自分史(最終回)
更新日: 2025-12-21
ロビーがいつものように午後6時に帰ってきたとき、玄関で待ち受けていた幸恵は、ロビーにアタッシュケースを下ろす暇も与えず、出版社の電話の内容を話した。「ね、いいでしょ?」
幸恵が、ロビーをせっついたら、
「まあ、いいだろう」と、ロビーはしぶしぶながら、賛同した。ロビーは、幸恵の当選を見逃したときの落胆振りを思い出し、またあんなに落胆した幸恵を見るくらいなら、一万五千ドル出すのも惜しくはないように思えたからだ。
ロビーの賛同を得た後は、幸恵は喜びを隠しきれず、すぐに娘に自分史が出版社との共同企画で出版されることになったことを報告した。娘は「よかったじゃない」と言ったが、娘のさめたような声が、幸恵には不満であった。
翌朝、日本時間が9時になるのを待って、幸恵は出版社に電話した。
「工藤幸恵ですが、共同企画で出版するというお話、すすめていきたいのですが…」と言うと、編集長も嬉しそうに言った。
「それは良かった。工藤さんの作品は、きっと売れますよ」
それから、百五十万円を送金して一ヶ月経ったころ、幸恵の元に本が届いた。
オーストラリアのアイコンとも言うべきウルルの写真を背景に、「私のオーストラリア 工藤幸恵」と書かれた表紙を見て、幸恵は感慨無量であった。
早速、親戚、友人、知人と、思いつく人、全員に送った。
「本、ありがとう。おもしろくて一気に読んでしまったわ」とか、「幸恵さんがこんなに苦労したなんて知らなかった」とか、返事をくれる人も多かったが、「ありがとう」とさえも返事をくれなかった人も数人いて、幸恵を怒らせた。しかし、これで、私の人生でやりたいことの一つをやりとげたと思うと、幸恵は満足であった。出版社は、販売部数を知らせ、売り上げの半額を幸恵に送ってくれることになっていたが、出版社からの報告は、1冊売れたとか、2冊売れたとか、販売数ははかばかしくなかった。それでも、幸恵は、気にとめなかった。出版社も目に留めるくらいの本を書いたのだという誇りのほうが強かった。
そんなある日、出版を勧めてくれた友人から、思いがけないメールをもらった。
「幸恵さん、
幸恵さんの本を出版した会社が詐欺の疑いで、警察の調べを受けています。その会社では、本の懸賞コンクールなどと言って、出版に興味がある人の作品を募集して、実際にはどの本も出版しないで、応募した人全員に、共同出版の話をもちかけ、多大なお金を出させて、実際には500部位印刷して、販売もせず、倉庫に眠らせていたそうです。
印刷代は30万円もしなかったので、後は全部自分達の懐にいれていたということです。
その出版社の編集長は、『自己顕示欲の強い人間の心理を利用しただけだ。くだらない本を出版して、夢を見させてあげたんだから、夢実現代と思えは、百万、二百万、どうっていうことはないだろう』と、うそぶいていたということです」
メールを読み終えた後、幸恵の筆者としての誇りは微塵にくだかれ、「自己顕示欲の強い人間のくだらない本」と言う言葉が、いつまでも頭の中で渦巻いた。
著作権所有者:久保田満里子









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