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ケーコの物語(最終回)

~~シャロンの誕生日パーティーから2日後、ケーコはピーターの事務所に電話した。もうメンジーズ大学をやめる覚悟ができた。そうすると肝が据わって、メアリーの脅しがこわくなくなった。ピーターの秘書から火曜日の3時に15分時間をとってあげると言われ、火曜日にピーターに会いに行くことにした。火曜日が来るのが待ち遠しかった。
火曜日にピーターの事務所に行くと、秘書に応接間のような部屋に案内され、ピーターと会った。ピーターはいつものように愛想の良い笑顔でケーコを迎えてくれた。
「僕の事務所に来るなんて、なんだか深刻な問題でも起こったみたいだね」
「ええ。メンジーズ大学で私の同僚が不正をしているのを、誰にも言えなくて、困っていたんです」
「不正?どんな不正?」
「同僚が自分の農場に日本人の留学生を連れて行き、農場訪問という名目で三千ドルも日本の大学に請求しているんです」
「三千ドル?確かに農場訪問として高いかもしれないけれど、それでケーコが悩むほどのことはないだろう?払うのは日本の留学生で、ケーコが払うわけではないんだから」
「私が問題だと思っているのは、その三千ドルは大学には報告されていないことなんです」
「じゃあ、その三千ドルは、その同僚がネコババしたってわけか」
さすがに政治家だけあって、ピーターの頭の回転は速かった。
「そうです」
「でも、そんなことは学科長か学部長に相談すれば解決することじゃない?」
「私も学部長に言えば、問題は解決すると思って、学部長に相談しに行ったんですが、もみ消された感じなんです。反対にその同僚から外部にもらしたら承知しないからと脅かされました」
「ふうん。それは、確かに深刻だね。よし、分かった。僕に任せてくれ」
ピーターは、力強く言うと、すぐにソファーから立ち上がった。そして、ケーコに握手のための手を差し伸べ、
「ケーコは、あんまり心配しないで」と言ってケーコと握手をしながら、ケーコの背中をたたいてくれた。
ピーターの力強い握手に元気付けられ、ピーターの事務所から出たケーコは、気が軽くなって、久しぶりに自然と笑顔がよみがえってきた。
今までメアリーから何を言われるだろうかとびくびくしていたのに、それからは、ピーターがどんなことをするのだろうか、どんな効果が現れるのだろうと、ワクワクしながらすごした。そんなケーコの気持ちはすぐに態度に表れたようだ。日本人留学生から、「何か嬉しいことがあったんですか?恋人でもできたとか」と、言われ、苦笑いした。
そのニュースは、ピーターと会って、2週間後に伝わってきた。学部の教師や事務員を集めた緊急会議が、スコットから招集されたのだ。議長席に座って苦虫をつぶしたような顔をしたスコットが、
「明日から会計監査が入るそうだ。皆監査員から要求された書類を提出して、監査に協力してくれ」と言うと、メアリーは、私のほうを射るような目で見て、にらみつけた。
ケーコは、そんなメアリーの無言の威嚇を無視した。
メアリーは、ケーコのそんな態度が気に食わなかったようだが、
「スコット。その監査は、大学全体でやる監査なの?それとも私たちの学部だけの監査?」
「これは、学長命令でされることになった、この学部だけを対象にした監査だそうだ」
「学長命令?」
「僕も詳しいことは知らないが、誰かが学長にこの学部で不正をしているなんて根も葉もないことを言ったのかも知れない」と言うと、スコットもケーコが言ったに決まっているというふうに、ケーコのほうに目を向けた。
ケーコは、黙っていた。どうせ、自分が何かをしたのだろうと気がついている人たちに、何も弁解をする気にもなれなかった。ケーコは、これで自分の役目は終わったと思った。
その翌日、ケーコは辞表をスコットに渡した。スコットは、黙って受け取り、
「君だろう?学長に告げ口したのは」と、言った。
「学長には告げ口していませんよ」とだけ、ケーコは答えた。
「辞表の日付は2週間後になっていますが、明日からたまっている有給休暇をいただきたいと思います」
「そうか。それじゃあ、今日でおしまいだな。今日引継ぎができるものは今日すませてくれ。君の代わりの人間を探すまで時間がかかると思うから、君のやっていた仕事のマニュアルを作成しておいてくれ」

