ヒーラー(7)
更新日: 2013-10-13
エリックの病気を治せなかったにも関わらず、ローレンやエレンの癌が治ったという話は口コミで広がって行ったようで、依頼人がどんどん増えて行った。
次に依頼をしてきたのは、韓国人のキム・ミョンヒさんだった。
ドアの前に現れたキムさんも、いたって健康そうに見えた。今までは、必ず付き添いがいたのに、キムさんは一人で来た。
20代半ばだと思われるキムさんは、韓国ドラマ「チャングムの誓い」の主役を演じた女優イ・ヨンエに似ている、目が涼しくおちょぼ口をしている色白のハッとするような美人だった。イ・ヨンエと言ってもぴんと来ない人も多いと思うが、韓国版吉永小百合っと言ったほうが分かりやすいかもしれない。
「どうされましたか?」と言う私の質問に
「肺がんだと言われ、どうにかして、苦しい癌治療をしないで治してもらえないかと思って来ました」
そういうキムさんは、癌治療に対して恐怖感を抱いているようで、美しい顔がゆがんだ。
「そうですか。キムさんが治ることを強く願っているなら、その手助けはできるかもしれませんが、わたしだけの祈りの力では治るとは限らないので、それだけは分かってくださいね」と言うと、キムさんは固くなった表情をくずさず、こっくりとうなづいた。
私はいつものように彼女をベッドに寝かせて、一心に彼女の快癒を祈った。一時間がたち、彼女を家から送り出した時は、彼女は明るい表情になっていた。
「明日、病院に行くことになっていますから、その検査の結果が分かり次第、お知らせします」と言って帰って行った。
その翌日彼女が電話をかけてきた。
「ようこさんですか?」
その弾んだ声を聞いた時は、彼女の癌細胞が消えたという奇跡がまた起きたことを私は確信した。
「癌細胞が消えていたのですね?」私の問いに、
「そうなんです。本当にありがとうございました」
感激にむせたような声だった。彼女の感激が電話越しに伝わってきて、私は人助けができたことに喜びを感じ、
「よかったですね」と言う私の声も涙ぐんでいた。
最初は1週間に一人ぐらいの依頼が、日がたつに連れて、2人になり、3人になり、そして一週間に10人を超えるまでになった。メルボルンが多文化の街なのを反映して、オーストラリア人はもとより、イギリス人、アメリカ人、レバノン人、中国人、ギリシャ人、イタリア人、韓国人と、依頼人の国籍は多様であった。依頼が来るたびに、治る保証はないというのだが、絶望的になっている癌患者は、それでもいいと言って、依頼は増えるばかりだった。最初は躊躇していた私も、人が治っていくのを目の当たりに見て、自分の力で他人の苦しみが少しでも軽くなるのならと思うと断りきれなくて、お祈りをする機会が段々多くなり、一ヵ月後には清掃業の仕事を続けるのが難しくなり、廃業してしまった。もっとも、私は何も報酬を要求しなかったが、治ったという患者が後で届けてくれる金額が皆一様に千ドルだった。私の知らないうちに、いつの間にかそういう相場になっていたらしい。だから、掃除婦の仕事をするより、高収入が得られるようになった。そのうち依頼が多くて昼ごはんも食べる暇もないくらい忙しい毎日を送るようになった。予約の最後の患者が午後5時に帰っていくと、その後はぐったりして食事を作る気もしない。
そんなある日、最後の患者を送り出した後、ほっとして晩御飯を作ろうとした時、玄関の呼び鈴が鳴った。出てみると、3歳ぐらいの女の子を背負った見知らぬ60歳ぐらいのアジア人の女が立っていた。いぶかしがる私に、「予約をとっていないのですが、祈ってもらえませんか?3歳の孫が骨髄癌にかかって、苦しんでいるんです」と言う。私はもうへとへとに疲れていて、祈る気力は全然残っていなかった。だからついつい声を荒げてその女を怒鳴りつけてしまった。「予約も取らないでくるなんて、非常識ではありませんか。お帰りください」と玄関のドアを閉めた。閉めるとき哀願するような女の目と私の目があったが、私はその女に同情するには余りにも疲れすぎていた。ドアを閉めると「まったく、どういうつもりかしら」とぷりぷりしながら、夕食作りを始めた。
目が回るような忙しい毎日を送っていた日、テレビ局から電話があった。インタビューさせてもらえないかと言うのである。ジョンに言うと、面白がって、
「インタビューしてもらえばいいじゃないか、最初に奇跡が起こった証人として俺も出るよ」とミーハー根性丸出しで言った。
そこで、インタビューを受けることにした。
著作権所有者:久保田満里子