初恋の人(最終回)
更新日: 2025-06-01
雄二に裏切られて傷心の日々を送っていた私は、思い切って出会いサイトにアクセスして、その頃日本語教師の補助役として雇われていたリチャードと知り合った。リチャードは何も屈託がない明るい青年だった。その明るさに惹かれて付き合いはじめ、リチャードがオーストラリアに帰る時に一緒に付いていき、オーストラリアに住み始めた。新しい国、新しい知り合い。すべてが目新しくリチャードとうまくいっていたときは、全く雄二のことを思い出さなかった。それなにの、その夫とも心が離れていった時、あれほど憎いと思っていた雄二のことが時折思い出された。悦子の訃報を知ったとき、今までの雄二への憎しみが一挙に懐かしさに変わり雄二に電話してしまったのだ。「姉さんは君も知っている今井と結婚して、子供が三人いるよ」と、雄二は美佐子の近況を教えてくれた。
そう言われて、私は今井のスポーツマンタイプのハツラツとした日に焼けた顔を思い出した。
「そう。美佐子にも会いたいわ。ねえ、今度会いに行ってもいいかしら?」
「そうだね。僕もあんまり長くは生きられないと思うから、会いに来るなら、早く来たほうがいいよ」
私は悦子が死んで、今は私のライバルではなくなったので、悦子に対しても寛容な気持ちになっていた。
「悦子のお墓参りもしたいわ」
そういうと、雄二は
「悦子の遺骨、まだ家にあるんだよ。僕もそう長くないから子供たちに二人の墓を作って、一緒に葬ってくれと頼んであるんだ」
それを聞いたとたん、私は雄二に会いたいという気持ちが急速になえていった。そのあと、弱弱しく私は言った。
「そうなの。じゃあ、またね」
「ありがとう。君の電話本当に嬉しかったよ。なんだかプレゼントをもらったような気持ちだよ」
私は受話器を置くと、私の電話を喜んでくれた彼の嬉しそうな声が耳に残り、夫との仲が冷え切って、カサカサしていた心が少し慰められた。
雄二と話して三ヵ月後、リチャードとの離婚が正式に決まった。その頃は、リチャードと顔を合わせれば女のことで口論になっていた。リチャードとのギスギスとした生活に疲れ果てて、離婚に同意した後、心の整理をするためにいったん日本の実家にもどってきた。自分の将来を考えると不安に陥った。そんな時、雄二の声がまた聞きたくなった。雄二に会うのをやめようと思っていたのだが、やはり、雄二のことは、いつも心の片隅にあったのだ。
雄二にかけた電話の呼び鈴を聞きながら、私は、雄二とどこで会うのが一番いいだろうかなどと、考えていた。電話がつながり、「もしもし」と声がした。それは、意外にも女の声だった。私は、女が電話に出るとは予想もしていなかったので、あわてて「番号間違えました」と言って電話を切ろうとしたら、その女は言った。
「聡子じゃない?」
そう言われて、初めてその声の主が、雄二の姉の美佐子だと気がついた。
おそるおそる聞いた。
「美佐子なの?」
「やっぱり、聡子だったのね。こんな日に電話してくるなんて、やはりあなたと雄二は何かの縁で結ばれていたのね」
私は美佐子の言う意味が分からなかった。
「どういう意味?」
「今ね、雄二が息を引き取ったところなの」
涙声の美佐子の言葉を聞いたとたん、胸の動悸が激しくなった。雄二が死んだ。あの時の「ありがとう。君の電話本当に嬉しかったよ」という言葉が彼の私への最後の言葉となってしまった。私の頬からとめどもなく涙がでてきて、私はその場に崩れ落ちた。
著作権所有者:久保田満里子
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