ケーコはたった6ヶ月でこんなやめ方をするとは思いもしなかった。こんなに楽しい仕事はないと思っていたのに、あの請求書をたまたま目にしたばっかりに、黙っていられなくなった結果が、これだった。
自分の仕事のマニュアルを書いたプリントをスコットに渡すと、机の上を片付け、事務員に自分の持っていた大学の鍵を返した。5時きっかりに、部屋を後にした。部屋の外に出ると、思わず振り返って中を見た。メアリーはコンピュータに向かって何かしていた。スコットと仲がいいので、メアリーにケーコがやめるというニュースは伝わっているはずだったが、メアリーはケーコのほうを見ようともしなかった。
家に帰ったケーコは、明日から本格的に職探しに奔走をしなければいけないと、心を引き締めた。翌日、仕事の斡旋所に出かけようと思った時、家の電話が鳴った。出て見ると、ケーコが勤めていた学校の校長からだった。
「ケーコ、うちの学校に戻ってくる気はない?」
「え?」
ケーコは信じられなかった。まるで、神様がケーコを見守っていたかのように、辞表を出した翌日に、仕事を提供してもらえるなんて。もともと、その学校が嫌になってやめたわけではない。だから、ケーコは興奮に声を高ぶらせながら答えた。
「ええ、もう一度お仕事させたください」
「そう。良かったわ。あなたの後任だった先生、生徒と合わなくて、ノイローゼになって辞表を出してきたのよ」
なんてラッキーなんだろうとケーコは思った。
あとで、学校の理事もやっていたピーターが、ケーコの後任がやめることを知って、校長に話をつけてくれたことを知った。

ケーコがメンジーズ大学をやめたあと、メンジーズ大学では国際部を全面的に組織替えをした。ケーコが期待したように、メアリーは収賄の罪には問われなかったが、スコットもメアリーも、リストラにあったということを知り、ケーコは溜飲をさげた。
それから3年後、ケーコは今も高校で日本語を教えている。ある日、スコットもメアリーも今何をしているのだろうと、好奇心にかられ、ネット検索をした。そして、スコットもメアリーも今は別の大学で一緒に同じような仕事をしていることを知った。
ケーコは思った。あの時の自分の苦しみは何だったのだろうと。あんなに苦しんだのに、何も全然変わってはいない。スコットもメアリーも一緒にまた小遣い稼ぎに専念していることだろう。

著作権所有者:久保田満里子

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ケーコの物語(4)

