Logo for novels

ヒーラー(6)

「あれは、第二次世界大戦の時だった。日本軍がオーストラリアを攻撃してきたので、まだ18歳の血気盛んな若造だった僕は、ただ手をこまねいていてはオーストラリアが日本に侵略されると思い、志願兵として申し出たんだ。そしたら、建設現場でブルドーザーの運転をしていた僕は、アメリカ軍がパプア・ニューギニアに飛行場を作るというので、森の中の木を切り倒して、飛行場を作る仕事を割り振られたんだ。ブルドーザーやトラックなど、飛行場を作るために必要な機械類と一緒に僕ら志願兵は、船でパプア・ニューギニアに渡り、アメリカ軍の少尉、確かマクミランという名前だったと思うが、マクミラン少尉の指揮の下で、森の木を伐採する仕事に従事したんだ。パプア・ニューギニアの森の中は、湿気も高く、暑いのなんのって、立っているだけで、汗がだらだら出てくるような所だった。高く聳える木々をブルドーザーで切り倒して行く間、僕達は日本兵に襲われるのではないかとひやひやしていたが、どうやら日本兵は引き上げた後のようで、行方を遮るものもいないまま、順調に工事はすすんでいったんだ。ところが、ある日、掘っ立て小屋のような物がたくさん並んでいる村のようなものが見えてきたんだ。何だろうかと思っていると、同じ志願兵でトラックの運転手をしているクリスが、あれは野戦病院ではないだろうかと言った。屋根にわらを載せただけのようなお粗末な建物だったが、近づくにしたがって、人が中にいる気配が感じられた。窓の隅からこちらの様子を伺っている人の目がある。大変だと思い、ブルドーザーから飛び降りると、後方にいたマクミラン少尉の下に、報告するために走って行った。

マクミラン少尉の前に出ると、右手を挙げて敬礼し、

「隊長殿。前方に掘っ立て小屋のような建物が見えます。どうやら、中に人がいるようです」息を弾ませながら報告した。隊長がきっと驚いて、工事停止を命令するだろうと予想していた僕は、隊長の次の言葉に驚いてしまった。

「もうそれについては報告が入っている。それは、日本軍の建てた野戦病院の跡だ。どうやら逃げられる者はもう逃げてしまったらしいが、身動きのならない者が病院に残されたようだ。構わん。作業を続けろ」

僕は驚いて

「でも、それではブルドーザーで人をひき殺すことになります」

そう言うと、少尉は恐ろしい形相をして僕に言った。

「日本兵が死んだからって、どうだっていうんだ。これは戦争なんだ。それにどうせ病院に残されたものは助からないくらいの重傷の奴だけだろう。このままほっておいても死んでしまう奴なんだ」

突然少尉は僕の頭に銃を突きつけ、

『つべこべ言うと、お前も撃ち殺すぞ!』と僕を怒鳴りつけた。

僕はショックでしばらく口が利けなかったが、殺されてはたまらないと思い、震えながらも敬礼の姿勢をして

「分かりました。作業を続行します」と言って、よろけるように自分のブルドーザーに戻っていった。僕は飛行場の作業に当たると聞いたとき、人を殺すはめになるなんて、全く考えたことがなかったので、僕の心は鉛のように重くなった。元気な兵を撃ち殺すのなら分かる。相手は身動きならない病人や負傷者なのだ。

ブルドーザーの運転席に戻って、ギアに手をかけると、手が震えた。前を見ると、じっとこちらの様子を伺っているような人影が見える。そのまま心を鬼にしてブルドーザーを突き進めると、小屋の窓からこちらを見ている目があった。その目は「頼む!殺さないでくれ!」と言っている。その目を避けて左側を見る。左側にも同じような目がある。『僕には日本で妻子が待っている。だからどうか僕を妻子のもとに返してくれ』とその目が哀願している。その目を見るのが耐えられなくて今度は右を見る。右にも同じような目がある。左から右から正面から、見るところ見るところに必死に命乞いをしている目がある。その目から逃れるのは唯一つしか方法がなかった。目をつぶることだ。目をつぶった。それでも、音にもならない声が、僕の心に訴えてくる。「殺さないで!」

