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百済の王子(最終回)

病院から帰ると、物思いに沈んでいるセーラを見て、母親が心配顔で、

「どうだった?」と、聞いた。その時、本当のことを言うべきかどうか、迷った。しかし妊娠したことを母親にはかくしておけないと覚悟を決めて、

「私、妊娠3ヶ月だって」と、答えた。

「え?妊娠?それじゃあ、トムに連絡しなくっちゃいけないわね」と母親が言うので、セーラは慌ててしまった。

「ママ、実はね、おなかの子の父親はトムじゃないの」

「まあ、じゃあ、あんたトム以外につきあっていた男がいたの?」

母の声にはセーラを非難するとげが感じられた。

「ママ、実はね、日本に行った時、色々なことが起こったの」と、この時初めてセーラは母親に自分の身に起こったことを話した。

母は、「額田王?」、「百済?」、「 豊璋?」と、セーラが話している途中で、口をはさんだが、明らかに、事情が一度では、飲み込めない様子で、ぽかんとしていた。

そして最後に、「じゃあ、あなたのおなかの子の父親は、百済の王子だというわけね」と、一言言って、黙ってしまった。

母親も思わぬ事態に、セーラにどうアドバイスすべきか、言葉を失ってしまったのだ。

その晩の食卓は、重苦しい雰囲気に包まれていた。何も知らない父親だけが、

「何だ、今日は二人とも静かだな」と明るい声で言っただけだった。

翌朝、いかにも夕べは一睡もできなかったというような、疲れきった顔の母親が、

「セーラ、おなかの子は産みなさい」と、言った。

「夕べ考えたんだけれど、やはり子供はおろすべきではないわ。実はね、ママは赤ちゃんをおろしたことがあるのよ。あなたのパパと会う前に、妻子ある人と恋に陥った結果だったんだけれどね。その後、ママはどれほど苦しんだことか。だから、あなたには、そういう思いをさせたくないの。できるだけ、応援してあげるわよ」

セーラは母親のその言葉に励まされて、「産もう」と、その場で決心した。

産むと決めたあとは、子供の父親の 豊璋が、どうなったのか知りたくなって、インターネットで検索してみた。ウイキペディアで「扶余 豊璋」の項目を見つけたが、漢字が多くて意味が分からなかったので、母親に読んでもらって、 初めて、セーラと別れた後の豊璋の運命を知った。

それによると、結局は百済は滅亡してしまったようだ。そして 豊璋は、倭軍との連合軍が敗れた後は高句麗に逃亡。その高句麗も668年に唐のために滅亡。 豊璋は、高句麗の王族と共に、唐の都に連行されたということだ。しかし、高句麗王の宝蔵王らは許されて、唐の官職を授けられたが、 豊璋はゆるされず、嶺南地方に流刑にされたと、書かれていた。

ウイキペディアで 豊璋が流刑の地で死んだことを知って、セーラは胸が痛んだ。結局、 豊璋は、日本からは百済の王と認められたが、百済を治めることなく、死んでしまったのだ。

「結局、あの人は、百済を救うことができなかったのね。百済の人々は、そのあとどうなったのかしら…」

「これによるとね、百済の復興が失敗した後、何千人もの百済人が難民となって日本に渡ったと書いてあるわ」

セーラは、ため息をつきながら、

「きっと、その人達、過酷な人生を送ったんでしょうね。あの時代で楽をしているのは一部の人間で、ほとんどの人は、その日の食べ物にありつくために、あえいでいたから」

「そうでも、なかったようよ。天智天皇は、百済の難民に土地を与えて、一定の期間免税して保護したと言うことよ」

セーラは、容赦なく蘇我入鹿を切り捨て、異母兄に当たる古人皇子を討伐させた天智天皇の顔を思い浮かべながら、

「あの冷酷な人が、そんな温情のあることをしたの?」と、天智天皇の思わぬ面を見た気がした。

 豊璋の弟の禅広は、どうなったのだろうか?そう思ったら、母親から、

「 豊璋には弟がいたの?」と、聞いた。

「ええ、いたわ。禅広と言う人だったけれど、その人は確か百済には帰らなかったはずだわ」と言うと、

「ウイキペディアによるとね、彼の子孫は持統天皇から百済王(くだらのこにきし)の姓をもらって、百済の王統を伝えたって、書いてあるわ。お墓は大阪にあるようよ」

「そうだったの」

セーラは、自分のすこし膨らみかけたおなかをさすりながら、

「あなたのおじさんの子孫がまだ日本にいるみたいね。あなたが生まれたら、そのおじさんのお墓参りしましょうね。あなたには、日本人とオーストラリア人と韓国人の血が流れているわ。大きくなったら、日本とオーストラリアと韓国の絆を作れる人になってね」と、祈るような気持ちで、おなかの子に語りかけた。

 

2015年のオーストラリアに戻って6ヵ月後、セーラは、丸々とした男の子を産んだ。セーラはその子の顔を見て、なんて豊璋様に似ているのだろうと、いとおしさで胸がいぱいになり、しっかりその子を抱きしめた。

 

 

参考文献

宇治谷猛  「日本書記 下巻」創芸出版株式会社 1986年

宇治谷猛  「全現代語訳 日本書記 下」 講談社 2014年

高寛敏   「古代の朝鮮と日本(倭国)」雄山閣 2007年 

金達寿   「朝鮮」 岩波新書 1992年

兼川晋   「百済の王統と日本の古代」不知火書房 2012年

金栄来   「百済滅亡と古代日本」雄山閣 平成16年

鮮干輝、高柄翔、金達寿、森浩一、司馬遼太郎 

  「日韓 理解への道」中公文庫 中央公論社 昭和62年

田中史生  「倭国と渡来人 工作する「内」と「外」」吉川弘文館 2013年

中村修也  {偽りの大化改新}講談社現代新書 2006年

室谷克実  「日韓がタブーにする半島の歴史」 新潮社 2010年

福永武彦(訳者)「国民の文学 第一巻 古事記」河合出書房新社 昭和39年

 

 

インターネット検索

ウイキペディア 「朱雀」

        「白村江の戦い」

        「扶余豊璋」

        「百済王氏」

        「高松塚古墳」

                                    「大海人皇子」

           「額田王」

                                    「天智天皇」

                                    「皇極天皇」

                                       「孝徳天皇」

        「安曇比羅夫」

                                    「ソドンヨ」

                                    「百済王」

                                    「乙巳の変」

テレビ番組  韓国ドラマ「イ・サン」

       韓国ドラマ「大王四神記」

       韓国ドラマ「ケベック」

                                   韓国ドラマ 「朱蒙(チュモン)」

         NHK 歴史ヒストリア 「石の女帝」2014年10月15日放映

       NHK 知恵の泉 「敗者に学ぶ」2014年6月18日放映

 

 

 

 

 

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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