~~ケーコがウツウツとしていた毎日を、どうにか機械的に仕事をこなして送っていた日、前の学校で教えたことのあるシャロンが、18歳の誕生日パーティーに招いてくれた。オーストラリアでは18歳と21歳の誕生日は大々的にすることが多く、昔の日本語教師だったというだけで、シャロンが招いてくれたのは、ケーコの沈んだ気持ちを少し明るくしてくれた。
シャロンのパーティーの会場になっているレストランに入ると、その日はレストラン全体を借り切っているようで、制服姿しか見たことのなかった元教え子たちがエレガントなイブニングドレスに身を包み、あちらこちらに固まって嬉しそうに話をしているのが見かけられた。その教え子の一人がケーコの姿を認めると、「先生、こんばんは」と大きな声で呼んでくれた。そのグループのティーンエージャーたちはいっせいにケーコのほうを振り向いて、「わあ、先生ひさしぶり!」と歓声をあげ、あっというまにケーコを取り囲んだ。ケーコは昔教えた生徒達の人気者の教師だったときのことを思い出した。
「久しぶりね。皆元気?皆もう大学生になったんでしょ?どこの大学に入ったの?」
「私は、OOOO大学」
「私は、XXXX大学」
「私は、メンジーズ大学」と、皆口々に答えた。
「先生は、確かメンジーズ大学に行かれたんですよね」と、メンジーズ大学に入ったというエミリーに聞かれた。
「そうよ」と答えたケーコは、メンジーズ大学の内情を聞かれては困ると思い、すぐに話題を変えた。
「まだシャロンの顔を見ていないけれど、シャロンは、どこにいるの?」
すると、エミリーがすぐに
「あの奥で、ボーイフレンドとボーイフレンドの友達に囲まれているわ」と、奥のほうを指差した。
「それじゃあ、私もまずシャロンに挨拶をしてくるわね」と、教え子たちのグループから離れて、シャロンにプレゼントを渡しに行った。
シャロンはケーコの姿を見ると、すぐに走り寄って来て、「先生、よく来てくださいましたね」と、ケーコに抱きついた。ケーコはシャロンの背中をたたきながら、「18歳のお誕生日、おめでとう」と言った。そして、お化粧をして赤いロングドレスを着て、見違えるほどに輝いているシャロンを見て、「きれいになったわねえ」とケーコはお世辞ぬきで、感嘆の声を上げた。
「これ、私からのプレゼント」と、持って来たペンを渡すと、「ありがとう」と嬉しそうに受け取ったものの包みを開ける暇もなく、中年の夫婦が「シャロン」と声をかけたものだから、シャロンはそちらのほうに行ってしまった。手持ち無沙汰になったなと思ったら、後ろから「ケーコじゃないか。よく来てくれたね」と男の声がするので振り向くと、それは、シャロンの父親のピーターだった。ピーターは州議会の議員で、労働大臣までしている。大臣と言っても愛想のいい人で、ケーコも高校の保護者会で何度か会っていて顔見知りだった。
「あら、ピーター、今晩は。今日はお招きありがとう」と言うと
「勿論シャロンのお気に入りの先生を呼ばないわけにはいかないだろう」と本気ともお世辞ともとれないことを言った。ピーターのそつのなさには、ケーコはいつも感心させられる。
「ケーコはもう学校教師をやめたと聞いたけれど、今何しているの?」
「今、メンジーズ大学で留学生のお世話をしているわ」
「楽しい?」
社交辞令で聞いてくれたのは分かるが、見る見るうちにケーコの顔が暗くなって、
「まあね」と、元気のない声に変わった。
ピーターは、そんなケーコの様子を見て、何かおかしいと思ったらしい。
「何か困っていることがあったら、相談にのるよ」と、言ってくれた。
「まあ、ピーターに相談しても、どうにもならないことだから、言わないでおくわ」
「どうにかなるかもしれないよ。僕は教育大臣のジム・ブラックとは、結構仲がいいんだ。心配事があるのなら、言ってごらんよ」と、笑顔で聞いた。
「こんなパーティーの人ごみの中で言えるようなことじゃないし…」と、ケーコが躊躇すると、
「じゃあ、明日にでも僕の事務所にでもおいでよ」
「でも、ピーターは忙しいんでしょ?」
「いや、ケーコのためなら、時間を作ってあげるよ」と、本気にすると問題になるようなことを言った。 それでもためらっているケーコを見て、「随分深刻な問題みたいだね」と付け加えた。
「ともかく力になってあげられるかもしれないから、今度話においでよ」
そう言って、ピーターもまたほかの客にあいさつをするために、ケーコの側を離れ、人ごみの中に消えていった。
ケーコは、その日は久しぶりで楽しい時間を過ごすことができた。昔の教え子たちと話していると時間のたつのも忘れ、いやなことも忘れることができた。
エミリーが「先生。私たちのつけた先生のあだ名、知ってる?」といたずらっ子のように目を輝かせながら聞いた。
「え、知らないわ。まさか変なあだなじゃないでしょうね」
ニヤニヤエしながらエミリーは言った。
「先生のあだ名はね、消防車って言うの」
「消防車?私って、そんなにいつも赤い服着ていたかしら?」とあだなの由来が分からなくて、不思議な顔をしていると、
「別に先生が赤い服を着ていたから、消防車ってつけたわけじゃないわよ」
「じゃあ、どうして?」
「だって、先生、いつもクラスの始まる時間にぴったり教室に現れたじゃない」
「それって、普通でしょ」
「そんなことないよ。ほかの先生は、来るのがもっと遅かったわよ」
「へえ、そうなの。私は時間通りに教室に行かなきゃいけないと思ったから、遠い教室なんかチャイムが鳴る5分前には、職員室をでたわよ」
「先生は日本人だから、几帳面なのよ、きっと」とエミリーから言われてしまった。
楽しい再会の時をすごして家に帰ると、すでに午前様になっていた。
その晩ケーコは、ベッドにもぐって、ピーターの言った言葉を思い出していた。
「何か困っていることがあったら、相談にのるよ」
ピーターに、メアリーの収賄の話をしようか、どうしよう。そのことばかりが頭の中を堂々巡りしていた。


