Logo for novels

ケリーの母(最終回)

ジェラルドは、昔のことを思い出すように、言葉をかみしめながら言った。

「ビルと僕とは、状況が違っていたよ。ビルの奥さんの文子さんは、広島の原爆で身内を失って、ビルと結婚しても非難する親戚縁者はいなかったんだ。ところが、美佐子はお前も知ってのとおり、実家は由緒ある家ときている。つまり面子を大切にする家族だったんだ。だから、美佐子と一緒に、美佐子の父親に結婚することを認めてほしいと挨拶に行ったら、剣もほろろに追い返されてしまったよ。美佐子は親戚縁者皆からの非難を受け、呉にいづらくなったんだ。だから、オーストラリアに行こうと僕が言ったら、すぐに賛成してくれたんだ。1952年に呉での勤務を終えて、美佐子とお前を連れて帰ってオーストラリアに戻ってきたんだが、お前はまだ2歳だったから、きっと覚えていないだろうな。その頃のオーストラリア政府は、オーストラリア人の捕虜に対するシンガポールでの日本軍の仕打ちや、ダーウィンを襲撃されたことに対して報復の念を燃やしていたから、日本人の戦争花嫁なんて認めることはできないと言って、最初美佐子を連れてきたときは、5年間の臨時のビザしか出してくれなかったんだ。やっと1956年に日本人でもオーストラリア国籍がとれるようになったけれど」

「ああ、戦争花嫁で、最初に国籍をとったのは、チェリー・パーカーでしたよね。彼女をモデルにした映画を見たことがありますよ」

「そうか」

「確かに、僕の子供の頃は、お母さんは自分が日本人だというのをひたかくしにしていましたよ。だから、日本語を一言もしゃべらなかったので、僕は日本語が全然分からないんですよ、残念ながら」

「あの頃は、日本があんなに経済成長をとげて、オーストラリアにとって一番の貿易輸出国になるなんて思いもしなかったからね」

「今では、中国が一番になりましたがね」

「世の中、随分変わったものだ。ところで、離婚したあと、お母さんはどうしていたんだ?」

「お母さん、一生懸命仕事を探したけれど、なかなか見つからなくて、結局日本に引き揚げたんです。でも、頼りにしていたお爺ちゃんは、相手にしてくれないどころか、お母さんを家の恥さらしだといって、家からたたき出したんですよ。だから、仕方なくまたオーストラリアに舞い戻ってきたんです。必死になって仕事を探してやっと鶏肉工場で鶏の毛をむしり取る仕事を見つけて、朝7時から夜の6時まで働いて、僕を育ててくれました」

「そうか。お前たちも苦労したんだなあ」

他人事のように言うジェラルドに、ケリーはむかっ腹が立ってきた。

「お母さんが、あんなに苦労しなければいけなかったのは、お父さんにも責任があるんじゃないですか!」

「確かに僕にも責任があるけれど、仕事がなかなかみつからなくて、お母さんにあんなに毎日役立たずだとののしられたら、僕の方だって、堪忍袋の緒が切れるというものだ。まあ、離婚なんてものはね、一方的に誰かが悪いっていうものじゃないんだよ。離婚したことのない者にはわからないかもしれないけれど」

「ふうん。そういうものでしょうかね」

「お前は一度も結婚したことがないのかね」

「ええ。お母さんと一緒に暮らしていましたからね。それに研究のほうが忙しくて、結婚相手を見つける時間もなかったし」

「そうか」

話すこともなくなって、話が途切れたところで、ケリーは立ち上がった。

「じゃあ、僕はこれで失礼します」

「もう行くのかね。でもどこに住んでいるか分かったんだから、また近いうちに遊びにおいで」

ジェラルドは、車まで杖をついて見送ってくれた。ジェラルドの側にはレオーニーがいて、「また来てくださいね」と言って、車で走り去るケリーに手を振った。

ジーロングからメルボルンへの帰り道、ケリーはやっと遣り残したことを成し遂げたという充実感に満たされていた。一時は父親を恨んだこともあったけれど、今になって考えれば父も父なりの苦労をしたのだと納得した。そして、心の中でつぶやいていた。敵国の人間だったオーストラリア人と結婚した日本人の母。オーストラリアと言う、敵国だった国で、日本人としてのアイデンティティを隠すように、ひっそりと暮らした母。日本に住む親戚からも冷たくあしらわれ、オーストラリア居住の日本人からは、戦争花嫁として蔑すまれた母。それでも僕のために一生懸命生きた母を、僕は誰よりも愛し、尊敬している。僕は今では胸をはって、皆に言える。僕の母は、戦争花嫁でしたと。

