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謎の写真(3)

柳沢は、しばらく腕を組んで考えていたが、はっとしたように言った。

「そういえば、背広にバッジをつけていましたね。なんのバッジだったかなあ」

そこで沈黙が訪れた。良子もバッジをつけるような仕事ってなんだろうと頭を巡らせた。そういえば、議員は、バッジをつけているなと思い

「たとえば議員バッジとか」と言ってみた。

「議員のバッジじゃなかったですねえ。もっとカラフルな感じだったなあ」

またまた良子は宙に見据えて、頭を巡らせた。

『そういえば、私の好きなNHKの法律相談のコメディー風の番組で出てくる弁護士がいつもバッジを胸につけているわね』

「もしかしたら、弁護士バッジではありませんか?」と聞くと

「そういえば、弁護士さんもバッジをつけますよね。でも、実際に見たことがないから、わからないですね。弁護士のバッジって、どんな物なんでしょうかねえ」と言うので、

良子は早速スマートフォンを使って弁護士バッジを検索した。

そこには、こう書かれていた。

「通常のものは純銀製で金メッキが施されているが(使い込まれたことによってメッキが剥げた場合、あるいは故意にメッキを剥がした場合には、地金の銀が見えてくる)、本人の希望により純金製のものが交付される。表面は、16弁のひまわり草の花の中心部に秤一台を配したもので、花弁の部分は金色、中心部地色は銀色である。裏面には「日本辯護士連合會員章」の文字、及び登録番号が刻されている。」

良子がそこに書いていることを読み上げると、

「さあ、どうだったかなあ」と、柳沢は、よくわからないと言ったふうである。

そこで、『バッジ』とだけ入力して検索すると、次から次へとバッジの写真がでてくるので、良子のほうがびっくりしてしまった。

代議士は菊の紋章だということくらいは知っていたが、弁護士を始め、検察官、裁判官、弁理士司法書士、海事代理士、土地家屋調査士、行政書士、公認会計士、税理士、保育士等などがあり、その画面を柳沢に見せると、柳沢の目は検察官のところで止まった。

そして「これだ、これだ!」と言うので、良子が見ると、

それは、白い花びらのような物が三枚重ねに上下左右とあり、白い花びらの間にはこれまた金色の花びらのような三枚重ねが背景になっている。真ん中はルビーのような赤い石が入っていて、かなり目立つ。

「その人、検察官だったんですか」

「どうも、そうらしいですね」

良子は、こんなに早く対象を絞れる手がかりが見つかるとは思わなかったので、思わず「よかった!」と声をあげた。良子の声に、周りの客が良子の方を見たので、慌てて口をおさえた。

「検察官なんて、そんなにたくさんいないから、調べやすいですね」と、柳沢も少し興奮気味に言った。

「それじゃあ、早速検察庁にあたってみますね。ご協力、ありがとうございました」と、良子は柳沢に頭を下げた。

柳沢は、「じゃあ、僕はこれで」と、コーヒー代をテーブルに置こうとしたので、良子は「ここは、私達で払いますので」と言うと、柳沢はにっこりして「じゃあ、ごちそうになります。もし、写真の女性のことがわかったら教えて下さい。面白い記事が書けるかもしれませんから」と、新聞記者らしいことを言って、席を立った。

柳沢がいなくなったあと、良子はまたスマートフォンで検察庁を検索した。それまで良子は検察庁のことをあまり知らなかったのだが、スマートフォンで得た情報によると、

名古屋には、高等検察庁、地方検察庁、区検察庁の3つがあり、すべて、名古屋城の近くのビルにあった。

「シャーリー、電話をかけるより、実際に検察庁に行ってみない?運が良ければ、前島さんに会えるかもしれないわ」と言うと、シャーリーは賛成をした。

「名古屋城の近くにあるみたいだから、検察庁に行ったあと、名古屋城の見学をしましょうよ。とは言え、名古屋城って、コンクリートでできた建物で、姫路城ほどの風情はないけれど」

「それいいわね。私、名古屋って初めてなのよ。名古屋見学もできるなんて、嬉しいわ」と、ふたりとも、もうすぐ前島に会えそうだと、心も軽く、名古屋検察庁に向かった。

名古屋検察庁の建物に入り、受付嬢に、前島豊検事にお会いしたいと言うと、受付嬢はけげんそうな顔をして、言った。

「前島豊ですか?そういう名前の検事はおりませんけど」

良子は、驚いてシャーリーの顔を見て、

「前島豊という人はいないって」と言うと、シャーリーも「えっ?」と言って、思わず二人は顔を見合わせた。途方にくれて、しばらくその場に立っていたが、受付嬢に用事があるような人が来て、良子たちの後ろに立ったので、その場は一時退散することにした。