著作権所有者:久保田満里子

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ケーコの物語(3)

~~ケーコは、学部で共同で使っているプリンターに、メアリーの書いた日本の大学への請求書が、そのまま残されているのに気づき、何となく興味を引かれて、請求書を見た。メアリーの農場の訪問の項目が目に入ったが、その金額を見て驚いた。三千ドル請求していたのだ。あのたいして見るところのない農場訪問に三千ドルなんて、とりすぎではないかと思った。その請求書の下から、大学に対する報告書が出てきたのだが、それを見て、もっと衝撃を受けた。その報告書には、農場訪問の収入が入っていなかったのだ。あの三千ドルは、メアリーがネコババしたと言うことだろうか。そうとしか考えられない。そう気づくと、メアリーに対する疑惑がムクムクと膨れ上がった。
その日は、メアリーと顔を合わすこともなく帰宅したが、これからメアリーに会ったとき、どんな顔をすればいいのだろうかと思い悩んだ。
翌朝、メアリーと顔を合わせたが、「グッドモーニング」と言った後、何となく目線を避けてしまった。きっとメアリーは、ケーコのことを変な奴だと思ったに違いない。
メアリーの不正をどう指摘したらいいだろう。メアリーに直接聞いたほうがいいのだろうか?でも、そんなことをするとメアリーとの関係は悪化して、せっかくの楽しかった職場が一転して地獄になることは目に見えている。それから2,3日、日本人の友人の彩加にも相談してみた。彩加は、学部長のスコットに言ってみることをすすめた。そうだ、スコットなら、どうにかしてくれるかもしれない。そう思うといても立ってもいられなくなって、翌朝一番でスコットの部屋のドアを思い切ってノックした。
「どうぞ」とスコットの声がして、部屋に入ると、スコットはコンピュータの前に座って、誰かにメールを書いているところだった。チラッとケーコのほうを見ると、すぐにコンピュータに目を戻した。
「今、メールを書いているところで、悪いけど、ちょっとそこに座って待ってくれないか。一分ですむから」
ケーコは言われるままに、スコットの机の前にある椅子に座った。スコットの机の上は書類の山積みになっていた。1分もしないうちにメールを書き上げたスコットは、コンピューターからケーコのほうに目を移し、
「今日は何の用?また何かいいアイディアでも浮かんだ?」と聞いた。
いつも日本に宣伝する方法などを思いつくと、すぐにスコットの部屋のドアをたたくので、スコットは今日もそんな用件でケーコが来たと思ったらしい。
「スコット。日本の大学に、農場訪問の名目で三千ドル、請求しているの知っている?」
「細かい金額のことまでは覚えていないけれど、確かにそのくらいのお金を請求していると思うけれど、それが何か問題がある?」
スコットは、たいして興味のなさそうな顔で聞きかえした。
「その農場訪問と言うのは、メアリーの農場の事なのは、知っているでしょ?」
「うん。知っているよ」
「メアリーの農場、見たことある?」
「うん、2,3度メアリーに招待されて行ったことがあるけれど、それがどうかしたの?」
「メアリーの農場って、羊が4匹しかいないような小さなところで、たいして見る価値ないと思うけれど、それに対して三千ドルなんて、とり過ぎだとは思わない」
そういうと、スコットは眉間にしわを寄せて、
「三千ドルが高いかどうかは、主観的な問題だから、何ともいえないね」
「それに…」
ケーコがいいにくそうにしていると、
「それに、なんだい?」
「それに、その三千ドルのことは大学に出す書類には載っていないんです。おかしいと思いませんか?」
「一体君は何がいいたいんだね」
スコットは少し苛立ったような声になった。
