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ブライトン・シーバスの秘密

広大な海の一角を仕切るこの設備の過去とは?

2010年4月19日掲載

 

ミドルブライトン桟橋の直ぐ隣にミドル・ブライトン・シーバスがある。
海の一角を仕切ったこの建築物は、スイミング・プールだ。

何故、広大な海を仕切る必要があるのか? 
その謎を解くにはには100年以上も前にさかのぼる必要がある。

ブライトンの名前は、英国の観光名所で海岸のBrightonから来ている。
イングランドの南の海岸地帯にありロンドンからの海水浴客で賑わう場所。
現在でも英国では最大のビーチリゾートとして有名な観光地で、ヨーロッパ大陸などからの観光客も多く訪れる国際観光都市

1850年代には英国では海水浴が健康に良いというのが流行になった。
豪州でも直ぐに流行してセントキルダ、そしてこのブライトンが人気の場所になった。

1861年にセントキルダとブライトンを結ぶ鉄道が敷設された。
それからは、ブライトンは、メルボルンの手軽な海水浴場として人気を集めた。

家族連れを中心として多くの観光客がブライトンを訪れたが、大きな問題があった。
当時は、男女が一緒に海水浴を楽しむ風習は、英国や豪州でもなかった。
鉄道の開設と共に多くの労働者階級もまたブライトンに海水浴にやってきた。
労働者階級の男性は、水着を付けずに泳ぐものもいた。
従って中産階級以上の家族が泳ぐためには、労働者階級とは違う施設が必要とされた。
それがシーバス(Sea Baths)。

1880年代からセントキルダからブライトンにかけては多くのシーバスが建設された。
ミドル・ブライトン・バスは、1881年に建設されたが、嵐により1904年に破壊され、再建されている。
現在の煉瓦作りの建物は、1934年にやはり嵐によって破壊された後、1936年に再建されたもの。

シーバスには、入場料が必要なため、労働者階級は必然的に分離された。
しかしシーバスの内部でも、やはり男女は別の時間帯にのみ水泳を許された。
1900年代に入っても男女別に泳ぐ時間帯が定められていた。

現在、シーバスが昔のままの姿で残っているのは、このミドルブライトンシーバスただひとつのみ。

海を囲った本来のシーバスとしての機能は失ったが、まだ昔の施設を保持してスポーツ施設として残っているのは、セントキルダ・シーバスがある。

またジローンビーチにもシーバスが残っている。



1970年代には、オーストラリアも近代化され海水浴も男女とも一緒に泳ぐようになり、シーバスの本来の意味がまったく無くなってしまった。
従いメンバー数も激減し、ブライトン市も他の多くのシーバスと同様にミドル・ブライトン・シーバスを廃止することで決議された。
しかし多くの水泳愛好家や、市民の反対運動により決議は覆され、存続が決まった。

ベイサイド市委員会

ミドル・ブライトン・シーバスのメンバーで作る水泳クラブ ブライトン・アイスバーガーズ公式web

撮影データ
Canon EOS 5D MarkⅡ絞り優先AE 評価測光 絞りF5.6 1/1000秒 ISO感度 100 太陽光 画質圧縮率 JPEG レンズ EF 24-700mm f/2.8L IS USM 
撮影 板屋雅博


 


より大きな地図で ミドル・ブライトン・シーバス を表示

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