「どうしたんだろう。前島豊って、偽名だったのね。でも、どうして偽名を使う必要があったのかしら?」

良子の疑問はだんだん膨らんできた。

「良子、これからどうすればいいかしら」

心細そうにシャーリーが言った。

「その人、検察官なのは間違いないと思うの。だって、身元を隠したがっている人間が、わざわざ検察官のバッジを誰かに借りてまで、身に付けるはずないわ」

二人で、これからどうすればいいかを考えていたら、突然良子が

「そうだ!似顔絵があるわ」と言い出した。

「似顔絵をどうするの?まさか玄関で一日中彼らしき人を見つけるまで見張っているつもりじゃないでしょ」

「そんなことしなくても、受付嬢に見せて、どの検察官に似ているか、聞いてみるのよ」

「それは、グッド アイディア」と、シャーリも同意した。

二人はすぐに受け付けに舞い戻って、

「あのう、こんな顔の検事さんはいませんか?」と言って、柳沢が描いた似顔絵を受付嬢に見せた。

すると、すぐに反応があった。

「ああ、この方なら、田辺検事ですね」

「田辺検事?その検事さんに会えませんか?」勢い込んで良子は言った。

「残念ながら、今日は一日中出かけていて、明日にならないと帰ってきません」

良子は、一瞬がっかりしたものの、

「明日にはお会いできますか?」と聞いた。

「明日の午前中にいらっしゃれば、会えると思います。失礼ですが、お名前は?」と、良子とシャーリーの顔を見比べながら言った。外国人を連れた女が、検事に何の用事だろうと思ったのだろう。

「川口良子です」

「ご用件は?」

そこで、良子ははたと困ってしまった。オーストラリアに渡った写真の事で来たなんて言えば、警戒心をもたれてしまう。何しろ田辺は偽名を使っていたのだから。

「用件は、会ってお話したいのですが‥」と、言うと、受付嬢は、内密の話をしたいのかと思ったのか、すぐに

「分かりました。そのように伝えておきます」と言ってくれた。

その後二人は名古屋城を見学し、名古屋の中心街になる栄の地下街をショッピングし、夜は名古屋名物のうなぎを食べて、観光旅行を楽しんだ。

著作権所有者 久保田満里子

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謎の写真(2)

良子は、出かける前に、できるだけインターネットで調べられることは、調べておこうと、前島豊の名前で検索してみた。

すると、一人前島豊の検索にひっかかった人物がいた。気功師と書かれていた。横浜在住と書かれているから、この人物が、名古屋在住の前島豊とは思えなかったが、念のためにメールを送ってみた。

「私はオーストラリア在住の川口良子と申しますが、名古屋在住の前島豊さんを探しています。前島豊さんは、新聞社に預けていた友人の持っていた写真を、その持ち主だと言って持って行ったのですが、その後連絡がとれなくなりました。もし写真を持って行った前島豊さんでしたら、ご連絡ください」

良子の出したメールには、すぐに返事が来た。

「お探しの前島豊は、残念ながら、ぼくではありません.前島豊」

簡潔すぎる返事に、良子は拍子抜けした。こうなれば、名古屋に行って、調べる以外ない。しかし、どうやって調べればいいのか、見当もつかない。どうするかは、日本についてから考えようと、良子は諦めの気持ちで、シャーリーと一緒にオーストラリアを発った。

良子とシャーリーが名古屋空港に降り立ったのは、5月の五月晴れの日だった。一旦、名古屋城近くのホテルにチェックインして荷物をおろすと、早速米川を尋ねることにした。今のところ、唯一の手がかりは、米川しかいない。

米川の勤めている新聞社は、名古屋の中心部にある大きなビルにあった。大きなロビーにある受付で、米川を呼び出してもらうと、ワイシャツの袖をまくり上げた米川がすぐに現れた。良子が今日の訪問をメールで知らせておいたからである。米川とは3年ぶりの再会だったが、お互いの親交を温める時間はなさそうで、米川はすぐにロビーの片隅にある喫茶店に良子とシャーリーを誘った。

皆のコーヒーを注文すると、米川は早速話の核心に入った。

「この度は、本当に申し訳なかった。前島と言う人物は、僕の外出中に来たので、僕は実際には会っていないんだ。写真を手渡した同僚から、詳しいことを聞いたんだが、30代ぐらいのメガネをかけたサラリーマン風の男だったそうだ。その同僚、絵を描くのが得意なので、似顔絵を書いてもらったんだが、役に立つかなあ」と、米川はその似顔絵を良子とシャーリーの前に置いた。そこに描かれていたのは、いかにもインテリの優男という感じで、髪は七分に分け、丸顔だが、顎のところは少しとんがった感じである。