「つまり、私の言いたいのは、大学にはその三千ドルの収入が報告されていないということは、メアリーがそのままその三千ドルを自分の懐に入れているんじゃないかと…」
皆まで言わせないでスコットは声を荒げて、ケーコの言葉をさえぎった。
「君はメアリーがネコババしているといいたいのかね」
「そうとしか考えられないんじゃないでしょうか」
「君はメアリーに聞いてみたかね」
「いいえ。もし間違っていたらメアリーの気分を害するかもしれないので言えないんです。だからどう対処したらいいか分からないので、先生のお知恵を拝借したいと思い、相談に来たんです」
「そんな根も葉もないことを言いふらすなんて、けしからんと思わんかね」
スコットの剣幕にケーコはたじたじとなってしまった。
「ケーコが直接聞けないのなら、僕がメアリーに聞いてみるよ」と、苦々しい顔をケーコに向けた。今まで機嫌の悪いスコットを見たことがなかったケーコは、驚いてしまった。
スコットの部屋を出たケーコは、後悔していた。スコットに相談なんかするんじゃなかったと。
その日の夕方、帰る前にトイレに入ったケーコは、メアリーに出くわした。メアリーはこれからも出かけるところがあるようで、鏡を見ながら長い髪にブラシをかけているところだった。鏡に映ったケーコの姿を認めると、くるりと振り向いたかと思うと、恐ろしい顔つきになって、
「ケーコ、何かスコットにおかしなことを言ったそうね。いい加減なうわさを流したりしたら、承知しないから」と、ケーコをにらみつけた。メアリーに返す言葉もなく、慌ててトイレの個室に駆け込んだ。胸がドキドキしている。こんなに早くメアリーの耳に入っているとは、思いもしなかった。メアリーがドアの外にいると思うと、出ていけなくて、しばらく、息を潜めていた。やっと、メアリーが出て行くカッカッと響くハイヒールの音が遠ざかるのを耳にして、初めておそるおそる個室のドアを開けた。
ケーコは今頃になって、スコットとメアリーが共犯だったのではないかと気づいた。どれくらい大学から給料をもらっているのか知らないが、二人とも別荘や農場を持っていると言うことは、維持費だけでもかなりのお金がかかるはずだ。二人で3千ドルを山分けしているのかもしれない。いや、一校につき3千ドルだから、6校の合計は1万八千ドルということになる。
その晩、ケーコは眠られなかった。スコットの苦々しい顔とメアリーの怒りに燃えた目が頭に浮かんでは消えた。
これから、私はどうしたらいいのだろうかと、これからのことを思うとお先真っ暗だった。
翌日、メアリーを見かけた。ケーコが「グッドモーニング」と挨拶すると、メアリーは『グッドモーニング』と挨拶をしたが、その顔は引きつっていて、冷たい目をしていた。明らかさまにケーコを避けている。いつもは、クラスが終わるたびに、「日本の学生ったら、皆アメリカ英語を習っているようね。studentの発音がスチューデンツと言わないで、スツーデンツって言うのよ。それはアメリカ英語よと言うと、僕はアメリカ英語を習いたいので、それでいいなんて生意気なことを言うのよ」などと、学生の愚痴をこぼしたり、学生のおかしな間違いを話して、ケーコを笑わせていたのだが、その日を境に、決して自分からケーコの側に寄ってこなくなった。スコットも同じだった。挨拶をするといつもニッコリして、「ケーコは元気がいいなあ」と、いつも励ましの言葉を一言かけてくれていたのが、事務的に挨拶をかえすことしかしなくなった。ケーコは針の筵に座らされたような、居心地の悪さを感じるようになった。
そんな日が来る日も来る日も続き、一ヶ月も経つと、辞表を出そうかと考えるまでにいたっていた。でも、次の仕事が決まらないうちに仕事をやめることなどできなかった。新聞の求人欄を隅から隅まで目を通すようになったが、なかなか自分のやりたいような仕事はない。あれほど楽しかった職場が、今では、仮病を使って休みたいほど、毎朝出かけるのが苦痛になってきた。

