都心の泉に知られざる過去が。。
刑務所で囚人が作った泉とは?
2010年7月24日掲載
メルボルン・シティの東側、スプリング通りのゴードン・リザーブ公園にスタンフォードの泉がある。
ウィリアム・スタンフォード(William Stanford)という囚人によって作られた。
小さな公園なので見おとすことが多いが、良く手入れされたきれいな公園だ。
左の奥には、セントパトリック大聖堂が見える。
正面と右の建物は、州政府の官庁街。
正面は、旧財務省トレジャリービル。
ウィリアム・スタンフォードは、メルボルンが出来た4年後の1839年に、ロンドンで生まれた。
幼少の頃、石工職人の徒弟に出されていた。
ビクトリア植民地が成立し、ゴールドラッシュに沸く1852年に貨物船のボーイとしてメルボルンにやってきた。
当初は、ベンディゴの金鉱山で労働者として働いている。
悪い仲間と遊ぶようになって、犯罪の道に入った。
1854年に馬泥棒の罪で、メルボルンのコバーグにあるペントリッジ刑務所(HM Prison Pentridge)に10年の刑に処せられた。
ペントリッジ刑務所は、1850年に建設された刑務所で、1997年に閉鎖されている。
ブルーストーンを使った建設で知られ、別名をブルーストーンカレッジと云う。
正門などが歴史遺産に指定されており、いくつかの映画に使われた。
スタンフォードは、6年間、刑に服した後、条件付きで釈放。
1860年には再度、路上での強盗と馬泥棒の罪で逮捕され、本人は無罪を主張したが、22年の刑を言渡された。
再度、ペントリッジ刑務所に収監されたが、最も反抗的な囚人となり、頑固な性格になっていった。
ある日、刑務所の床にスタンフォードが遊びで書いた絵を刑務所の牧師が認めて、記録に留めている。
更にスタンフォードは、隠れて入手したナイフで骨に彫りこんだ彫刻を同じ牧師が見つけた。
牧師は、スタンフォードの才能を刑務所長に報告。
刑務所長は、スタンフォードに彫刻に打ち込むことを許すと同時に、悲劇の探検隊バークとウィルス(Burke and Wills)の彫刻で有名なチャールズ・サマーズ(Charles Summers)に彫刻の初歩を教えさせた。
スタンフォードは泉のデザインを提出して、制作の許可を得た。
しかし制作する材料は、刑務所の役務で採掘されるブルーストーンだけであった。
スタンフォードは、4年の歳月をかけて泉を作り上げた。
サマーズは、泉を多くの知人に紹介し、釈放を要求する多くの署名を集め、1871年10月、ついにスタンフォードは、釈放されて自由の身になった。
この泉は、ビクトリア州議事堂(パーラメント)と州財務省(トレジャリービル)の中間の現在の場所に設置された。
設置後、スタンフォードによって最終加工が施された。
この泉は、ビクトリア州のあまたの泉の中でも最高傑作のひとつと云われ、刑務所の中で囚人が彫刻した環境を考えると驚異的な作品である。
スタンフォードは、その後、ウィンザーで彫刻家として名を成している。
左側の7階建の建物は、アルカストン・ハウス(Alcaston House)
建築:1929-1930
建築時期:両大戦期(Inter War)
建築様式:パラッツオ(Palazzo)、
ルネッサンスリバイバル
建築家:A. and K. Henderson
用途:アパート
上層部は、左右、中央の3つのビルに分かれている。メルボルンの官庁街都心部に立つ最初の上流階級用の豪華マンション。
ナショナルトラスト(B3904)
州遺産 VHR Number H0500
A. and K. Hendersonの作品
旧オーストラレイジア銀行本店
T&G ビル KPMG
ゴードン・リザーブ Gordon Researve
には、ふたりのゴードンのの彫像がある。
アダム・リンゼイ・ゴードンAdam Lindsay Gordon(詩人)
チャールズ・ジョージ・ゴードン Charles George Gordon (軍人)
撮影データ Canon EOS 5D MarkⅡ絞り優先AE 評価測光 絞りF5.6 1/320秒 ISO感度 100 露出補正 AWB JPG レンズ EF 24-70 mm f/2.8L USM
撮影:板屋雅博