「背は高いの?」と、良子はその似顔絵を手にとって見ながら聞くと、

「同僚と同じくらいの高さだったということだから、170センチ前後というところかな」

「その同僚の人には、写真の人物との関係しか言わなかったのね。ねえ、その同僚の人に会わせてもらえないかな。色々聞きたいから」

良子がそう言うと、米川は苦笑いをしながら、

「おいおい、なんだか刑事みたいだな」と言った。

良子は少し照れたように笑って、

「そうね。推理小説の読み過ぎかもね」と答えた。

「それじゃあ、柳沢を呼び出してもらうよ」と、米川は席を立ち、受付に向かった。

その間に良子はシャーリーに、今米川から聞いたこと、そして写真を手渡したという柳沢と言う米川の同僚を呼び出してもらうことを説明した。シャーリーは、「じゃあ、その柳沢という男が、受取人のことを聞かないで写真を渡したバカっていうことね」と言うので、良子は慌てて、

「そんなこと言っちゃあダメよ。その人英語が分かるかもしれないから」とシャーリーをいさめた。

米川は、良子たちのいるところに戻ってくると、

「今柳沢が来るから、柳沢に詳しいことを聞くといいよ。悪いけど、僕今仕事がたまっているので、これで失礼するよ」と、ウエイトレスの持ってきたコーヒーを一気に飲み干すと、「じゃあ、また」と喫茶店を出て行った。それから2分もしないうちに、きちんとネクタイを締めた、まだ大学出てホヤホヤといった感じの若い男が喫茶店に入ってきて、客席を見回したあと、良子たちの席に近づいてき、「シャーリーさんと良子さん?」と流暢な英語で聞いた。

「はい、そうです」と良子が日本語で答えると、すぐに良子たちの向かいの席に座った。

「僕、柳沢です」と、良子とシャーリーに名刺を渡した。

英語で「写真を受け取った男について聞きたいと言うことですが、どんなことをお話すればいいのでしょうかね」と、悪びれる様子もなく言うので、シャーリーはカチンときたようだ。

「元々は私が持つ権利のあった写真なのだから、受取人の連絡先ぐらい聞いてもいいじゃありませんか。その男、私のことを何も聞かなかったんですか?」

「はあ、聞きませんでした。それに、シャーリーさんは写真を持ち主に返したいと言うご希望で、僕たちはそれに協力したわけで、写真を持ち主に返すことはできたのですから、ご希望がかなったわけではありませんか?」

柳沢の言うことも一理ある。

「それはそうですが、シャーリーとしては、あの写真に写っていた人がどんな人だったか興味があるので、その人から色々お話を伺いたいと思って、日本に来たわけです」

「そうですか」

「それで、写真を取りに来た人を是非探し出したいのですが、何か手がかりになるような物は、ありませんか?」

「そうですねえ。特に目立った特徴のある人ではなかったですからね。背だって特に高くもなく低くもなかったですよ」

著作権所有者 久保田満里子

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謎の写真(1)

川口良子は、友人のシャーリーの新築の家を訪れ、驚きの声をあげた。

まず、その大きさに、圧倒された。ベッドルームが5つ。ゆうに30人は入れそうな、大きな客室。トイレだって4つもある。しかし良子が一番興奮したのは、日本びいきの彼女が作った和室だった。畳の部屋に障子。床の間があり、床の間にはちゃんと椿の花が生けられ、山水画の掛け軸まである。部屋の隅には、まるで戦前のお金持ちの家から持って来たような古いけれども凝った細工がしてある水屋がある。鉄の輪が取っ手についており、戸も格子状になっている。今日本でも余り見れない凝った和室であった。新しい畳からイグサのにおいが漂ってきた。

「羨ましいわ。こんな素敵な家に住めるなんて」と、少し嫉妬の気持ちをこめて、良子は言った。良子は独身で、アパート暮らしである。シャーリーの夫は日本から工業用ロボットを輸入する会社の経営者で、夫の事業はしごく順調に行っているようである。

「一生に一度は、自分の気に入った家を建てたいと思っていたけれど、やっとその願いがかなったのよ。ここで、私の好きなお茶をたてることができるわ」と、シャーリーは良子の嫉妬に気がついたのか気がつかないのか、明るい声で、臆面もなく、嬉しそうに言った。シャーリーと良子は、茶道を通して知り合った仲だった。

家の中を全部案内したあと、シャーリーは、和室で良子にお茶をたててくれた。

良子がお茶を飲み終わると、シャーリーは思い出したように、

「そうそう。あなたに見せたいものがあるの」と言って立ち上がると、和室の片隅にある水屋の引き出しを開け、何やら取り出した。

「これ、見て」と、シャーリーが良子の目の前に置いたのは、古ぼけた写真だった。

良子は、誰の写真かととまどながらも手にとって見ると、写真の裏側に、「榮」と、書かれていた。サピア色の写真には、着物姿の若い女性が写っていた。ニッコリ笑った顔はおちょぼ口で、目元がすっきりし、鼻筋の通った、かなりの美人であった。日本髪をしているところを見ると、かなり古いものらしい。