注:この物語はフィクションです。
著作権所有者:久保田満里子

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ケーコの物語(2)

~~スコットから手渡された住所を頼りにたどり着いた家は、小高い丘の上に建っていて、フィリップ湾が一目で見渡せる鉄筋コンクリート2階建ての素晴らしい家だった。
スコットに案内されて中に入ると、新築のその家は、応接間の湾に面するところは一面ガラス張りになっていて、バルコニーの向こうに、大きな紺色の海がどこまでも広がっていた。
「素敵!」
思わず感嘆の声をあげると、先に来ていたメアリーが、ワイングラスを片手にケーコの背中から、「いつ見ても、見飽きない風景よね」と言った。メアリーとスコットは親しそうだとは思っていたが、メアリーは何度もこの別荘を訪れているようだった。
応接間はすでに人で溢れかえっていて、スコットは招待客を紹介してくれたが20人ばかりいる客の名前は覚え切れなかった。中国人も2人いたが、日本人は自分だけで、後は皆白人だった。招待客の中には副学長もいて、スコットとかなり親しげに話していた。
皆ワイングラスやビールのジョッキを抱えて、立ち話をしており、部屋の中は人声とロックの音楽でにぎわっていた。ケーコも、話の輪に加わり、大学のいろんなゴシップを聞くことができた。どうやら、来年は新しい学長が来そうだというので、その話題が多かった。ケーコは自分のような下っ端には学長が変わってもたいした影響はなさそうに思えた。
「まあ、学長がかわったからって、私には関係ないと思うけど…」と興味なさそうに言うと、メアリーからこっぴどく叱られた。
「ケーコ、そんなのんきな態度では、大学では生き抜いていけないわよ。学長が変われば必ず学部の見直しがされて、赤字になったところから、ばっさり切られるんだから」
スコットも話に加わり、
「そうだよ。ケーコは本当によくやってくれて感謝しているけれど、実際に日本の大学から入ってくる収入の10%しか、僕たちの学部の収入にしかならないんだよ」
ケーコはそれを聞いて驚いてしまった。
「たったの10%ですか?あとの90%はどこに消えちゃうんですか?」
「教室の使用料とか、宣伝代とか、学生の登録の手続き代とか、いろんな名目で大学の本部に取られてしまうんだよ。だから、ケーコもこれで十分なんて勘違いしないで、もっと収入を増やす手立てを考えてくれよ」
それを聞くとげんなりしてしまい、皿に盛ったバーベキューの羊肉やソーセージに対する食欲が急激に減退してしまった。
それでも、その晩フィリップ島からの帰り道、ケーコは、スコットやメアリーなど学部の人と少し親密になれて嬉しく、思わず運転しながら鼻歌が出た。
ケーコが勧誘してきた日本からの留学生の世話も少し慣れた頃、今度はメアリーから誘いがかかった。
「うちの農場に来週の土曜日、遊びに来ない?」
「わあ、ありがとう」
都会に住んでいるケーコは、農場を訪れるのは初めてだった。オーストラリアの農場と言えば、きっと見渡す限り草原が広がっている所なのだろう。ケーコは、ワクワクして、前の晩、よく眠れなかった。
メアリーから渡された住所は、メルボルンの市街地を出て、車で走ること1時間。高速道路から脇にそれて、単調なユーカリ林の中の土砂道を10分走ったところだった。
ところが、上機嫌でケーコを迎えてくれたメアリーに案内された農場は、普通の家の裏庭がちょっと大きめなもので、農場と呼ぶに値しないようなものだった。何しろ歩かなくて、家から全部が一望できるくらいの広さしかない。羊も4頭くらいしかいない。確かに池もあって、あひるも飼っていたが、動物はあひると羊だけ。農場も10分もすれば、全部見終わってしまうような小さな所だった。農場と言えば、牛や馬もいるのが普通だろう。そうは思ったものの、メアリーが趣味で持っている農場だから、そんなに大規模なものを期待するのがおかしいのかもしれないと思い直した。
木造の小さな家のベランダで、メアリーの作ったスコーンと紅茶をもらい、農場を見渡しながらケーコは、メアリーは日本の留学生に何を見せているのだろうかと疑問に思った。せっかく仲良くなれたメアリーと議論をするのはためらわれ、自分の失望を胸のうちに押し込めようとしたが、ついつい聞いてみた。
「日本の留学生たちに何を見せているの?」
「羊の飼い方を説明したり、近くの農場にも連れて行くわよ。お隣さんは1キロ先にあるけれど、そこでは馬や牛も飼ってきて、希望者には乗馬もさせてくれるから」
メアリーはたいして気にも留める風もなく、答えた。
ケーコは、帰り道、メアリーのやり方に批判的になっている自分を感じた。
オーストラリアの歴史を小学生用のテキストを使うだけの授業のやり方も、もっと工夫して面白く教えればいいのにと思った。日本人の留学生たちは、日本の大学の授業も、面白くないのが当たり前だと思っているせいか、不満の声は聞かれなかったが、ケーコは少々不満だった。
そんなある日、ケーコは、驚くべきことを発見して、愕然とした。

