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ヒーラー(9)

テレビ公開はうちでやることになっていたので、私はてっきりカレンとカメラマン、そして患者だけがうちに来ると思っていたのだが、患者の他に背の高いひょろっとした感じの中年の男がカレンの後ろに立っていた。

「こちら、国立癌センターのテッド・オースチン先生です」とカレンはその男を紹介した。

私は癌の専門医が来るとは聞いていなかったので、驚いた。

「オースチン先生に、専門家の立場から、祈りの効果の証人になっていただきたいと思いましてね」とカレンは私の当惑した顔を見て、説明を加えた。

カレンの連れてきたやせ細った患者はアンディと言い、肺がんに冒されているということだった。鼻に酸素吸入の管をさしこまれていて、呼吸困難まで引き起こしている末期癌の患者だと一目でみてとれた。ここに来る前に、アンディの肺の状態はレントゲン写真も撮られているということだ。私の祈祷の後、またレントゲンを撮って比べるつもりのようだった。

私はタンカで運ばれたアンディを、私が用意したベッドに横たわらせ、私が祈る間、本人にも真剣に祈るように頼んだ。アンディは息をするのもつらそうにしていたが、私の頼みに対してわずかに頷いた。

アンディが横になり、私はアンディの肺の上に手をかざし、祈り始めたが、いつものようにすぐに集中できなかった。観察者、それもペテンを見抜いてやるぞと言った悪意を持った観察者が3人も小さな部屋に詰め掛けているのだから、私の想念が彼らの想念に邪魔をされているように思えた。カメラが回っている音がかすかに聞こえる。何とか集中しようと思ったが、なかなかできない。いつもは5分もすれば、手に電流が流れるようなぴりぴりする感覚に襲われるのだが、私の掌には何の感覚の変化も起こらない。私は段々焦り始めた。こんなはずはない。ここで奇跡が起こらなければ、私は詐欺師の汚名を着ることになると思うと、額から汗が出始めたが、私の掌には何の変化も見られなかった。できるだけ集中して自分の想念を一つにしようと言う思いと、ここで奇跡が起こらなかったらどうしようという恐れが湧き上がって、私の心はその二つの思いと戦うことにエネルギーを消耗することになってしまった。

そんな中で、急にカレンの声が聞こえた。

「終わりましたか?」

私はその声で祈り始めて一時間たったことを知り、自信は全くなかったが、カレンに向かって頷いた。

カレンがアンディに

「気分はどうですか?」と問いかけると、アンディは

「前と同じで、息をするのが苦しいです」と言葉をきりながら、苦しげに言う。オースティン医師は、アンディの腕を取って脈拍を調べたが、「前と変わっていませんね」と言う。

レントゲンを撮って調べなくても結果は一目瞭然だった。私の祈りは何の効果もなかったのだ。

カレンたちが引き上げた後、私は敗北感に包まれ、じっと座ったままうなだれていた。

背後でジョンが遠慮がちに優しい声で慰めてくれた。

「たとえ今度のことが失敗しても、僕の癌細胞が消えたのは確かなんだから、気にすることはないよ。今まで洋子は100人ぐらいの人の癌を治したんだろ?100人中一人が治らなかったって言っても、確率からすれば1%じゃないか。気にするな」

私は、マスコミにたたかれる覚悟をしなければならなかった。きっと明日にでも「詐欺師、洋子」とでも題する番組が報道されることだろう。そう思うと、テレビ局のインタビューさえ引き受けなければ、今でも静かに多くの人を治せたかもしれないのにと思うと、悔し涙が出た。テレビのインタビューを引き受けた時、心の奥底に、これで私は有名になれるかもしれないという名誉欲をくすぐられたのは否めない。だから何となく、そんな自分の思いに対する天罰のような気もした。

ジョンも無責任に私に祈りを公開するように進めたので、気がとがめているようだった。

「な、気を取り直せよ。今日はうまいものでも食べに行こうよ」と私を促して、メルボルンでも有名なホテルのバイキング料理に連れて行ってくれた。

人間満腹すると、段々楽天的になってくるという昔友人の言った言葉を思い出した。「私は虚しいと思ったときにはおなか一杯ご飯を食べるの。そうすると、虚しさが消えていくような気がするわ」

