川島由紀恵(仮名)の話(3)
更新日: 2025-08-10
日興証券がメルボルンを引き上げた後勤めたのが、日本郵船(NYK)。日本の会社のメルボルン駐在員が日本から船で持ってきたものを、通関を通して、こちらの人に託して、引越しの手続きの手伝いをする仕事だった。そのほか、日本の会社の輸入物資も問題なく輸入先に届くまで通関配送の仕事をした。その経験をかわれて、近鉄ワールド・エッキスプレス(KWE)のメルボルン支店 の支店長として転職。物流会社の責任者となった。日系の自動車会社と食品会社の仕事を確保するにことにかけた毎日だった。すぐれた人材を雇い、現在でも自分が雇った彼らがKWE会社の発展に貢献しているのを聞いてうれしく思っている。その会社は、シドニーに本社があって、それまではメルボルンには日本から支店長として駐在員が来ていたが、コスト削減のために私を現地採用したようだ。ここでも8年勤めた。あと二年くらい仕事を続けたかったが、肩叩きにあい退職。まだ元気だったので、その後、世界中を無料で旅行ができる船のシェフになりたいと思い、ウイリアム・アンガスと言う専門学校で2年半ホスピタリティーとフランス料理の勉強をした。
日本料理を教えろと言われて、日本料理を教えたこともあった。熟年の生徒は二人くらいで、皆若い人だったが、卒業する時 答辞を読んだ。
ウイリアム・アンガスでは、食品衛生に関して徹底的に教えられ、今でも日本のあいまいな、不衛生なものに対する嫌悪感が強い。今茶道を習っているが、茶道で使う布巾が不衛生なので、気になる。畳に物を置いて食べるけれど、こんなことも、きっと、こちらの人には耐えられないことだと思う。もっと気になるのは、濃茶茶碗を数人に回し飲みにすること。しかし、お茶は日本文化として、奥が深いので、勉強になる。お茶こそ、日本文化の完全総集合だと思う。日本庭園、路地、つくばい、より始まり、小さな躙り口、畳、日本間、掛け軸、見事な草書や行書、茶花、日本懐石料理、日本の侘び寂びセンスの焼きもの茶碗、メタルの茶器、和菓子、それに私たちの着る数々の着物など全部が含まれ、勉強しなければいけないことが多い。また一種のパーフォーマンスアートだと思う。
ちょ
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