著作権所有者:久保田満里子
 

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ケーコの物語(1)

~~ケーコは刷り上ったばかりの名刺を手にして、これで、私もこの大学の一員になったのかと思うと、心の奥底から喜びが湧き出てきた。
その名刺には、
「メンジーズ大学 国際部 日本担当 中岸恵子」と書かれ、裏返すと、英語で肩書きが書かれていた。
  ここは、メルボルン。オーストラリアの大学は皆政府の予算が年々減らされて行き、どの大学も資金繰りに四苦八苦していた。
 メンジーズ大学も例外ではなく、留学生を増やすことによって、資金を確保しようとしていた。地元の学生からは政府が決めた金額以上の学費はとれないが、留学生にはそういう規定がないのだ。オーストラリアの教育産業は、いまではオーストラリアのサービス産業では、観光についで輸出の第二に位置するほどになっている。2011年の輸出額は830億ドル(およそ8兆円)にもなっている。
ケーコもこの仕事に応募し、面接試験を受けた時、学部長のスコットから
「あなたの仕事は日本からできるだけたくさんの留学生を勧誘してくることです」とはっきり言われた。
ケーコは色白の目のパッチリした美人で、今年35歳になる。それまで高校で日本語を教えていた。教え子たちにも人気があり、その仕事に不満があったわけではないが、ケーコはチャレンジ精神に満ちていて、メンジーズ大学の募集を新聞で見つけて応募し、幸運にも採用されたのだ。
「あなたの仕事は日本の大学に我が大学の英語のコースを宣伝することですから、日本語を教えるわけではありません。ですから、英語のコースを担当するメアリーと二人三脚で仕事をしてください」と、学部長から紹介されたのは、カールのかかった赤毛の豊かな髪を肩までたらしたスペイン系の美女を思わせる女性だった。大きな目に長いまつげ、真っ赤な口紅をつけた大きな口。日焼けをしたような肌は、肉付きの良い体とあいまって、情熱的な女性のような印象を受けた。
メアリーは、
「これから、仲良くやっていきましょうね。あなたが勧誘してくる学生の英語の授業は、私に任せておいて」と、力強く握手しながら、にっこりと笑った。
ケーコは、フレンドリーなメアリーと、仲良くやっていけそうな気がして、ほっとした。
ケーコに最初に与えられた仕事は、日本の協定校を回って、英語のコースの説明をして、学生を勧誘することだった。留学してくる学生には、一年間メンジーズ大学の授業を受けさせれば、一番お金がかからなくてよいのだが、日本から来る学生のほとんどは、英語力がなくて、現地の学生と同じようなクラスに参加させるのは無理だった。日本の大学と違って、オーストラリアの大学では毎週専門書や論文を読むことが課せられ、口頭で議論をすることも点数に組み込まれているのだから、英語の読み書きが、かなりできなければいけない。だから結局は日本人の学生用に英語だけを教えるコースを作る必要があった。
「夏休みを利用してくる学生のためにも、短期の集中講座を作る必要があるわね。カリキュラム作成にもあなたの知恵を貸して」
メアリーに言われて、ケーコは、高校でのカリキュラムを思い出し、学生が興味を持ちそうなアイディアを出して、メアリーを喜ばせた。
「せっかくオーストラリアに来るんだから、オーストラリアの農場に連れて行くのも、おもしろいと思うわ」と、ケーコが言うと、メアリーは目を輝かせて、
「実は私、メルボルンの郊外に農場を持っているのよ。そこに連れて行けばいいわね」と言った。