翌年、ケリーはノーベル賞を受賞した。そのニュースが伝わると、新聞、テレビ、ラジオとマスコミから追いかけられる身になったケリーは、マスコミのインタビューに応じて、次のように語った。

「僕がノーベル賞を受賞できたのは、素晴らしい研究仲間がいたからです。そして、何よりも、母の励ましがあったからです。母は3年前に亡くなりましたが、母の励ましがなかったら、今日の成果を挙げられなかったことでしょう。母は、今でこそ日本では死語となった戦争花嫁でしたが、母は、僕に一流の教育を受けさせるために、多くの犠牲をはらってきました。その母の願いに答えられて、僕は非常に幸せです」

この新聞記事を読んだ読者の多くは、ケリーの母親は教育ママで、ケリーはマザコンだったのだと思ったのだが、ケリーの父親、ジェラルドだけは、ケリーの気持ちを理解できた。

「そうだよ、息子よ。お前のお母さんは偉かった」

 

 

参考文献 

Neville Meaney (2007) towards a new vision: Australia and Japan across time. University of New South Wales Press Ltd.

Kelly Ryan (2010)  True love triumphed for Digger Gordon Parker and his young wife Cherry.

 Herald Sun May/25/2010

Momento: National Archives of Australian. Winter 06. Australian women in the British Commonwealth Occupation Force (1946-1952)

Walter Hamilton. Children of the Occupation: Japan’s untold story

マイカテゴリー: 一般
コメント (0)

ケリーの母(5)

次の日の朝、ビルは約束通り、ジェラルドの住所を書いた紙を持ってきてくれた。そして、一枚の写真をケリーに渡した。

「これは、あんたのお母さんとお父さんの写真だ」

そこには、軍服を着た若き日の父と、サザエさんのようなパーマをかけた髪形をして、白いブラウスと足元まで隠れるような紺の水玉模様の長いスカートをはいた母が、仲睦ましそうに寄り添って立っていた。

「それは、あんたに上げるよ。僕が持っていたって仕方ないから」と、ビルが言った。

ケリーはものめずらしそうにその写真をしばらく眺めていたが、「ありがとう。それじゃあ、もらっておきます」と言って、かばんの中にしまった。

清子は、ケリーが誠の運転する車に乗り込もうとすると、別れを惜しんで、ケリーの両手を握って、「また、来んさいよ」と何度も言った。

ケリーは、帰りの飛行機の中で、近いうちに父親を尋ねてみようと決心をした。

帰ってからも、大学に提出しなければならない書類の数々、助成金の申請、そして論文の締め切りなどに追われ、そのケリーの計画が実現したのは、日本から帰ってきて1ヶ月経ってからのことだった。

いざ手紙を書こうとすると、60年も会っていない父親に、どんな手紙を書けばいいのか迷い、しばらくペンを握ったまま、考え込んでしまった。「初めまして」などというのは、勿論おかしいし、「親愛なるパパ」とも書けない。結局は、書き上げてみると、無味乾燥な事務的な手紙になってしまった。

「私は、あなたの息子のケリーです。一ヶ月前に日本に行き、ビル・モーガン氏と会い、ビルからあなたの住所をもらいました。一度お会いしたいのですが、来月の週末で時間のある日をお知らせください。

 ケリーより」

ケリーは、手紙を投函したものの、この手紙が父親の手元に果たして届くだろうかと多少の不安を感じた。何しろ、ビルは父親とはこの5年間音信不通だといっていたのだから。父は、もう亡くなっているかもしれない。いや、生きているだろう。でも、生きていても老人ホームかどこかに入ってしまって、この手紙は届かないのではないか。そんなことを考えながら、返事を待った。ケリーの不安はすぐに消えた。手紙の返事が1週間もしないうちに来たのだ。

