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断捨離(1)

「ああ、くたびれた。やっぱり我が家が一番」
そういいながら、中川美佐子はメルボルン郊外にある自宅のファミリールームのソファにどっかり座った。4か月ぶりの我が家である。
4か月前に母が危篤だと叔母から連絡があり、慌てて日本に帰国した。それまで年の割には元気いっぱいだった美佐子の母が、急に心臓発作に襲われたというのだ。美佐子の母は、美佐子が病室で「お母さん」と呼びかけながら手を握ると、やせ細った頬の筋肉をわずかにゆるませて笑ったように見えた。しかし結局は一言の言葉も交わすこともなく、2日間昏睡状態が続いたまま、母は息を引き取った。享年89歳だった。そのあと美佐子は母の死を悲しむ暇もなく、葬式の準備に追われ、葬式がすむと遺産相続などの手続きに追われた。遺産相続と言っても、5百万円余りの貯金と家しか残っていなかった。父は10年前に亡くなり、一人娘だった美佐子は、全部の遺産を相続したわけだが、日本に住む気のなかった美佐子は、家を処分することにした。家を売る前に、家具や母の所持品の片付けをするため、家の中を改めて眺めたら、「もったいない」が口癖だった母は、物を捨てることをしない人だったので、物で溢れていた。
洋服ダンスを開けると、亡くなった父の背広などが、捨てることもなく吊るしてあった。タンスには茶道が趣味だった母の着物もたくさんあった。美佐子は、ともかく家の中の物を捨てることにした。
ある日、引き出しの整理をするために中を見ると、引き出しの底から古ぼけた茶色い封筒が一通でてきた。差出人の名前を見ると、美佐子の知らない男の名前が書かれていた。封筒から手紙を取り出して読むと、それはラブレターだった。
「茂子さん
今日、あなたが来るのを神社の前で待っていましたが、来なかったので、がっかりしました。もう、あなたに会うことができないだろうと思うと、僕の胸は張り裂けそうです。
明日、広島師団に入ります。今の戦況では生きて帰れるかどうか、分かりません。でも、僕は、茂子さんを守るために、いや、この国を守るために、命を捧げることに誇りをもっています。
さようなら。いつまでもお幸せに。
斎藤豊」
美佐子から見た母は、実に平凡な女だった。気立ては良い人だったが、容姿は10人並みで決して美人ではなかった。父とは見合い結婚だったし、母をしたっていた男がいたというのは、初めて知った。自分の知らない母を見たような気がした。 
斎藤という男と結婚しなかったのは、きっと斎藤が戦死したためだろうと、美佐子は推測した。母も斎藤に気があったはずだ。それでなければ、この斎藤という男のラブレターを大事にとってはおかなかっただろう。それに、母をこんなにも思っていた男が、ほかの女と結婚することも考えられなかった。母と斉藤という男の淡い恋を、なんとなくうらやましい気持ちで読み返した。美佐子にはラブレターをもらった経験さえない。美佐子は、この手紙をどうすべきか、ちょっと考えた。早く気がついていたら、母の棺に入れることができたが、もう後の祭りである。結局美佐子は、「ごめんなさいね」と言いながら、ごみ袋に入れた。


ちょさくけ

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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