「へえ。農場を持っているの?すごい!」
ケーコは壮大な草原に黙々と草を食べている羊や牛の群を想像した。
「それだったら、どこに行くか考えなくてもすむわね。オーストラリアの自然を堪能してもらいましょうよ」
ケーコはうきうきしながら答えた。
「オーストラリアの歴史も少しは教えなくちゃね。小学生用の歴史のテキストがあるからそれを使えばいいわね」と、メアリーが言った。
「小学生用のテキストねえ」
ケーコは小学生用のテキストを大学生の授業の教材に使うなんて、何だが日本の大学生が馬鹿にされたようで、抵抗があった。それに無味乾燥なテキストを使うことには賛成できなかったが、そうかと言って、ほかにいい考えも浮かばないので、しぶしぶ同意した。
カリキュラムが決まると、宣伝に出かけることになった。
自分の大学のコースの売り込みなので、オーストラリアを出る前に協定校の留学生担当の責任者と会う約束をとりつけて、日本に向かった。日本で会う大学関係者のためのお土産には、メンジーズ大学の名前の入ったボールペンを何本もかばんに入れて持っていった。どっさり入れた刷り上ったばかりのパンフレットが重く感じられた。日本にいる間に土日は休暇をとってもいいと言われたので、母に会いに行こうと、ケーコは今回の日本への出張は楽しみだった。
日本に行くと、どの大学でも歓待してくれた。協定校の担当者は皆おじさんという感じだったが、美人で底抜けに明るいケーコは受けがよく、どの大学との話し合いもスムーズに行った。お昼ご飯を招待してくれるところも多かったので、おいしい日本料理をただで食べられるというご利益もあった。ダイエットには、よくなかったが。中にはケーコのためにメンジーズ大学の説明会を企画し、学生を集めてくれたところもあった。そんな説明会では、学生たちからは、生活費がいくらくらいかかるかとか、どんな宿泊施設があるのかなど、色々質問が出て、活気のある説明会を開くことができた。ユーモア溢れるケーコの話は好評だった。出張の合間に母親に会いに行ったが、自分の仕事の話ばかりしてしまい、「あんた、仕事中毒じゃないの」と、母親にやんわり非難されるくらい、ケーコは仕事にのめりこんだ。
  帰りの飛行機の中で、ほとんどの大学が留学生を送る約束をしてくれたことを思いだし、ケーコは思わずにんまりした。
7校中6校から留学生を送ってくれる約束をとりつけたことを報告すると、スコットは、
「ケーコすごいじゃないか!大成功だな」と感嘆の声をあげ、
「よくやった!」とケーコの背中をたたいた。
ケーコは、この大学に転職して本当に良かった、私に向いている仕事をやっとみつけたと顔を紅潮させ、心が浮き立った。
それからの1ヶ月は、次から次に来る日本人の留学生の世話に明け暮れた。忙しいけれど、張り切って仕事に全力投球した。
ある日、スコットから、
「来週の土曜日、暇?」と聞かれた。まさかデートの誘いではないだろうとは思ったものの、一瞬どっきりした。返事につまっているケーコの反応を見て、スコットが笑い出した。
「実は、来週の土曜日、フィリップ島にある別荘で、パーティーでもしようと思ってね、皆に声をかけているんだ」
なんだ。それならそうと早く言ってくれればいいのにと思いながら、
「喜んで行きます」と答えた。
学部長から別荘に招待されるなんて、自分がこの学部の重要な一員だと認められたからだと、ほくほくした。
 

著作権所有者:久保田満里子

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