でも、僕がその作業を続けなかったら僕がアメリカの少尉に殺されてしまう。最初の建物を壊したとき、「許してくれ!」と僕は心の中で叫んでいた。建物は難なく倒れた。建物が倒れるとき、最後の叫びともとれる『ギャー』と言う声がした。耳を覆いたくなったが、それもできなかった。僕は日本の負傷兵の目も声も心から遮断することに夢中になった。そして、そのままともかくどんどん前進していった。全部の建物が倒され、僕の役目は完了した時は、僕は泣いていた。そして、その日の晩から、僕はあの野戦病院に取り残されていた日本兵の目を夢で見るようになった。その夢を見るたびに汗をびっしょりかいて僕は目を覚ました。60年以上経った今も、その悪夢は続いている。

日本人のお前と結婚することになるとは、その時夢にも思わなかった。お前と結婚しても、僕はその戦争の時の悪夢のような体験を今までお前に話すことはできなかった。お前に同胞を殺したなんて言えやしない。だから今までこのことは僕の胸に収めておいたんだ。でも、死ぬ時が来たと聞いて、やっとお前に話せる勇気がでたよ」

エリックの目に涙がたまっていたが、美佐さんの目も、涙に濡れていた。美佐さんはエリックの体を抱いて、

「そんなことを一人で耐えていたなんて、つらかったでしょうね」と言った。

二人を見ていて、私ももらい泣きをした。戦争をして得をするのは、兵器製造会社と支配者だけ。勝っても負けても戦争は一般市民に深い傷を残す。実際に戦争を経験したことのない私もそういう思いを強くした。

しばらく悲しみに浸っていた三人だったが、エリックが最初に沈黙を破った。

「美佐、そういうわけだから、僕は自分の死ぬ時が来たら、じたばたしないで死にたい。そして心の平和を得たいんだ」

「分かったわ。私、あなたと50年も一緒に暮らしていながら、あなたのそんな思いを知らなかったなんて、なんて馬鹿なんでしょ」と美佐さんは自嘲気味に言った。

そして私に向かって、

「ようこさん。今日はお時間をとらせてしまってごめんなさい。どうやら、あなたに祈って奇跡を起こしてもらう必要はないようだわ」と言った。

「でも、せっかく来ていただいたのですから、お祈りだけさせてください。エリックさんが治りたいという気持ちがないのですから、私のお祈りで病気が治るとは思いませんが、せめても苦痛に悩まされないですむように、お祈りさせてください」と私は言った。最初エリックのことを祈るのは無駄だと思っていた私なのに、エリックの話を聞いているうちに、この人の精神的苦痛は私にはどうしてあげようもないけれど、肉体的苦痛が少しでも軽くなるように、祈らずにはいられなくなった。

それから、エリックの患部に手をやり、1時間お祈りをした。

祈りが終わり、帰って行くエリックの顔は、何となく晴れ晴れしたように思えた。

それから1ヶ月後、美佐さんから電話がかかっていた。

「ようこさん。今朝エリックはあの世に旅立ちました。洋子さんのうちから帰ってきてからは、悪夢を見ることもなくなりました。おかげさまで、エリックは安らかに息を引き取りました。ありがとうございました」

美佐さんの沈んだ声を聞いて、私ももの悲しい気持ちになったが、「やっと苦しみから解放されたんですね。エリックさん」と心の中でつぶやいていた。

著作権所有者:久保田満里子

関連記事

最新記事

カレンダー

<  2026-10  >
日月火水木金土
        01 02 03
04 05 06 07 08 09 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

記事一覧

マイカテゴリー