「これ、だあれ?」と良子が聞くと、

「誰か分からないから、困っているのよ」と、シャーリー。

「この写真、誰かにもらったの?」

「そうじゃないのよ。あの水屋の引き出しの中に入っていたのよ」

「あの、水屋、どこで手に入れたの?」

「ハイストリートにあるアンティークのお店よ」

「じゃあ、そのお店で聞けば、水屋の元の持ち主が分かるんじゃない。明らかに、あの水屋の元の持ち主の物でしょうから」

「それが、聞いても、よく分からないのよ。まさか、粗大ごみの日に拾ってきたものではないでしょうけど」

良子は、シャーリーが粗大ごみの日なんて言葉を知っているので、思わず笑った。

「もしかしたら、そうかもしれないわよ。日本の粗大ごみって、中には新品と間違うような物も捨ててあることがあるから」と、良子はシャーリーをからかうように言った。

シャーリーは、良子の言葉を無視して、深刻な顔になって言った。

「この写真、随分古い物だと思うけれど、この写真の持ち主が生きていれば、持ち主に返してあげたいのよ。何か良い方法はないかしら」

「この写真の持ち主は、榮としか、書いてないから、苗字が分からないのね。それじゃあ、ちょっと難しいかもしれないわ」

「アンティークの店では、名古屋で手に入れたとだけ教えてくれたから、名古屋周辺を探せばいいんだと思うけれど」

「名古屋かあ。あっ!そうだ。新聞に広告出したらどう?」

「広告を出す?それって、私が広告代を払わなければいけないってこと?」

良子は、こんな大きな家の持ち主が、広告代をしぶるなんて、ちょっとおかしいと、笑えて来たが、シャーリーの気を悪くさせるのが嫌だったので、笑いをこらえて、シャーリーと同じように真顔になって言った。

「そう言えば、私の大学の同級生だった人で、今名古屋の新聞社に勤めている人がいるから、このこと記事にしてもらえないか、きいてみてあげようか?」

すると、シャーリーは目を輝かせて、

「そうすれば、持ち主、探し出せるわね」と、乗り気になった。

その晩、良子は早速大学時代の同級生の米川にメールを送った。

その返事は2日後に来た。

「デスクに話したら興味を持ってくれて、記事にしてもよいと言われた。もっと、詳しいことを説明してくれないかな。それに、その写真も送ってくれたら、その中の一枚を記事と一緒にのせたら、持ち主が現れる可能性が大きいと思うので、送ってください」

良子は早速そのことをシャーリーに電話して伝えると、

「すごい。このことが記事になるの?」と、シャーリーは大喜びして、写真を新聞社に送ってくれると約束してくれた。

シャーリーから写真を新聞社に送ったと連絡を受けて2週間後、良子は米川からメールを受け取った。

「川口さん、新聞記事ができたので、添付書類をみてください」とあったので、すぐに添付記事を読むと、「オーストラリアに渡った写真」と題して、次のように書かれていた。

「オーストラリアのメルボルン在住のシャーリー・ウイルキンソンさんが、去る3月5日にメルボルンのアンティークの店で水屋を買ったところ、水屋の引き出しから古い写真が出てきた。シャーリーさんは、この写真を是非持ち主に返したいと、当社に連絡してきた。写真には『榮』としか書かれていない。また、水屋は名古屋からオーストラリアに渡った物であることから、写真の持ち主は、名古屋あるいは名古屋近辺の在住者だと考えられる。写真を見て、心当たりのある方は、是非当社にご連絡願いたい」

記事と一緒にシャーリーの送った写真が載せられていた。良子が予想していたよりは、紙面を多く取った記事になっていた。

シャーリーにこのことを知らせると、シャーリーは大喜びで、

「どんな人が持ち主なのかしら?」と、期待でウキウキしている様子だった。

持ち主が現れるまで、どのくらいの時間がかかるのか良子は想像できなかった。もしかしたら無駄だったかもしれないが、今は待つのみだと良子は思った。そんな良子の予想に反して、思いのほか、早く持ち主が現れた。

米川から、記事が掲載されて3日後に連絡があったのだ。

「良子さん、持ち主が現れました。榮さんはすでに亡くなっていましたが、榮さんの孫だという前島豊という男性から、『榮は私の曾祖母です』と、連絡がありました。榮さんは前島栄さんと言って、2年前に87歳で亡くなられたそうです。来週写真を取りに来ると言う事で、写真を渡すことになりました」

良子がシャーリーに米川のメッセージを伝えると、シャーリーは、飛び上がらんばかりに喜んで、

「良かったわ。持ち主に返すことができて。私には何の意味もない写真だけれど、ひい孫さんにとっては、おばあさんの思い出の大事な写真でしょうからねえ。私、そのひい孫さんに会ってみたいわ」と、言い出した。

