ヒーラー(9)
更新日: 2013-10-29
テレビ公開はうちでやることになっていたので、私はてっきりカレンとカメラマン、そして患者だけがうちに来ると思っていたのだが、患者の他に背の高いひょろっとした感じの中年の男がカレンの後ろに立っていた。
「こちら、国立癌センターのテッド・オースチン先生です」とカレンはその男を紹介した。
私は癌の専門医が来るとは聞いていなかったので、驚いた。
「オースチン先生に、専門家の立場から、祈りの効果の証人になっていただきたいと思いましてね」とカレンは私の当惑した顔を見て、説明を加えた。
カレンの連れてきたやせ細った患者はアンディと言い、肺がんに冒されているということだった。鼻に酸素吸入の管をさしこまれていて、呼吸困難まで引き起こしている末期癌の患者だと一目でみてとれた。ここに来る前に、アンディの肺の状態はレントゲン写真も撮られているということだ。私の祈祷の後、またレントゲンを撮って比べるつもりのようだった。
私はタンカで運ばれたアンディを、私が用意したベッドに横たわらせ、私が祈る間、本人にも真剣に祈るように頼んだ。アンディは息をするのもつらそうにしていたが、私の頼みに対してわずかに頷いた。
アンディが横になり、私はアンディの肺の上に手をかざし、祈り始めたが、いつものようにすぐに集中できなかった。観察者、それもペテンを見抜いてやるぞと言った悪意を持った観察者が3人も小さな部屋に詰め掛けているのだから、私の想念が彼らの想念に邪魔をされているように思えた。カメラが回っている音がかすかに聞こえる。何とか集中しようと思ったが、なかなかできない。いつもは5分もすれば、手に電流が流れるようなぴりぴりする感覚に襲われるのだが、私の掌には何の感覚の変化も起こらない。私は段々焦り始めた。こんなはずはない。ここで奇跡が起こらなければ、私は詐欺師の汚名を着ることになると思うと、額から汗が出始めたが、私の掌には何の変化も見られなかった。できるだけ集中して自分の想念を一つにしようと言う思いと、ここで奇跡が起こらなかったらどうしようという恐れが湧き上がって、私の心はその二つの思いと戦うことにエネルギーを消耗することになってしまった。
そんな中で、急にカレンの声が聞こえた。
「終わりましたか?」
私はその声で祈り始めて一時間たったことを知り、自信は全くなかったが、カレンに向かって頷いた。
カレンがアンディに
「気分はどうですか?」と問いかけると、アンディは
「前と同じで、息をするのが苦しいです」と言葉をきりながら、苦しげに言う。オースティン医師は、アンディの腕を取って脈拍を調べたが、「前と変わっていませんね」と言う。
レントゲンを撮って調べなくても結果は一目瞭然だった。私の祈りは何の効果もなかったのだ。
カレンたちが引き上げた後、私は敗北感に包まれ、じっと座ったままうなだれていた。
背後でジョンが遠慮がちに優しい声で慰めてくれた。
「たとえ今度のことが失敗しても、僕の癌細胞が消えたのは確かなんだから、気にすることはないよ。今まで洋子は100人ぐらいの人の癌を治したんだろ?100人中一人が治らなかったって言っても、確率からすれば1%じゃないか。気にするな」
私は、マスコミにたたかれる覚悟をしなければならなかった。きっと明日にでも「詐欺師、洋子」とでも題する番組が報道されることだろう。そう思うと、テレビ局のインタビューさえ引き受けなければ、今でも静かに多くの人を治せたかもしれないのにと思うと、悔し涙が出た。テレビのインタビューを引き受けた時、心の奥底に、これで私は有名になれるかもしれないという名誉欲をくすぐられたのは否めない。だから何となく、そんな自分の思いに対する天罰のような気もした。
ジョンも無責任に私に祈りを公開するように進めたので、気がとがめているようだった。
「な、気を取り直せよ。今日はうまいものでも食べに行こうよ」と私を促して、メルボルンでも有名なホテルのバイキング料理に連れて行ってくれた。
人間満腹すると、段々楽天的になってくるという昔友人の言った言葉を思い出した。「私は虚しいと思ったときにはおなか一杯ご飯を食べるの。そうすると、虚しさが消えていくような気がするわ」
その日は、そんな友人の言葉が思い出され、落ち込んだ気分から少し立ち直れそうな気がした。やけ食いをし、家に帰ると身動きできないくらい、おなかが重かった。居間のソファーにごろんと横たわると、祈りを商売にしようなんて気はもともとなかったことを思い出した。奇跡が起こり、何となく自分が奇跡を起こしたような気がしていたのが、もう奇跡を起こせないとなれば、また掃除のおばさんに戻ればいい。祈祷依頼があれば、あったでよし。なければないでよし。そう開き直ると、気が楽になった。
著作権所有者:久保田満里子