その日は、そんな友人の言葉が思い出され、落ち込んだ気分から少し立ち直れそうな気がした。やけ食いをし、家に帰ると身動きできないくらい、おなかが重かった。居間のソファーにごろんと横たわると、祈りを商売にしようなんて気はもともとなかったことを思い出した。奇跡が起こり、何となく自分が奇跡を起こしたような気がしていたのが、もう奇跡を起こせないとなれば、また掃除のおばさんに戻ればいい。祈祷依頼があれば、あったでよし。なければないでよし。そう開き直ると、気が楽になった。

著作権所有者:久保田満里子

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ヒーラー(8)

テレビ局のレポーターが家に来る日、ジョンはインタビューのために特別に買ったベージュの背広を着、私は私で紺のワンピースに白のブレザー、そして首には真珠のネックレスをつけて、落ち着かない気持ちで、レポーターを待ち受けた。その日、玄関に現れたレポーターは、テレビでよく見る金髪のショートカットの丸顔の女だったが名前までは知らなかった。その女はカレンと名乗った。カレンはボイスレコーダーを片手にカメラマンを連れて来ていた。

「こちら、カメラマンのボブ」と、カメラマンを私とジョンに紹介した。

カレンとカメラマンを、いつも患者さんを寝かせる客用の寝室に案内すると、カメラマンはカメラを回して部屋の様子を隅から隅まで撮影した。

インタビューは、客間で行われた。私もジョンも初めてカメラの前に座ると緊張して顔が強張った。

「何がきっかけで、このビジネスを始めたのですか?」とカレンが最初の質問をした。

私は自分の仕事をビジネスと言われて少し不満だったが、気を取り直して答えた。

「ジョンが胃癌を宣告されて、その時、私の祈りによって癌細胞が消えたのがきっかけです。私自身、自分の祈祷の力に、驚いています」

私の話が終わるのを待たずに、ジョンが横から口をはさんだ。

「僕は最初、洋子が祈祷してくれるって言った時は、痛みでもおさまればもうけものぐらいにしか考えていなかったので、医者から癌細胞が消えていると言われて、びっくりしたんですよ」

「それは祈祷の力じゃなくて、他の原因が考えられませんか?」と、カレンは質問を続けた。

私はちょっと頭をかしげて考えた。そして慎重に考え考え答えた。

「あの日、祈祷以外の特別なことをしませんでしたから、祈りの力としかいいようがありません。現に、最近うちに見える患者さんも、ジョンと同じような体験をしておられます。それに祈りの力については、いろんな研究でその効力は認められているようですし」

「そうですか。私の記憶が間違っていなければ、最近行われた遠隔距離で患者さんたちを色んな宗派の僧侶や牧師、神父さんに祈ってもらうという実験では、祈ってもらった患者と祈ってもらわなかった患者との間の回復期間には統計的に有意の差はみられなかったとききましが…」

カレンは最初から私の祈りは眉唾物だと決めてかかっているのが感じられた。

私はそんな実験のことは初耳だったので、カレンに反論を試みた。

「そうなんですか?人の想念が物質に影響を及ぼすことは、色々な実験で分かっているんじゃないですか?たとえばですね、私が読んだ本によると、ご飯を二つのお茶碗に入れて、一つのお茶碗に向かって『馬鹿、死ね』と言って罵り、もう一方のお茶碗には『あんたはきれいだね。大好き』と褒め称えると、罵ったご飯のほうが早く腐るっていうことでしたよ。それに水に向かって同じようにすると、褒めた水の結晶は美しく、罵った水の結晶は形が崩れるなんてことを写真を撮って証明している人もいることですし、祈りの力は馬鹿にできないと思いますけど」と言うと、カレンは苦笑して