「ケリー

お前のことは、毎日思い出していたよ。お前は立派な学者になったようで、お前のような息子を持ったことを実に誇らしく思っている。

お前に手紙を書こうと何度も思ったが、お前を捨てたような形で別れてしまった私には、いまさら父親面して、お前の前に現れるのは気恥ずかしくてできなかった。

来月の最初の土曜日に我が家に来てくれないかね。正午に来れば、一緒に昼ごはんが食べれる。お前の腹違いの妹になるレオーニーもお前に会いたがっていたから、レオーニーを呼んで一緒に昼食を食べよう。

手紙をもらって、本当に嬉しかったよ。ありがとう。

それじゃあ、近いうち会えることを楽しみにしている。

ジェラルドより」

ケリーは、「父より」と書かないで、「ジェラルドより」と書いている父親の胸のうちを思いやった。きっと自分には父親と名乗る資格がないと思っているのだろう。

 

ジェラルドの家に行く日、ケリーは近くの酒屋に寄ってワインを買った。いつも誰かに食事に招待された時は、ワインを持っていく習慣があったが、その日は、高級なワインを3本買った。ケリーの覚えている父親は、ワインの好きな人だったからだ。その後、花屋に寄り、花束をレオーニーのために買った。

ジェラルドの家は、ジーロング郊外の静かな住宅地にある木造の小さな平屋だった。その家の前に車を停めると、心臓がどきどきしているのを感じた。まるで、入社試験を受けに行くような気持ちだった。ジェラルドはどんなに変わっているだろうか?妹のレオーニーは、どんな人間だろうか?いろんな想像を膨らませながら、家のドアをノックすると、待っていたかのように、ドアはすぐに開かれた。ドアの向こう側に立っていたのは、太った人のよさそうなおばさんだった。

「レオーニー?」と聞くと、

「ええ、私はレオーニーよ。ケリー、よく来てくれたわね」と言うと、レオーニーはケリーを抱いて、ほっぺたにキスをした。

ケリーが花束をレオーニーに渡すと、レオーニーは嬉しそうな顔をして、「ありがとう」と言った。

「お父さんが待っているわ」

レオーニーが案内してくれた客間には、髪の毛が薄くなった、やせ細った老人がソファに座っていた。そして、ケリーを見ると、嬉しそうな顔をして、

「ケリーか、よく来てくれたな」と、杖を突いて立ち上がろうとした。

「お父さん、そのままでいいよ。座っていて」ケリーは「お父さん」と言う言葉が自然と口をついて出たことに、我ながら驚いた。そして、ジェラルドの肩を抱いた。ジェラルドは、ケリーの体のぬくもりを感じながら、「お前もえらくなったな」と感慨深げに言った。そして、「お母さんは、元気かね」と、聞いた。ケリーは、すぐには答えられなかった。しばらくして、「お母さんは去年亡くなりました」とかすれるような声で答えた。ジェラルドは、ケリーのそんな様子を見て、「そうだったのか」とだけ、一言言った。

昼ごはんはレオーニーが作ったローストビーフだった。レオーニーは料理上手の陽気な女だった。

「私、一度あなたに会ってみたかったの。だから会えてうれしいわ。お父さんたら、あなたのことが書かれている新聞記事を見つけると、すぐに切り抜いて、スクラップブックを作っているのよ」

ケリーは苦笑いをしながら、

「そんなことを聞くと、なんだかスーパースターになったみたいな錯覚を受けるな」

「お父さんにとっては、あなたはスーパースターなんだもの」

二人の会話をニコニコしながら、ジェラルドは聞いていた。ケリーの持ってきたワインは、どんどん消費されて行き、いつの間にか3本が空になってしまっていた。

ケリーは酔って来ると、最初のぎこちなさがどんどんとれて行き、ジェラルドにどうしても聞きたくてたまらなかったことを聞いた。

「お父さんは、どうしてオーストラリアに戻ってきたんですか?どうしてビルのように、日本に残らなかったんですか?」

著作権所有者:久保田満里子

マイカテゴリー: 一般
コメント (0)

ケリーの母(4)

