運のない男(最終回)
更新日: 2025-07-20
ジェームズは、別に部屋をでなければならない用事があったわけではないが、ムハメドの気持ちを思うと、同じ部屋にいるのがつらかったので、部屋を出た。ムハメドにすぐに次の仕事が見つかればいいとは言ったものの、今の不況ではそんなに簡単に次の仕事が見つかるとは思えなかった。特に日常生活が出来る程度の英語しかできないムハメドには、できる仕事も限られている。ジェームズが、取引先に行くために自分の車に乗ったとき、まるで夢遊病者のように、ふらふら会社の門を出て行くムハメドが目に入った。その余りにもしおれた後姿を見て、ジェームズは彼が自殺をするのではないかと、悪い予感が胸を横切った。ジェームズは、ムハメドの後を車でゆっくり追い始めた。ムハメドのゆっくりした足取りについていくため車は徐行運転した。後ろから来た車の運転手がいらついてジェームズの車を追い越していくときに窓から中指を突き立てて怒りを表しても、ジェームズには一向に気にならなかった。15分歩いたところで、ムハメドは駅の中に消えてしまった。ジェームズはムハメドが馬鹿な真似をしないように祈る以外なかった。
それが、ジェームズがムハメドを見た最後となった。
ジェームズはその後は、赤字のやりくりに奔走して、ムハメドのことは時折頭に浮かぶことはあったが、次第に忘れていった。
ムハメドを最後に見て半年経ったころ、ムハメドと仲が良かった日本人の従業員の田村大樹が、ジェームスの部屋にやって来た。大樹はいきなりジェームスをなじるような口調で言った。
「ジェームズ。ムハメドが死んだそうです」
最初、ムハメドと言われても誰のことか、すぐにはピンと来なかった。
「ムハメドって?」
「ほら、半年前に解雇された用務員ですよ」
「え?あのムハメドが?自殺したのか?」ジェームズが一番恐れていたことだった。
「いや、あれから定職についていないという理由でイラクに強制送還されたのですが、バクダッドで自爆テロにやられて死んだそうです」
「え?ムハメドが強制送還されていたなんて知らなかったよ」
「ここを解雇された後、仕事がみつからなくって、臨時に出されたビザの期限も切れて、イラクに強制送還されたってことですよ。本当に運のない奴ですよね。あんなにいい奴だったのに」
大樹の目が潤っていた。
ジェームズも何と答えたものか分からず、黙っていた。そして心の中で「あの時は、ああするしかなかったんだ」とつぶやいたが、あのお人よしのムハメドを守ってやることができなかったと思うと、心臓をナイフでつかれたような痛みが走った。
それから、半年後、2007年に連邦政府は自由党から労働党に政権が移り、新政府は「難民として認められた者には永住権を発給する」と発表した。
新聞でそのことを知ったジェームズは、「ムハメド、本当にお前は運の悪い奴だったな」とつぶやいていた。
注:この物語は2007年に書いたものです。難民政策は政党が変わるごとにかわり、現在は、難民が永住権を取るのは難しくなっています。
ちょさk
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