「日本人は変な実験をするのですね。でも私が読んだ有名な大学の先生の実験では、祈りの効果はないということでしたよ」と、私の反論をはねつけてしまった。

私はそれ以上言っても水掛け論になると思い、黙ってしまった。

そうすると、カレンは急に目を輝かせて、

「今度、あなたが祈っている様子をテレビで公開してくれませんか?」と言い出した。

「テレビですか?それは患者さんのプライバシーの問題もありますし…」と躊躇すると

「それでは、テレビに出ても構わないという患者さんがいたら、やっても構わないと解釈してよろしいんでしょうか?」と切り返してきた。

黙っていればいいものを、ジョンはまたテレビ出演のチャンスがあると見て、

「そんな患者さんがいれば、いいよな」と私の顔を見て言い、私をけしかけ始めた。

私は一抹の不安を感じたが、その場の雰囲気にのみ込まれた形で、祈祷の様子をテレビ公開する約束をさせられてしまった。

カレンが帰った後、私の不安はムクムクと広がり始め、すぐにでもカレンに電話して断ろうかと思った。しかし、ジョンは

「そんなことをしたら、大々的に君はペテン師だと報道されるに決まっているよ。今まで君の祈った患者さんで、君の祈りの効果がなかったって言う人、一人もいないじゃないか。大丈夫だよ。大丈夫。俺が保証するよ」とキャンセルすることに猛反対した。ジョンは太鼓判を押してくれたが、ジョンの太鼓判は余りあてにできない。

不安な気持ちを抱いたまま、テレビ公開の日を迎えることになった。

著作権所有者:久保田満里子

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ヒーラー(7)

エリックの病気を治せなかったにも関わらず、ローレンやエレンの癌が治ったという話は口コミで広がって行ったようで、依頼人がどんどん増えて行った。

次に依頼をしてきたのは、韓国人のキム・ミョンヒさんだった。

ドアの前に現れたキムさんも、いたって健康そうに見えた。今までは、必ず付き添いがいたのに、キムさんは一人で来た。

20代半ばだと思われるキムさんは、韓国ドラマ「チャングムの誓い」の主役を演じた女優イ・ヨンエに似ている、目が涼しくおちょぼ口をしている色白のハッとするような美人だった。イ・ヨンエと言ってもぴんと来ない人も多いと思うが、韓国版吉永小百合っと言ったほうが分かりやすいかもしれない。

「どうされましたか?」と言う私の質問に

「肺がんだと言われ、どうにかして、苦しい癌治療をしないで治してもらえないかと思って来ました」

そういうキムさんは、癌治療に対して恐怖感を抱いているようで、美しい顔がゆがんだ。

「そうですか。キムさんが治ることを強く願っているなら、その手助けはできるかもしれませんが、わたしだけの祈りの力では治るとは限らないので、それだけは分かってくださいね」と言うと、キムさんは固くなった表情をくずさず、こっくりとうなづいた。

私はいつものように彼女をベッドに寝かせて、一心に彼女の快癒を祈った。一時間がたち、彼女を家から送り出した時は、彼女は明るい表情になっていた。

「明日、病院に行くことになっていますから、その検査の結果が分かり次第、お知らせします」と言って帰って行った。

その翌日彼女が電話をかけてきた。

「ようこさんですか?」

その弾んだ声を聞いた時は、彼女の癌細胞が消えたという奇跡がまた起きたことを私は確信した。

「癌細胞が消えていたのですね?」私の問いに、

「そうなんです。本当にありがとうございました」

感激にむせたような声だった。彼女の感激が電話越しに伝わってきて、私は人助けができたことに喜びを感じ、

「よかったですね」と言う私の声も涙ぐんでいた。

最初は1週間に一人ぐらいの依頼が、日がたつに連れて、2人になり、3人になり、そして一週間に10人を超えるまでになった。メルボルンが多文化の街なのを反映して、オーストラリア人はもとより、イギリス人、アメリカ人、レバノン人、中国人、ギリシャ人、イタリア人、韓国人と、依頼人の国籍は多様であった。依頼が来るたびに、治る保証はないというのだが、絶望的になっている癌患者は、それでもいいと言って、依頼は増えるばかりだった。最初は躊躇していた私も、人が治っていくのを目の当たりに見て、自分の力で他人の苦しみが少しでも軽くなるのならと思うと断りきれなくて、お祈りをする機会が段々多くなり、一ヵ月後には清掃業の仕事を続けるのが難しくなり、廃業してしまった。もっとも、私は何も報酬を要求しなかったが、治ったという患者が後で届けてくれる金額が皆一様に千ドルだった。私の知らないうちに、いつの間にかそういう相場になっていたらしい。だから、掃除婦の仕事をするより、高収入が得られるようになった。そのうち依頼が多くて昼ごはんも食べる暇もないくらい忙しい毎日を送るようになった。予約の最後の患者が午後5時に帰っていくと、その後はぐったりして食事を作る気もしない。