誠が言っていたように、晩御飯の時間になって、ビルが来た。ビルの奥さんは3年前に亡くなったそうで、二人いる子供たちは広島に出てしまい、今は一人暮らしだと言う。

晩御飯に出たすき焼きを食べ終わると、清子は早めに寝てしまい、恵も食事の後片付けでいなくなり、ケリーとビルと誠三人が客間に残された。それまでは誠が通訳をしなければならなかったので、会話も途絶えがちだったのだが、三人は英語に切り替えて、話し始めた。

「いやあ、今だから言えるけど、僕も実は美佐子さんには目をつけていたんだよ。明るくて、頭が良くて、進駐軍の食堂では、人気者だったんだよ。ジェラルドが、彼女をデートに誘って成功したと聞いた時は、悔しかったものだ」

お酒が回ってきたのか、ビルは饒舌になった。

「ジェラルドとは、1946年に一緒に呉に来たんだよ。進駐軍として日本に行く兵士の公募があってね。その時、仕事にあぶれていたし、オーストラリア人の捕虜に対する日本軍の残酷な仕打ちに仕返しをしてやりたいという気持ちもあって、応募したんだ。

ジェラルドも同じような気持ちだったらしい。ニップ(ジャップよりもっと軽蔑の意味をこめた日本人を表す言葉)に思いしらせてやるという気持ちで来たんだけれど、呉の沖合いに沈没した戦艦を見たとき、戦争の悲惨さを見せ付けられた気がしたよ。さび付いた船が傾いて上体だけが見えたんだ。呉に上陸した時、出迎えた日本人たちは、皆空虚な目をしていたよ。笑いもせず、泣きもせず、まるでお面のような何の感情ももたない目をしていた。誰一人話す人もなく、しーんとしていたことも不気味だったな」

「何人くらい、呉に来たんですか?」と誠が聞いた。

「多い時は1万2千人いたよ。僕たちに最初に与えられた仕事は広島の原爆跡の調査だったが、あの光景を見て、それまでの仕返しをしたやりたいという気持ちは吹き飛んだよ。原爆で焼け爛れた人たち、あちこちに転がっている人間とは思えない焼けた肉の塊になったような死骸の山。その死骸のにおいがすごいんだ。あの時、たとえどんな敵であったにしても、原爆だけは落とすべきではなかったと、つくづく思ったよ」

ケリーは、母親から余り戦争の話を聞いたことがなかったので、ビルの話には衝撃を受けた。

「僕たち進駐軍の使命は、日本を民主化することだったんだけど、日本人と個人的につきあわないようにと厳しく言われていたんだ。日本人の家に入ってはいけない。日本人と個人的につきあってはいけない。映画館やダンスホール、バーなどでも日本人と交わってはいけないと命令がだされていたんだ。けれど、それは無理な話っていうものだよな。お互い人間なんだから。それに個人的に接しないで、日本人に民主主義を教えろというのは、無茶な話だよな。あの頃進駐軍には1万人から2万人もの日本人が雇われていたんだ。毎日顔を合わせていれば、情もわくというもんだよ。僕も結局は美佐ちゃんには振られちゃったけど、文子と言う、ウエイトレスとして働いていた子と、付き合って結婚したんだよ。もっとも、オーストラリアでは、敵国との女との結婚は許されていなかったから、皆日本式の結婚式をあげる以外なかったんだけれど。1951年に日本と平和条約が結ばれると僕たちの役目は終わったって言うんで、1952年には皆オーストラリアに引き揚げてしまったけれど、僕は結局日本にいついたんだよ」

「なぜ、オーストラリアに帰らなかったんですか?」

「もうその頃息子もいたからね。オーストラリアではまだ日本に対して恨みを持つ人たちも多かったから、文子や息子にはオーストラリアは住みにくい所だと思ったんだよ」

「オーストラリアに帰らなかったことを後悔しませんでしたか?」

ケリーは、思わず聞いてしまった。

「後悔?していないよ。英語教師をしたり、通訳をして、結構収入も良かったし、白人と言うことで、ちやほやされるところもあったし、居心地がよかったよ」

それを聞くと、思わずケリーは、父親があのまま日本にいることを決意していたら、僕たちの家族は崩壊してしまわなかったのだろうかと、ふと思った。

「そういえば、一度オーストラリアのチーフリー首相が呉に慰問に訪れたことがあるんだ。その頃、性病にかかる兵隊が多くて、一年で4500人は性病にかかったそうだ。チーフリーが僕たちを前にして、日本人の女との結婚は禁じる。白豪主義政策を今まで以上に厳しくして、日本人の女は一人たりともオーストラリアには入国させないと、息巻いていたよ」

