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EMR(33)

 

その晩は気も落ち着いたので、理沙は日本の母親に電話した。今なら冷静に母親に状況を説明できると思ったからだ。
「ママ、実はね、メルボルンで・・・」
 皆まで言わないうちに、母親の興奮した声が聞こえてきた。
「理沙。メルボルンで自爆テロがあったんですってね。NHKのニュースでやっていたけれど、あんたのことが心配で、携帯に電話しても通じないので、心配していたところよ。あんたは大丈夫なの?」
「実は、爆破に巻き込まれて・・・」
「何ですって?で、怪我はどうなの?」
 パニック状態になっている母親の一オクターブ高くなった声が伝わってきた。
「頭を打って、左腕の骨を折っただけで、すんだわ」
「ええ!頭を打ったんですって?で、脳に影響はないの?」
「ええ、脳は大丈夫よ」
「お母さん、明日にでもメルボルンに行ってあげようか?」
 理沙が答えるよりも早く、父親の声が受話器から聞こえた。
「理沙、怪我をしたんだって?大丈夫か」
 母親から受話器をひったくったようだ。
 父とは疎遠になっていたが、その父の声を聞いたとたん、父親も理沙のことを案じていたことが伝わってきて、「お父さん、大丈夫よ」と言うと、涙が出てきた
「そうか。本当に、大丈夫なんだな」
「そう。お母さんにも来なくっても大丈夫って言って。病院は完全看護だから」
「しかし・・・」
「大丈夫よ。友達もいることだし。英語が分からないお母さんが来たら、私はお母さんのことが心配でおちおちしていられないわ」
「そうか。それじゃあ、もしお母さんに来て欲しくなったら、すぐに知らせろよ。いいな。それから、何かいるものがあったら、送ってやるから、知らせろよ」
「ありがとう」
 今度は母親が電話に出てきた。
「お父さんもあんたのことを心配してね、夕べは二人とも寝られなかったのよ。でも、あんたの元気そうな声を聞いて安心したわ。お父さんも言っていたけれど、何かいる物があったら、すぐに電話するのよ」
「はいはい、分かりました」
 母親にとっては理沙はいつまでたっても小さな子供なのだ。ほとんど絶縁状態だった父があんな優しい言葉をかけてくれるとは思わなかったと、電話を切った後、理沙は胸が熱くなるのを感じた。
 その翌日、エイミーと省吾が一緒に理沙を見舞いに来た。エイミーとは一週間ぶりなのだが、もう一ヶ月も会っていない様な気がした。省吾はエイミーに誘われて仕方なく来たようだった。エイミーの後ろに隠れて、理沙とはろくに口をきこうともしない。理沙と省吾の関係は、まだギクシャクしていた。
 エイミーは大きな花束を持ってきて、「これ、省吾と二人で買ったお見舞い」と言って、理沙に手渡した。そして、「これ、読む?」と言って、今朝の新聞もついでに理沙に手渡した。エイミーは、メルボルン・セントラル駅が爆破されたと聞いて理沙の安否が気遣われたこと、省吾から、理沙がムハマドを監視していたと聞いたので特に心配したことなどを、繰り返し繰り返し言った。そして、理沙が疲れるだろうからと言って二人は三十分くらいで帰って行った。
 エイミー達が帰った後、理沙がエイミーのおいていってくれた新聞を手にとって開くと、第一面には爆破されてめちゃくちゃになったメルボルン・セントラル駅の跡の写真が大きく載せられていた。それを見ただけで、どんなに大きな爆弾だったのか想像できる。まるで戦場のようだった。インドネシアのバリ島に行ったオーストラリア人観光客がイスラム原理主義のテロリストの自爆テロに巻き込まれて多数死亡したことはあったが、オーストラリア本土が自爆テロにあったのは、初めてのことだった。だから、その衝撃はすごかった。メルボルン・セントラル駅の廃墟の写真の下に、ムハマドとアバスの写真が載っていた。自爆テロの後、アルカイダの幹部から、「アルカイダがやった」と声明が出されたということだ。二ページ目も爆破の記事が続いていて、死者の名前が載せられていた。もしかしたら、自分の知っている人に犠牲者はいないかと、リストにある名前を目で追っていった。そして、ある名前にであって、理沙の目が留まった。
著作権所有者:久保田満里子