そんなある日、最後の患者を送り出した後、ほっとして晩御飯を作ろうとした時、玄関の呼び鈴が鳴った。出てみると、3歳ぐらいの女の子を背負った見知らぬ60歳ぐらいのアジア人の女が立っていた。いぶかしがる私に、「予約をとっていないのですが、祈ってもらえませんか?3歳の孫が骨髄癌にかかって、苦しんでいるんです」と言う。私はもうへとへとに疲れていて、祈る気力は全然残っていなかった。だからついつい声を荒げてその女を怒鳴りつけてしまった。「予約も取らないでくるなんて、非常識ではありませんか。お帰りください」と玄関のドアを閉めた。閉めるとき哀願するような女の目と私の目があったが、私はその女に同情するには余りにも疲れすぎていた。ドアを閉めると「まったく、どういうつもりかしら」とぷりぷりしながら、夕食作りを始めた。

目が回るような忙しい毎日を送っていた日、テレビ局から電話があった。インタビューさせてもらえないかと言うのである。ジョンに言うと、面白がって、

「インタビューしてもらえばいいじゃないか、最初に奇跡が起こった証人として俺も出るよ」とミーハー根性丸出しで言った。

そこで、インタビューを受けることにした。

著作権所有者:久保田満里子

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ヒーラー(6)

「あれは、第二次世界大戦の時だった。日本軍がオーストラリアを攻撃してきたので、まだ18歳の血気盛んな若造だった僕は、ただ手をこまねいていてはオーストラリアが日本に侵略されると思い、志願兵として申し出たんだ。そしたら、建設現場でブルドーザーの運転をしていた僕は、アメリカ軍がパプア・ニューギニアに飛行場を作るというので、森の中の木を切り倒して、飛行場を作る仕事を割り振られたんだ。ブルドーザーやトラックなど、飛行場を作るために必要な機械類と一緒に僕ら志願兵は、船でパプア・ニューギニアに渡り、アメリカ軍の少尉、確かマクミランという名前だったと思うが、マクミラン少尉の指揮の下で、森の木を伐採する仕事に従事したんだ。パプア・ニューギニアの森の中は、湿気も高く、暑いのなんのって、立っているだけで、汗がだらだら出てくるような所だった。高く聳える木々をブルドーザーで切り倒して行く間、僕達は日本兵に襲われるのではないかとひやひやしていたが、どうやら日本兵は引き上げた後のようで、行方を遮るものもいないまま、順調に工事はすすんでいったんだ。ところが、ある日、掘っ立て小屋のような物がたくさん並んでいる村のようなものが見えてきたんだ。何だろうかと思っていると、同じ志願兵でトラックの運転手をしているクリスが、あれは野戦病院ではないだろうかと言った。屋根にわらを載せただけのようなお粗末な建物だったが、近づくにしたがって、人が中にいる気配が感じられた。窓の隅からこちらの様子を伺っている人の目がある。大変だと思い、ブルドーザーから飛び降りると、後方にいたマクミラン少尉の下に、報告するために走って行った。

マクミラン少尉の前に出ると、右手を挙げて敬礼し、

「隊長殿。前方に掘っ立て小屋のような建物が見えます。どうやら、中に人がいるようです」息を弾ませながら報告した。隊長がきっと驚いて、工事停止を命令するだろうと予想していた僕は、隊長の次の言葉に驚いてしまった。

「もうそれについては報告が入っている。それは、日本軍の建てた野戦病院の跡だ。どうやら逃げられる者はもう逃げてしまったらしいが、身動きのならない者が病院に残されたようだ。構わん。作業を続けろ」

僕は驚いて

「でも、それではブルドーザーで人をひき殺すことになります」

そう言うと、少尉は恐ろしい形相をして僕に言った。

「日本兵が死んだからって、どうだっていうんだ。これは戦争なんだ。それにどうせ病院に残されたものは助からないくらいの重傷の奴だけだろう。このままほっておいても死んでしまう奴なんだ」

突然少尉は僕の頭に銃を突きつけ、

『つべこべ言うと、お前も撃ち殺すぞ!』と僕を怒鳴りつけた。

僕はショックでしばらく口が利けなかったが、殺されてはたまらないと思い、震えながらも敬礼の姿勢をして

「分かりました。作業を続行します」と言って、よろけるように自分のブルドーザーに戻っていった。僕は飛行場の作業に当たると聞いたとき、人を殺すはめになるなんて、全く考えたことがなかったので、僕の心は鉛のように重くなった。元気な兵を撃ち殺すのなら分かる。相手は身動きならない病人や負傷者なのだ。

