謎の写真(最終回)
更新日: 2016-02-14
田辺は淡々と話し始めた。
「あの写真に写っていたのは、私の曾祖母の高田榮です。あの写真からも分かるように、曾祖母は美人で、名古屋の実業家の目に止まり、その実業家と結婚したんです。ところが、その男、非常にヤキモチ焼きで、曾祖母がたとえ御用聞きの男であれ親戚の男であれ、男と話をするのを極端に嫌いましてね。曾祖母が嬉しそうな声で話そうものなら、そのあとは曾祖母をめちゃくちゃ殴りつけると言った具合だったようです。今でこそ家庭内暴力は社会問題となっていますが、戦前のことですからね、夫は妻を殴る権利があるくらいの認識しかなかったんですよ。曾祖母は子供が生まれれば、夫の暴力が収まると思って、随分我慢したようですね」
田辺の話は、ウエートレスが、前菜を持ってきたので、一旦中止された。
ウエートレスが去ると、田辺は話を続けた。
「ところが子供が生まれてからも、夫の暴力は一向に収まらなかったんですよ」
良子は、思わず口をはさんだ。
「今さっきから、曾祖母さんのご主人のことを、あの男とか夫とかおっしゃっていますが、田辺さんにとっては曾祖父さんにあたるのでは、ありませんか?なんだか、自分とは関係のない男のような言い方をされていますが」
「まあ、血のつながりはありますが、僕としては、余り関わりたくない人物ですねえ」
「そうですか。話の腰を折ってしまって、すみません。それで、何が起こったのですか?」
「ある日、女中が『今度生まれたお嬢さん、余り、ご主人に似ていないわねえ』と言っているのを小耳に挟んで、逆上した曾祖父は、曾祖母を殴り殺されてしまったんですよ」
「えっ!」
思わぬ話の展開に、良子は声をあげた。そして慌ててシャーリーに説明すると、シャーリーも目をぱちくりとさせた。
「それで、どうなったんですか?」
「どうやら、曾祖父は曾祖母が死ぬとは思わなかったので、ぐったりなっていた曾祖母を物置小屋に閉じ込めて、翌日見に行って、死んでいるのを見て、うろたえたようですよ。そして、慌てて死体を小屋の近くの土を掘って、埋めてしまったそうです。そして曾祖母の失踪を、男と駆け落ちしたと言いふらして、ごまかしたそうです」
「どうして、ひいおじいさんが殺したなんて言えるんですか?ひいおじいさんが誰かに話したんですか?」
「まさにその通りです。曾祖父は亡くなる前、しきりに曾祖母の幽霊が出てくるとうなされるようになり、曾祖父の介護をしていた、祖母に話したんだそうです」
「祖母はもう余命いくばくもない父親を、母親殺害の罪で暴き立てる勇気もなく、毎日悶々と過ごしているうちに、曾祖父は亡くなったそうです。父親の葬式が終わったあと、母親を埋めたという所の土を掘り返して、白骨と化した母親をみつけたそうです。女中からあんなことを言われたものだから、曾祖父は、祖母は自分の子ではないと思ったらしく、すぐに親戚の田辺家に養女として出したんですよ。そのあと曾祖父は再婚して、子供を三人も授かったのに、財産を全部政治資金として使い果たしたため、子供たちからも愛想を尽かされ、最後には看取る人もいなかったので、田辺家の養女に出された祖母は父親をかわいそうに思って、介護したということです。祖母は父親が死ぬ間際まで、自分が養女に出されたのは、父の再婚の妨げになったからだろうと単純に考えていたので、父親の告白は衝撃の強いものだったようです。そして自分は母親の不倫の子かどうか調べるために、最近父親の親戚筋の人に協力してもらって、DNA鑑定をしてもらったそうです」
「結果は、どうだったんですか?」
「間違いなく、曾祖父の子だったそうです。祖母は母親を信じなかった父親を恨みましたが、父親の犯罪は、胸の内深くおさめ、母親の墓は父親とは別に作り、頻繁にお参りしたそうです」
話があまりにも深刻だったので、良子もシャーリーも目の前に出された料理に手を付けずにいた。
田辺は話し終わると、
「私の話は、おしまいです。天ぷらが冷たくなっちゃいましたね。食べましょう」と気をとり直したように、料理をすすめた。
「どうして私が、曾祖母のことを、他人にほじくり返して欲しくなったか、わかっていただけましたか?我が家の恥ですからね。特に犯罪者を裁く検事としては、皆に知ってほしくはないことだったんですよ」
良子は、あの写真に写っていた人の不幸だった結婚生活を思うと胸がつまり、いつもなら飛びつく美しい皿に盛られた天ぷらを見ても、一向に食欲が湧かなかった。シャーリーも同じ気持のようで、ふたりとも黙ったまま、ゆっくりと箸を動かした。窓の外で、雨が降り始めたらしくパラパラと言う音がかすかに聞こえた。
「雨ですね」と言う、田辺の声が、重ぐるしい空気の中に、感慨深げに漂った。
完
注:この物語はフィクションです。
著作権所有者:久保田満里子