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EMR(32)

「ハリー・アンダーソンという人に連絡してくれますか?」と、理沙の口から自然に出てきた。
「電話番号は?」
 看護師に聞かれて、ハリーとは知り合ったばかりで、電話番号までは覚えていないことに気づいた。
「ハンドバッグの中の住所録にあるはずですけれど・・」
 そういうと看護師は哀れむように理沙を見て、
「ハンドバッグはどこにいったか分からないわ。ともかく瓦礫の山を取り除いて、生き埋めになっている人を助け出すだけで、皆精一杯だったのよ」と言った。
 看護師の後ろから、「理沙じゃないか」と言う声がした。声のするほうを見るとマーク警部だった。
「まあ、マーク」
 マークと三回しか会っていないのに、懐かしさで胸が一杯になってきた。
「今、負傷者から、事情聴取をしているんだけれど、君までが被害にあっていたのか」
「ええ。でも、命があっただけよかったです。空港のほうは大丈夫だったんですか?」
「うん。まだ油断ができないから全面的に警戒をといたわけではないけれど、どうやらメルボルン・セントラル駅が、奴らのターゲットだったらしい」
「じゃあ、ニールの嘘をEMRを使っても、見抜けなかったということでしょうか?」
「そこが、はっきりしないんだ。ムハマドたちは空港に警戒網が張られることに気づいて、急遽ターゲットを変えたっていうことも考えられるし、最初からメルボルン・セントラルを狙っていて、ニールを全面的に信用していなかったので、いい加減なことをニールに言ったってことも考えられる」
「ムハマド囮作戦は、結局失敗したのですか?」
 マークは苦笑いしながら、
「そうなんだ。君が帰った後、ずっとムハマドからの連絡を待ったけれど、結局連絡してこなかったよ」
「ということは、最初から空港を狙う予定はなかったから、ニールが提供した空港の警官の配置図なんて、いらなかったのかもしれませんね」
「今度は、大失策をしてしまったよ。せっかく君からテロ爆破の情報をもらったのに」
 沈痛な面持ちで、マークは言った。
「で、ムハマドの遺体はみつかったのですか?」
「いや。後で監視ビデオを見たところ、リッチモンド駅でムハマドとアバスらしき人物がリュックサックを背負って電車に乗るところが映っていた。ムハマドは三号車に乗って、アバスは六号車に乗ったことまでは分かっている。どうやらリュックサックにダイナマイトを詰め込んで、メルボルンセントラル駅のホームで爆破させたらしい。ホームは完全に吹っ飛んで、ホームにいた人たちの体もこなごなに吹き飛ばされたらしくて、遺体を掘り出すことも出来なかった。二人の体も木っ端微塵だよ。何も残らなかった」
 それを聞くと、ムハマドに対する怒りがムラムラと湧き起こってきた。
「どうして、そんなことをするんでしょうね」
「イスラム原理主義者の奴らは気違いだよ。正常な人間には、自爆テロなんてできないよ」
 気がつくと、看護師はとっくの昔に理沙のベッドを離れて、部屋の反対の隅っこにいる患者と話していた。
 マークがハリーの連絡先を知っているだろうと、理沙は思い、
「マーク。すみませんが、ハリーに私がプリンス・フィリップ病院にいるって知らせてくれませんか?」と頼んだ。
「お安い御用だ。じゃあ、また」と、マークはそそくさと病室を出て行った。
 マークが帰ると、看護師がサンドイッチと紅茶をを持ってきてくれた。サンドイッチを見ると、とたんに空腹なのを思い出したように、おなかがクウと鳴った。痛まない右腕だけを使って食べたが、右利きの理沙は右腕が無事でよかったとつくづく思った。サンドイッチをゆっくりと食べると、またいつの間にか眠りの世界に落ちていった。