ケリーは父母がそんな困難な状況に反して結婚したのかと、改めて父母の情熱が思い起こされた。

「ところで、ジェラルドは、今何をしているんだ?」ビルが思い出したように聞いた。

「知りません」

「知らない?」

「ええ、母が亡くなる前に父を探し出して連絡しようかと思いましたが、母からそんなことをするなと言われ、結局母は父と別れて一度も会わずに死んでしまいました」

「そうだったのか。それじゃあ、僕のほうが君よりジェラルドのことはくわしいかもしれないな」

「最後に父と連絡をとったのはいつでしたか?」

「5年前だったな。クリスマスカードが来たよ」

「父は何をしていたのでしょうか?」

「タクシーの運転手を長いことしていたが、65歳で退職して、年金暮らしのはずだよ。そういえば、普通従軍すれば普通の人よりはたくさん年金がもらえるはずなのだが、日本に駐屯していた兵隊は長い間従軍したとは認められないで、それを認めさせるために随分運動をしたようだったよ」

「そうですか。その時は、どこに住んでいましたか?」

「ジーロングに住んでいたよ」

ジーロングといえば、メルボルンから75キロ離れた人口22万人のビクトリア州第二の都市だ。

「父は再婚したのでしょうか?」

「そうだよ。そういえば、君には10歳違いの腹違いの妹がいるはずだ」

腹違いの妹がいるといわれても、ケリーにはピンとこなかった。

「最後のクリスマスカードには君が有名な学者になって鼻が高いと書いてあったよ」

それには、ケリーは驚かされた。もう自分のことなどすっかり忘れているだろうと思っていたからだ。

「僕のことを覚えていたんですか」

今度はビルのほうが驚いた顔をして、

「勿論だよ。君のことが新聞に載るたびに、その記事を切り抜いていると言っていたよ。君は彼の自慢の息子だったよ。実は君に見せようと思って、ジェラルドから来たクリスマスカードを持ってきたよ」と、ビルがポケットから取り出したクリスマスカードは、10枚5ドルで買える、クリスマスツリーが描いてある安物のカードだった。そこには、

「ビル、クリスマスおめでとう。

今年で82歳になった。去年シェリーが亡くなって一人になってしまったが、今でも自分の家に一人で住んでいる。娘のレオーニーはメルボルンに住んでいて、時々様子を見に来てくれる。息子のケリーのことは、君も覚えているかもしれないが、あのやんちゃ坊主が今ではノーベル賞候補にのぼっていると先日新聞で読んだ。親として鼻が高いよ。

では、元気で。       ジェラルド」

簡単な文だったが、自分の名前が書いてあるカードを見ると、ケリーは、一度父親に会ってみたいという気持ちがわいてきた。母が生きているときは、たまに会ってみたいと思うことはあったが、会うなんてことは母を裏切るような気がして、会えなかったのだ。

「父の住所は、分かりますか?」

「今日は持ってこなかったよ。いつ帰るんだ?」

「明日の昼過ぎです」

「もう、明日帰るのか。じゃあ、明日の朝、持ってくるよ」

そういうと、ビルは帰ってしまった。

恵が敷いておいてくれた布団にもぐりこむと、ケリーはすぐに眠ってしまった。

 

参考文献

Neville Meaney (2007) towards a new vision: Australia and Japan across time. University of New South Wales Press Ltd.

Kelly Ryan (2010)  True love triumphed for Digger Gordon Parker and his young wife Cherry.

