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ケーコの物語(最終回)

~~シャロンの誕生日パーティーから2日後、ケーコはピーターの事務所に電話した。もうメンジーズ大学をやめる覚悟ができた。そうすると肝が据わって、メアリーの脅しがこわくなくなった。ピーターの秘書から火曜日の3時に15分時間をとってあげると言われ、火曜日にピーターに会いに行くことにした。火曜日が来るのが待ち遠しかった。
火曜日にピーターの事務所に行くと、秘書に応接間のような部屋に案内され、ピーターと会った。ピーターはいつものように愛想の良い笑顔でケーコを迎えてくれた。
「僕の事務所に来るなんて、なんだか深刻な問題でも起こったみたいだね」
「ええ。メンジーズ大学で私の同僚が不正をしているのを、誰にも言えなくて、困っていたんです」
「不正?どんな不正?」
「同僚が自分の農場に日本人の留学生を連れて行き、農場訪問という名目で三千ドルも日本の大学に請求しているんです」
「三千ドル?確かに農場訪問として高いかもしれないけれど、それでケーコが悩むほどのことはないだろう?払うのは日本の留学生で、ケーコが払うわけではないんだから」
「私が問題だと思っているのは、その三千ドルは大学には報告されていないことなんです」
「じゃあ、その三千ドルは、その同僚がネコババしたってわけか」
さすがに政治家だけあって、ピーターの頭の回転は速かった。
「そうです」
「でも、そんなことは学科長か学部長に相談すれば解決することじゃない?」
「私も学部長に言えば、問題は解決すると思って、学部長に相談しに行ったんですが、もみ消された感じなんです。反対にその同僚から外部にもらしたら承知しないからと脅かされました」
「ふうん。それは、確かに深刻だね。よし、分かった。僕に任せてくれ」
ピーターは、力強く言うと、すぐにソファーから立ち上がった。そして、ケーコに握手のための手を差し伸べ、
「ケーコは、あんまり心配しないで」と言ってケーコと握手をしながら、ケーコの背中をたたいてくれた。
ピーターの力強い握手に元気付けられ、ピーターの事務所から出たケーコは、気が軽くなって、久しぶりに自然と笑顔がよみがえってきた。
今までメアリーから何を言われるだろうかとびくびくしていたのに、それからは、ピーターがどんなことをするのだろうか、どんな効果が現れるのだろうと、ワクワクしながらすごした。そんなケーコの気持ちはすぐに態度に表れたようだ。日本人留学生から、「何か嬉しいことがあったんですか?恋人でもできたとか」と、言われ、苦笑いした。
そのニュースは、ピーターと会って、2週間後に伝わってきた。学部の教師や事務員を集めた緊急会議が、スコットから招集されたのだ。議長席に座って苦虫をつぶしたような顔をしたスコットが、
「明日から会計監査が入るそうだ。皆監査員から要求された書類を提出して、監査に協力してくれ」と言うと、メアリーは、私のほうを射るような目で見て、にらみつけた。
ケーコは、そんなメアリーの無言の威嚇を無視した。
メアリーは、ケーコのそんな態度が気に食わなかったようだが、
「スコット。その監査は、大学全体でやる監査なの?それとも私たちの学部だけの監査?」
「これは、学長命令でされることになった、この学部だけを対象にした監査だそうだ」
「学長命令?」
「僕も詳しいことは知らないが、誰かが学長にこの学部で不正をしているなんて根も葉もないことを言ったのかも知れない」と言うと、スコットもケーコが言ったに決まっているというふうに、ケーコのほうに目を向けた。
ケーコは、黙っていた。どうせ、自分が何かをしたのだろうと気がついている人たちに、何も弁解をする気にもなれなかった。ケーコは、これで自分の役目は終わったと思った。
その翌日、ケーコは辞表をスコットに渡した。スコットは、黙って受け取り、
「君だろう?学長に告げ口したのは」と、言った。
「学長には告げ口していませんよ」とだけ、ケーコは答えた。
「辞表の日付は2週間後になっていますが、明日からたまっている有給休暇をいただきたいと思います」
「そうか。それじゃあ、今日でおしまいだな。今日引継ぎができるものは今日すませてくれ。君の代わりの人間を探すまで時間がかかると思うから、君のやっていた仕事のマニュアルを作成しておいてくれ」

ケーコはたった6ヶ月でこんなやめ方をするとは思いもしなかった。こんなに楽しい仕事はないと思っていたのに、あの請求書をたまたま目にしたばっかりに、黙っていられなくなった結果が、これだった。
自分の仕事のマニュアルを書いたプリントをスコットに渡すと、机の上を片付け、事務員に自分の持っていた大学の鍵を返した。5時きっかりに、部屋を後にした。部屋の外に出ると、思わず振り返って中を見た。メアリーはコンピュータに向かって何かしていた。スコットと仲がいいので、メアリーにケーコがやめるというニュースは伝わっているはずだったが、メアリーはケーコのほうを見ようともしなかった。
家に帰ったケーコは、明日から本格的に職探しに奔走をしなければいけないと、心を引き締めた。翌日、仕事の斡旋所に出かけようと思った時、家の電話が鳴った。出て見ると、ケーコが勤めていた学校の校長からだった。
「ケーコ、うちの学校に戻ってくる気はない?」
「え?」
ケーコは信じられなかった。まるで、神様がケーコを見守っていたかのように、辞表を出した翌日に、仕事を提供してもらえるなんて。もともと、その学校が嫌になってやめたわけではない。だから、ケーコは興奮に声を高ぶらせながら答えた。
「ええ、もう一度お仕事させたください」
「そう。良かったわ。あなたの後任だった先生、生徒と合わなくて、ノイローゼになって辞表を出してきたのよ」
なんてラッキーなんだろうとケーコは思った。
あとで、学校の理事もやっていたピーターが、ケーコの後任がやめることを知って、校長に話をつけてくれたことを知った。

ケーコがメンジーズ大学をやめたあと、メンジーズ大学では国際部を全面的に組織替えをした。ケーコが期待したように、メアリーは収賄の罪には問われなかったが、スコットもメアリーも、リストラにあったということを知り、ケーコは溜飲をさげた。
それから3年後、ケーコは今も高校で日本語を教えている。ある日、スコットもメアリーも今何をしているのだろうと、好奇心にかられ、ネット検索をした。そして、スコットもメアリーも今は別の大学で一緒に同じような仕事をしていることを知った。
ケーコは思った。あの時の自分の苦しみは何だったのだろうと。あんなに苦しんだのに、何も全然変わってはいない。スコットもメアリーも一緒にまた小遣い稼ぎに専念していることだろう。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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