 理沙が次に目を覚ましたとき、理沙の側にはハリーが心配そうに座っていた。
「理沙、目が覚めたのか?」
「あら、私、またいつの間にか眠ってしまっていたのね。今何時?」
「午後七時だよ」
「午後七時?じゃあ、私十時間眠っていたことになるわね。いつ病院に来たの?」
「今さっき。君が爆破に巻き込まれたと、マークから連絡があって、慌ててきたよ。たいした怪我でなくてよかったね」
「ありがとう。結局、私達、テロ攻撃を未然に防ぐことはできなかったのね」
「うん。でも君が責任を感じることはないよ。僕達は、できるだけのことはやったのだから」
「そうね。ムハマドは、一体どうして、あんな馬鹿なまねをしたのかしら?」
「我々にとって馬鹿に見えることも、本人にとっては命に換えてもいいと思うほど価値があることだったんだろ」
「傲慢よね。自分ひとり死ぬのなら、どうぞご勝手にって言いたいところだけど、あんなに多くの人を巻き込んで、自分は天国に行けると思っているんだから」
「結局、憎しみはまた新たな憎しみを生むっていうことを、知らないんだよな。アルカイダにしてもアルカイダに対抗する欧米諸国も。殴られたら、殴り返したくなるのが当たり前だけど、どこかで歯止めをかけなくちゃ、いつまでも憎しみが続く。悪循環だ。イエス・キリストみたいに、どこかで憎しみの連鎖を断ち切らなくちゃ」
「えっ?イエス・キリストが何かしたの?」
「イエス・キリストが十字架にかけられたとき、なんていったか、知っている?」
「私、聖書も読んだ事ないから、知らないわ」
「十字架にかけた奴らを許してやって欲しい、彼らは何をしているのか分からないのだからと神に祈ったということだ」
「ふうん。そこまで他人を許したら、それこそ他人にいいように搾取されるだけだわ」
「でも、どこかで誰かが憎しみを断ち切らないと、永遠に悪循環を繰り返すだけだよ」
「そうかもしれないけれど、私にはそんなことできそうもないわ」
「まあ、言うは易し行うは難しで、僕だってできないけれどね。ところで、今日ASIOから連絡があってね、EMRを売ってくれないかと言ってきたよ」
「ASIOって、何?」
「CIAは、知っているだろ?」
「ああ、アメリカのスパイ機関ね」
「そう。ASIOは、オーストラリア版のCIAっていうところかな」
「へえ、すごいじゃない。確かにEMRは情報をあつめるには役に立つわね。容疑者を拷問にかけなくても簡単に情報が手に入るし」
「うん。それに、テロリストがオーストラリアに侵入するのを防ぐために、旅券検査をするときに、係りの者にEMRをつけさせたいというんだよ」
「それは、いいかもしれないわね」
「ただ、こんなことが公表されれば、市民権擁護団体が黙っちゃいないだろうね。人権侵害だと言って」
「それじゃあ、秘密裡に契約を結びわけ?」
「そうしたいらしい」
「じゃあ、ハリーは随分お金持ちになるわね。私のほうときたら、先週新しい仕事についたばかりなのに、先週の金曜日はずる休みしちゃったうえに、今はこんな状態では、当分仕事にはいけないし、もうクビにされちゃうわね」と理沙が大きなため息をつくと、ハリーがにやりと笑って、
「僕のほうは忙しくなる一方だよ。君を雇ってあげようか?」と冗談めかしに言う。
「えっ?本当に雇ってくれるの」
 興奮して起き上がろうとした理沙の腕に激しい痛みが走って、理沙は「いたたた!」と言って顔をしかめた。
 そんな理沙を見て、「寝ていなきゃ、だめだよ」とハリーは苦笑いした。
 その晩ハリーが帰った後、理沙はハリーと一緒に働くところを想像すると、胸がときめいた。そして、「あんなむさくるしい男に胸をときめかせるなんて、なんて私は物好きなんだろう」と思いながらも、頬の筋肉がゆるんだ。 (続く)