 Herald Sun May/25/2010

Momento: National Archives of Australian. Winter 06. Australian women in the British Commonwealth Occupation Force (1946-1952)

Walter Hamilton. Children of the Occupation: Japan’s untold story


著作権所有者:久保田満里子

マイカテゴリー: 一般
コメント (0)

ケリーの母(3)

広島駅で降り、改札口を出ると、40歳代の男が、ケリーに話しかけてきた。

「ケリーさんですか?」

流暢な英語だった。

ケリーが黙ってうなずくと、その男の顔には笑顔が広がって、

「僕、柳沢まことです」

と、自己紹介した。ケリーは日本に来ることが決まって、初めて母の実家に手紙を書いたら、この柳沢まことから返事が来て、広島駅に出迎えるということだった。

「ケリーです。今日は出迎えをありがとう」と言って、握手のために手を出すと誠もその手を握って握手をした。

「手紙でも説明しましたが、僕は、ケリーさんのお母さんの従姉、清子の孫です。僕の家族の中で英語が出来るのは、僕だけだというので、僕がケリーさんの出迎えを祖母に頼まれたんですよ。僕は高校の英語の教師をしています。駐車場に車を停めていますから、駐車場まで行きましょう。お荷物、お持ちしましょうか?」

誠は、ケリーの小さなスーツケースとアタッシュケースを見て言った。

「いや、いいですよ。世界中、この荷物で旅行して、慣れていますから」

「そうですか。ケリーさんは日本は初めてだそうですね」

「4歳の時に母に連れられて戻って以来、初めてです」

「ケリーさんのお母さんも一度も日本に戻らないと祖母がこぼしていましたよ」

「余り、日本にはいい思い出がありませんからねえ」ケリーは苦虫をつぶした顔で言った。

誠は、白いマツダの車に乗ってきていた。オーストラリアではナビのついている車は珍しいが、この車にはナビがついていた。

「この車、ナビがついているんですねえ」とケリーが驚いたように言うと、誠は不思議そうな顔をして、

「日本の車はほとんどナビがついているんですが、オーストラリアでは珍しいんですか?」

「ナビがほしい人はほとんど別売りのナビを買うので、最初からナビを備え付けた車って言うのは、高級車に限られていますねえ」

「そうですか」今度は、誠が驚く番だった。

車は広島の市街地を出ると、右手に瀬戸内海のたおやかな海、左手に丘のような山を見て電車の線路に沿って走った。

「おばあさんはお元気ですか?」

「祖母ももう90歳ですからね。元気といえば元気ですが、耳が遠くって、大声で話さなければいけないので、話すほうは疲れますよ」

「そうですか」

「お母さんは、いつ亡くなられたんですか?」

「去年です」

「そうですか。亡くなられる前に一緒に一度日本にいらしたら良かったのに…」

「ええ。でも、母が日本に帰りたがらなかったので…」

「曾おじいさんのことを聞きましたよ。お母さんにひどい仕打ちをしたんだそうですね」

「もう、そのことは思い出したくありませんね」とケリーの表情が硬くなった。

それからしばらく沈黙が続いたが、呉の町が近くなったとき、誠は急に思い出したように言った。

「実は、僕子供の頃、ビル・モーガンさんというオーストラリア人から英語を習っていたのですが、そのモーガン先生は、ケリーさんのお父さんをよく知っていると言っていましたよ。今日の晩御飯にはモーガン先生も招待していますから、モーガン先生から色々昔のことなど聞かれたらいいでしょう」

ケリーは、急に父親の話が出ても、何の感慨もわかなかった。4歳のとき別れたまま一度も会っていない。母が去年病気で倒れたとき、父に知らせようかなとも思ったが、母から絶対に知らせないようにと言われ、居所をつきとめることさえしなかった。

「その、ビルという人もオーストラリアの進駐軍の兵士だったんですか?」

「そうだそうです。モーガン先生も日本女性と結婚したんですが、結局オーストラリアには戻らないで日本に住み着いちゃったんですよ」

「そうですか。そんな人もいたんですか」

呉の市街地に入って少し山道に入ったところに、清子の家があった。山の中腹にあるその家は、古い日本家屋だったが、がっちりしていて、大きかった。駐車場のある前庭で車を降りると、大きな松に大きな石があり、典型的な日本庭園が見られた。

家の中に入るとすぐに清子の待っている応接間に通された。応接間には日本の置物や人形などが所狭しと飾られた。清子は、ケリーが誠の後について入ってくると、しわくちゃの顔をほころばせて、

