼ねて、僕がごちそうしますから、何でも注文してください」と言った。どうして急に態度が変わったのか、腑に落ちず、良子達は落ち着かない気持ちだったが、今朝の田辺の態度にむかっ腹が立っていたので、一番高い懐石セットを注文した。

注文を受けたウエートレスが去ると、良子は疑問を正直に田辺に投げかけた。

「今朝はケンモホロロでしたが、何かあったのですか」

良子の単刀直入な質問に、田辺は苦笑いを浮かべた。

「いや、実は、写真を返して下さった方に、新聞社を通してお会いすると、曾祖母のことがメディアに取り上げられるのではないかと思い、 偽名を使ったんですよ。それにあなた方が急に現れたものだから、どう対処していいか分からなくて、失礼しました。でも、後になって考えると、正直にお話するのが一番良いと思いましてね。ただ、余り他人には知られたくない話なので、新聞社の方には言わないでいただきたいのですが、お願いできますか?もしも約束できないということなら、私としても何も話したくないのです」

『他人には知られたくない話』と聞くと、余計に知りたくなるのが人情である。柳沢からは、事情がわかったら教えてほしいと言われたが、何も柳沢と約束したわけではない。そう良子は自分の都合の良いように解釈して

「いいでしょう。新聞社には知らせません」と、顔を引き締めて言った。そしてシャーリーにも英語に訳して説明すると、シャーリーも、「イエス、オフコース(勿論よ)」と言って同意した。

著作権所有者”久保田満里子

マイカテゴリー: 一般
コメント (0)

Page: 1  |  1  

関連記事

フィッツロイ・ガーデン
初夏の木漏れ日のなかで過ごしてみませんか?
子どもと行くメルボルン @Yarra Bend Park
シティから近い最大面積の公園!
BreakFree Heritage on Littke Bourke
休暇にも出張にもぴったりのアパートメントホテル
子どもと行くメルボルン @National Sports Museum
スポーツ好きには見逃せない!
MEL漫 〜メルボルンまんが道〜 シーズン10投票終了しました!
君の判断で、どんどん得点いれちゃおう♪ イチオシは誰の手に???

最新記事

週末どこ行く?何をする?4月第4週
今週末のメルボルン ★4月21日(金)~4月23日(日)★
Wasshoi で秋田の銘酒爛漫フェア
4月一杯まで開催
ラッフル、オンラインにて販売開始
一等は日本往復航空券をペアで
「Easter」とは?
オーストラリア大型連休の背景は?
今週のNADESHIKO – JURINA (Scene 211)
メルボルン発!なでしこのファッションCHECK!隔週水曜更新中!