著作権所有者:久保田満里子


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EMR (31)

問題のテロ爆破決行日の月曜日の朝が来た。理沙が目を覚まし、時計を見ると六時だった。すぐにラジオをつけると、「メルボルン空港がイスラム過激派のテロの標的となっています。空港に特に用事のない方は、空港に行くのは控えてください。また今日、空港を利用される方は、手荷物検査などで手間取ると思われますので、通常より一時間早めに空港においでください」と言う警告が耳に入って来た。まだムハマドはつかまっていないようだ。早くムハマドが捕まればいいがと思いながら、いつものようにトーストを二枚とハムエッグを食べ、家を出た。
 理沙にとっては、いつもと変わらない朝だった。ボックスヒルの駅から電車に乗って、電車の出口にある棒につかまって人々と押しあいへしあいしながら電車に揺られ、メルボルン・セントラルの駅に向かった。理沙はEMRをハンドバックに持ってはいたが、EMR調査をする気にはなれなかった。それよりも空港の様子が気になる。ハンドバックに入れたトランジスターラジオを取り出して耳を傾けた。ラジオでは、空港を利用する人は、早めに空港に行くようにと繰り返すだけで、新しい情報は聞かれなかった。
 メルボルンの中心地にあるメルボルン・セントラル駅は、地下にある。理沙は他の乗客に押されるようにして電車を下り、のぼりのエスカレーターに乗った。もうあと少しでエスカレーターをおりるところまで来た。その時だった。ドカーンと耳をつんざくような音がしたかと思うと、今電車を下りたプラットフォームから爆風が吹き上がってきて理沙は吹き飛ばされた。理沙の体が宙に浮き、そのあと床のコンクリートにたたきつけられるように落ちたかと思うと、瓦礫の山が理沙の体に降り注いできた。理沙はその瓦礫に頭を打たれて、気を失っていった。その時理沙は心の中で「どうして?どうしてメルボルン・セントラル駅が標的になったの?」と繰り返していた。
 理沙の意識が戻り、目をゆっくり開けていくと、ぼんやり白いものが見えた。だんだん目の焦点が合ってくると、それが白い天井だと気がついた。ゆっくり首を回してみると、周りはベッドに横たわっている人たちで満ち満ちていた。足を包帯で巻かれて吊り上げられている人。頭に包帯がされ、頭を動かさないようにベッドに固定されている人、体中包帯を巻かれている人。大きな講堂の様なところにベッドがひしめき合っていた。
「ここは、どこだろう?」と記憶をゆっくり辿っていくと、メルボルン・セントラル駅で気を失ったことを思い出した。もう一度ゆっくり回りを見て、ここは病院だと気がついた。
「助かったんだ!」と思ったが、急に左腕に鋭い痛みが走った。おそるおそる自分の左腕を見ると、包帯で巻かれている。「そうだ。頭に瓦礫が降り注いできたんだ。頭は大丈夫だろうか」と痛みのない右手をあげて、そっと頭に触ってみた。頭には包帯がされていたが痛みはなかった。
 すると「気がつきましたか?」と、理沙のベッドに四十歳くらいの看護師が寄ってきた。
「ええ。一体、何が起こったのでしょうか?」
「メルボルン・セントラル駅で自爆テロがあったのよ。あなたはその巻き添えをくって、怪我をしたのよ」
「私の怪我は、どのくらいひどいのでしょうか?腕が痛いのですが、腕は大丈夫なのでしょうか?頭も包帯を巻かれているようですが、大丈夫なんでしょうか?」
 不安そうに理沙が聞くので、看護師は理沙のベッドに吊るされているカルテを見て、「腕の骨は折れているけれど、一ヶ月もすれば、治るはずよ。頭も打撲しているけれど、脳のほうには影響がないみたい。あなたはラッキーだったわね」と言った。
「私がラッキーだったということは、死んだ人もいるんでしょうか?」
「勿論よ。今のところ分かっているだけでも百二十二人だってことだわ」
「そんなに、たくさんの人が死んだんですか?」
「ええ、重傷で病院に運び込まれた人たちもいるから、その人達の中から助からない人がでてくるかもしれないわ。そうすると死者の数がもっと多くなるでしょうね」
「ここは、どこですか?」
「プリンス・フィリップ病院よ。誰かにあなたのことを連絡してあげましょうか?」
理沙は、誰に連絡すればいいのか一瞬考えた。母親に連絡したいが、母親を驚かせるだけだし、母親にすぐにメルボルンに来てもらっても、英語のできない母は助けにはならないことは目に見えている。ハリーの名前が自然に頭に浮かんできた。その時、エイミーでもなく省吾でもなく、ハリーの名前が浮かんだのが、不思議だった。

著作権所有者:久保田満里子




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