「ケリーね。いらっしゃい」と、言った。

しゃきっと背中を伸ばして座っている清子は90歳とは思えなかった。

ケリーが清子の肩を抱いて、ほっぺたにキスをすると、清子はまるで乙女のようにはにかんで、ケリーを驚かせた。

「おばあちゃん。まるで恋人に会ったみたいじゃね」と誠がひやかすと、

「外人さんにキスされるなんて、初めてじゃけんね」と、清子は顔を赤くして言った。

清子の外人さんと言う言葉を誠は訳さなかった。ケリーが気を悪くするだろうと、思ったからだ。代わりに若い男の人と訳した。

ケリーが清子の向かい側のソファーに腰をおろすと、応接間のドアが開き、30代の清楚な感じがする女性が、お盆にコーヒーとケーキを持って入ってきた。

誠は「僕の妻の、恵です」と言って、ケリーに紹介した。

「誠さんは清子さんと同居しているんですか?」

「ええ、そうです。まあ、今では核家族が普通ですから、祖母と同居の家なんて珍しがられるんですが…」

清子、誠、恵の三人に囲まれて、母親が亡くなって以来、ケリーは初めて血のつながりのある人たちと会ったことに気づいた。ケリーはずうっと独身だった。研究に専念したこともその理由の一つだが、母親と同居していたためでもある。なんだか、血縁関係のある人といることが、こんなにも穏やかな気持ちにさせるのかと、自分でも不思議だった。

清子が誠に用意させていた写真のアルバムがテーブルにのっていた。

「これが、私と美佐ちゃん。うちも近くじゃったし、年も3歳しか離れとらんかったけん、昔はとっても仲が良かったんよ」

そのアルバムには、海水浴に行ったときの二人の写真や、お花見のときの写真など、幸せな子供時代を思われる写真が収められていた。もっとも写真は小学生のときのしかなく、それから日本が戦争に突入してからは、写真をとることもなかったようだ。

「美佐ちゃんは、ちょっとおませなところがあってね。よく近所の男の子をからかっていたわ。頭は良くて、いつも学年で一番じゃった。だから、あんたのような優秀な子供ができたんじゃろうけれど…」

清子の思い出話はつきなかった。そして清子の思い出に残っている美佐子と、ケリーの記憶に残っている美佐子には、大きなギャップがあることに、ケリーは気づいた。おちゃめで陽気だったという子供の時の美佐子。いつも眉間にしわを寄せて、笑うことも少なかったオーストラリアでの美佐子。それだけ、母親がオーストラリアで苦労したためだろうと、ケリーは思った。

「あんたのおじいちゃん、10年前に亡くなってしもうたけれど、美佐ちゃんのことは、気に病んでいたようじゃ。美佐ちゃんがあんたを連れて帰ったとき、あんな仕打ちをしたことを悔やんでいたようだよ。死ぬ前に、美佐子はどうしとるんじゃろかと、何度もおばさんに聞いたいたそうじゃけんね。おじいさんは、美佐ちゃんを自分の友達の息子さんと結婚させるつもりじゃたけん、美佐ちゃんがジェラルドさんを連れてきたときには、驚くやら怒るやら。可愛さあまって憎さ百倍というのが、本当のところじゃろうね」

あの鬼のような祖父が、そんな気持ちでいたとは、ケリーには意外だった。しかし、そんな話を聞いても、祖父に対する嫌悪感はなくならなかった。

著作権所有者:久保田満里子

マイカテゴリー: 一般
コメント (0)

Page: 1  |  1  

関連記事

ヤラビル駅
メルボルンの西側の観光地と云えば!?
総額$25,000!!メルボルンで宝探し開催中!
Great Melbourne Treasure Hunt
子どもと行くメルボルン @Altona Miniature Railway
ミニ機関車シリーズ第4弾!
ギリシャ神殿がスワンストン通りにあった!!
リップ・カールのビルがそれだ!!
子どもと行くメルボルン @Bush Reserve, Coburg
周辺のイベント情報も♪

最新記事

週末どこ行く?何をする?7月第4週
今週末のメルボルン ★7月21日(金)~7月23日(日)
市内ぶらり
ゆっくり気ままなメルボルンリポート!
週末どこ行く?何をする?7月第3週
今週末のメルボルン ★7月14日(金)~7月16日(日)
Winter Beach!
ゆっくり気ままなメルボルンリポート!
7月9日 邦楽コンサート・七夕&餅つきイベント
熊本震災チャリティ邦楽コンサート