「じゃあ、米川君にその人の連絡先を教えてもらうね」と、シャーリーの意気込みに圧倒されながらも、良子自身もあの写真に写っていた榮がどんな人生を送ったのか、興味が湧いてきた。

米川に、前島豊の連絡先を聞くため、メールを送ったら、思わぬ返事が返ってきた。

「実は、連絡先は分かりません。本社に電話連絡があり、写真を取りに来たので、住所も、電話番号も、聞かないまま、写真を渡してしまいました。だから、連絡先が分からないのです。お役に立てなくて、すみません」

『そんな、無責任な!』と、良子は思ったが、米川を責めても、事態は解決しないことに気づき、米川を責めることはやめた。

ところが、シャーリに米川の返事を伝えると、カンカンになった。

「あれは、法的には私のものだったのよ。それをあげたんだから、お礼ぐらいされたってばちはあたらないと思うわ。新聞社だって、私の許可なくして、その人に渡すなんて無責任よ」

確かに彼女の言うことはもっともなので、良子は返す言葉もなかった。

「それに、私、その人に会いたいと思って、もう日本への航空券買ってしまったのよ」

「えっ!もう航空券も買ってしまったの?」

良子は自分が言い出したことがこんな結果になってしまって、申し訳なく思い、ついつい言ってしまった。

「じゃあ、私も日本に行って、その前島豊と言う人を探すの、手伝うわ」

「良子も行ってくれるんだったら助かるわ。私、日本語できないから、頼りにしているわ」

そういう訳で、良子は急遽、シャーリーと二人で日本に、前島豊探しの旅に出るはめに陥った。

著作権所有者:久保田満里子

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青い目の山田君

山田君と初めて会ったのは、去年の8月のことだった。

 去年の8月、銀行のコンサルタントとかいう人から電話がかかり、もっと有効にあなたの預金の運用ができるようにアドバイスをしますから来てくださいといわれた。もしかしたら詐欺師からの電話ではないかとおっかなびっくり銀行に行くと、背広を着て、紺色のネクタイを締めた30歳にもならないような青い目の好青年が私を待っていた。その青年が名刺を私に差し出しながら、「デイビッド山田です」と言うので、「えっ?」と思って、もう一度その青年の顔をまじまじと見た。青い目をして金髪のその青年は、どう見ても白人である。「山田って、日本の苗字だけれど、もしかしたら、あなたの先祖に日本人がいるの?」と聞くと、その青年はにっこり笑って、「ええ、うちのひいおじいちゃんが日本人だったんですよ」と言う。

「ひいおじいさん?じゃあ、もうかなり前に日本人がメルボルンにいたって訳ですか?」

 私は自分の無知をさらけ出してしまった。だって、日本は1854年まで鎖国をしていたわけでしょ?そして、1901年にはオーストラリアは白豪主義の政策をつらぬいて、日本人のような黄色人種を受け入れなかったと聞いているから、この青年のひいおじいさんと言えば、1868年から1901年までに間にオーストラリアに入国したって言う計算になる。

「ええ。でも僕のひいじいさんはメルボルンではなくて、ジーロングに住んでいたんですけれどね」

「で、あなた、日本語、話せるの?」と聞くと、

「残念ながら、話せません」

 私は自分の預金の話より、山田君の家系に興味を持った。

だから彼が私の今の預金の仕方では、預金をし始めた導入時のボーナスの利子がでつかないから、一旦預金をおろして新たに預金をしたということにしましょうと、その手続きをしてくれた後、彼を質問攻めにした。

「ひいおじいさんは、どうしてジーロングに来たの?」

「ジーロングで何をしていたの?」

私がしつこく聞くものだから、山田君は苦笑いながら、

「うちのおばあちゃんに聞けば、ひいおじいちゃんのことが分かると思いますからおばあちゃんを紹介してあげましょうか?おばあちゃんはひいおじいちゃんと血のつながりはないけれど、ひいおじいちゃんの息子と結婚して、ひいおじいちゃんの面倒をよく見ていたそうですから」と言ってくれた。私が日本人のせいか、山田君は私に親近感をもってくれたようだ。好奇心の塊になっていた私は、喜びで顔を綻ばせて

「そうしてもらえると、うれしいな」と答えていた。

 山田君が取り付いてくれたおかげで、山田君のおばあさん、山田ローズさんにその翌週の日曜日に、会うことができた。

 山田ローズさんは、90歳はゆうに越えているだろう。白髪でしわの目立つ顔ではあるが、鼻筋が通ってくりくりとした青い目の人で、若かりし頃はさどかし美人だったのだろうと思われた。しかしローズさんの記憶は90歳とは思えないくらい、鮮明だった。

 ローズさんは、「デイビッドから聞いたけれど、あなたは私の義父に興味を持っているんですって?」と開口一番に聞いた。

「ええ。私、歴史には興味があるんです」と言うと、本棚から古びたアルバムを引っ張り出してきて、テーブルの上に置いて、「これが義父よ」と指差して見せてくれた写真はセピア色だった。痩せて長細い顔に丸い黒縁のメガネをかけた日本人青年が立っている側に、はにかんだような笑いを浮かべているウエディングドレスの白人女性が椅子に座っていた。

