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初恋の人(1)’

  悦子が死んだ。私は高校の同窓会誌でその訃報を読んだ後、無性に雄二の声を聞きたくなって、昔雄二の住んでいた家の電話番号に電話した。もう30年前にもらった電話番号の家に住んでいるかどうか、分からなかった。だから、半分期待はしていなかった。でも、耳に押し当てた受話器から、
「もしもし、中川です」と、
言う懐かしい声を聞くと、私は一瞬胸がつまり、言葉がすぐには出てこなかった。30年前とちっとも変わっていないその声の持ち主、中川雄二は、私の初恋の人であった。
「もしもし?」
私は、相手の不審そうな声に、電話を切られては困ると思い、慌てて答えた。
「聡子です」
今度は相手が黙る番だった。
「もしもし、雄二さん?私、戸松聡子ですけど、憶えていらっしゃいますか?」
しばらくして、返事があった。
「勿論憶えているよ。今何しているの?どこにいるの?」
雄二は私のことを覚えてくれていた。そう思うと、電話する前から続いていた緊張感が一挙になくなった。
「今私ね、オーストラリアにいるの」
「え?オーストラリア?随分遠くに住んでいるんだね。で、そこで何しているの?」
「何しているって、主婦しているわ」
「そうか。結婚したんだね」
「そうよ。主人はオーストラリア人よ。悦子、亡くなったって、聞いたけど…」
私は悦子という名前を出すとき、胸がチクリと痛んだ。
「うん、一ヶ月前に肺がんで死んだよ」
「そうだったの、大変だったね」
「うん。僕自身もこの5年腎臓を患っていて、人工透析をしなければいけなくなってね。あんまり先が長くないようだよ」
「子供はいないの?」
「いるよ。二人。でも、二人とも家庭を持って、家を出て行ったよ。君のほうは?」
「いないわ」
私は、雄二が一人暮らしだと聞くと、無性に会いたくなった。
「今度、日本に帰ろうと思うんだけれど、会えないかな」
「旦那と一緒に帰ってくるの?」
「ううん。一人で帰ろうと思うの。うちの旦那は、いわゆる中年の危機って言うやつかな。若い女にいれあげているわ」
「そうか。余り幸福な結婚じゃないんだね」
「うん、まあね」
自分の不幸な結婚生活のことは余り言いたくなかった。
「同窓会誌で悦子が亡くなったって載っていたので、急にあなたがどうしているか気になって、昔持っていた電話帳にあった電話番号に電話したの。まさか、この電話番号であなたに通じるとは思ってはいなかったので、あなたが電話に出てのでびっくりしたのよ。ねえ、まだ絵を描いているの?」
私がつきあっていたころの雄二は、画家志望の青年だった。
「描いているけれど、売れなくてね」
「じゃあ、生活苦しいの?」
余計なことだとは思ったが、つい聞いてしまった。
雄二は苦笑しているようだった。
「親がかなりの財産を残してくれたからね。幸いにも生活には困っていないよ」
「そう。あなたのうちは資産家だったもんね。そう言えば、あなたのお姉さん、どうしてる?」
 雄二の姉美佐子と悦子と私は、高校時代、仲の良かった同級生だった。美佐子は寄宿舎生で実家は瀬戸内海の島にあり、夏休みに美佐子が私たちを実家に招待してくれ、美佐子の家に行って過ごしたことが、雄二との出会いになった。もっとも、そのころの雄二はやんちゃな中学生で、雄二を異性としてみるには、まだ余りにも幼かった。


著作権所有者:久保田満里子
 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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