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EMR (31)

問題のテロ爆破決行日の月曜日の朝が来た。理沙が目を覚まし、時計を見ると六時だった。すぐにラジオをつけると、「メルボルン空港がイスラム過激派のテロの標的となっています。空港に特に用事のない方は、空港に行くのは控えてください。また今日、空港を利用される方は、手荷物検査などで手間取ると思われますので、通常より一時間早めに空港においでください」と言う警告が耳に入って来た。まだムハマドはつかまっていないようだ。早くムハマドが捕まればいいがと思いながら、いつものようにトーストを二枚とハムエッグを食べ、家を出た。
 理沙にとっては、いつもと変わらない朝だった。ボックスヒルの駅から電車に乗って、電車の出口にある棒につかまって人々と押しあいへしあいしながら電車に揺られ、メルボルン・セントラルの駅に向かった。理沙はEMRをハンドバックに持ってはいたが、EMR調査をする気にはなれなかった。それよりも空港の様子が気になる。ハンドバックに入れたトランジスターラジオを取り出して耳を傾けた。ラジオでは、空港を利用する人は、早めに空港に行くようにと繰り返すだけで、新しい情報は聞かれなかった。
 メルボルンの中心地にあるメルボルン・セントラル駅は、地下にある。理沙は他の乗客に押されるようにして電車を下り、のぼりのエスカレーターに乗った。もうあと少しでエスカレーターをおりるところまで来た。その時だった。ドカーンと耳をつんざくような音がしたかと思うと、今電車を下りたプラットフォームから爆風が吹き上がってきて理沙は吹き飛ばされた。理沙の体が宙に浮き、そのあと床のコンクリートにたたきつけられるように落ちたかと思うと、瓦礫の山が理沙の体に降り注いできた。理沙はその瓦礫に頭を打たれて、気を失っていった。その時理沙は心の中で「どうして?どうしてメルボルン・セントラル駅が標的になったの?」と繰り返していた。
 理沙の意識が戻り、目をゆっくり開けていくと、ぼんやり白いものが見えた。だんだん目の焦点が合ってくると、それが白い天井だと気がついた。ゆっくり首を回してみると、周りはベッドに横たわっている人たちで満ち満ちていた。足を包帯で巻かれて吊り上げられている人。頭に包帯がされ、頭を動かさないようにベッドに固定されている人、体中包帯を巻かれている人。大きな講堂の様なところにベッドがひしめき合っていた。
「ここは、どこだろう?」と記憶をゆっくり辿っていくと、メルボルン・セントラル駅で気を失ったことを思い出した。もう一度ゆっくり回りを見て、ここは病院だと気がついた。
「助かったんだ!」と思ったが、急に左腕に鋭い痛みが走った。おそるおそる自分の左腕を見ると、包帯で巻かれている。「そうだ。頭に瓦礫が降り注いできたんだ。頭は大丈夫だろうか」と痛みのない右手をあげて、そっと頭に触ってみた。頭には包帯がされていたが痛みはなかった。
 すると「気がつきましたか?」と、理沙のベッドに四十歳くらいの看護師が寄ってきた。
「ええ。一体、何が起こったのでしょうか?」
「メルボルン・セントラル駅で自爆テロがあったのよ。あなたはその巻き添えをくって、怪我をしたのよ」
「私の怪我は、どのくらいひどいのでしょうか?腕が痛いのですが、腕は大丈夫なのでしょうか?頭も包帯を巻かれているようですが、大丈夫なんでしょうか?」
 不安そうに理沙が聞くので、看護師は理沙のベッドに吊るされているカルテを見て、「腕の骨は折れているけれど、一ヶ月もすれば、治るはずよ。頭も打撲しているけれど、脳のほうには影響がないみたい。あなたはラッキーだったわね」と言った。
「私がラッキーだったということは、死んだ人もいるんでしょうか?」
「勿論よ。今のところ分かっているだけでも百二十二人だってことだわ」
「そんなに、たくさんの人が死んだんですか?」
「ええ、重傷で病院に運び込まれた人たちもいるから、その人達の中から助からない人がでてくるかもしれないわ。そうすると死者の数がもっと多くなるでしょうね」
「ここは、どこですか?」
「プリンス・フィリップ病院よ。誰かにあなたのことを連絡してあげましょうか?」
理沙は、誰に連絡すればいいのか一瞬考えた。母親に連絡したいが、母親を驚かせるだけだし、母親にすぐにメルボルンに来てもらっても、英語のできない母は助けにはならないことは目に見えている。ハリーの名前が自然に頭に浮かんできた。その時、エイミーでもなく省吾でもなく、ハリーの名前が浮かんだのが、不思議だった。

著作権所有者:久保田満里子




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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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