「これは夫の両親の結婚式の写真よ」

「お義父さんはいつオーストラリアにいらっしゃったんですか?」

「1897年に来たと言っていたわ。そのころ日本は徴兵制があったので、兵隊に借り出されるのが嫌で、オーストラリアに密航してきたんですって」

「お義父さんは何をされていたのですか?」

「クリーニング屋だったの。義父の代のころは、日本人のクリーニング屋って多かったのよ。シドニーなんて23人もクリーニング屋を経営していた日本人がいたらしいけれど、このジーロングだって、義父と同年代くらいの日本人のやっているクリーニング屋って、3軒もあったのよ」

「そうですか。それじゃあ、山田さんのおうちは代々クリーニング屋さんをやっているってことですか?」

「そう。でも、第二次世界大戦が始まった時は大変だったわ。その時、すでに義父は74歳で、リュウマチもあって、寝たり起きたりしていたのよ。ところが、アメリカが日本から真珠湾攻撃を受けると同時に、オーストラリアは日本に宣戦布告をしたの。だから、その日のうちに義父は抑留されて、収容所に送られてしまったのよ。義母はオーストラリア人だったから収容所に送られずにすんだんだけれどね。それから夫と私はクリーニング屋を守っていくので大変だったのよ。『ジャップ帰れ!』と怒鳴る人たちに店に石が投げられて、窓ガラスを割られたのも一度や二度じゃなかったの。でも、オーストアリア人が皆が皆、私達を迫害したわけではないのよ。隣近所の顔見知りの人たちは、皆以前と変わらずつきあってくれたので、何とか生き延びれたの」

「収容所って、どこにあったんですか?」

「タチュラってメルボルンから180キロ内陸に入ったところ。シェパトンって知っている?」

「行ったことはないけれど、聞いたことはあります」

「そのシェパトンの近く」

「お義父さんが収容所にいらしたときの写真が、ありますか?」

「一枚だけ、あったわ」と、ローズさんがそのアルバムを数ページめくると、バラック小屋の入り口に座っている上半身裸の老人が写っている写真があった。

「これが、収容所にいた頃のお義父さんの写真よ」

まぶしそうに顔をしかめている老人の足元に、たくさんの下駄が脱ぎ散らかっているのが目に入った。

「オーストラリアの収容所では、下駄が配給されていたのですか?」と不思議そうな顔をして言う私を見て、ローズさんは吹き出した。

「まさか。これはね、収容所に入っていた人の中で手先の器用な人がいて、その人が皆に下駄を作ってくれたのよ」

「へえ、それじゃあ、日本のように小屋の中には土足で入らなかったってことですか?」

「そうみたい。それに関して義父からおもしろい話を聞いたわ。オーストラリア国内の敵国捕虜の扱いについて調査をしに来た国際赤十字団の人に、抑留者から一つだけ不平がでたんだそうだけど、何だか分かる?」

私はとっさに、

「食べ物を十分に与えられないということですか?」と聞いた。

日本でも戦争中は食糧不足で国民全員が大変な思いをしたと聞いていたから、きっと食料への不満が出たのだろうと私は推測したのだ。

すると、ローズさんは頭を横に振って、

「そうじゃないのよ。食べ物はふんだんに与えられて、待遇は悪くなかったっていうことだわ」

「それじゃあ、何が不満なのか、ちょっと見当がつきません」と私は、すぐに降参した。

「それはね、看守が土足で小屋に入ってきて、検査をすることだったの。看守に土足で上がらないでくれと何度も頼んだけれど無視されたと言って、文句を言ったらしいわ」

私は思わず笑ってしまった。だって、看守に暴行を受けたとかというのなら分かるが、そんな非常時に靴を脱がないなんていうことが唯一の不満だったなんて、とてもユーモラスに思われたからだ。

「お義父さんは、それでは収容所で亡くなられたんですか?」

「いいえ。でもね、タチュラって、何しろ内陸部でしょ?夏は暑いし、冬は冷え込むのが辛かったらしいわ。暖房は火事になったら困るというので全く許されなくて、空になった灯油缶に熱湯を入れてベッドの中に隠し持っていたこともあるけれど、すぐに見つかって取り上げられたそうよ。段々体も弱って動けなくなって、1943年の5月に釈放されたの。戦争が終わる2年くらい前ね。釈放の条件は月に一回警察に報告することと、家の5キロ範囲外に出てはいけないことだったのよ。クリーニングの仕事にかかわらないことも条件だったけれど、義父はとてもじゃないけれどクリーニングの仕事ができる状態ではなかったわ。ほとんど寝たきりだったんだから。でも、一度だけ義父に頼まれて警察に内緒で外へ連れ出したことがあるの」そういうローズさんは、いたずらっ子のようにニコッとした。