ブルドーザーの運転席に戻って、ギアに手をかけると、手が震えた。前を見ると、じっとこちらの様子を伺っているような人影が見える。そのまま心を鬼にしてブルドーザーを突き進めると、小屋の窓からこちらを見ている目があった。その目は「頼む!殺さないでくれ!」と言っている。その目を避けて左側を見る。左側にも同じような目がある。『僕には日本で妻子が待っている。だからどうか僕を妻子のもとに返してくれ』とその目が哀願している。その目を見るのが耐えられなくて今度は右を見る。右にも同じような目がある。左から右から正面から、見るところ見るところに必死に命乞いをしている目がある。その目から逃れるのは唯一つしか方法がなかった。目をつぶることだ。目をつぶった。それでも、音にもならない声が、僕の心に訴えてくる。「殺さないで!」

でも、僕がその作業を続けなかったら僕がアメリカの少尉に殺されてしまう。最初の建物を壊したとき、「許してくれ!」と僕は心の中で叫んでいた。建物は難なく倒れた。建物が倒れるとき、最後の叫びともとれる『ギャー』と言う声がした。耳を覆いたくなったが、それもできなかった。僕は日本の負傷兵の目も声も心から遮断することに夢中になった。そして、そのままともかくどんどん前進していった。全部の建物が倒され、僕の役目は完了した時は、僕は泣いていた。そして、その日の晩から、僕はあの野戦病院に取り残されていた日本兵の目を夢で見るようになった。その夢を見るたびに汗をびっしょりかいて僕は目を覚ました。60年以上経った今も、その悪夢は続いている。

日本人のお前と結婚することになるとは、その時夢にも思わなかった。お前と結婚しても、僕はその戦争の時の悪夢のような体験を今までお前に話すことはできなかった。お前に同胞を殺したなんて言えやしない。だから今までこのことは僕の胸に収めておいたんだ。でも、死ぬ時が来たと聞いて、やっとお前に話せる勇気がでたよ」

エリックの目に涙がたまっていたが、美佐さんの目も、涙に濡れていた。美佐さんはエリックの体を抱いて、

「そんなことを一人で耐えていたなんて、つらかったでしょうね」と言った。

二人を見ていて、私ももらい泣きをした。戦争をして得をするのは、兵器製造会社と支配者だけ。勝っても負けても戦争は一般市民に深い傷を残す。実際に戦争を経験したことのない私もそういう思いを強くした。

しばらく悲しみに浸っていた三人だったが、エリックが最初に沈黙を破った。

「美佐、そういうわけだから、僕は自分の死ぬ時が来たら、じたばたしないで死にたい。そして心の平和を得たいんだ」

「分かったわ。私、あなたと50年も一緒に暮らしていながら、あなたのそんな思いを知らなかったなんて、なんて馬鹿なんでしょ」と美佐さんは自嘲気味に言った。

そして私に向かって、

「ようこさん。今日はお時間をとらせてしまってごめんなさい。どうやら、あなたに祈って奇跡を起こしてもらう必要はないようだわ」と言った。

「でも、せっかく来ていただいたのですから、お祈りだけさせてください。エリックさんが治りたいという気持ちがないのですから、私のお祈りで病気が治るとは思いませんが、せめても苦痛に悩まされないですむように、お祈りさせてください」と私は言った。最初エリックのことを祈るのは無駄だと思っていた私なのに、エリックの話を聞いているうちに、この人の精神的苦痛は私にはどうしてあげようもないけれど、肉体的苦痛が少しでも軽くなるように、祈らずにはいられなくなった。

それから、エリックの患部に手をやり、1時間お祈りをした。

祈りが終わり、帰って行くエリックの顔は、何となく晴れ晴れしたように思えた。

それから1ヶ月後、美佐さんから電話がかかっていた。

「ようこさん。今朝エリックはあの世に旅立ちました。洋子さんのうちから帰ってきてからは、悪夢を見ることもなくなりました。おかげさまで、エリックは安らかに息を引き取りました。ありがとうございました」

美佐さんの沈んだ声を聞いて、私ももの悲しい気持ちになったが、「やっと苦しみから解放されたんですね。エリックさん」と心の中でつぶやいていた。

著作権所有者:久保田満里子

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