「どなたかのお葬式にでもいらっしゃったのですか?」

ローズはクスクスと笑い、

「そうじゃないの。映画を見に行ったのよ」

「映画ですか?どんな映画です?その頃日本の映画でもやっていたのですか」

「義父が見たがったのは、『風と共に去りぬ』なのよ」

私は驚いて、思わず聞き返した。

「あのアメリカの南北戦争を舞台にした恋愛映画ですか?」

  「そうなの。あの時は、警察に見つかればまた収容所に送り返されるとびくびくしながら出かけていったんだけれど、幸いにも警察に密告する人もなくて、無事に見て来れたの」

写真から見ると朴訥な感じのする山田氏がロマンチックな映画を見たがったと聞いて、私は突然山田氏に親近感を覚えた。

 ローズさんはそれから遠くを眺めるような目になって、「義父はそれから間もなく亡くなったから、日本が敗戦したことも知らないのよ。もっとも義父は、日本が勝っても負けてもどっちだっていい、早く戦争さえ終わってくれればと言っていたけれど」と言った。そしてため息をつきながら、

「義父はね、それでもラッキーなほうだったのよ。加藤常吉さんと言うクリーニング屋に勤めていた72歳の人は、強制送還されてしまったわ。常吉さんは独身で、オーストラリアには40年以上もいて、日本には知っている人一人もいなかったの。常吉さんが抑留される前に常吉さんを雇っていたクリーニング屋の中国人の経営者が、常吉さんの老後の面倒は見るから常吉さんをオーストラリアにいさせてほしいとオーストラリア政府に嘆願書も出したんだけれど、聞き入れられなくて、常吉さんは泣く泣く船に乗せられたわ。日本に帰って、すぐに亡くなったと言うことだけれど」

「お義父さんが釈放されたのは、奥さんがオーストラリア人だったからですか?」

「そう。アングロサクソンの奥さんや夫を持つ人とオーストラリア生まれの人は、オーストラリアに残ることを許されたの。だから、オーストラリア生まれの子供達をオーストラリアに残して、強制送還された日本人夫妻もいたということよ」

 ローズさんの話を聞いた後、私は、戦争中オーストラリアにいた日本人の苦難を思いやり、心が鉛のように重くなった。今オーストラリアに住んでいる日本人の私は、何年住んでもこの国では外国人だと思っている。だから、第二次世界大戦中にオーストラリアにいた日本人のおかれた状況は、他人事とは思えなかった。このまま日本とオーストラリアが今のような平和な関係をいつまでも続けてくれることを願わずにはいられなかった。

(参考文献:永田由利子著 Unwanted Aliens 豪州日系人強制収容 University of Queensland Press, 1996年)

著作権所有者:久保田満里子

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百済の王子(最終回)

病院から帰ると、物思いに沈んでいるセーラを見て、母親が心配顔で、

「どうだった?」と、聞いた。その時、本当のことを言うべきかどうか、迷った。しかし妊娠したことを母親にはかくしておけないと覚悟を決めて、

「私、妊娠3ヶ月だって」と、答えた。

「え?妊娠?それじゃあ、トムに連絡しなくっちゃいけないわね」と母親が言うので、セーラは慌ててしまった。

「ママ、実はね、おなかの子の父親はトムじゃないの」

「まあ、じゃあ、あんたトム以外につきあっていた男がいたの?」

母の声にはセーラを非難するとげが感じられた。

「ママ、実はね、日本に行った時、色々なことが起こったの」と、この時初めてセーラは母親に自分の身に起こったことを話した。

母は、「額田王?」、「百済?」、「 豊璋?」と、セーラが話している途中で、口をはさんだが、明らかに、事情が一度では、飲み込めない様子で、ぽかんとしていた。

そして最後に、「じゃあ、あなたのおなかの子の父親は、百済の王子だというわけね」と、一言言って、黙ってしまった。

母親も思わぬ事態に、セーラにどうアドバイスすべきか、言葉を失ってしまったのだ。

その晩の食卓は、重苦しい雰囲気に包まれていた。何も知らない父親だけが、

「何だ、今日は二人とも静かだな」と明るい声で言っただけだった。

翌朝、いかにも夕べは一睡もできなかったというような、疲れきった顔の母親が、

「セーラ、おなかの子は産みなさい」と、言った。

「夕べ考えたんだけれど、やはり子供はおろすべきではないわ。実はね、ママは赤ちゃんをおろしたことがあるのよ。あなたのパパと会う前に、妻子ある人と恋に陥った結果だったんだけれどね。その後、ママはどれほど苦しんだことか。だから、あなたには、そういう思いをさせたくないの。できるだけ、応援してあげるわよ」

セーラは母親のその言葉に励まされて、「産もう」と、その場で決心した。

産むと決めたあとは、子供の父親の 豊璋が、どうなったのか知りたくなって、インターネットで検索してみた。ウイキペディアで「扶余 豊璋」の項目を見つけたが、漢字が多くて意味が分からなかったので、母親に読んでもらって、 初めて、セーラと別れた後の豊璋の運命を知った。

それによると、結局は百済は滅亡してしまったようだ。そして 豊璋は、倭軍との連合軍が敗れた後は高句麗に逃亡。その高句麗も668年に唐のために滅亡。 豊璋は、高句麗の王族と共に、唐の都に連行されたということだ。しかし、高句麗王の宝蔵王らは許されて、唐の官職を授けられたが、 豊璋はゆるされず、嶺南地方に流刑にされたと、書かれていた。

ウイキペディアで 豊璋が流刑の地で死んだことを知って、セーラは胸が痛んだ。結局、 豊璋は、日本からは百済の王と認められたが、百済を治めることなく、死んでしまったのだ。

「結局、あの人は、百済を救うことができなかったのね。百済の人々は、そのあとどうなったのかしら…」

「これによるとね、百済の復興が失敗した後、何千人もの百済人が難民となって日本に渡ったと書いてあるわ」

セーラは、ため息をつきながら、

「きっと、その人達、過酷な人生を送ったんでしょうね。あの時代で楽をしているのは一部の人間で、ほとんどの人は、その日の食べ物にありつくために、あえいでいたから」

「そうでも、なかったようよ。天智天皇は、百済の難民に土地を与えて、一定の期間免税して保護したと言うことよ」

セーラは、容赦なく蘇我入鹿を切り捨て、異母兄に当たる古人皇子を討伐させた天智天皇の顔を思い浮かべながら、

「あの冷酷な人が、そんな温情のあることをしたの?」と、天智天皇の思わぬ面を見た気がした。

 豊璋の弟の禅広は、どうなったのだろうか?そう思ったら、母親から、

「 豊璋には弟がいたの?」と、聞いた。

「ええ、いたわ。禅広と言う人だったけれど、その人は確か百済には帰らなかったはずだわ」と言うと、

「ウイキペディアによるとね、彼の子孫は持統天皇から百済王(くだらのこにきし)の姓をもらって、百済の王統を伝えたって、書いてあるわ。お墓は大阪にあるようよ」

「そうだったの」

セーラは、自分のすこし膨らみかけたおなかをさすりながら、

「あなたのおじさんの子孫がまだ日本にいるみたいね。あなたが生まれたら、そのおじさんのお墓参りしましょうね。あなたには、日本人とオーストラリア人と韓国人の血が流れているわ。大きくなったら、日本とオーストラリアと韓国の絆を作れる人になってね」と、祈るような気持ちで、おなかの子に語りかけた。

 

2015年のオーストラリアに戻って6ヵ月後、セーラは、丸々とした男の子を産んだ。セーラはその子の顔を見て、なんて豊璋様に似ているのだろうと、いとおしさで胸がいぱいになり、しっかりその子を抱きしめた。

 

 

参考文献

宇治谷猛  「日本書記 下巻」創芸出版株式会社 1986年

宇治谷猛  「全現代語訳 日本書記 下」 講談社 2014年

高寛敏   「古代の朝鮮と日本(倭国)」雄山閣 2007年 

金達寿   「朝鮮」 岩波新書 1992年

兼川晋   「百済の王統と日本の古代」不知火書房 2012年

金栄来   「百済滅亡と古代日本」雄山閣 平成16年

鮮干輝、高柄翔、金達寿、森浩一、司馬遼太郎 

  「日韓 理解への道」中公文庫 中央公論社 昭和62年

田中史生  「倭国と渡来人 工作する「内」と「外」」吉川弘文館 2013年

中村修也  {偽りの大化改新}講談社現代新書 2006年

室谷克実  「日韓がタブーにする半島の歴史」 新潮社 2010年

福永武彦(訳者)「国民の文学 第一巻 古事記」河合出書房新社 昭和39年

 

 

インターネット検索

ウイキペディア 「朱雀」

        「白村江の戦い」

        「扶余豊璋」

        「百済王氏」

        「高松塚古墳」

                                    「大海人皇子」

           「額田王」

                                    「天智天皇」

                                    「皇極天皇」

                                       「孝徳天皇」

        「安曇比羅夫」

                                    「ソドンヨ」

                                    「百済王」

                                    「乙巳の変」

テレビ番組  韓国ドラマ「イ・サン」

       韓国ドラマ「大王四神記」

       韓国ドラマ「ケベック」

                                   韓国ドラマ 「朱蒙(チュモン)」

         NHK 歴史ヒストリア 「石の女帝」2014年10月15日放映

       NHK 知恵の泉 「敗者に学ぶ」2014年6月18日放映

 

 

 

 

 

 

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